第五章:仮初め x 夫婦(5)
休憩室へ案内されると、花柄のふかふかのソファにおろされた。
「人が多くてあてられたか? 何か、飲み物を用意させよう」
「いえ。ただ、そろそろ毒を飲む時間でしたので……毒が足りず、あのようになってしまいました」
「そうか……君は、最低でもきっちりと三回、毒を飲んでいたな。昼も過ぎたし、その時間が来たということだな? 飲み物は何がいい? お茶か? 果実水か? 何かつまめるものも用意させよう」
「ありがとうございます」
肌身離さず持ち歩いている毒を一、二滴、口に含めばいいのだが、ユージーンがあれこれと世話を焼いてくる。それを鬱陶しいとは思わない。むしろ、なぜか心の奥にぽっと花が咲くくらいに、嬉しかった。
「では、紅茶をいただいてもよろしいですか?」
「わかった。今、人を呼ぶ」
ユージーンはベルをチリリンと鳴らして、侍従を呼んだ。幾言か告げると、すぐにワゴンが運ばれてくる。テーブルの上には料理と軽食が並べられた。
クラリスは首から提げていた毒入り小瓶を外すと、紅茶にそこから二滴ほど垂らす。
「それは?」
「毒です。わたくしは常に毒を持ち歩いております。こちらに移動するときも、こちらの毒でなんとかしのいできました」
「なるほど。だったら、俺にもその毒を持たせてほしい」
「え?」
「誰かを暗殺するためじゃないぞ? 君の身に何かが起こったとき、俺も毒をもっていたほうがいいだろう? ちなみに、君が毒をとらなければどうなる?」
「恐らく、意識を失ってそのまま死ぬかと思います。わたくしを死に追いやりたいのであれば、毒を与えないことです。これが一番、自然に殺せる方法かと」
ユージーンが腕を組み深く頷く。
「そうなっては困るな。だから、君の毒が奪われたとしても、俺がなんとかできるように俺も持ち歩く。そのためにも俺の分も準備してくれ」
「あ、え。と……」
返事に困ってしまった。本来、毒は人を殺めたり陥れたりするときに使うもの。それなのに、ユージーンはクラリスを救うために毒を持ちたいと口にする。
「俺の毒は、人を陥れるためには絶対に使わない。……君を救うときにしか使わない。約束する」
鉄紺の瞳に真剣に見つめられ、クラリスの心臓がトクトクトクと音を立てる。
「わ、わかりました。旦那様を信じます」
クラリスは恥ずかしさを誤魔化すために、ティーカップに手を伸ばした。一口飲むと、あたたかさが身体に染み渡っていく。だけどこのあたたかさは紅茶のあたたかさだけではない。目の前のユージーンの心のあたたかさだ。
目頭が熱くなってきたので、涙がこぼれないようにとこめかみに力を入れた。
「どうした? 気分が悪いか?」
「いえ、大丈夫です。そろそろ落ち着きます」
毒が身体中に回れば、きっとこのドキドキも収まるだろう。そう思いながら、ゆっくりとカップを傾けた。
ユージーンも軽食に手をつける。
「……そういえば、王城ではこういったパーティーの場ではどうしていたんだ? アルバートによく付き添っていたんだろう?」
「あ、そうですね。そう言われますと、このように毒のない食事が並ぶパーティーは初めてです」
クラリスのその言葉で、ユージーンはいろいろと察したようだ。
「アルバートも大変だな」
「アルバート殿下の場合、毒というよりは媚薬、睡眠薬、しびれ薬、そういったものを盛られることのほうが多かったですね。あれも毒成分の一種ですから」
そう言ったクラリスは、紅茶を一気に飲み干した。
日が傾き始めると、パーティー会場を訪れている者たちも帰路につく。そして、外がとっぷりと暗闇に覆われたころには、残っていたのは魔獣討伐団に所属する者でも、ジャコブをはじめとするほんの一部だった。
独身同盟のジャコブはなかなか帰ろうとしなかった。ユージーンがしびれを切らして「いいから帰れ」と押し問答している様子は、クラリスから見ても面白いやりとりであった。
「みんな、今日はありがとう」
後片づけをしている使用人たちに声をかけると、彼らも「めっそうもございません。久しぶりに腕を振るえて楽しかったです」と言う。
ユージーンと二人で、そうやって彼らをねぎらった。
夕食を軽く終え、湯浴みをして、あとは眠るだけ。久しぶりにたくさんの人を目にしたクラリスは、やはり疲れていた。ウォルター領ののんびりとした生活に慣れてしまったのかもしれない。
いつもより早めに寝台に潜り込もうか悩んでいたとき、ユージーンの寝室とつながる扉が開いた。
「……クラリス、眠ったのか?」
「いいえ。起きております」
なぜかユージーンがそわそわしているように見えた。
「どうぞ。お座りになってください。落ち着くようにハーブティーでも淹れますね」
「ありがとう」
ユージーンがソファに座ったのを見届けてから、クラリスはハーブティーを淹れる。
ユージーンは毎晩、眠る前にクラリスの部屋にやってくる。今日だってそうだろうとは思っていたから、メイに言いつけて、いつでもお茶が飲めるようにと用意してもらった。そろそろメイも、毎日のことだと思い始めているかもしれない。
お茶を淹れ終わると、クラリスはユージーンの隣に座った。いつもは向かい側なのだが、今日はなぜか自然とそこに座ってしまったのだ。
それに驚いたのはユージーンである。
「何か?」
そう声をかけると、彼は「いや」と言って顔を逸らす。
「もし、眠れないのであれば、睡眠薬でもお入れしましょうか?」
クラリスは、いつものように愛用している毒を二滴ほど垂らす。もちろん、ユージーンのカップにはいれない。
「大丈夫だ。それよりも今日は、疲れただろう?」
「そうですね。ですが、楽しかったです」
「そうか、それならよかった。だが、君がすでに彼らと知り合っていたほうが、俺にとっては驚きだったな」
「ですから、それはたまたまなのです」
内緒にしていたものを知られてしまったような、そんな恥ずかしさがある。別に内緒にしていたわけではないが、積極的に言うべきことでもないと思っていた。
「ネイサンから、君が街に視察のために足を運んでいたのは聞いていたが、まさかあれほどまでとは思っていなかった」
二年という期間限定であっても、クラリスはこの場所を知っておきたかった。だからネイサンやジョゼフに相談し、領地について学び、そして実際に足を向けて目にした。
「わたくしも身分を隠して、見て回っておりましたから」
だから今日、街の人たちはクラリスの姿を見て驚いたのだろう。新しく城で雇った薬師だと思っていたはずだ。ネイサンがそんなことを言って誤魔化していたから。
ただ司祭にだけは薬を渡している以上、その身を明かした。ネイサンが顔見知りだったこともあり、また司祭もユージーンが結婚するという話は聞いていたためだ。
いや、ネイサンはクラリスを薬師として紹介してくれた。だけど司祭がネイサンとの仲を疑ってきたから、真実を口にしたまでのこと。
「少し、妬けたな」
ぼそりと呟くユージーンが、どこか寂しそうにも見えた。
「旦那様?」
視線が合った。彼は穴があくのではないかと思えるくらい、見つめてくる。そして、不意に唇を重ねてきた。
いつものように、しつこくねっとりと濃厚に。
「……ん、ふっ」
熱い口づけは、息苦しくなって頭がぼんやりとしてくる。
すっと、ユージーンが唇を離す。
「やはり俺は、君と離婚するつもりはない」




