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第五章:仮初め x 夫婦(2)

 そこは雨でぬかるんでいたようで、ぐちゅりと音を立てたがそれすらおかまいなしのようだ。彼のブーツは、泥で汚れた。


「俺が前を行く」


 それが目的だったのだろう。


 来た道を戻るだけだから、クラリスだって道を覚えているというのに。

 ユージーンの大きな背中を見つめながら、黙って歩いた。いつもであれば帰り道であっても毒虫などを探しながら歩くのに、今はただただ目の前の彼の背をじっと眺めるだけだった。




 使用人たちは、慰労パーティーの準備で慌ただしい。その準備にクラリスが手を出す必要はなさそうだ。


 ユージーンは執務室内で仕事をこなしているようだし、そうなればクラリスも一人で温室にこもる。行き来だけはメイが付き添ってくれたが、彼女もパーティーの準備に駆り出されている。


 だからクラリスも一人で温室に向かうと口にしたのだが、移動だけは付き添いをするとメイも頑なに言い張った。


 クラリスは温室の端っこに、作業場を作っていた。といっても立派なものではない。ただ敷物を敷き、長時間座ってもお尻が痛くならないようにとふかふかのクッションをいくつか持ち込んだ場所だ。作業をするとどうしてもいろいろな道具や材料を広げてしまうから、狭いテーブルではやりにくい。そうやって試行錯誤した結果である。


 この作業場では薬を作ったり、危険生物や毒植物から毒を抽出したりを行っている。

 たいてい作業に没頭してしまうと、時間があっという間に過ぎる。


 それもあってか、メイが行き来の付き添いを申し出てくれたにちがいない。彼女が迎えに来てくれなかったら、時間を忘れて作業に没頭している。実は、今までにもそういったことが何回かあった。


 さすがにユージーンが戻ってきた今、夕食の時間になっても戻らないクラリスを探すような状況を作ってはならないと思ったようだ。


 暗くなってもランプを灯せば、作業には十分な明かりである。水場もあるし、むしろここで寝泊まりしてもクラリス的には問題ないくらい。


 ふと、手元に影ができて、顔をあげた。


「あ、旦那様。どうかされましたか?」


 なぜか目の前にユージーンが立っていた。


「どうかされましたか、ではない。君の部屋に行ったら君はいない。メイを捕まえて聞いてみたら、温室に一人でいると言うじゃないか」

「え、えぇ。そうですけれど、それが何か?」


 クラリスが困ったようにコテンと首を横に倒した。なぜかユージーンは苛立っているように見える。


「お供もつけないで、危険じゃないか」

「心配ありません。来るときはメイが付き添ってくれましたし。みなさま、パーティーの準備で忙しそうですから、邪魔しないようにこちらにいたのです」


 それはただの口実だ。いつも時間が空くと、クラリスはメイを連れて温室を訪れていた。だからクラリスにとってはいつものこと。


「だが、ここはいくら敷地内とはいえ、城館の外だ。人の目が届きにくい」

「そうおっしゃられましても……作業をするのであれば、こちらのほうがよいかと思いまして。さすがに室内で毒を抽出したら、他の方の迷惑になりますから。ここであれば、あのようにして風の抜け道を作ってさえおけば、温室内に滞留することはありませんから」


 ユージーンが眉間に深くしわを刻む。


「……だが、何かあったらどうする?」

「今まで、何もありませんでしたよ?」


 すると、彼のしわは余計に深くなった。


「今まで? なるほど。これだけ揃えるには、一日二日ではできないな」


 そこでユージーンはぐるりと周囲を見回した。


「旦那様。わたくしは毒師です。結婚しても、毒師であることにかわりはありません」

「俺は君が毒師であることを否定したいわけではない」

「そうですか。わたくしには、旦那様がここで作業をすることを嫌がっているように聞こえましたので」

「そうだな。この場所はダメだ。先ほども言ったように、人の目が届きにくい。違う場所に作業場を作ろう」


 クラリスは驚きのあまり目をパチパチと瞬いた。


「え?」

「なんだ? 不満か?」

「い、いえ……」


 不満ではない。ただ驚いただけ。


「先ほども言ったように、俺は君が毒師であることを否定したいわけではない。むしろ、それを続けてもらってかまわない。毒師は、この国にとっても貴重な存在であるし、むしろウォルター領にとって、君はなくてはならない存在だ。魔獣だけでなく、危険生物に悩んでいる領民も多いからな」


 ドキンと心臓が跳ねた。


 なくてはならない存在――それは、クラリスを喜ばせるには十分な言葉である。アルバートからぽいっと捨てられたというのに、ここでは必要としてくれる人がいる。


 そんな想いが、ぽこぽこと泉のように湧き始めていた。


「作業場は作るが、今日、明日では無理だ。だから、それができるまではここを使ってもかまわないが、必ず俺に声をかけてくれ」

「どうしてです?」

「……俺が、心配するからだ」


 今度はトクンと胸が高鳴った。


「わかりました……」


 なぜかユージーンの顔を見ることができない。うつむきながら、小さく答えた。


「その作業はいつ終わる?」

「え? あ……」


 彼の顔を見るのが恥ずかしかったのに、そう声をかけられてつい、顔を上げてしまった。慌てて視線を下に戻す。


「す、すぐに終わります。片づけますから」

「そうか。では終わるまで待っていよう。何も焦る必要はない」


 クラリスが片づけをしている間、ユージーンはただ黙って待っていた。何が面白いのか、クラリスの動きを目で追っているのだ。それを気にしないように振る舞うのに、少しだけ緊張した。


「お待たせして申し訳ありません」

「……いや。君こそ、作業はよかったのか?」

「はい。いつもメイが呼びに来てくれないと、いつまでも作業を続けてしまうので……。だから、呼びに来たところでおしまいなのです」

「なるほど」


 小さく頷いたユージーンが自然と手を差し出してきたので、クラリスは躊躇いつつもその手を握った。


「とにかく君は、何かに夢中になるとすぐに時間を忘れてしまうわけだな」

「ええと、まあ、はい。そうですね」


 彼の指摘に否定はできない。


「だったらなおのこと。もっと他の者の目が届きやすい場所に作業場を用意しよう。温室だって、ここではなく他の場所に用意するつもりだったのに、君が断ったのだろう?」

「ええ。旦那様が思っている以上に、ここの温室は素晴らしいですよ?」


 クラリスの言葉に、ユージーンはなぜか苦笑した。

 彼とは出会ってまだ数日だというのに、何度このように手をつないで歩いただろう。いや、それだってほんの数回なのだ。ただ、そう思ってしまうくらいに、常に近くにユージーンがいるような気がする。


 温室から出ると、空は茜色に染まっていた。城の尖塔の側に太陽が見えるものの、その位置はだいぶ下がっている。


「パーティーは明後日だ。明日は、当日の流れを確認してもらう必要があるが、前もいったように王都のパーティーとは違うからな。それほど気負う必要はない」


 よくわからないけれども、彼がこうやってかけてくれる言葉が、クラリスの心を軽くしてくれるのだ。


 ウォルター領に来てから、初めて開催されるパーティー。本来であれば、失敗させてはならない、みっともない姿を見せてはならないと気合いをいれるところなのだろうが、彼のおかげが肩肘張らずに済んでいる。


 だからつい「どのようなパーティーなのか、楽しみです」と、クラリス自身も意識せぬうちに、ぽろっとこぼしてしまった。

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