閑話:側近 → 団長
ネイサンがユージーンの側近と呼ばれる立場につくようになったのは、ユージーンが爵位を継いだときだろう。彼は十六歳で爵位を継いだ。当時、ユージーンの父親が魔獣討伐団の団長を務めており、魔獣討伐先で魔獣に襲われて命を失ったのが理由である。
魔獣討伐団は、そうやって命を危険に晒しながら魔獣を討伐する。ネイサンは、討伐団の者に尋ねたことがある。
――どうして討伐団に入ろうとしたのか?
すると彼らは皆、口をそろえて同じようなことを言うのだ。
――守りたい人がいる。
それは恋人であったり、子どもであったり、親であったり。その大事な人たちの生活を守りたいから、魔獣討伐団に入ったのだと答える。ごく希に「お金のため」と答える者もいるが、それが「大事なものを守るため」と答えるのが恥ずかしい彼らの照れ隠しであるのも知っている。
だから、魔獣討伐団への入団希望する者たちの動機の大半は「大事な人を守るため」「お金のため」であるものの、本質は「大事なものを守る」に行き着くのだろう。
ユージーンが守りたいのは、父親から受け継いだこの場所であるのを、ネイサンはわかっていた。だからユージーンを助けたかった。
剣術の腕前は伸びなかったネイサンは、ユージーンと一緒に魔獣討伐へと向かえば、間違いなく足を引っ張る。となれば、彼が留守のときにこの場所を守ろうと、心に決めた。
ユージーンの父親がネイサンの父親を守ったように、ネイサンはユージーンの手助けをしたかった。それが恩義というものなのだろう。
そんな主に降って湧いた縁談の話。本来であれば喜ぶべきことなのだが、いかんせん、相手に問題がある。
クラリス・ベネノ。ベネノ侯爵令嬢。年は確かユージーンより五つ年下の二十一歳。その年まで結婚しない貴族の令嬢は、この国では少数である。たいてい、二十歳までに結婚か婚約をするからだ。
出会いがなければ出会いを求め、出会いの場を作る。そういった催しも各所で開かれ、彼女たちは「行き遅れ」と揶揄されないように、生涯の伴侶を探す。となれば男性も素敵な女性と出会いたいと想う気持ちは同じで、そうやって意気投合した男女のカップルができあがっていく。
さらに周囲からの圧力もかかるから、たいていの女性は二十歳までに結婚、もしくは婚約をしていた。
そんな背景もあり、今だ独身のクラリスは社交界の毒女と呼ばれているのだ。クラリスとだけは結婚したくないと口にする男性も多いほど。
毒女とはただ単に独身女性のことを指すだけでなく、他にもプライドが高く、相手に要求する理想が高いとも言われている。だから結婚ができないのだと。
そういった噂をちらほらと耳にしていたネイサンであるが、噂が事実であるとは限らないため鵜呑みにはしないようにも心がけていた。何事も真偽を見極める必要がある。
しかし噂が事実であったと確信したのは、王太子アルバートの婚約披露パーティーの場だろう。
アルバートとつかず離れずの場所に、彼女はいた。地味な色合いのドレスでありながらも、なんとなく目を奪われる女性。それがクラリスであった。
アルバートが動けば、彼女も一緒に動く。アルバートが食べ物を口にしようとすると、幾言か彼に告げて、クラリスがそれを奪う。料理など、他にもたくさんあるというのに、そうやってアルバートが食べる物を横から奪っていく。
アルバートにぴったりとくっついていたクラリスだが、突然、スタスタと何かに向かって足をすすめた。
『……きゃっ』
いきなりアルバートの婚約者として紹介されたハリエッタに体当たりし、彼女が手にしていたグラスが落ちた。もちろん、一口も飲んでいないグラスであったため、中のお酒はこぼれ、それがハリエッタのドレスを大きく汚す。
その出来事に大して悪びれもせず、退席するハリエッタの様子を見送ってから、近くにいた給仕からグラスを奪い、それを一気に飲み干した。
『このような下品な飲み物を準備したのは、どなたかしら? わたくしの口には合わないわ』
よりによって王太子の婚約披露パーティーである。安っぽい酒など用意しているわけがないのに、彼女はそう言い捨ててからその場を去った。
一部始終を見ていたネイサンはあっけにとられた。
(噂以上の女性だった……)
主役の二人が去り、クラリスもいなくなった会場は騒然としたものだ。
たいていが、ハリエッタがかわいそうだという話で、あとはクラリスがアルバートを奪われ嫉妬に狂った末の愚行だとかなんとか。
今の出来事を酒の肴にして、大半の人間がパーティーの余韻に浸っている。
ユージーンの代わりにアルバートへ祝いの言葉を伝えたネイサンは、そそくさと会場を後にした。ただただすごかったとしか言いようがない。だけど、もう二度とかかわることはないだろうと、そのときはそう思っていた。
それなのに、国王はユージーンにクラリスとの結婚をすすめてきた。いや、命令である。
社交界の毒女。男性からも、結婚相手として望まれていない女性。そんな女性がユージーンの伴侶となるのだ。
断れるものならば断りたいと思っていたのは、ネイサンのほうかもしれない。
だけど、ユージーンがクラリスと手紙のやりとりをしたためか、彼女の印象は少しだけ変わった。手紙から伝わってくるのは、相手を思いやる気持ち。
それでも、婚約披露パーティーの強烈な印象が、頭のどこかに巣くっている。
もしかしたら、手紙を書いているのは別の人間かもしれない。そうやって疑って、真実を見極める。
そしてとうとう、クラリスがウォルター領へとやってくることになった。結婚式の日取りさえ決まっていないというのに、さっさと書類にサインをしてしまえ、というのが国王の思いのようで、もちろんユージーンはそれを断れない。
クラリスが来たら、結婚誓約書にサインをもらい、まずは書類だけの結婚生活を始めようと、それなりに準備をしていた。それにもかかわらず、肝心のユージーンは魔獣討伐のために城を空けている。
だからユージーンにかわって、ネイサンがクラリスを迎え入れなければならない。
本当の彼女は、どのような女性なのか。ユージーンにふさわしくない女性であれば、二年間だけ我慢すればいい。この結婚は離婚前提の離婚約なのだ。
だが、噂の毒女とは違って淑女であったなら――
クラリスが到着するのを、ネイサンは今か今かと待っていた。