第六章:弟 x 毒女 x 夫(3)
「この結婚は離婚前提の結婚。そう提案したのは旦那様よ? それなのに、結婚式を挙げるために、ここまで来てしまったの。こんな大々的に結婚式を挙げてしまったら、離婚しづらいでしょう?」
「でしたらクラリス様。離婚しなければよろしいのではないですか?」
「え?」
「もしかして、離婚しなければならないと思い込んでいらっしゃるのではありませんか? そういった前提でお受けした結婚ですから」
この結婚は離婚前提の結婚である。それはクラリスの中で何も変わっていない。なぜなら、ユージーンとそういう約束をしたからだ。
「旦那様は、奥様のことを好いていらっしゃいますよ。最初、離婚前提の結婚を提案してくるなんて、どれだけ最低な男なんだと思いましたけれど、今はしっかりと奥様のことを愛していらっしゃると思います」
「なっ……ちょ、ま……メイ、何を言っているの?」
「え? 私、何か失礼なことを言いましたか?」
「ち、違うわよ……」
ユージーンはクラリスに対して惚れたとは言った。だけど、はっきりと好きだとか愛しているとか、そう言われたわけではない。ただ、離婚はしないとか、夫が妻を愛してなにが悪いとか、そのようなことを頑なに言い放っているだけ。
それでも離婚はしないと口にするのはそういうことなのかもしれないと、微かに期待はしていた。さらに他の者から言われれば、やはりそうなのかと胸を弾ませる。
だけど、この結婚を続けてはならない。
「……メイ。ダメなのよ。わたくしは結婚なんてしてはいけないの」
「奥様?」
メイの声はクラリスの耳を通り抜けていった。
クラリスは毒師だ。それもただの毒師ではない。毒がまったく効かないだけでなく、ありとあらゆる薬を無効化する。むしろ、毒を定期的に摂取しなければ、命を失ってしまう特異体質だ。
このように、普通とはかけ離れた人間が、結婚をして子を望んではならない。
そんなことをすれば、きっと周囲の人に迷惑をかけてしまうから――
ユージーンとクラリスの結婚式は、王城にある礼拝堂で行われた。
純白のウェディングドレスに身をつつむクラリスの姿を見た母親は、目尻に涙を光らせた。両親を騙すような仮の結婚式であるのに、そのように感激されてしまってはクラリスの胸もチリリと痛む。
デリックは目をつり上げながらも「おめでとうございます」と言い、父親にいたっては何も言わない。ただ目尻を下げて、穏やかな眼差しを向けていた。
そんな二人の結婚式は、身内だけの小さな式であった。というのも、誓約書を出してから日が経っているのと、クラリスが社交界からは毒女と呼ばれていたのと、ユージーン自身も社交界からめっきり遠ざかっていたのと、そして何よりもクラリスがそう望んだのと。
離婚するとわかっているのに、多くの人に祝われたくなかったのだ。
だというのに、そこに国王までいたのは二人の結婚の証人だからだろう。さらにアルバートやハリエッタの姿まであったのは驚いた。よほど二人の結婚の行く末を見守りたいのか、それとも本当に結婚するのかと疑っていたのか。
小さな式を終えたとき、クラリスは手にしていたブーケをハリエッタに手渡した。
「クラリス様、おきれいですわ」
「ありがとうございます、ハリエッタ様。ハリエッタ様のご紹介で、このような素敵な方と出会うことができました」
社交辞令の言葉はすらすらと出てきた。
「ウォルター領であれば、クラリス様が気に入ると思いましたの」
やはりハリエッタは、ウォルター領に豊富な毒があることを知っていたようだ。クラリスにとってウォルター領は理想の地であるのは否定しない。
そのままハリエッタと幾言か言葉を交わしてから、クラリスは家族とユージーンと共にベネノ侯爵邸の別邸へと戻った。
着替えをしてから、食事の席につく。大々的な披露パーティーをするつもりはないため、その代わりの食事会のようなものだ。といっても、その場にいるのはベネノ侯爵夫妻とデリック、そしてクラリスとユージーンの五人である。
なぜかデリックがユージーンに対して攻撃的な言葉をかけているのが気になった。ユージーンは気にしていない様子で、それらをのらりくらりと交わして、ベネノ侯爵と談笑に興じる。
するとデリックはいっそう不機嫌になり、さらに攻撃的になる。度が過ぎると、ベネノ侯爵がピシャリとデリックに注意する。
そんな様子を、クラリスは微笑みながら眺めていた。
食事を終え、自室に下がる。
「クラリス様。本日からユージーン様も、こちらの部屋を利用されるとのことですが……」
メイが言いにくそうに声をかけてきた。
「え?」
「旦那様がユージーン様にそうおっしゃっていたようでして……」
ベネノ侯爵邸では、旦那様、奥様はクラリスの両親を指す。クラリスは、心の中で父親に文句を言った。
「わかりました。お父様がそうおっしゃったのであれば、そうなのでしょう」
結婚している二人なのだから、共寝してもなんら問題はない。問題なのは、ここがクラリスの生まれ育った実家であり、同じ屋根の下に両親がいることくらいだろう。
だから、この屋敷にいる間は、絶対にそういうことをしないと頑なに心に決めている。
いや、この屋敷にいる間ではなく、ユージーンと婚姻の関係にある間、絶対に身体は重ねない。この結婚の先に待っているのは離婚なのだ。
そのためには、二年間、子に恵まれなかったらという条件が必要となる。となれば、やはり身体を重ねてはならない。
湯浴みを終え、ナイトドレスに着替えたクラリスは落ち着かなかった。
わざわざ離れた部屋の客室からユージーンがやってくるのだ。
コツ、コツ……コツ、コツと、控えめに扉を叩かれる。
「は、はい」
クラリスも異様に緊張していた。そんなことにはならないと決意しているはずなのに、変に身体に力が入る。
扉が開いて、隙間から影が伸びる。
「こんばんは、旦那様。お茶でも飲まれますか? いつもと同じハーブティーを用意しておきました」
「そうだな。いただこう」
湯上がりのユージーンを目にしたのは、何も初めてではない。だというのに、今日にかぎって艶めかしさがある。
「どうぞ。そちらにお座りください」
蔦模様が描かれたソファに促した。彼は躊躇いもせずに、慣れたような仕草でそこに座る。
いつものようにお茶を淹れたクラリスは、向かい側の一人がけの椅子に座った。
「なんだ? 今日は俺の隣にはこないのか?」
「そうですね。今日の旦那様は、何かを企んでいらっしゃるように見えますので」
ユージーンは意味ありげにニヤニヤと笑ってから、ハーブティーを一口飲んだ。
「旦那様は、今日からこちらの部屋をお使いになると伺ったのですが……」
「そうだな。きちんと式も挙げたことだし、紙切れ一枚の関係から、神の前で永遠の愛を誓い合った関係になったわけだ」
できることなら、紙切れの前で誓い合った関係で、その紙をびりびりっとやぶきたいところである。
「……ですが。何度も申し上げておりますように、二年後には離婚いたします。そういう約束でしたから」
「だけど、俺は離婚する気はない。君と初めて出会ったときに、そう言ったはずだ」
この話をし始めると、平行線で終わる。互いの考えが交わる場所などない。
クラリスは二年後に離婚したい。




