第84話 不和
目の前に現れた少女、燐藤 茉莉花を前にした明嗣は背中に冷や汗が滲むのを感じた。念の為に愛銃も持ってきているので、フル装備ではある。だが、それでも明嗣は金縛りにあったかのように動けず、固まってしまった。
「どうしたの? 久しぶりに会ったのに挨拶してくれないんだ? さびしいなぁ……」
何も言えず黙り込む明嗣に対して、茉莉花は悲しむような表情を浮かべた。
「近くまで用事があったから会いに来たのに、何も答えてくれないなんてわたしは悲しいよ。いつからそんな冷たい男の子になっちゃったの?」
「なんの用だ……。いったいどのツラ下げてまた俺の前に現れた」
なんとか絞り出す事ができた言葉がこれだった。直後、我ながら間抜けなセリフだ、明嗣は思わず自嘲した。こんなセリフを吐く暇があるのなら、さっさと抜いて愛銃の引き金を引けば良いだろうに。そんな明嗣の心境を知ってか知らずか、茉莉花はクスクスと笑う。
「もう忘れちゃった? 会いに来た、って言ったでしょ? 今まで放っておいてごめんね。これからは好きな時に会えるよ」
「どういう事だ」
「これから明嗣くんとわたしは一緒の家で暮らして、手を取り合って生きていくの。今までその準備をしてたから寂しい思いさせちゃった。本当にごめんね。でも、これからはそんな思いさせないから。ずっとずぅ〜っと一緒だよ!」
「なっ……!?」
この女は何を言っているんだ? 言ってることが理解できず、明嗣は頭の中が混乱で満たされていく感覚に陥った。まさか、自分がした事を忘れてしまったのか? なんとか平静を保とうと努力はしたが、それでも表情に出てしまっていたのか、茉莉花は落ち込んだかのように表情を暗くした。
「あ、そうか。そうだよね……。急に言われても明嗣くんにだって準備する時間が必要か……」
「お前は自分のした事を忘れたのか……!」
だんだん収まってきた混乱と入れ替わるように、今度は明嗣の中にフツフツと怒りの感情が湧き上がってきた。
「お前は……!」
気づけば愛銃をホルスターから抜いていた。
「お前が燈矢を殺したんだ! 俺の唯一の親友を! お前がッ!!」
思い出す度に明嗣はいつも自分に問いかけていた。どうすればあの結末を回避できていたのか、どうすれば茉莉花が吸血鬼にならずに済んだのか、どうしたら茉莉花が、明嗣が唯一の親友と認めていた夜野 燈矢を手にかけずに済んだのか。明嗣はそればかり考えていた。だが、いくら考えてもその度に残るものは怒りと後悔のみ。まるで、こうなる事が運命だったかのように、残る物は自分を偽る選択肢のみだった。
いつも握っているのにも関わらず、右手に握る愛銃のホワイトディスペルが重く感じて手が震える。こんなにも憎い相手が目の前にいるのに、当てられる自信が今の明嗣にはない。そもそも引けるのか疑わしいくらいに引き金にかけた指が重い。そんな明嗣を前に、茉莉花は愛でるかのような微笑みを浮かべた。
「撃てるの? 明嗣くんがわたしを」
震えを抑えるように明嗣は両手でホワイトディスペルの銃把を握り込む。だが、震えは収まるどころかさらに強くなってしまう。怒りによる震えは全身にまで広がっていたのだ。いつまでも震えたまま、引き金を引けないでいる明嗣にがっかりしたのか、茉莉花はくるりと踵を返す。
「まぁ、今日の所はこれまでにしておいてあげる。近いうちにまた会いに来るから、その時まで全部準備しておいてね」
「ッ!? 待て!」
挑発するように茉莉花はゆっくりと歩きだす。まるで、撃てるものなら撃ってみろ、と煽っているようだ。だが、明嗣は銃口を向けたまま、震えたまま引き金を引けないでいる。やがて、期待するような微笑みを残して、茉莉花は影の中へ消えた。
「クソッ!!」
撃てなかった。あんなにもチャンスはあったのにも関わらず、何もできなかった自分の情けなさに、明嗣は思わず奥歯を噛む。やがて、残されたのは己の弱さを呪う少年と物言わずに寄り添う父の忘れ形見のみだった。
翌朝。いったん帰宅した明嗣は少しでも睡眠時間を確保しようとベッドに潜り込んだ。だが、上手く入眠できず、朝まで目を閉じるだけの時間を過ごす結果に終わる。
結局、眠れなかった……。
錆び付いた歯車のように頭が回らず、重石でも乗せられたかのように重い。寝巻きのスウェットから制服に着替える動きも、夏用のワイシャツとスラックスだけなのにどこか緩慢でかったるい。
家から出る時間もいつも6時50分に出るのに今日は30分もオーバーして7時20分だ。
せめてコーヒーだけでも飲んておくか……。
カフェインなどの類いが効きづらい体質ではあるが、それでも飲まないよりマシだろう。そう考えた明嗣はいつもの流れでHunter's rustplaatsへ向かった。
一方、Hunter's rustplaatsでは……。
「昨日、明嗣と同じ中学だったって子に声をかけまくって話を聞いてみたんだけど、みんな口を揃えてこう言ってたんだよね。『常に新しい彼氏がいた』って」
「ほー、そりゃずいぶんとまぁ、人気だったみたいだな」
早速、鈴音からの報告を受けたアルバートは感心したように返した。そして、彼女が座る席へ本日のモーニングセットであるトーストとベーコンエッグとサラダのセットを置いた。
「うん。でもね、やっぱり女子からの評判は悪かったみたい。中には彼氏を取られたって子もいたし」
受け取ったベーコンエッグの黄身をフォークで破いた鈴音は、トーストをちぎって破いた黄身に浸して口へ放り込みながら話を続ける。
「それに、オンオフの差が激しかったんだって」
「と、言うと……どういう事だ?」
オンオフの意味の解説アルバートが促すと、鈴音はコンソメスープを一口飲み、表情を引き締めた。
「簡単に言うと自分の得になりそうな人の前ではすごく良い子だけど、それ以外の人にはすごく冷たい、二重人格みたいな性格って感じかな。それでいて、冷たい方を悟らせない演技力もあって、男子には絶対にバレないように立ち回ってたみたいだよ」
「ちょっと話の雲行きが怪しくなってきたな……。昨日の明嗣の態度、いかにも『その子と何かありました』って感じだったぞ」
昨日の明嗣の態度を思い返し、アルバートが眉をひそめて見せた。すると、鈴音も疲れたようにテーブルに肘をついた。
「そうなんだよねぇ……。肝心の“明嗣と何かあった?”って質問には、みーんな知らないって言うの。どういう事なんだろ」
「悪魔を呼び出すなんて精神的にどうかしていないとできない事だからな。いったい何が――」
チリンと、ここで話を遮るようにドアベルの音が鳴り響く。アルバートと鈴音が出入口のドアへ目を向けると、明嗣が眠そうな表情を浮かべて店の中へ入ってくる所だった。
「うーっす……」
「今日はずいぶん遅いお出ましだな。何かあったのか?」
時計を見やり、アルバートがいつもより遅い時間にやってきた理由を尋ねる。対して、あくびを抑えきれない明嗣は、力の抜けた声でその理由を答えた。
「なんとなく寝れなくてぼーっとしてたら、朝になってたんだよ……。今日はなんも食う気しねぇからコーヒーだけくれ……」
重い足取りでカウンター席へ向かった明嗣は、寝起きから変わらない緩慢な動きで腰を下ろした。心なしか疲労困憊なようにも見える。
「徹夜なんて珍しいじゃん。何かあったの?」
「……別に何も」
世間話のつもりなのは分かっていた。だが、それでも何か探り入れられているような気がして、鈴音が振った話題に対して明嗣の返事がワンテンポ遅れる。当然、答えるまでの間に違和感を覚えた鈴音は、そこに食い付く。
「何、その間。明らかに何かあったでしょ」
「本当に何もねぇよ」
「前も似たような間の置き方した事あったよね? もしかして昨日出た名前に関係あるの?」
鈴音に悪気がない事も分かっていた。だが、昨夜に望まない再会を果たした明嗣を苛立たせるには十分過ぎた。
「しつけぇな。いつまで続けるつもりだ? ア?」
気付いた時には、苛立ちに身を任せてキツイ言い方で返して、鈴音を睨んでいた。




