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第三章:夫 x 夫 x 夫(2)

「お疲れでございますよね。お帰りになられると聞いておりましたので、湯浴みの準備も整っております。お食事もすぐにとれますが?」


 まるでネイサンのほうが、妻のようにかいがいしく世話を焼いてくる。

 それでもユージーンはクラリスの姿に釘付けであった。

 彼女を一目見た瞬間、心臓をぐわっと力強く握りしめられたような、変な衝撃が走った。その心臓は今、激しく音を立てて動いている。


 驚き、目を見開いたままのクラリスは、ユージーンを凝視していた。


「奥様も着替えましょう。ですが、先にその手にされているものを片づけてきたほうがよろしいかと思います。メイかアニーを呼びましょうか?」


「え、えぇ……お願い」

「あ、ユージーン様。上着をお預かりします。ですが、奥様の蛇は、残念ながら僕は預かることができません」

「そうね」

「いくらメイやアニーであっても、その蛇は奥様しか扱えませんので、責任をもって片づけて、着替えをしてからいらしてください」


 彼女はひどく動揺していた。それがユージーンにもひしひしと伝わってきた。


 すぐさまアニーがやってきて、クラリスを連れていく。


 それよりも蛇だ。両手に蛇を持って夫を出迎える妻がこの世にいるだろうか。まして二匹も。よりによってあれは毒蛇である。


「ユージーン様。どうされましたか?」


 上着を預かったネイサンが、不審そうにユージーンを見つめている。


「今の女性が、俺の妻か?」


 そうであってほしいという願いが、心のどこかにあった。この気持ちは、いったいなんなのか。

「はい、そうです。手紙でもお伝えしましたが、ばっちりと結婚誓約書にサインをいただき、陛下からの証人のサインが入った控えもあります。ですから正真正銘、ユージーン様の奥様でございます。まぁ、書類上の話ですが」


 やはり今の女性はユージーンの結婚相手で間違いはないようだ。

 これほど衝撃的な出会いが、今まであっただろうか。


 ――否。


「ネイサン……俺は、彼女に惚れた……」

「はぁあああ?」


 ネイサンの素っ頓狂な声が、エントランス内に響く。

 しかしユージーンは気にもとめない。とにかく、毒蛇を二匹も素手で持っていた彼女の姿が、頭から離れない。


「ネイサン。俺は先に湯浴みをする。遠征から戻ってきたばかりだからな。少々、埃っぽい」

「承知しました」


 今になって、家族をおいて魔獣討伐に赴く団員たちの気持ちがわかったかもしれない。戻ってきたときには、このような気持ちになるのだ。

 彼らも今頃は、家族と再会して、喜びに満ちあふれているのだろうか。


 自然と顔が綻んだ。


 そんなユージーンの姿を、ネイサンが細くした目で見つめてきた。


 ゆぐに湯浴みを行ったユージーンは、普段よりも念入りに、魔獣の臭いを落とすかのように身体を洗った。魔獣討伐を続けていると、その臭いに慣れてしまう。体液から変な臭いを放つ魔獣もいて、それを初めて浴びたときは最悪な気分になったものだ。もしかしたら、今も魔獣の変な臭いが身体に染みついているかもしれない。


 とにかく、クラリスの前に立つのに、自分をよく見せたいという気持ちが働いた。

 しかし、湯に入ったところでユージーンは後悔に襲われる。


 なぜあのとき、期間限定の結婚、離婚前提の結婚、離婚約を提案をしてしまったのか。


(あのときの俺に言いたい。馬鹿な提案をするな――)


 クラリスを手放したいとは思えない。一生、妻として側にいてほしい。そういった欲望が、ひょっこりと顔を出し始めている。


 一目惚れとは、このようなことを言うのだろう。一目見ただけで、ユージーンのすべてが彼女に奪われた。


 今でも心臓はドキドキと痛いくらいに動いている。

 それを落ち着けるかのように、湯を両手ですくい、顔にびしゃっと勢いよくかけた。

 彼女のことを思うだけで胸が苦しく、下腹部が熱い。たぎるような血液が、全身を駆け巡る。


(だが、彼女は今、俺の妻だ。結婚のときの約束を破ることになるかもしれないが、今の気持ちを正直に伝えれば……)


 どうやって彼女の心をつなぎ止めるべきか、それをユージーンは必死に考えていた。


 湯浴みを終えたユージーンは、晩餐の場にふさわしいタキシードを選んだ。軍人でもある彼は、軍服も正装として認められている。それでも今は、こちらのほうがクラリスと共に過ごす時間に調和していると思ったのだ。


 先に席についたユージーンは、クラリスがやってくるのを今か今かと待っていた。これほどまで待ち遠しいと思ったのは、幼少期に両親からの誕生日プレゼントを楽しみにしたいたとき以来だろう。


 食堂に現れたクラリスは、先ほどの簡素なエプロンドレス姿とは異なり、鈍色のイブニングドレスを身にまとっていた。装飾も少なく、地味な色ではあるが、シャンデリアの光が当たれば、きらきらと銀色に輝く。胸元を飾る控えめな花の刺繍は、虹色に光る。


「あ、あの……変でしょうか? こちらに来てからというもの、こういったドレスを着る機会が減りまして……久しぶりに着てみたのですが……」


 恥じらいながらも言い訳するような彼女の姿に、ユージーンは見惚れていた。

 女性は化けるとは聞いていたが、毒蛇を二匹持っていた彼女と、目の前の彼女が同一人物である事実に驚きを隠せない。そのギャップに、心が射貫かれる。また、クラリスの魅力を一つ知ってしまった。


「……いや。よく似合っている」


 ネイサンがユージーンに耳打ちする。


「ユージーン様の名前で贈ったドレスです」


 そうだったかもしれない。

 どのような女性がやってくるかまったくわからなかったから、ネイサンに「適当に」と頼んだのだ。ましてあのときは、毒女と呼ばれている女性かもしれない、という考えが頭の隅にはあった。


 しかし、そんなことすらどうでもよくなるくらい、目の前のクラリスは美しい。そして、ユージーンに激しく襲いかかってきたのは後悔だ。


 もっと彼女に似合うドレスを贈ればよかった――


 クラリスは食事の所作も申し分ない。さすがあのアルバートの腰巾着であり、ベネノ侯爵家の令嬢である。

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