第六章:弟 x 毒女 x 夫(1)
「結婚式は王都で挙げよう」
いきなりユージーンがそのようなことを口にしたのは、彼と出会って十日目の夜だった。
「結婚式ですか? 今さら?」
寝る前になると、ユージーンは必ずクラリスの部屋を訪れる。そこでお茶を飲みながら、他愛のない話をして、おやすみの口づけをしてから彼が部屋に戻る。
というのが、二人の日課になっていた。
「今さらと言われても、俺が戻ってきたのが十日前だからな。ベネノ侯爵と相談したが、やはり王都のほうがいいだろうと結論づけた」
「いつの間に?」
それがクラリスの本音でもあり、心の中で呟いたつもりだったのに声に出ていたようだ。
「ジョゼフが手紙のやりとりをしていた。そして俺も戻ってきてからすぐに挨拶と結婚式の話を書いて手紙を送った。返事がきたのは今日だ」
「左様ですか。ですが、なぜ王都で? こちらのほうがよいのではありませんか?」
クラリスはウォルター伯爵家に嫁いだのだ。結婚式は嫁ぎ先で行うのが、慣例であると思っていたのだが。
「君の弟、デリックが王都から離れられないらしい」
デリックは今、クラリスにかわってアルバートの毒見役を務めている。もちろん、表向きは王城で働く薬師である。薬師は王城に務める者たちのために、薬を作り与えるのが仕事だ。
しかし、毒師でもあるデリックは、アルバートの食事の毒見を行っている。特に、多数の者が集まるような茶会やパーティー、食事会など、そういったときにはさりげなく毒見を行う。
そのような催しものがない場合は、毒見としての仕事はない。アルバートの普段の食事にかかわっている人間は決まっているからだ。
だからデリックが王都を離れられないというのであれば、そういった催しものが頻繁に行われているのを意味する。
「アルバートが正式に婚約したからな。付き合いも増えたのだろうな」
「アルバート殿下もデリックも、大変ですのね」
クラリスは他人事のように口にした。ほんの数日前までは、王都に戻ってデリックとその役目を交代しようと思っていたはずなのに。
その事実に戸惑いすら覚える。
「せっかくだから、君も家族にはウェディングドレス姿を見せたいだろう? むしろ、デリックが見たいと騒いでいるようだ」
ありがたいことにデリックはクラリスを慕っている。いつも「姉様、姉様」と後ろをくっついてきた。そんな彼だからこそ、クラリスと同じように毒師の道を選んだのかもしれない。父親は、自分と同じ騎士にさせたかったようだが。
「そうですね。ウェディングドレス……二度も着るものではありませんからね」
とはいえ、二年後にユージーンと離婚したとしても、もう二度と純白のドレスを着るつもりはない。毒師として王族にその身を捧げる覚悟。
「ですが、旦那様はよろしいのですか? こちらで式を挙げなくても……」
「ああ。俺はどこで式を挙げようがかまわない。君がたくさんの人から祝福を受けるような、そんな場所であるなら。それに、こちらでは、君が妻であると紹介したしな。結婚式のお披露目が必要であれば、また改めてパーティーを開くから心配するな」
「いえ。わたくしのお披露目は不要です。先日、みなさまにご挨拶したばかりではありませんか」
魔獣討伐団の慰労バーティーで、ユージーンは結婚を発表し、クラリスが妻であると大々的に紹介したのだ。これ以上のお披露目などやられたら、見世物になってしまう。
「そうか? 民は皆、祝い事があれば喜ぶぞ? あいつらを喜ばせてやりたくないのか?」
ニヤニヤと笑っているユージーンを見れば、クラリスを困らせたいという意図が伝わってくる。だから、そのような姿を見せないように凛として口にする。
「そういった発表も、何度もするものではありませんでしょう? ここの領主は何度も結婚したのかと思われてしまいますよ」
「そうだな。俺は、結婚は一度でいいからな」
ユージーンはクラリスを抱き寄せ、頬に口づける。それもいつものことになりつつあるので、クラリスも慌てふためくような姿は見せない。そのような反応をすれば、ユージーンを喜ばせるだけだと、やっと学んだのだ。
「では、準備はベネノ侯爵に任せてよいか? 侯爵夫人がドレスを準備しているらしい」
「まあ、お母様ったら」
「よっぽど、この結婚が嬉しかったのだろうと、侯爵からの手紙には書かれていた」
「そうですね。両親は相手が誰であろうと、わたくしの結婚には喜んだと思いますよ? だって両親は、わたくしが結婚しないものと思っておりましたから」
相手がユージーンだから喜んでいるわけではない。そうはっきりと伝えたつもりであるのに、それでも彼はニコニコと笑ってクラリスを抱き寄せる。
「そうか。だったら、アルバートに感謝せねばならないな。アルバートの側にいたから結婚しなかったのだろう? それなのにこうやって俺たちは出会ったわけだ」
「旦那様を紹介してくださったのはハリエッタ様ですが? わたくしにぴったりの相手がいるとおっしゃっていました」
「さすがジェスト公爵令嬢だな。ぴったりだろ? 俺たちの関係は」
「えぇ。旦那様が離婚前提の結婚を提案してくださったときは、天才かと思ったのです。本当にわたくしのことをわかっていらっしゃる相手だと思って、ハリエッタ様に感謝したくらいですが……」
そこでクラリスは口ごもる。
「どうした?」
ユージーンは心配そうにクラリスの顔をのぞき込んできた。
「俺は君のぴったりの相手ではなかったのか?」
「えぇ。わたくしの思い違いだったようです。まさか、結婚して二か月経ってから、最初の約束をなかったことにするだなんて……。約束の守れないような男性は軽蔑いたします」
「それは悪いと思っている。君が噂どおりの毒女だったら、俺だって離婚約のままでいようとしただろう。だが君は、噂とは異なる魅力的な女性だった。それだけのことだ」
そうやって甘い言葉を、彼は耳元でささやいてくる。今に始まったことでもないけれど、こればかりは慣れない。
「俺は焦らないことに決めた。二年後も俺と夫婦でいたいと、君が思ってくれるよう、二年かけて君を落とす」
「ご勝手にどうぞ」
ツンとそっぽをむくクラリスであるが、ユージーンといると調子が狂ってしまうのも事実。
結婚式だって無理して挙げる必要はない。どうせ離婚するのだから。
そう思っているのに、両親には結婚して幸せな姿を見せてやりたいとも思う。
こんなふうに相反する二つの気持ちを持ってしまったのも、すべてはユージーンのせいなのだ。
「結婚式の日取りについて、君の希望はあるか?」
「いいえ。旦那様もお忙しいのでしょう? お任せします」
「そうか」
そこで彼は腰を浮かした。
「今日はもう遅い。そろそろ寝るとしよう」
そして顔を近づけ、今度はクラリスの唇に激しく口づける。唇を重ねるだけでなく、唇で食んで、呼吸もままならないほどの激しいもの。
毎日の寝る前の口づけがこうであるのもわかっているのに、これも慣れない。だからもう、この激しい口づけは儀式のようなものであると、そう思って受け入れているのだが――。
「……んっ」
息苦しくなって呼吸を求めようとした隙に、ぬるりと何かが口の中に入ってきた。
「んっ……あっ……」
ユージーンの舌が執拗に口腔内を舐め尽くす。すると身体の奥が、疼き始めた。




