第85話 亀裂
今まで見たことのない、本気で怒っている表情だった。当然の事ながら、ただの世間話のつもりだったのにどうしてそんなに明嗣が怒るのか理解できない鈴音は、困惑の表情を浮かべた。
「きゅ、急に怒って何? ただ話しているだけでしょ……」
「しつけぇからやめろ、つってんだ。いつから詮索屋になったんだよ」
「だからってそんな言い方する事ないじゃん。前から思ってたけど、明嗣って言葉キツイよね。直した方良くない?」
「そうかよ。なら、俺も言わせてもらうけどな、お前はいつから俺の友達になった? たまに組むだけなのに馴れ馴れしいんだよ」
売り言葉に買い言葉、という訳ではないが鈴音の指摘に明嗣も負けじと言い返す。すると、ついに鈴音にも火がついてしまう。
「何その言い方ぁ! なんで明嗣っていつもそんな言い方しかしないの!?」
「馴れ馴れしいのは事実だろうが。これくらいでキレてんじゃねぇよ」
心底面倒くさい、と言いたげに返した明嗣は舌打ちをした後、スマートフォンを取り出して画面に視線を落とした。対して、鈴音は何か言いたげに口元を震わせる。だが、何も言葉を出せず、鈴音はついに諦めたように肩を落とした後、鞄を手にして歩き出した。
荒々しくドアが閉まる音がなった後、厨房から出てきたアルバートは呆れたような表情を浮かべて腕を組んだ。
「なんだよ」
「厨房から聞いてたけどなぁ、明嗣……。さすがにあれはないだろ。お前、本当にどうした?」
諭すようなアルバートの言葉に明嗣は何も言えなかった。なぜなら、本当は分かっているのだ。「これぐらいで怒るな」というセリフは、そっくりそのまま自分にも当てはまる言葉だったのだから。
「って、事があってさ〜……。もう朝からホンットに最悪……」
店を出た後、澪と合流して一緒に登校する事にした鈴音は、どんよりとした空気と共に先程の出来事を澪へ話していた。話し終えると同時に深くため息を吐く鈴音。落ち込む鈴音に対し、澪は慰めの言葉を口にしつつ、首を傾げた。
「それは……大変だったね。でも、明嗣くんどうしたんだろう……。あたしも聞いた限りだと、そんなに怒る要素はなかった気がするよ」
「だよね!? アタシ何も酷い事言ってないよね!?」
味方が現れた、とばかりに鈴音が澪へ食いつくように迫る。すると、澪は迫ってくる鈴音を押さえながら頷いた。
「う、うん……たぶん……。ただ、明嗣くんの話も聞いてみないといけないと思うよ? お互いから話を聞かないと分からない事だってあるし」
「うっ……それは〜……そうだけど〜……」
あくまで中立の立場である事を澪がアピールすると、鈴音は気まずそうに目を逸らした。そこへスクールバッグを肩に担いで歩いてくる明嗣の姿を澪が見つける。
「あ、ちょうど明嗣くん来たよ!」
「うっ……大丈夫かな……」
先程の出来事の直後なので、鈴音が不安の言葉を口にする。すると、澪は毅然とした態度で返す。
「ちょっとだけだけど、時間を置いて頭が冷えているだろうし、きっと大丈夫だよ! 明嗣く〜ん!」
きっと反省しているだろう、と澪は何も知らない体で明るく手を振って、明嗣の元へ駆け寄って行く。対して、明嗣は駆け寄ってくる澪の存在に気付くと、足を止めて澪の呼びかけに応える。
「澪か……。うす」
「おはよう! 鈴音ちゃんから聞いたよ? ケンカしたんだって?」
つとめて明るく振る舞う澪。だが、対照的に明嗣の表情は暗かった。
「悪ぃ。今はその話はしたくねぇんだ」
「そう言って後回しにすると、どんどん拗れてお互い話し合えなくなっちゃうよ」
「そういう事じゃねぇんだ。じゃあ、また店でな」
と、話し合って欲しい澪の意思に反して、明嗣は独りで自分の教室へ向かっていってしまった。途中、鈴音とすれ違うも、目を合わせる事すらしない。やがて、明嗣の背中が見えなくなり、鈴音の元へ戻った澪は申し訳ないという表情を浮かべた。
「ごめんね……。失敗しちゃった……」
「いや、澪は悪い訳じゃないから……」
落ち込む澪へ慰めの言葉を送る鈴音。その後、昼休みにもう一度、澪は明嗣へ声をかけてみたが良い反応が返ってくる事はなかった。当然の事ながら、鈴音と言葉を交わす事もなく、2人が来た瞬間に店の空気も気まずい雰囲気に包まれてしまう。それでも、澪は2人の仲をとりもとうと苦心するが上手くいかず、困った表情を浮かべている事が数日続いた。
やがて、事態を重く見たアルバートは問題解決のために腰を上げた。
明嗣と鈴音が口をきかなくなってから、一週間が経過した。この日、帰りのホームルームを終えた明嗣は、荷物をバッグの中に詰めて帰宅する準備をしていた。その最中、ポケットの中のスマートフォンが着信を知らせるために震え出した。発信者を確認すると、アルバート・ヘルシングと画面に表示されていた。
仕事が入ったのか?
まさか、ついに茉莉花が動き出したのだろうか……。嫌な想像が頭を過ぎる。もし、この電話が想像通りなら、今回は降りた方が良いのではとすら思えてくる。
電話に出る事を躊躇っていると、近くを通りがかった男子生徒が明嗣へ声をかけた。
「朱渡? 電話鳴ってるぞ? 出なくて良いのか?」
「え? ああ……。今出る。サンキュな」
我に返り、覚悟を決めた明嗣は画面に映る応答ボタンをスライドさせて、アルバートからの電話に応じた。
「もしもし」
『明嗣? やけに出るのに時間がかかっていたが取り込み中か?』
「いや、ちとトイレに行ってただけさ。で、仕事が入ったのか?」
なるべく感情が出ないよう、平常心を心がけながら用件を尋ねる明嗣。対して、電話の向こうのアルバートは首を横に振りながら、用件を口にした。
『別件だ。すぐにこっち来れるか?』
「あ、ああ。別に良いけど……」
予想が外れた事で、強ばって固くなっていた身体から力が抜けていく。
「でも、別件ってなんだよ。なんか面倒事が起きたのか?」
『それはこっちに来てから話す。じゃあ、また後でな』
「あ、ああ。分かった」
明嗣の返事を聞いた瞬間、アルバートとの通話が切れる。通話終了、と表示されている画面を見つめながら、明嗣は首を傾げた。
いったい何があったんだ?
何か呼び出しを受けるような理由があっただろうか。考え出した所で、明嗣はすぐに原因に思い至る。
鈴音か……。
思い返してみると、直近で呼び出しを受ける原因になるような出来事と言えば、あの件以外に心当たりがない。そして、明嗣自身も店の空気が悪くなっている事は重々承知していた。
仲直りしろって説教かな……。
内心分かっている事をあらためて諭されるのは気が重くなる。このまま、無視して家に帰ろうかという考えがチラリと頭を過ぎる。だが、そんな事をしたら後々の関係に響きそうな気もした。結局の所、明嗣は行く以外の選択肢以外を選ぶ事はできなかった。
Hunter's rustplaatsには何も問題なく到着した。準備中の札がぶら下がっているドアを開けて店内に入ると、カウンター席で、アルバートがコーヒーを淹れて待っていた。
「おう、来たか」
「ああ。だいたいの想像はついてるけど、一応確認のために聞いておく。別件ってなんかあったのか?」
「なら、分かっているだろ。最近のお前と鈴音ちゃんの事だよ」
「だと思った」
ある意味で外れて欲しかった予想が的中し、明嗣はげんなりと肩を落とす。明嗣としてはいつもの軽口を交えた世間話のつもりだった。だが、アルバートはいつもの気さくな店主の表情ではなく、真面目な話をする時の真剣な、相手とまっすぐ向き合うような目つきだった。
「まぁ、話したくない事くれぇ誰だって2、3個はあるだろうさ。でもな、いくらなんでもこの間のあれはやり過ぎだ」
「……」
本当に気が重くなる。自分でもあれは過剰だった事を自覚しているのだ。謝るべきなのも分かってはいる。分かっているから説教は勘弁してほしい、と言いたげに目を逸らす明嗣。だが、アルバートの本題はそこにはなかった。
「子供のケンカだ。仕事さえしてりゃ、あとは勝手にやってろと放っている所だけどな。お前らが険悪になったおかげで、間にいる澪ちゃんの居心地が悪そうなんだよ」
「ウッ……」
一番の問題を話題にされ、明嗣がうめき声を上げた。分かってはいるのだ。今回の一件で一番割を食わされているのは、無関係な澪だという事を。散々感じている事を指摘されて、明嗣は目を伏せながらアルバートから顔を背けた。
「謝れ、っつーんだろ……。わーったよ……」
ガシガシと頭を掻きながら、明嗣は疲れたように息を吐く。結局の所、明嗣が鈴音に謝る事がこの事態を収める方法なのだ。
ったく……。あー……アイツ口きいてくれんのか? どうやってきっかけ作っかなぁ……。
これからの事を思い、明嗣は重しを乗せられたかのように深く肩を落とした。自分が原因なので仕方のない事だが、それでも癇癪を起こした女子と和解するのは、どうしても難易度が高い物だ。何はともあれ、結論は出た。説教はこれで終了。そう思って、明嗣は店を出て愛銃を取りに行こうとした。だが、アルバートの話はこれからが本題だった。
「おい、どこに行くつもりだ?」
「どこって俺の銃取りに行くんだよ。話はもう終いだろ?」
「いや、これからだ。お前、俺達に何を隠してる?」
「……何の事だよ?」
「お前の様子がおかしくなったのは“人形遣い”が持ってきた燐藤 茉莉花とかいう女の話が出てからだ」
アルバートの指摘に明嗣は何も答えない。ただジッと、触れるなと言いたげに見つめているだけだ。だが、アルバートは構わずに話を続ける。
「さっきも言ったが、誰だって話したくない事くれぇ2、3個はあるだろうよ。でも一応、俺も真っ当なバイトを雇う身だからな。従業員が働きやすいように環境を整えてやる義務がある」
「まぁ、そうだな」
「だからな、お前が何抱えてんのか把握してねぇとフォローのしようがないんだよ。そういう訳だ。鈴音ちゃん達に話さなくていいから、俺には話しておけ。でねぇと、ふとした瞬間に同じことでまた揉めて空気が悪くなる。そんなのはごめんだぞ」
用意したもう1人分のコーヒーを置いた席を指差し、アルバートはそこへ座るように明嗣を促した。一方、明嗣は迷うように視線を泳がせる。正直言って、茉莉花の事を人に話すのは抵抗がある。だが、アルバートの言う通り、同じことを繰り返して店の空気が悪くなるのも、その間にいる無関係の人間の居心地が悪くなる事も好ましくない。
やがて、どうしようもない事を悟った明嗣は肩を落として、アルバートの言う事に従った。腰を下ろすなり、少しぬるくなった自分の分のコーヒーをすすった明嗣は静かに口を開いた。
「少し長い話になるぜ。それでも良いか?」
「ああ。最初からそのつもりだよ」
アルバートの返事を聞き、肚を括った明嗣はまだ自分の中にある蟠り、中学3年生だった頃に起きた忌まわしき過去を語り始めた。




