閑話:王太子 → 毒女(1)
アルバート・ヒューゴ・ホランがクラリスと出会ったのは、今から十一年前。アルバートが十五歳、クラリスが十歳のときである。
アルバートが十四歳となり、身体が子どもから大人へと変化しつつあったころから、アルバートの周辺は慌ただしくなる。つまり、アルバートの隣に立つ女性の地位を狙う者が増えた。もちろん女性本人もそうであるが、その家族も自身の娘やら妹やら姉やらを押しつけようとしてくる。
さらに厄介なのは、愛妾として囲ってもらってもかまわないと考える者がいることだろう。手っ取り早くアルバートと身体をつなげればいいと思う者も一定数いたのも事実。
ある日、信頼している者と食事をしていたときに、急に身体が痺れ始め四肢の動きが鈍くなった。食事の相手には妹がいて、その妹をアルバートの妃にと思っていたようだ。といっても、アルバートよりも五つ年上の女性である。
アルバートが貞操の危機に直面したとき、助けてくれたのは近衛騎士隊長でもあるベネノ侯爵であった。そして彼は、アルバートに専属の毒見役をつけたほうがいいと言い出した。
王城内で出されるいつもの食事は、何重も確認し提供されている。しかし、パーティーや晩餐会、まして外での食事会となれば、こちらの息のかかったものの手が回らないことも多い。そういったことも踏まえ、催し物に同伴するような毒見役をつけるべきだと言ったのだ。
そうしなければ、似たようなことはアルバートが結婚しても結婚したあとも続くだろうと、恐ろしいことを口にした。
だが父王の周囲を考えると、ベネノ侯爵の言うことも間違いではないだろう。両親にもそういった場合に供えて毒見役はついているし、アルバートが幼いときにはその毒見役がアルバートの分も担っていた。
しかし、アルバートだっていつまでも両親と行動を共にするわけではない。
アルバートはベネノ侯爵の提案を受け入れ、専属の毒見役を側におくことを決めた。
そしてやってきたのがクラリスなのだ。クラリスはベネノ侯爵の娘。侯爵夫人は国王夫妻の毒見役を務めているが、表向きは薬師として王城にいる。その娘であるから、毒見役として適しているのだろうと思うものの、何よりも彼女はアルバートよりも五歳も年下だった。
このような子どもに、毒見役が務まるのだろうか。
そんな不安をベネノ侯爵にぶつけると意外な答えが返ってきた。
さらに、むしろ子どもだからこそ、相手に警戒心を抱かせなくて済むと。
クラリスは年齢のわりには、大人びている子だった。
それからクラリスはアルバートが参加する食事会や茶会などに同行することになる。彼女は遠くから食べ物とその周辺の者を観察して、毒の有無が判別できるという特技を持っていた。さらに、人の顔を覚えるのが得意で、一度アルバートに対して不埒な想いをぶつけた者をすべて記憶している。
だからアルバートも彼女を信頼し、何年も近くにおいたのだ。
「ハーゼ公爵から食事に誘われた。どう思う?」
「ハーゼ公爵は、やめたほうがよろしいでしょう。公爵には娘が一人おりますが、あからさまに殿下を狙っております。先日のガーデンパーティーで、殿下の飲み物に痺れ薬を混入させるよう指示をしたのは彼女です。未遂に終わっているので、公にはなっておりませんが」
「クラリスがそう言うのであればそうなのだろう」
「殿下。はやく婚約者をお決めになってください。二十歳にもなって一人でふらふらとされているから、今まで以上に相手が執拗になっているのです」
「そう言われてもなぁ。こちらにとって婚姻を結んでメリットになるような令嬢もいないし、何よりもときめく女性に出会えていない。あ、クラリス。ここで相談なのだが、私と結婚しないかい?」
王太子のアルバートが結婚を申し込んだのだ。本来であれば、喜ぶところだろう。それなのにクラリスは顔色一つ変えない。
「殿下。何を馬鹿なことをおっしゃっているのです? わたくしは殿下に仕える臣下です。それに、わたくしは誰とも結婚する気はございません」
「相手が私でも?」
「そこは一番あり得ませんね。殿下には、もっとふさわしい女性がおりますよ」
「ふさわしい女性って誰? まさか、私との結婚が嫌で、適当なことを言っているわけではないよね?」
クラリスは目を細くしてアルバートを睨みつけるが、観念したかのように一人の女性の名を口にした。
不思議なもので、意識し始めるとその彼女が気になって仕方ない。問題があるとしたら、その彼女がまだ成人を迎えていないことだろう。
あと一年、あと一年と、彼女が成人を迎えたときに親をとおして婚約を打診しようとしたが、時期尚早であるとクラリスに止められた。




