第五章:仮初め x 夫婦(4)
男はペコペコと何度も頭を下げてから去って行く。その先には、彼と同じ年代の女性がいたから、彼女が妻なのだろう。
ぐいっと、身体を引き寄せられた。
「今の男も助けたのか?」
ユージーンである。
「は、はい。ネイサンと一緒に街へ行ったときに……」
「ふむ。ネイサンからはなんの報告も受けていないな」
「報告するまでもないと判断されたのではないでしょうか? わたくしが好き勝手に助けただけですから」
「なるほど。今後は、そういったことも逐一報告するよう、ネイサンにはきつく言っておこう」
なぜかその言葉に棘を感じた。もしかして、苛立っているのだろうか。
「団長~」
目の前に、大きく手を振る軍服姿の男がいる。
「魔獣討伐団の奴らだ。あれが副団長のジャコブ。お調子者だが、俺がいないときには団をまとめてもらっている」
ユージーンがお調子者と言っただけあり、彼はユージーンが近づくまでずっと手を振っていた。茶色の髪の毛は、陽気に毛先が跳ねている。
そんな彼の周囲には同じような軍服姿の男性が集まっているから、ここが魔獣討伐団に所属している者たちの集団なのだろう。
「お前たちに紹介しておこうと思ってな」
「団長、結婚おめでとうございます。オレたちに黙って結婚するなんて、冷たいじゃないですか。オレ、結婚の許可をした覚えはありませんよ?」
「なぜ、お前の許可がいる?」
「え? オレたち、独身同盟でしたよね? 代表が団長。副代表がオレ」
「そんな同盟は知らんし、代表になった記憶もない」
このようにくだけたユージーンの姿も初めて見た。ネイサンと軽口を叩く姿は目にしたことはあるが、それともまた違う。
小突き合う様子など見たことない。
「クラリス?」
名を呼ばれ、我に返ったクラリスはスカートの裾を持ち上げる。
「お初にお目にかかります。クラリスです」
「こいつらにそんなに丁寧に挨拶しなくていい」
「団長、ひどい。はじめまして、奥様。魔獣討伐団の副団長を務めております、ジャコブ・コットンです」
もしかしてコットン子爵家の子息ではないだろうか。あそこは、男児が五人いたと記憶している。
「お前も真面目な挨拶ができるんだな」
「団長、ひどい」
そこで一斉に笑いが沸き起こる。
なぜかわからないが、クラリスの気持ちもわくわくして、顔をほころばせた。
「うわ、奥様が笑った。やっぱり、超、美人じゃないですか。団長、ずるいです。オレを裏切った。それよりも魔獣討伐に明け暮れている団長が、どうやって奥様と知り合ったんですか? オレにもください。出会いを!」
ぐいぐいとジャコブがユージーンに攻め寄り、ユージーンは一歩退く。するとジャコブはもう一歩詰め寄る。
「どうやって奥様と出会ったんですか!」
「あ、あぁ……そ、それはだな……」
こんな慌てふためくユージーンも見たことない。まだ出会って数日なのだから仕方ないといえばそうなのだが。
「旦那様、そろそろ他の方にも……」
仕方なくクラリスが助け船を出すと、ユージーンの顔は一気に自信に満ちあふれる。
「そうだな。悪いな、ジャコブ。そろそろ他に顔を出さねばならない。またあとで」
「あ、団長。逃げるつもりですね。まあ、今は仕方ないですが……次は逃がしませんからね」
ユージーンはクラリスの腰を抱きながら、空いている手を肩越しにひらひらと振ってその場を去る。
少し離れたところでユージーンが口を開く。
「クラリス、助かった」
「わたくしとしましては、もう少しお二人の様子をみていたいところでしたが、他にもたくさんの方がいらしているのでしょう?」
「そうだ。ウォルター領はさまざまな人によって支えられているからな。危険生物も多く国境の街であるのに、こうやって皆が暮らせるのは、そんな一人一人のかげでもあるんだ」
そう言った彼が、次に紹介しようとした人物は、ウォルター領にある教会にいる司祭であった。
ところが、もちろんクラリスは司祭とは顔なじみだ。
クラリスは形式的に司祭に挨拶をしたものの、やはりあの薬はどうのこうのという話になり、そうなればユージーンが怪訝そうに顔をしかめる。
「ネイサンと街へ行ったときに……」
クラリスがそう説明するのも三度目だ
「その話はあとで聞く」
やはりユージーンの言葉からは棘を感じた。
あらかた挨拶を済ませたところで、静かに音楽が流れ始めた。
「余興だ」
聞こえてきた音楽は、クラリスが知っているものとは異なり、どこか陽気で明るい曲。ワルツのような曲調とも少し違う。
するとジャコブが女性の手を取って踊り始める。その踊りも、クラリスの知らないものである。幼い子どもたちも、くるくると回り始める。
「クラリスも踊ってみるか?」
「え? ですがわたくし、この曲を知りません。ですから、踊れません」
「言っただろう? 王城でのパーティーとは違うって。みんな、好き勝手踊っているだけだ。君が踊りやすいように身体を動かせばいい」
そうはいっても、クラリスが知っているといえばワルツのステップになる。仕方なく、知っているステップを踏み始めると、ユージーンもそれに合わせて身体を動かす。
「はは。なかなかうまいじゃないか」
「ありがとうございます。ですが、こちらに来てから、ダンスのレッスンはさぼっていたかもしれません」
かもしれない。ではなく、ダンスレッスンなどまったく行っていない。やれとも言われなかったし、やりたいとも思わなかった。それよりは、毒草を育て毒虫を捕まえ、薬を作っていたほうがいい。
ふわっと身体が浮き、スカートが大きく空気を孕む。
「きゃっ」
突然のできごとに小さく悲鳴を上げると、ユージーンはニヤニヤしているし、周囲からは「おぉおお」と歓声があがる。
そうなれば、他の人たちもパートナーを持ち上げる。
ジャコブの相手は、いつの間にか小さな女の子になっていて、その子もふわっと宙を浮いた。
「旦那様のせいではないのですか?」
「楽しければなんでもありだ」
他にも踊りたそうにしている者がいたため、その場を譲る。
給仕から飲み物を受け取ったユージーンは、クラリスに一つを手渡した。それを受け取ろうとしたとき、クラリスはふらりとめまいを覚える。
「おい、大丈夫か?」
「え、えぇ。少し疲れたみたいです」
周囲にはたくさんの人がいる。ここで「毒が足りない」とは言えない。
「メイを呼んでいただけますか?」
他の部屋へ移動し、そこで休憩がてら毒を補給したい。
「いや。俺が案内する。休憩室でいいな?」
「は、はい……ですが、旦那様がここを離れてしまってもよろしいのですか?」
「問題ない。必要な挨拶は済ませたし、余興も終わった。ここで俺が君と消えても、周囲は仲が良いと思うだけだ」
なぜかその言い方に、艶めかしさを感じた。
ユージーンがクラリスを横抱きに抱きかかえる。また、会場が沸いた。
「悪いな。少し休んだら、また来る」
余計なことは言わずに、ユージーンはクラリスを連れて会場を去る。このパーティーは、昼前から始まり日が暮れるまで続くらしい。入れ替わり立ち替わり、領民の誰かはやってきてご馳走を食べて、満足したら帰っていく。そうやって交代で、すべての人に足を運んでもらうというのが、趣旨らしい。
それだけ聞いても、ユージーンがウォルター領をどれだけ愛しているかが伝わってきた。彼は、ここの民を大事にしている。




