第六章:弟 x 毒女 x 夫(4)
ユージーンは二年後も結婚関係を続けたい。
「なあ、クラリス。この一ヶ月の間、俺と一緒に過ごして、これからもずっと俺と一緒に暮らしていきたいと、そう思うことはなかったか?」
鉄紺の瞳を細くして、真面目に問いかけてくるユージーンは、きっとクラリスの心の中を見透かしている。
「ありません」
それでもクラリスははっきりと言ってのける。
「まったく? 少しもそう思わなかった?」
「まったく思っておりません。少しもそう思っておりません」
口ではそう言っているが、それは嘘だ。少しはそう思った、かもしれない。だけどそれを悟られてはならない。
「俺は、この一ヶ月で君との距離が縮まったものと思っていた。だけど、それがここに来て、また遠くなったような感じがする。いったい、何があった?」
彼の瞳に見つめられたら、意思が揺らぐ。
目を剃らし、両手でカップを包むと、ゆっくりと毒入りのハーブティーを飲む。
「何もありません」
「……そうか」
ユージーンもそれ以上、何も言わなかった。
沈黙の中、二人でただお茶を飲むだけ。
「おかわりはいかがですか?」
空になったユージーンのカップを見て声をかけたものの、彼は首を横に振る。
「クラリス……せっかく結婚式を挙げたんだ。今日は、初夜といこうじゃないか」
「え?」
「俺たちは夫婦だ。何も問題はないだろう?」
「あります。わたくしたちは離婚前提の結婚ですから、二年の間に子を授かってはなりません」
「つまり。君が子を授かれば、俺たちは離婚できない。そして俺は君と離婚したくない。それが、どういう意味かわかっているのか?」
ニタリと笑ったユージーンが、獲物を狙う肉食獣のような目つきをしている。
「無理矢理にでもわたくしを抱くと、そうおっしゃるのですか?」
クラリスは自身をきつく抱きしめた。
「君が素直にならないのなら、そういうのもありだな」
侮蔑の色を紫紺の瞳に滲ませ、クラリスは彼を睨みつける。
「わたくし、旦那様を見損ないました」
「なんとでも言えばいい。だがな、俺は絶対に君を手放すつもりはない。君だって、俺のことを気に入っているだろう? いや、少なくともウォルター領を気に入っているはずだ」
ひくりと身体を震わせる。ユージーンのこともウォルター領のことも嫌いではない。
「図星だな。だったら、俺と離婚する必要などないだろう? 離婚したところで、また他の誰かと結婚させられるぞ?」
「……しません。わたくしは、結婚いたしませんし、子も望みません」
胸の奥がチクリと痛んだ。棘が刺さったような鋭い痛みがあって、苦しくなる。自然と目頭が熱くなった。
「だったらクラリス。……君はなぜ泣いているんだ?」
そう指摘され、頬を拭うと濡れていた。クラリスは自分でも気づかぬうちに泣いていたのだ。
「俺に抱かれるのが、怖いのか?」
「ち……違います」
「だったら、なぜ?」
ユージーンが勢いよく立ち上がり、つかつかと近づいてくる。そして簡単にクラリスを抱き上げると、そのまま先ほどのソファに座り直した。
クラリスはユージーンの膝の上に乗せられ、逃げることができない。
「君は、何に怯えている? 俺は必ず君を幸せにすると、約束する」
その言葉にクラリスは首を振る。
「わたくしと一緒にいたら、旦那様は不幸になります」
「ならない。君を手放すことを考えるほうが不幸だ」
またクラリスはふるふると顔を振った。
「わたくしは、毒師です」
「知っている」
「ただの毒師ではありません。毒という毒、薬という薬がまったく効きません。それだけでなく、定期的に毒を飲まないと死んでしまいます。そのような面倒くさい女と、何もわざわざ一緒になる必要はないでしょう?」
なるほど、とユージーンは頷いた。
「君が気にしていたのは、そんなことか」
「そんなこと? 大事なことです」
「だが、俺からしたらちっぽけなことだ。俺だって毎日、酒を飲む。君が毒を飲むのは、俺が酒を飲むのと同じようなものだろう?」
「違うと思います。旦那様はお酒を飲まなくても死にませんが、わたくしは毒を飲まなければ死にます」
「俺だって、食事をとらなければ死ぬぞ? クラリスの毒も、それと似たようなものだろう?」
「そ、それは……」
そこまで言いかけて、言葉に詰まった。
ユージーンは食べ物を食べなければ死んでしまう。クラリスは毒を飲まなければ死んでしまう。似たようなもの、だろうか。
「つまり、クラリスが毒を飲むのは、食事と同じようなものだ。気にする必要はない」
「気にします。だって、わたくしたちの子どもが、わたくしと同じように毒を欲する子だったらどうするのですか?」
それをずっと気にしていた。クラリスがそうであるように、クラリスの血を引く子も同じように毒を必要とする子どもであったら。
そう考えたとき、クラリスの母親の気持ちがなんとなくわかった。
「そのときは、毎食きっちりと毒を飲んでもらうだけだな。君と同じように」
「それが、嫌なのです。わたくしが毎回毒を飲むのは耐えられます。ですが、わたくしの子も同じようだったらと考えたら、耐えられません」
ユージーンが、クラリスの頭を自身の胸に押しつけた。
「君が悩んでいたのは、それか? だから、俺と離婚したいと、そう思っているのか?」
「わたくしは誰とも結婚する気はありません。旦那様と離婚したら、毒師として一生を終えるつもりです」
ユージーンが力強く抱きしめる。
「それでも俺は、君を手放したくないし、君との間に子を望みたい」
「ダメです」
くぐもった声で答えるが、ユージーンは力をゆるめようとはしない。
「……もし、俺たちの子がそうだったとしても、俺はその子を愛し、その子が後悔しない人生を歩ませる。クラリスは今、後悔しているのか? 毒師の中でも特異な体質であることを」
「しておりません。むしろ、殿下の役に立てて光栄です」
「その者の人生の価値を決めるのは、その者本人だ。いくら親であっても、決めつけることはできない。もしかしたら、その子もクラリスと同じように考えるかもしれない。すべては、そうなってみないとわからない。起こるかどうかわからないような不幸に怯えて、今の幸せを手放すのか?」
今の幸せと言われ、はっとする。
幸せなのだろうか。ユージーンと結婚させられた結果、幸せになったのだろうか。
生まれてくる子は生まれる前から不幸なのだろうか。
「わたくしは……」
幸せか。幸せでないか。
ウォルター領で出会った人たちの顔が、頭の中に次々と浮かんでくる。
多分、幸せだ。だけど今、それをユージーンには伝えたくなかった。心の奥に、不安があるのも事実だからだ。すべてにおいて幸せであるとは言い切れない。
「……わかった。次の俺の目標は、クラリスを幸せだと言わせることだな」
涙を吸い取るかのように、ユージーンが唇を寄せた。




