第78話 タイムリミット
タイムリミットはあと5分。このメッセージの意味を理解した明嗣は、即座に現在の状況を整理し始めた。
目下の脅威は真祖ジル・ド・レとその使い魔であるクラーケン。これを排除した次に待ち受けるは、この異空間から脱出経路探し。それを残り5分で完遂しなければ、ヴァスコが操る人形からの一斉掃射により、仲良く心中する事となってしまう。
行けるか? ……いや、まだもう一つあった。
明嗣はそのもう一つ、結華の方へ目をやった。現在、彼女は明嗣から自分の望みは叶わないと宣告されて、絶望の淵へ沈んでいた。脱出する時は結華の事も勘定に入れなければならない。
あーっ、クソッ! やっぱらしくねぇ事はするモンじゃねぇな!
これだけやっても一銭の金にもならないんだから、やはりタダ働きなんてする物ではない。次にこういう事をする場合は、絶対に現金の報酬を用意させる事を、明嗣は心に固く誓った。
そのためにも、まずは大急ぎでジル・ド・レとクラーケンの両方を排除する方法を考え始める。だが、そんな明嗣をジル・ド・レは考えても無駄だとせせら笑う。
「まさかここから脱出できるとお思いか! ずいぶんめでたい頭のようだ!」
「ああそうさ。メッセンジャーが入って来れたんだ。なら出口だって確実に存在するはずだろうが」
「ええ、そうですね。たしかにあの炎の鳥が入って来れたのは、私の『血界の孤城』に出入口があるからだと言うのは仰る通りですとも。だが……」
言うや否や、ジル・ド・レは虚空から剣を1振り抜き放った。
「あなたは今からこの剣に貫かれ、処刑されるのです! 軽々しくジャンヌ・ダルクの名を口にした罪で!!」
「やれるモンならやってみろ、ショタコンオヤジッ!!」
エンジンを吹かして、明嗣は地を蹴った。響くエキゾーストノートが身体と剣に熱を与える。しかし、ジル・ド・レがクリムゾンタスクの間合いに入る直前、明嗣の前に土の壁が出現する。
チッ……! 全財産注ぎ込んで研究してた錬金術か!
四方八方、取り囲むように広がる無数の土壁に対して、明嗣は苛立たしげに舌打ちした。障害物が増える事は影の中に身を隠せる吸血鬼にとって有利に働くからだ。
影が増えりゃそれだけ不意打ち仕掛けてきやがるからな……。ウザってぇな、クソッ!
さっそく、このシチュエーションの恩恵を活かしたジル・ド・レの攻撃が明嗣を襲う。目の前にいたはずのジル・ド・レが背後の壁から飛び出してきた。
「キェエエ!!」
ジル・ド・レが明嗣へ剣を突き立てるべく、気迫の声ともに背中を狙う。影の中に身を潜めた吸血鬼は一目で見分ける事はまず不可能だ。クリムゾンタスク使用の効果で五感を強化した明嗣の眼であってもそれは変わらない。普通なら、気迫の声が聞こえた所で防ぐことはできない、確実に命を奪うことができる必殺の一撃だ。だが、明嗣が使うクリムゾンタスクには、防ぐどころかカウンターを狙う手段がある。
「クッ……!?」
クリムゾンタスクのエンジンが咆哮を上げる。刀身の吸排気口から黒い火花が吹き出し、何かが爆発したように剣が加速する。加速した剣の勢いに任せて明嗣は周囲を薙ぐ。おかげで、ジル・ド・レの突きは明嗣の薙ぎ払いにより阻まれた。クリムゾンタスクの特性を活かしたパリィにより、ジル・ド・レの剣が打ち上がる。
ギリギリセーフ……からの!
左手に握ったブラックゴスペルによる追撃。加速したクリムゾンタスクの勢いを殺すことなく追撃するにはこれが最速だ。がら空きとなったジル・ド・レの眼前にブラックゴスペルの銃口が突きつけられる。
喰らえッ!
引き金が引かれ、撃鉄が雷管を叩くその直前。確実に仕留めたと確信する明嗣の左手首に触手が巻き付く。
「やべっ……ッ!?」
強烈な力に引っ張られ、銃口が明後日の方向へ向く。同時に明嗣の身体がクレーンで引っ張り上げられるように吊り上げられ、ハンマー投げの要領で投げ飛ばされる。その勢いのまま、明嗣はジル・ド・レが作り出した土壁に叩きつけられた。
「カハッ……!?」
叩きつけられた衝撃で肺から空気が文字通り叩き出される。酸素を求めて呼吸が乱れる明嗣は、苛立ちの表情で奥歯を噛む。
あのイカか……! 魔法使いの吸血鬼だけでも厄介だってのに、怪獣まで相手にしなきゃなんねぇのかよ、クソッタレ!!
黒魔術や錬金術、ジル・ド・レが人間だった頃から私財を注ぎ込んだ末に従えた海の悪魔、クラーケン。気を抜けば槍のように鋭く、鞭のようにしなやかな触手が死角から命を狙う。非常に無視できない強大な存在ではあるが、かと言ってクラーケンの触手ばかりに気を取られていると、今度はジル・ド・レが影の中から不意打ちを狙ってくるのだ。厄介な組み合わせである。その証拠にクラーケンの攻撃を避けきって安心した一瞬、近くの土壁の影からジル・ド・レが飛び出す。加速させる事なく、すんでの所で攻撃を受け止めた明嗣は苛立ちのままに叫ぶ。
「クソッ! 影からちょこまかと!」
「使える物は何でも使う、戦いの基本でしょう!」
己の優位を感じ取ったジル・ド・レと鍔迫り合いに移行する。領主として武勲を立てた経験、そして吸血鬼の身体能力が合わさる事で、身体能力が強化された明嗣であったとしてもジリジリと押されてしまう。
鍔迫り合いの最中、ジル・ド・レがクリムゾンタスクの刀身を興味深そうな表情を浮かべながら指で撫でる。
「ところで、その剣には変わった仕掛けが施されているようですね? よく見せていただいても?」
「ああ。ご自由……にッ!」
隙を突いて明嗣が今までのお返しとばかりにミドルキックを繰り出す。だが、当たる前に影に潜られたため、振り抜かれた明嗣の脚は空を切った。
訪れる静寂。ジル・ド・レからの攻撃がいきなり止んでしまった。
なんだ……? なんで攻撃が止んだ?
クラーケンすらも沈黙してしまった。まるで主人から“待て”の命令を受けた犬のようだ。いったい何を企んでいるのか。警戒する明嗣に対してどこからかジル・ド・レの声が響く。
「なぜ、あなたは人間の中にいる事を選ぶのです? どうして、そこまで私の邪魔をしたいのですか?」
「いきなりどうしたよ? まさかこの後に及んでまだ勧誘しようとか考えてるんじゃねぇだろうな?」
答えながら、明嗣はブラックゴスペルの銃口をそこかしこに向けて安全確認する。気を抜いていると、死角からの一突きで命が取られかねないからだ。警戒している明嗣への呼びかけはまだ続く。
「いえいえ、純粋な興味ですよ。はっきり言いますが、“そこ”にあなたの居場所はありませんよ? それでも今の場所にいる事を選ぶ理由はいったいなんですか?」
全く理解できない、と言いたげなジル・ド・レの声が響く。姿を見せず、不意打ちをする機会を伺うジル・ド・レに対し、明嗣は呆れたような表情を浮かべた。
「はっ。んな事も分かんねぇか。理由なんて“気に入らねぇから”に決まってんだろ」
「何ですって?」
「気に入らねぇんだよ。追い詰められてる心につけ込んで、自分の欲満たすためだけに利用する仕組みを作り出して何が“共存”だ。反吐が出るぜ」
「何を言うかと思えば……。あなたがどう思おうと、これが共存ですよ。吸血鬼が居場所を提供し、人間が対価として命を預ける。何もおかしい事はないでしょう」
「そんなの共存じゃねぇ。契約っていうんだよ。しかも、命を預けるだと? つまり、生かすも殺すも吸血鬼のさじ加減次第って事じゃねぇか。もはや契約ですらねぇ。ただの尊厳を踏みにじる家畜みてぇに扱う支配だ」
紐解いてみればこんな単純な事で悩んでいたのか、と明嗣は己の頭でっかちさ加減を自嘲するように笑った。そうだ。結局の所、命を預けるとは、生き死にを決める権利を相手に渡すという事だ。捕食者である吸血鬼に命を預けるなど、自分を家畜化させるのと同義ではないか。
「そんなのを“共存”とか聞こえの良い言葉で誤魔化す奴、俺は絶対認めねぇ。そんなふざけた物が正解なら、俺が徹底的に否定してやる」
「それはずいぶんと立派ですね。だが……」
再び、ゾクリと寒気が明嗣の背中を舐め上げた。ほぼ無意識に明嗣がクリムゾンタスクの柄を捻り、周囲を薙ぎ払う。だが、手応えはない。カウンターを狙った明嗣の攻撃は空振りに終わった。
やがて、少し遅れて明嗣の腹に剣が突き刺さる。宣言通りにジル・ド・レが明嗣を貫いたのだ。剣を通して伝わる肉の感触に、ジル・ド・レが愉悦の笑みを浮かべた。
「弱くてはそんな物、何も意味がないただの戯言だ。だからこうなるのですよ」
さらに深く剣を押し込み、ジル・ド・レは勝利を確信した。純粋な吸血鬼であったのなら、腹を刺し貫かれた程度で死ぬ事はまずない。だが、明嗣は半吸血鬼。人間であり、吸血鬼でもあるどっちつかずの存在なのだ。普通の人間と同じように腹を貫き、血を一定量まで垂れ流しにしてしまうと失血死する。
「まったく、おとなしく我がコミュニティの象徴となっていれば命を落とす事などなかった物を……」
だから馬鹿は困る、と言いたげにジル・ド・レはため息を吐いた。そして、明嗣の腹から剣を引き抜くために力を入れる。だが……。
「おや?」
剣が抜けない。まるでブリテン国に伝わる選ばれた者にしか抜けないと噂される選定の剣のように、しっかりと突き刺さったまま動かない。
「なぜだ……! なぜ剣が抜けない……!?」
急に起きた不可解な事態に、ジル・ド・レの表情に焦りが浮かぶ。それもそのはず。なぜなら、クリムゾンタスク使用による明嗣の身体能力強化は膂力や五感強化だけに留まらない。自然治癒力にも適用されるのだ。何が起きているか理解できず、混乱するジル・ド・レの腕を、死に体となっているはずの明嗣が力強く掴んだ。
「や……っと……! 捕まえたぞチクショウ……!」
口の中に鉄の味を感じる。刺し貫かれた事により、体内で出血した血が少しせり上がってきたようだ。だが、それでも構わず明嗣は獰猛に笑みを浮かべる。
「ちんたらやってられなくなったからな……! 一番手っ取り早い方法を選ばせてもらったぜ……!」
「そんなば――」
最後まで言い切る前に銃声が響いた。同時に信じられないと言いたげな表情浮かべたジル・ド・レの頭部が爆ぜて吹き飛ぶ。左手に握った明嗣の愛銃、ブラックゴスペルで10mm 水銀式炸裂弾を撃ち込んだのだ。
アクセル開いておいて良かったな……。
明嗣は灰となり崩れ落ちたジル・ド・レを一瞥し、胸を撫で下ろした。ジル・ド・レに刺された瞬間、明嗣はクリムゾンタスクのグリップを捻った状態のままにしていた。これにより、クリムゾンタスクのエンジンは全開のまま稼働し、剣が刺さったまま自然治癒で傷が塞がったのだ。おかげで、ジル・ド・レは剣が引き抜けずにパニックを起こし、その一瞬の隙を突かれてブラックゴスペルで頭を吹き飛ばされた、という訳だ。クリムゾンタスクで底上げされた自然治癒力に賭けた危険な物だったが、どうやら上手く行ったらしい。
さて……と。
フゥ、と心を落ち着けるように明嗣は深呼吸した。次にやるべき事は、腹に突き刺さったこの剣を引き抜く事だ。相当な激痛が伴う事は想像に難くない。やがて、心を落ち着けた明嗣は緊張の面持ちで刺さった剣の柄を握る。
よし……行くぞ……!
覚悟を決めて、明嗣は腹に突き刺さった剣を一気に引き抜いた。瞬間、再び腹を裂かれる痛みが明嗣を襲う。
「ウッ……! ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ッ゙!!」
獣のような叫びが辺りに響く。そして、全部引き抜いた明嗣は己の血で刀身が汚れた剣を投げ捨てた。
「ハァ……ハァ……ウグッ……!!」
痛みに喘ぎながら、次に明嗣は再びクリムゾンタスクを手にしてグリップを捻った。すると、クリムゾンタスクのエンジンが唸り、底上げされた自然治癒力により、腹の傷が癒えて塞がっていく。
止血完了、っと……。ったく、最近腹を刺されてばっかだな!
前は先月、クリムゾンタスクを手に入れた時に内なる吸血鬼にやられてからのこれだ。新学期が始まってから月一で腹を刺されている計算になる。
マジで今年は厄年なんじゃねぇのか、俺。
血を大量に失ったため、頭がクラクラする。だが、まだ倒れるわけにはいかない。結華を連れてここから脱出するまでは、気を失う事は許されない。先ほどから沈黙しているクラーケンに警戒しつつ、明嗣は未だにうなだれている結華の元へ歩いていった。
「ほら、行くぞ。外じゃ、ここを吹き飛ばす準備をしてる。グズグズしてたら巻き添え食らって死んじまうぞ」
端的に明嗣が今の状況を結華へ伝えた。すると、返ってきたのは力のないか細い声だった。
「もう……良いです……」
「アァ?」
今、何と言った? 耳を疑う明嗣に対し、結華は先程と同じ力のない声でもう一度返事する。
「もう良いです……。放っといてください……」
そう言い、顔を上げて明嗣を見上げる結華の表情は何も無い、全てに絶望しきった物だった。




