第96話 秘密酒場
秘密酒場に入る通行料の支払いには銀貨が用いられる。料金は一度入るごとに一枚必要で、その他サービスには別途で銀貨が必要となる。新たに補充するにはここに集まる吸血鬼狩りの仕事を果たすか、一般に出回っている通貨を両替するかのどちらかだ。
例外はない。よって、明嗣も秘密酒場に入る代金を払う訳なのだが……。
「ねぇ、私はどうすれば良いの?」
通行料の銀貨を手にした明嗣へ銀貨を持っていないミカエラが当然の疑問を口にする。すると、明嗣はすぐ隣にある両替機を指さした。
「それで交換できる。好きなだけ交換しろよ」
「そうなのね……って高っ!? 一枚100万円って高過ぎよ! カードも使えないじゃない!」
「当然だろ。秘匿性を担保するためなんだからな。ほいほい両替できる額じゃ意味ねぇだろ」
「だとしても高すぎよ! 今の手持ちじゃ間に合わないわ!」
「なら、大人しく帰って出直しゃ良いさ。案内はしたし、これ以上付き合ってやる義理はねぇ」
冷たく言い放ち、明嗣は投入口へ銀貨を一枚投入する。扉が解錠されて入れるようになったので、明嗣はドアノブへ手をかけた。そして、中に入ろうとした瞬間、横からミカエラが割り込んでくる。
「あ、おま……!?」
「立て替えてくれてありがとうね〜」
すぐに引きずり出そうとするが時すでに遅し。ミカエラが足を踏み入れた事で無情にも扉は閉じて施錠されてしまい、明嗣が締め出されてしまった。
「あんのクソ尼め……!!」
貴重な銀貨が一枚無駄になってしまった事実に明嗣は思わず歯ぎしりした。だが、ここで突っ立っていてもどうにもならないので、明嗣は仕方なくもう一枚銀貨を投入して、秘密酒場の中へ入場した。
扉の先では、先に入ったミカエラが一人の男に絡まれていた。
「よぉ、姉ちゃん。初めて見る顔だな? ここに何しに来た?」
「あ〜もう……。やっぱりこういうのってどこの国にもいるのね……」
生まれ故郷で同じような手合いの相手をした事があるのか、ミカエラはうんざりしたように肩を落とす。一方、男はミカエラの隣に立って、彼女の肩に腕を回した。
「見た所、外人さんだろ? 日本に来て不便な事もいっぱいあるだろうし、色々教えてあげ……」
「間に合ってるわよ!」
気安く触れるな、と言わんばかりにミカエラは男の足を踏みつけた。すると、足を踏みつけられた男が「ギャッ!」と悲鳴を上げる。
「こンのクソ女!」
足を踏みつけられ、逆上した男は懐から三日月のようなシルエットが特徴のカランビットナイフを取り出した。柄にある輪に人差し指を引っ掛けるように握る事で、背後から首を掻き切る事を得意としたナイフだ。威嚇するように人差し指を中心にカランビットナイフが回転する。
「女だからって下手に出てたら調子くれてんじゃねぇぞ!」
「よう。久しぶりだな、断頭台。まだくたばってなかったとは驚きだぜ。ナンパか?」
入り口の真ん前でケンカを始められては通るに通れないので、明嗣はミカエラに逆上する断頭台の二つ名を持つ男の後頭部にホワイトディスペルの銃口を当てた。
後頭部の硬い感触に、断頭台と呼ばれた男はたまらず両手を上げる。
「よ、よう……銃撃手……。こっちに顔出すとは珍しいな……」
「ちょっといつもの所には行けなくなってな。だから古巣に顔を出してみる事にしたのさ」
「そ、そうなのか。ところで、この女は知り合いか?」
断頭台が恐る恐るミカエラの事を明嗣へ尋ねた。すると、明嗣は嫌そうな表情を浮かべた。
「俺のストーカーさ。ナンパするのは勝手だが、ソイツはヴァチカンの尼さんだぜ。よく考えてちょっかい出すんだな」
「何ィ!?」
ミカエラの正体を聞いた途端、断頭台が慌てて飛び退く。もうミカエラに絡もうとする意思はないようので、明嗣もホワイトディスペルをホルスターに納めた。
「どうやら全く変わってねぇみてぇだな……」
「こういう所ってどうして品がないのかしら」
うんざりとした様子で肩を落とす明嗣に、ミカエラが続く。すると、明嗣はじとっとした視線をミカエラへ向けた。
「それに関しては割り込みしたからだろ。天罰だ」
「何よ。私が悪いって言うの?」
「別に何も」
素っ気なく返した明嗣が奥のバーカウンターへ向かって歩き出したので、ミカエラも慌てて続いた。
「おうおうおう! 珍しい奴がいるじゃねぇか! アルバートのオッサンとケンカしたのか?」
「あぁ、そんな所さ。またちょこちょこ顔出すからよろしくな」
「あら? 明嗣? ちょっと久しぶりじゃない! しばらく見ない内に背が伸びたわね!」
「おかげ様で。そっちは相変わらず香水臭いな。匂いがキツ過ぎるぞ」
「余計なお世話よ!」
すれ違う度に声をかけられ、愛想良く対応する明嗣。そんな明嗣の様子を目にしたミカエラは驚きのあまり目を丸くした。
「意外。あなた、結構人気者なのね」
「社交性はあらゆる世界において生き残るための生命線だからな。このくらいできて当たり前だ」
「ならどうして私達には反抗的なのよ」
「自分の胸に聞いてみろ」
一刻も早くミカエラから距離を取りたい。そんな心境の表れか、明嗣はカツカツと足を速める。そして、バーカウンターに到着すると、明嗣はテーブルに銀貨を1枚置いた。
「ブルズアイをくれ」
注文を告げた瞬間、カウンターの向こうでグラスを拭いていたバーテンダーが顔を上げた。その動きに合わせ、かけている片眼鏡のチェーンが揺れる。
「おやおや、ヘルシングの猟犬じゃないか。いったいどういう風の吹き回しかな?」
「ちょっと首輪を失くしてね。今はただの野良犬さ。別に問題ないだろ? ここはそういうのが集まる場所だ」
「ふむ……。それもそうだな。元々、ヘルシングの所へ回っている依頼は、こちらから向こうへ流している物だ。間を飛ばした所で別に問題はあるまい」
明嗣の答えに納得したバーテンダーは、注文の品を作り始めた。出来上がりを待つ間、いつの間にか隣に座っていたミカエラは小さな声で明嗣へ呼びかける。
「ねぇ。ドリンクを頼むのにもあの銀貨が必要なの?」
「当たり前だ。仕事を受けるのも上の娼館のお世話になるのも、全部銀貨で取引するんだよ」
「じゃあ手元に1枚もない私は?」
「さぁな。そこで指でもしゃぶってれば良いんじゃねぇか? 上手く行けばさっきみたいに話を持ちかけてくる奴が現れるかも」
「これでも私は聖職者よ! そんな事できる訳ないでしょ!!」
「おや、あなたは教会の方でしたか。しかし、教会の修道女様がなぜこのような所へ? まさか、こんな場末も良いところで神の愛とやらを説きにでも?」
ミカエラが顔を真っ赤にして怒り出したタイミングで、バーテンダーが明嗣のブルズアイを運んできた。普通のバーよろしく、コースターに乗せてブルズアイを明嗣へ差し出した後、ミカエラに対して冷ややかな視線を向ける。
「あいにく、ここにはあなた様に飲ませる物はありませんよ。たとえ通貨を持っていたとしても、ね」
「あら、どういう意味?」
来たばかりなのでトラブルはなるべく避けようと、ミカエラは明嗣へ向けていた怒りを引っ込めて返す。すると、バーテンダーはクロスを手にするとグラスを磨き始めた。
「言葉通りの意味ですよ。ここは聖職者が嫌いでね。単なる暇人を神と呼んで崇め奉る太鼓持ちに出す物はないと言っているんです」
「それ、ケンカを売っていると受け取って良いのかしら?」
「ご自由に。ただその前に。あちこちで起こっている疫病などの天災や戦争を試練と称して遊んでいる神と、学校でしか通用しない地位を世界の全てと勘違いして弱い者いじめをしても許されると思い込んでいるいじめっ子の違いを説明してもらいましょうか」
バーテンダーの言葉にミカエラは口を噤む。なぜなら、バーテンダーがミカエラへ向ける眼には、明確な敵意が宿っていたのだから。
「わ、分かったわよ……。そこまで言うなら帰るわ……。帰れば良いんでしょ!」
歩み寄りの意思はない事を感じたミカエラは立ち上がると、帰るためにエレベーターへ向かった。心なしか、足取りは荒く、彼女の苛立ちが足に現れているように見える。やがて、ミカエラの姿が見えなくなると、明嗣はバーテンダーに声をかけた。
「良いのか? 新しい客増やすチャンスだぞ」
「なに、神の恵みに縋らなければならないほど飢えてはいないつもりだ。それに彼女は正規の手段を踏んで入った訳ではないのだろう?」
「ハハッ、相変わらずお見通しか。さすがこの街一番の情報屋だよ」
そう。何を隠そう、明嗣と話しているこのバーテンダーこそ、いつもアルバートがお世話になっている情報屋であると同時に、この秘密酒場の番人なのだ。つまり、この男に嫌われてはここでの仕事を取る事はおろか、酒を飲むことすらままならない。さらに、ここらのアウトサイダー共や表に出てこない闇に葬られた事件など裏の情報を多数握っているため、どこかのバカが危害を与えよう物なら利用者に総出で制裁を与えられる。なぜなら、裏社会で生き残るには情報が何よりの生命線だからだ。
なので、明嗣もこの男には細心の注意を払って礼儀を尽くす。今、この男に嫌われては物事が立ち行かなくなる。自分の立場をわきまえてなのか、バーテンダーは品定めをするように明嗣を睨めつける。
「さて、それではここを離れていた間の事を聞かせてもらおうか」
「と、言うと?」
「とぼけてはいかんよ。最近、妙な話が耳に入ってくる事が多くてね。たとえば、君が妙な吸血鬼を二体仕留めた、とか」
「やっぱ伝わってるか。敵わねぇな、ほんと」
「当然だろう。地獄耳でないと、こちらの商売が成り立たない」
「そりゃそうだ。わかった。俺が持っている情報は開示するよ。その代わり、俺の頼みも一つ聞いてくれないか」
「それは構わないが……。初めてだな、君からの頼み事とは」
「ちょっと色々思う事があってね。使える物はなんでも使って自分でも情報を集めてみようと思ったんだ」
手持ち無沙汰な明嗣はグラスを手にすると、中身を撹拌するように軽く振る。カラン、と音を立てた後、回るグラスの中を見つめる明嗣を前に、バーテンダーは少し思案すると頷いた。
「まぁ、良いだろう。有益な情報の報奨としてなら安い物だ」
「恩に着るよ。じゃ、仕事の話をしようか」
礼を告げた明嗣はカウンターにもう一枚銀貨を置いてバーテンダーへ差し出した。それは明嗣が意識を切り替える合図であり、お互い対等な立場で話をするための意思表示だった。




