第四章:辺境伯 x 毒女(3)
「な、な、な、な、なにをおっしゃっていらっしゃるのでしょう」
あまりにも動揺して、自分でも何を言っているのかがわからない。
ユージーンは喉の奥で「くくっ」と笑っている。
「ああ、すまない。あまりにも君が初心な反応を見せてくれて、嬉しくなった。やっぱり、抱いてもいいか?」
「だ、だ、だ、ダメです。我慢するとおっしゃったばかりではありませんか!」
「そうだな。今日は我慢する。明日はどうなるかわからないが」
「明日……」
「なんだ? 君は俺の妻だろう? 俺もやっとここに戻ってこられて、愛おしい妻の側にいられるのだから。少しくらい、かまってくれたっていいのではないか?」
そう言ったユージーンは、いきなりクラリスの肩をつかんで抱き寄せ、口づけた。
あまりにもの行動のはやさに、気がついたら目の前に彼の顔があった。クラリスからしてみれば、そんな感じである。
それも唇と唇を合わせるだけの軽いものではない。彼はしつこく重ね合わせたあげく、唇を食んできた。
「んっ……ふっ……ン」
息苦しくなって呼吸を求めようとすれば、鼻から抜けるような甘い声が漏れた。次第に身体からも力が抜け、ずるずるとソファに沈みかける。
いや、押し倒されている。
今日は抱かないと口にしたユージーンが、熱い口づけをしながら、どさくさにまぎれてソファの上に押し倒してきたのだ。
「やぁ……んっ……」
これ以上、許してはならない。彼がもたらす甘い口づけによって身体がとろけ始めたころ、クラリスは自由になる両手で、彼の胸をドンドンと叩いた。
それで我に返ったのか、ユージーンがすっと身体を引き、やっと唇が解放された。
「だ、だ、旦那様。そうやって隙あらば押し倒そうとするのは、やめてください。我慢してくださるはずですよね?」
「ああ、すまない。あまりにも君との口づけが心地よすぎて」
真下から彼の顔を見上げると、その鉄紺の瞳には、情欲が見え隠れする。
「今日はここまでにしよう。明日以降、いろいろと相談したいことがある。時間をとってもらえるか?」
「あ、はい。もちろんです」
ユージーンがクラリスの身体を抱き起こす。
「だがな。君は俺の妻だ。それを忘れないでほしい」
「は、はい。期間限定の妻、ですよね? この結婚は離婚約ですよね?」
「なるほど……」
まるで口づけの名残を味わうかのように、彼はペロリと唇を舐めた。
その仕草を目にして、ざわっとクラリスの肌は粟立った。
「一生俺の妻でいてもらえるよう、俺も努力しよう。では、おやすみ」
チュっとクラリスの額に唇を落としたユージーンは、内扉を開けて自身の部屋へと戻っていく。
高まった身体の熱をやり過ごしながら、クラリスは寝台へと潜り込んだ。
次の日、目覚めてメイを呼ぶ。昨夜となんらかわりないクラリスの様子をみて、メイは少しだけ顔をしかめたものの、何事もなかったかのように朝の支度を整える。
クラリスは、朝食の前に温室にまで足を向けるのを日課としている。それもあって、普段は紺色のエプロンワンピースを身につけていた。調薬やら毒草の摘み取り、はたまた生き物の毒抜きをするときの作業のときにも着ている。
私室を出てエントランスへと向かうと、そこの長椅子にはユージーンが座って、新聞を読んでいた。昨日の晩餐のときと姿もかわって、白いシャツに黒のスラックスというくだけた服装である。
「おはようございます」
クラリスが声をかけると、ユージーンも新聞から顔をあげて「おはよう」と返す。
「これから温室へ行くのか?」
「はい」
「俺が同行しよう」
立ち上がったユージーンは新聞をたたんで、長椅子の上にパサリと置いた。さらに、メイに向けて目配せをする。
するとメイは一礼して去った。
「では、行こうか」
そう言ったユージーンは、ソファの肘掛けにかけてあった上着を羽織る。
クラリスはうんともすんとも返事をしていない。温室に行くのかを問われ、それに返事をしただけだというのに。
ユージーンが差し出した手に、そっと自身の手を重ねた。
エントランスを出る前に、彼はジョゼフに何か言いつけた。その何かが何であるか、クラリスの耳にも届いていたが、この状況に戸惑っていたため、話の内容は右から左へ通り過ぎていた。
「クラリスは、毎朝、温室まで散歩をしていると聞いた」
正確には散歩ではなく、温室で栽培している草花の成長具合の確認である。朝一で確認することで、草花の摘み頃を把握しておくのだ。
「はい。メイと一緒に温室まで行っております」
「これからは、メイの代わりに俺が同行していいだろうか?」
「え?」
「迷惑か?」
おもわず彼の顔を見上げた。
ユージーンはやさしく微笑んでいる。この顔を見たら「迷惑です」とは言えない。それに、彼も言ったように「メイの代わりに」と思えば、今までとかわりはないだろう。
「いえ、お気遣いいただき、ありがとうございます」
「そ、そうか……迷惑だと言われたら、どうしようかと思った」
くしゃりと表情をくずして、彼は破顔した。また、その顔がクラリスの心を揺さぶる。
温室は庭園をまっすぐに抜けていく必要がある。そこでは、朝も早いうちから、庭師が丹誠こめて花の世話をしていた。
「おはようございます、旦那様、奥様」
「おはようございます」
「おはよう。朝から精が出るな」
ユージーンが声をかけると、庭師は照れたように頭をひょこっと下げた。
太陽が昇ろうとしているこの時間帯は、まだ空気がひんやりとしており、朝露によって葉っぱが濡れている。
庭園を抜けるとすぐに温室が見えた。
温室の中はあたたかい。暑すぎるときは、温室の小窓を開けて温度を調整する必要があるが、今日の気温ではその作業は不要だろう。
温室内をぐるりと見回して、ここで育てている植物の成長を確認する。まだ摘み頃の花はないが、水が足りていないようだ。
「あの、旦那様。花に水やりをしてもよろしいでしょうか?」
クラリスにとってはいつものこと。だけどユージーンはこの温室に来たのは初めてあるし、きっと手持ち無沙汰になるだろう。
「そちらに休憩用の椅子がありますので」
そこで座って待ってもらうつもりだった。
しかしクラリスがじょうろを手にして水を汲みに行こうとすると、ユージーンが後ろからついてくる。
水は井戸から汲み上げる必要があるが、その井戸は温室の近くにある。彼はクラリスがやろうとしていることに気がついたようで、ひょいっとじょうろを奪うと、井戸から汲んだ水でじょうろを満たした。
「あ、ありがとうございます」
「温室まで俺が運ぼう」
水によって満たされたじょうろはそれなりに重いものの、クラリスが運べないほどではない。それでも彼の気持ちをありがたく受け入れる。
「ここで、大丈夫です」
ユージーンからじょうろを受け取ったクラリスは、それを傾けて草花に水をやり始める。土の色が変わり始めると、湿った土の匂いが漂う。
「君は、ここで何を育てているんだ?」
「毒草と毒花が主ですね。温室で育つものを植えました。温室は気温が安定しておりますから、毒草も育てやすいのです」
相手がユージーンであるならば、何も内緒にする必要はないだろう。




