閑話:侍女 → 領主
ウォルター辺境伯ユージーン・ウォルター。それがメイの仕えるべき主人、クラリスの夫となった人物である。
馬車で五日の旅を終え、ウォルター領に着いたというのに、肝心のユージーンは不在であった。結婚相手が不在であっても、書類上の関係は夫婦にしておきたいという考えがあったようで、クラリスは夫の顔も知らないのに結婚誓約書にサインをした。
メイはユージーンがどのような人物であるか、気が気でなかった。暴力的な男性だったらどうしよう。横暴な性格だったらどうしよう。まして、離婚前提の結婚を提案してきたような男だ。身勝手な人物かもしれない。
実際にユージーンと会うまでの間、メイはそんなことを考えていた。
「それにしても、旦那様はどのような方なのでしょうね?」
不安になって、メイはクラリスに尋ねていた。
「わたくしも姿絵しか拝見していないけれども、やさしそうな雰囲気は受け取ったわ。それに、こちらで働いている使用人を見れば、なんとなくその主人の人となりもわかるでしょう?」
その言葉にメイも納得する。
何も知らぬメイに対して、ここで働く使用人たちは親切なのだ。よそ者だからって仲間はずれにするようなことはない。となれば、そんな使用人たちをまとめているユージーンも誠実な人なのだろう。それでもやはり、離婚前提の結婚の提案をしてきたことだけは解せない。
クラリスがそれを前向きに捉えているからよいのだが。
そんなユージーンが、魔獣討伐を終えて戻ってくるという先触れが届いた。
ネイサンとジョゼフが中心となって、使用人たちに指示を出している。
部屋の確認を――
湯浴みの準備を――
食事の用意を――
「メイは奥様をお願いします」
「は、はい」
せっかくユージーンが戻ってくるのだ。クラリスも出迎えなければならないだろう。
この時間、クラリスは温室にいるはず。
そう思って温室へ足を向けたのに、そこにクラリスはいない。
「奥様、奥様。クラリスさま~」
メイが声を張り上げるものの、クラリスからの返事はない。
もう一度城館へ戻り、ネイサンに報告をする。
「ネイサン様。申し訳ありません。私が目を離したばかりに、奥様の姿が……温室にいらっしゃらなくて……」
ネイサンは眉根を寄せて、考え込む。
「裏の森の入り口付近に、蛇の巣穴を見つけたと奥様がおっしゃっていたので、もしかしたらそこかもしれません」
「わかりました。すぐに呼んできます」
そのような場所に蛇の巣穴があっただなんてメイは知らなかった。知ったところで何をするわけでもないのだが。
ネイサンに言われた通り、裏の森の入り口へ向かうと、そこにしゃがみ込んでいるクラリスの姿を見つけた。
「奥様」
「あら、メイ。どうかしたの?」
「旦那様がお戻りになられるとのことです。すぐに着替えてお出迎えを――」
メイがそこまで言ったとき、どこからか男性の声が聞こえた。大きく声を張り上げ、何かを伝えているような声だ。
「あら。この声は、きっと旦那様の声ね。魔獣討伐団の団長とおっしゃっていたから、最後に団員の皆に声をかけているのね。だったら急いで戻らないと」
クラリスが慌てて立ち上がったので、メイもその後ろをついていく。
「あ。メイ。いいところに」
クラリスを城館まで案内しようとしていると、庭師がメイを呼び止めた。
「この花をジョゼフ様に届けてほしくて。他にもとらなきゃならない花があるんだが、ジョゼフ様が急ぎと言っていて」
「メイ、わたくしは大丈夫よ。あとは他の人に頼むから。みんな、旦那様が戻ってこられて忙しいのでしょう?」
「申し訳ありません、奥様」
城館はすぐそこ。
メイはクラリスの後ろ姿を見送るのだが、はて? と気になったことがある。それはクラリスが手にしているもの。
「メイ。この花を頼む」
庭師に花を押しつけられて、メイはすぐにそれを受け取った。だから、クラリスに声をかける機会を逃してしまった。
「ジョゼフさんに届ければいいのですね?」
「そうだ。頼んだ」
庭師も忙しそうに、次の花の場所へと移動していた。
メイは受け取った花を両手で抱えて城館へと向かうが、エントランスではなく裏口から入る。ジョゼフの元に向かうには、こちらから入ったほうが近いからだ。
「ジョゼフさん。花を預かってきました」
「ああ、メイ。いいところに。そちらの花はこちらの花瓶に」
「旦那様は戻られたのですか?」
「今、ネイサンが出迎えているはずです」
だからメイは、クラリスが両手に毒蛇を持ったままユージーンを出迎えたとは思ってもいなかった。
メイがユージーンを初めて見たのは、食事の場だ。だが、なんとなく、ユージーンがクラリスに好意を向けている様子を感じ取った。
クラリスとユージーンの会話は、かみ合っているようでかみ合っていない。そのフォローに入るのがネイサンであり、メイも必要であれば助けに入ろうと思っていた。
それでもユージーンからはクラリスに対する愛情が感じられた。本当に、この結婚は離婚前提の結婚なのかと疑いたくなるほど。
そしてメイがそんなユージーンに声をかけられたのは、食事を終えたクラリスを部屋まで送ったあとだった。
ユージーンの執務室に呼び出された。これではまるで、悪いことをして断罪されるような気分だと思っていたら、アニーもネイサンもジョゼフもいて、ほっと胸をなでおろす。
「君が、クラリスがベネノ家から連れてきた侍女だな?」
「はい。メイ・ロビンと申します」
「今、彼らから聞いたのだが、君は毎朝、クラリスと散歩にいっているのだな?」
「はい」
「では、明日からその役を俺に譲るように」
いいえ、とは言えない雰囲気である。
「承知しました」
「ところでメイ。クラリスは何が好きなんだ?」
唐突にそのようなことを聞かれた。この質問の意図をかみ砕くと、ユージーンはクラリスに何か贈り物をしたい。だから好きなものを聞いている。そう、理解した。
しかし、本当のことを言ってもいいのだろうか。
メイはこの場にいる三人の顔をぐるりと見回した。彼らはクラリスの状況を知っている信頼のおける者たち。
すっと息を吸い込む。
「奥様の好きなもの……毒、ですね」
「ん?」
「奥様……クラリス様が好きなものは毒です」
それ以外、思い浮かばない。
何よりも、毒のある植物を見つけてはじっくりと眺めているし、毒をもつ生き物を見かけてはうっとりとしている。
「……なるほど。彼女は毒師らしいからな……」
まさかこの答えをすんなり受け入れるとは思っていなかった。しかし、クラリスが毒を好きなのは紛れもない事実。他の三人だってメイの答えに納得したような表情を浮かべている。
「旦那様は、奥様……クラリス様のことを好いていらっしゃるのですか?」
失礼だとは思いながらも、メイはなぜかそう尋ねていた。
「そうだな。会ったのは先ほどが初めてだが、好ましいとは思っている。それが何か?」
なぜかその言葉にメイは安堵した。
「いえ。クラリス様のことを末永くお願いいたします。クラリス様は私の恩人のような方なのです。クラリス様が幸せになるのが、私の幸せでもあります」
メイの訴えに、ユージーンは深く頷いたのだった。




