第89話 届かない恋情
時計の針はちょうど一年前、明嗣が中学生最後の初夏を迎えた頃まで進む。いつものように燈矢と昇降口で合流し、下駄箱を開いた時の事だった。明嗣は一通の手紙が入っているのを発見した。
「なんだ?」
「どうした?」
「いや、これ」
明嗣は入っていた手紙を取り出して、燈矢へ見せつける。すると、燈矢はニヤリと口の端を吊り上げた。
「なぁ、ちょっと開けて読んでみろよ。もしかしたら、ラブレターなんじゃね?」
「まさかだろ。俺、全然女子と接点ないぜ?」
「嘘つけぇ! 女子と話す回数が俺より断然多いクセに嫌味かキサマッ! さっさと開いて中身読めやぁッ!!」
「はいはい……。ったく、キレんなよ……」
怒り出した燈矢をあしらいながら、明嗣は手紙を開封して中身を改めた。やがて、全て読み終えた明嗣は驚きの表情を燈矢へ向けた。
「マジにラブレターっぽいぞ、おい……。放課後なったら音楽室で待ってるってよ……」
「だから言っただろうが! で、相手は?」
「差出人は……書いてねぇな……。まぁ、当たり前か」
相手が一人でいる時に開封するとは限らない事を見越しての事だろう。案の定、差出人の名前はどこにも記されてなかった。
「にしても誰だ? 心当たりねぇぞ」
「いや、そういうサインって実は気付いてないだけで出てるって聞いた事あるぞ。例えば、話す時によく髪をいじっているとか……あと不自然なくらいよくすれ違うとか……」
「すれ違う……? まさか……」
燈矢が口にしたサインの内容を聞いた瞬間、明嗣の脳裏に一人の同級生が浮かんだ。心当たりのある反応を明嗣が示すと、燈矢の目が光った。
「お、もしやその反応はいるのかな、明嗣く〜ん? ここだけのオフレコで言ってみろよ」
「言う訳ねぇだろうが。外れてたらハズいし」
「なんだよ〜。言うだけならタダだって。吐け! さもないとオトしちまうぞ〜?」
などと脅しながら、燈矢は明嗣の首へ腕を回してチョークスリーパーをかけ始めた。当然、本気で抵抗したら大怪我をする事は必至なので、明嗣は腕を叩いてタップする事しかできない。
「まった……。ギブ……。オチる……。マジにオチる……」
苦しそうにうめき声をあげる明嗣。やがて、意地でも吐く気はない事を理解した燈矢は、明嗣を解放した。
「ここまでされても吐かないか……。つまんねぇのー」
「ケホッ……知った所でどうしようもねぇだろうが……。別にお前がどうこうなる訳でもねぇし……」
少し咳き込みながら、明嗣が呆れた表情を浮かべると、燈矢は胸を張ってみせた。
「いや、俺が退屈になる! 彼女ができればそっち優先になるからな!」
「元彼女持ちが言うと説得力あるな……」
「だろ〜? だから俺には、俺の話し相手を奪う奴の正体を知る権利がある!」
「どういう理屈だよ……」
あまりの堂々たる姿勢に呆れを通り越して感心すら覚える。引きつったようにぎこちなく明嗣が笑うと、燈矢は急に顔を引き締めて真剣な表情となった。
「で、ガチな話。どうすんだ? OKするのか?」
「さて、どうすっかな……。まっ、相手次第だな」
「なんだそれー! 俺の時は相手教えてやっただろうがー!」
「そりゃ相手分かんねぇなら会って判断するしかねぇだろうがよ。現時点じゃなんも言えねぇよ」
話しながら、明嗣と燈矢は教室へ向かう階段を登って行った。その後ろ姿を見送る送り主の存在に気づかずに……。
やがて、約束の放課後になった。
帰り支度をしている明嗣の元へ、燈矢がやってきた。
「で、行くのか?」
「ああ。イタズラの可能性もあるけど、本物だったら申し訳ねぇしな。30分くらい待って来なけりゃ帰るつもりだ」
「そうか……。付き合う事なったら教えてくれよ。歯ぁ食いしばって、羨ましいの我慢しながら祝ってやるから……!」
「言いたくねぇなぁ……」
芝居がかった調子の燈矢に明嗣は苦笑いを浮かべた。そして、支度を終えて明嗣は席から立ち上がる。
「じゃあ行ってくるわ」
「おー。戻って来たらどうしたか教えろよ」
「はいはい……」
明嗣は手をあげて呼びかけに返事して見せると、音楽室へ向かった。
音楽室に到着した。外から様子を伺う限りだとピアノの音が聞こえて来るだけで、他に人の気配は感じられない。
さてと、相手は誰かな……。
できるなら、予想が外れていて欲しい。そう願いながら、明嗣はドアノブを回して音楽室へ足を踏み入れる。ドアが開いた瞬間、呼び出し主のピアノ奏者、つい先日に燈矢をフッたばかりの茉莉花が来訪に気付いて演奏を止めた。
「来てくれてありがとう。来なかったらどうしようって思ってた」
「やっぱりお前だったか、燐藤」
歓迎するように微笑む茉莉花に対し、明嗣は内心ため息を吐く。なんとなく、そんな気はしていた。なぜなら、すれ違う時だったり、ふと目が合った瞬間に微笑んで小さく手を振ったりなど、それらしい仕草をしていた人物が茉莉花しかいなかったのだ。だが、何故? どうして、茉莉花が自分を? 何か接点があったか、とここ最近の交友を振り返っている明嗣へ、茉莉花は少し横にずれて隣に座るよう促す。
「ねぇ、こっちに来て一緒に弾こうよ」
「悪い。弾いた事なくてな。定番曲すら怪しいんだ」
「じゃあ教えてあげる。だから来て?」
空けたスペースを優しく叩きながら、茉莉花は微笑みを浮かべて明嗣を呼ぶ。だが、明嗣は腕を組んで壁に背を預けた。
「まさか、俺にピアノを弾いて欲しくて呼び出したのか?」
「う〜ん……半分正解かな。明嗣くんはこの曲を知ってる?」
「いや」
首を横に振る明嗣。すると、茉莉花は鍵盤に視線を落とし、指先で撫でて適当に音を奏でた。
「この曲はね、一人で弾いても綺麗なんだけど、二人で弾くと比べ物にならないほど美しい旋律なんだよって、小さい頃に通っていたピアノの先生から教えてもらったんだ」
「そうか」
「わたしね、今までこの曲は一人だけでしか弾いた事ないの。どうしてか分かる?」
「さぁな……。なんか特別な理由があるのか?」
腕を組んだまま、探るような視線を向ける明嗣に対し、茉莉花は少し上ずった声で続きで語り始めた。
「連弾して弾く時は、絶対に好きな人と一緒に弾こうって決めてたから。だから……」
いったん言葉を切って、茉莉花は深呼吸する。そして、意を決して明嗣と目を合わせて向き合う。
「好きです。明嗣くん、わたしと一緒にこの曲を弾いて恋人になってください」
「……分からねぇな。俺とお前にはそこまでの接点はなかったはずだ。いつからそんな風に思っていたんだ」
明嗣は疑るように茉莉花を観察する。燈矢の一件の後だ。自分も嘘の告白をされている可能性を疑うのも無理もない。警戒するような眼を向ける明嗣に対し、茉莉花は胸元で拳を握る。そして、静かに語り始めた。
「覚えてる? 一年生の時に明嗣くんとぶつかってプリントをばら撒いちゃった事があったんだけど……」
「まさかその時に一目惚れしたとでも言うつもりか」
そんなラブコメディのようなベタな展開があるのか。そもそも、いちいち事を覚えていたらキリがない。ますます不信感を深めていく明嗣。そんな明嗣に対して、茉莉花は首を振って続ける。
「ううん。それはただのきっかけ。そこから、わたしは見かけたら明嗣くんを目で追うようになっちゃってたの。実はね、すれ違う度に振り返ってたんだよ? 気付いてなかったでしょ?」
「で?」
「ある日ね、明嗣くんが一人に男の子と話している所を見たんだ。その時の明嗣くんね、すっごく楽しそうに笑ってたの。その時にわたし思ったの。あの笑顔を独り占めしたい、って。それで、分かったんだ。わたし、この人が好き。愛してるんだ、って」
「まさかそれだけの事でなのか……?」
「うん、そうだよ。それだけでも、恋に落ちるには十分なの」
理解できない、と衝撃を受けた表情と共に確認する明嗣に対し、茉莉花はしっかりと首を縦に振った。
「わたしはずっと頑張ってたよ。可愛くなるためにメイクだって勉強したし、初恋は叶わないってジンクスがあるって聞いたからいっぱい恋人を作ったし、男の子の気の引き方だってたくさん覚えたよ。燈矢くんに嘘コクしたのも明嗣くんの気を引くため」
そして、茉莉花は明嗣を指差してもう一度、全てを告白する。
「お願い、明嗣くん。わたしの恋人になって。ずっと聞いてみたかった旋律をわたしと一緒に聞いてよ」
その時、明嗣は息を飲む程、茉莉花の表情に釘付けになった。差し込む夕日のせいか、頬が紅潮したように赤く染まっている。自分の想いを受け入れてくれるのか、不安げな表情。そして、どうか受け入れてほしいと見つめる、縋るような眼差し。思わず首を縦に振ってしまいそうになるほどに、今の茉莉花は美しく、明嗣の目に映っていた。このまま、受けてしまおうかという考えが頭を過ぎる。だが、明嗣は苦しげな表情で首を横に振った。
「……悪い。俺、燐藤の想いに応えてやる事はできない」
これが予想が外れていて欲しい理由だった。もし、呼び出した相手が茉莉花なら、この告白は断ると決めていたのだ。当然の事ながら、明嗣が首を横に振って見せた瞬間、死刑宣告を受けたように茉莉花の表情が絶望に染まる。
「ど、どうして……? わたし、明嗣くんに何か嫌われる事した……?」
「いや、してねぇな。俺には」
「なら――」
どうして? どうして断るのか。理解ができない、と混乱する茉莉花に対して、明嗣は静かにその理由を口にする。
「お前は嘘で燈矢を弄んだ」
静かで短い言葉だったが、それだけでも茉莉花に対しては十分な冷水となった。だが、明嗣は止まらずに続ける。
「別れた時の事を話すアイツは本気でヘコんでいたよ……。最初はどうだったか知んねぇけど、一緒にいる内に本当に好きになって行ったんだろうな」
背中を押した時の燈矢は嬉しそうな表情を浮かべていた。真実が分かった時の事を話す時の表情が悲しげで、無理して笑っている姿が痛々しく見えた。だから――。
「だから、俺は燈矢の想いをコケにしたお前を許さない。嘘で人を弄ぶ奴を俺は信じない」
明嗣の言葉を聞く茉莉花の表情は悲しく苦しい物だった。だが、それでも明嗣は容赦しなかった。人の想いを踏みにじって笑っているような奴の“愛”や“恋情”なんて、いったいどこに信用できる要素があると言うのだろう。次の弄ばれる標的は自分かもしれないと言うのに、簡単に信じる訳にはいかないのだ。
言う事は言ったので、明嗣は茉莉花へ背を向けた。そして、ドアノブを回す前に茉莉花へ声をかける。
「残念だよ。こんな事になって」
この時、茉莉花がどんな表情をしていたかは分からない。だが、明嗣は振り返る事せず、音楽室を後にした。もし、振り返ってしまえば、気持ちが揺らいでしまいそうだったから。もし、揺らいで絆されるような事態になれば、それは燈矢に対する裏切りだ。それだけは絶対にしてはならない。
音楽室を出た後、しばらく歩いた明嗣は、ふと足を止めて天を仰いで呟いた。
「きっついな……」
もし、燈矢の事がなければどうしていただろう。恥ずかしげに報告して茶化されていただろうか。それとも、嬉々として恋人ができた事を報告して二人で盛り上がっていただろうか。今となってはありえない“もしも”を考えてしまう程に、この選択は迷う物だった。だが、明嗣が選択したのは茉莉花の失恋だった。親友と呼んで自分の事を頼ってくれた燈矢との友情を、明嗣は裏切る事ができなかったのだ。




