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第七章:告白 x 告白(3)

「あぁ……クラリス様……。今まで、どちらに隠れていたのですか……」


 男の声だった。しかし、この声には聞き覚えがある。


(もしかして、メンディー侯爵子息のファンケ様? でも、ファンケ様はハリエッタ様を執拗に狙っていて、だからあの婚約披露パーティーの日にも……)


 アルバートとハリエッタの婚約披露パーティーでは、ハリエッタの飲み物に睡眠薬が仕込まれていて、その犯人ではないかと疑っていたのがファンケなのだ。


 それに気づいたクラリスは、睡眠薬入りの飲み物を乱暴にはね除け、ハリエッタを退場にまで追い込んだ。


(だから、わたくしを恨んで……?)


 なんとなく状況が読めてきた。できるだけファンケを挑発させないようにしなければ。


「あぁ……クラリス様。お美しくなられて……」


 恨まれているとしたら、何をされるかわからない。


 心臓は痛いくらいにドクンドクンと音を立てている。

 幸いにも両手はお腹の前でしばられていた。


 クラリスをか弱い令嬢とでも思ったのだろう。薬によって眠っているし、抵抗もしないと考えたにちがいない。だからこそ、手足を縛ったのは念のため、なのだ。


(いざとなったら、この毒を……)


 いつも首から提げている毒入りの小さな瓶。クラリスにとって、約五日分の毒が入っている。これは、王都とウォルター領の行き来を考えての量であり、ウォルター領へ向かうときに肌身離さず身に付けるようにと、母親が準備してくれたものだ。


 今ではちょっとしたときにはこの毒を摂取しているため、毒切れを起こす心配はなくなった。


 もちろん、王都で暮らしていたときは手の届く範囲に毒があったから、いつでも好きなときに摂取していた。それでも何かに夢中になってしまったときは、それすら忘れる。


 体内の毒濃度が薄れてくると、目の前がかすんできて発汗し、手足が痺れてくる。この状態をクラリスは毒切れと呼んでいた。そういった状態でもまだなんとか動けるため、そのような兆候があるとすぐに毒を飲んだ。


 基本的には一日最低三回、きっちりと毒を飲んでいれば毒切れは起こさない。

 そのとき、ふっと首筋に息が触れ、ざわりと肌が粟立った。このまま首を絞められてしまうのだろうか。


「クラリス様……クラリス様……あぁ、いいにおいがする……」


 ぬるっと首に何かが触れた。

 声が出そうになったのを寸でのところで呑み込んだ。まだ目覚めていることを悟られてはならない。


 相手が一度身体を引いたのを感じ取り、首からぶら下げている瓶に、気づかれぬように手をかけた。

 何かが触れた首筋が、外気に触れてひんやりとするのが気持ち悪い。


 それに、心臓が口から出てくるのではないかと思ってしまうほど激しく動いていて、呼吸も少しだけ苦しい。


「あぁ……もうダメだ。我慢できない。クラリス様を私のものにする……」


 もう一度、男が近づく気配がした。

 クラリスはかっと紫紺の瞳を開き、不自由な手で瓶の中身を目の前の男にぶちまけた。


「うわっ」


 液体が目に入り、男は顔を押さえながらよろめいた。その男は、やはりメンディー侯爵子息のファンケであった。なぜか上半身だけ裸なのが気になるところだが。


「わたくしを始末するおつもりですか!」


 クラリスはソファに座ったまま、もだえ苦しんでいるファンケをギロリと睨みつけた。

 彼は右目を押さえたまま、よろよろと立ち上がってクラリスを見下ろした。


「クラリス様。目覚めていらっしゃったのですか? 眠っているうちに、ひと思いにヤッてしまおうと思っていたのに」


 やはりファンケはクラリスが眠っている間に命を奪おうとしたのだ。


 ゴクリと喉を鳴らしてから、クラリスはスカートをたくしあげ、次に使えそうな薬を考える。


 だが、毒はもうない。いつも足にくくりつけているのは、毒虫や毒蛇をおびき寄せるような香りを放つ液体だ。それから、それらの毒を採取するための小瓶。あとは、解熱剤とか栄養剤とか、毒ではなく万が一に備えての薬である。


「クラリス様……。そんなことをして、私を誘っているのですか? その人を蔑むような眼、たまりませんね」


 右目に手を当てつつ、ファンケは鼻息荒く近づいてくる。


 武器になるようなものは、いつも持ち歩いている瓶類しかない。手首を縛られていても、太ももであれば手が届く。


(と、届いた)


 手探りで手にした瓶の栓をなんとかはずす。


(え? 空?)


 これは毒採取用の空き瓶だったのだろうか。とにかくファンケに向かって投げつけた。


「……いたっ」


 瓶はファンケの額にあたった。だけど、何事もなかったかのように彼はゆっくりと近づいてくる。


「クラリス様。おとなしくしてください」


 ニタリと笑った彼の右手が、ドレスの胸元に向かって伸びてきた。


 ――ビシャッ!


 やっとの思い出手にした瓶には液体が入っていた。それが見事にファンケの顔にかかったのだ。いったい、なんの液体であるかは手探りであったためわからない。


 だけど、時間稼ぎにはなった。


「うぅっ」


 彼はその場で膝をつき、ガクガクと身体を震わせ始める。


(もしかして、最初のアレが効いてきたのかしら……)


 クラリスが首からぶら下げていた瓶に入っていた毒は痺れ薬である。いっとき、身体の自由を奪う毒薬だ。いくら毒といっても、人の命を奪うようなものは持ち歩いていない。


 痺れ薬はファンケの目にかかったため、そこから体内にゆっくりと吸収されていったのだろう。クラリスが持ち歩いている毒は、経口摂取や粘膜摂取によって効果が高まるもの。


 もちろん、中には触れただけで毛穴から吸収されるような毒もあるが、それは厳重に鍵がかけられた棚で保管されている。


(はやく、ここから逃げ出さなければ……)


 そう思って身体を起こすものの、クラリスの目の前が白んできた。


(うっ……これは……毒切れの症状……)


 ハリエッタから昼食兼の茶会に誘われていたため、昼の分の毒をまだ飲んでいない。ハリエッタが目を離した隙に自分のカップに毒を入れる予定であったが、そのタイミングを逃していた。遅くなっても帰りの馬車で飲めばいいと、そう思っていたくらいだ。


(今ならまだ間に合うわ)


 それにファンケも痺れ薬の影響で動けないから、まさしく今がとのときである。


(……って。痺れ薬を全部、ファンケ様にかけてしまったわ)

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