エピローグ
クラリスがファンケにさらわれた事件から一年以上が経った。
あの事件は、クラリスに想いを寄せていたファンケが金にものを言わせ、人を使って彼女をさらい、無理矢理に自分のものにしようとするのが目的だった。王太子宮にあるサロンに人さらいの男たちが侵入できたのも、あそこで働く侍女を脅したからだ。
彼女には病気の弟がいて、弟の治療のためには薬が必要だった。クラリスであれば弟のための薬を作れる、断ったら弟の命はないなど、とにかく弟を脅しの道具として利用した。
その侍女は事件にかかわったことを深く反省し、辞めると言い出したようだが、それを止めたのはクラリス本人だった。そして、その弟の治療薬までをその侍女に与えたのだから、やはり毒女というよりは女神のような存在だろう。
以前、メイもクラリスは女神のような存在だと口にしていたのを思い出す。
だが、クラリスにとってはなぜファンケに狙われるようになったのか、心当たりはないとのこと。てっきり彼はハリエッタを好いているものだと思っていたようだ。
クラリスのことだから、自身に向けられている好意になど気づくはずがない。
ユージーンだって何度もしつこく愛をささやき、やっと想いが通じたのだ。ときおり、それが重いとすら言われるが。
だからファンケがハリエッタを好いていると思い込んでいたのだろう。クラリスは毒師でありアルバートの毒見役として、彼の側に寄り添っていた。そしてアルバートの側にはハリエッタがいた。自分だけは狙われないと思い込んでいるクラリスにとって、ファンケの標的は自動的にハリエッタだと思い込めるのだ。
婚約披露パーティーの席でハリエッタが手にした飲み物に睡眠薬が混入されていたのも、ハリエッタの飲み物をクラリスが奪い取って飲むだろうとファンケが読んでいたからだ。今までのクラリスの行動からそう判断したらしい。
そういった先を読む力は褒めてやりたいが、無理矢理、女性を自分のものにしようとする行動はいかんせん許しがたい。
アルバートとハリエッタの婚約披露パーティー以降、クラリスの姿を見なくなったと思っていたファンケだが、結婚式のために王都へ戻ってきたクラリスの姿をどこかで見かけたようだ。むしろ、結婚式のために王都に戻ってきたことなど彼は知らなかった。
そしてハリエッタと仲が良いことを思い出し、以前から目をつけていた侍女に話を持ちかけたとのこと。必ずハリエッタはクラリスを誘うだろうと。
ファンケの読みはあたり、お茶会の真っ最中にクラリスをさらった。
というのが、あのときの全容である。
次の日にファンケの思惑を知ったユージーンが、寝台の上で横になっているクラリスに伝えたのだが、彼女はけしてユージーンの顔を見ようとはしなかった。
前日に散々、彼女を抱き潰したのは悪かったと思っているが、やっと気持ちが通じて、さらに薬の影響もあったのだから仕方あるまい。と、ユージーンは自身の欲求を正当化していた。
だからこそクラリスが怒っていたのだが、今となっては夫婦間の戯れである。
「あ、だぁ」
あのときのことなどなかったかのように、穏やかな時間が流れている。新しい家族も増え、悦びに満たされているのだが、やはりクラリスの姿が見えない。
あの事件以降、クラリスは解毒薬作りに励んでいる。
「あ、ぶっ……」
腕の中にいる我が子はかわいい。見ていて飽きない。
クラリスは自身がそうだったように、子どもも定期的に毒の摂取が必要になるかもしれないと怯えていた。だから彼女は子を望もうとしなかったし、いつかはユージーンと離婚するつもりでいた。
それを説き伏せたのもユージーンだ。
今のところ、この子に毒の定期摂取は必要なさそうだ。ミルクもよく飲み、よく寝る。
「クラリス。またここにいたのか」
彼女の姿が見えないときは、温室か作業用の小屋をのぞけばよい。今日も何やら薬を作っていた。
このような辺境の地では、アルバートやハリエッタを毒から守れないと嘆いていたクラリスだが、彼らが毒に侵されたとしても解毒薬を準備しておけばいい。ただでさえ薬師は貴重な存在であり、毒を扱える毒師となればそれ以上。
だからウォルター領で解毒薬を作り、それを王城にまで運べばいいと考えたようだ。すぐさまデリックに相談したところ、解毒薬はいくらあっても困らないとのことだった。
もちろん彼女の作る解毒薬は、ウォルター領でも重宝されているし、魔獣討伐にいく兵たちにとっても必要なもの。
「今日は何を作っているんだ? そうやってあまり根をつめるでない」
「デリックから頼まれたのです。最近、アルバート殿下に媚薬を盛る方が多いようで。まだ、あのお二人にはお子様がいらっしゃいませんから。結婚されたばかりですし」
アルバートとハリエッタは、一年の婚約期間を経て、半年前に結婚した。
もちろんユージーンとクラリスも結婚式に招待されたが、すでにクラリスのお腹は大きくなっていて、お祝いの言葉と品を贈るだけにとどめた。落ち着いたところで、新しい家族も連れ、挨拶にいくつもりだ。
ユージーンだけでも出席すればよかったのにとクラリスは口にしたが、身重の彼女を一人にしたくないという気持ちもあった。
そんなユージーンは、もちろんなんだかんだでアルバートに感謝している。
「媚薬が盛られるのがアルバートなのに、なぜデリックから解毒薬を頼まれるんだ?」
「わたくしが作っているのは解毒薬ではございません。特定の異性にしか発情しない薬です」
「すまない。話が飛躍しすぎて、俺には理解できない」
毒薬や解毒薬にもいろいろな種類や対処法があるようで、ユージーンには理解できないことも多い。
「デリックが両殿下の毒見役なわけですが、最近はなぜか媚薬が多いわけです。そこにどのような陰謀が隠れているのか、わたくしにはわからないところではありますが。デリックには取り込んだ毒薬を無効化する力はございません。少々、効きが悪い程度です。ですから、大量に摂取すると……まあ、そういうことです」
ちょっとだけデリックに同情を覚えた。何よりも媚薬の効果はユージーンもよくわかっているつもりだ。
「ですが、アルバート殿下が特定の人物にだけ発情する薬を摂取していれば、仮に媚薬が仕込まれたとしても、不特定多数の人物と情事に至らずに済む、というのがデリックの考えです」
「なるほど。なんとなく理解はできた。だが、その薬ができあがったとして、どうやって効果を確かめる? 特定の者にしか発情しないというのは、なかなか判断が難しい薬なのではないか?」
クラリスに薬は効かない。もちろん、毒も効かない。
「それはデリックにお任せです」
「俺が思うに、何事も作りっぱなしはよくないと思う。その薬は、まずは俺が効果を試そう。俺だって、毒師の夫だからな」
ユージーンがニタリと笑うと、クラリスはぽっと頬を赤らめて、あっちを向いた。
【完】
最後までおつきあいいただき、ありがとうございました。
いろいろぽちっとしていただけると、喜びます。
では、また次の作品で。




