第76話 トリアージ
ジル・ド・レが放った総数50を超える骨の兵は、わずか30秒で壊滅してしまった。張本人である明嗣は、挑発するように不敵な笑みを浮かべた。
「来いよ、オルレアンの亡霊。ジャンヌへ会いに行く用意をしな」
明嗣が手にしているのは対吸血鬼用にと作られた双銃、ホワイトディスペルとブラックゴスペル。解呪と聖歌の名を持つ一点物の大型自動拳銃だ。使用弾薬である10mm 水銀式炸裂弾は一発で当たった箇所を吹き飛ばす強力な弾薬である。例え異能を使う吸血鬼、真祖であろうと例外ではない。その威力は明嗣による先程の嵐のような攻撃によって証明されている。
だが、ジル・ド・レはうろたえる様子もなく、余裕の笑みを浮かべていた。
「何笑ってやがる。これから自分の命殺ろうとしてる奴を前にずいぶん余裕だな、おい?」
明嗣は不愉快だと言いたげな表情を浮かべ、銃把を握る力を強めた。先程片付けた骨の兵達が小手調べだと言うのは、明嗣自身が一番理解している。なぜなら、この空間に放り込まれてから今に至るまで、本能的な直感が「ここに何かがいる」と告げるのだ。
やべぇ奴が近くにいるといつもこうだな……!
背中を駆け抜ける寒気に明嗣はブルリと身体を震わせた。幼い頃からそうだ。何かろくでもない事態が待ち受けている予感がすると、ゾクリと何かが背中を舐める。そして、今もその感覚がはっきりと明嗣の中に危機感を植え付けている。
「怖いですか?」
「アァ?」
優しく呼びかけるジル・ド・レの声に、明嗣は低く唸るように返事した。だが、ジル・ド・レは意に返す事なく優しい声音で続ける。
「そんなに身体を強ばらせていると、何かあった時の対応が遅れてしまいますよ。こんな風に」
パチン、とジル・ド・レが指が鳴らした瞬間だった。周囲の景色が海が血で染まった砂浜へと変貌し、何かが明嗣の両手首に巻きつく。
来やがったな!
強烈な力に引っ張られるまま、明嗣は銃を構えた状態から無理やり両手を広げた状態へとさせられた。そのまま地に着いていた足がどんどん離れて浮かんでいく。
「譲り受けた魔導書に記してあった術を使って使い魔にした悪魔です。こちらの世界では水の中でしか身動きが取れないようなので、ここで飼っているのですよ」
「なん……だと……!?」
なんとか振り解けないかと明嗣は全身に力を込めた。だが、半吸血鬼の膂力を以てしても力負けする程に、巻きついた何かの引っ張る力が強い。
クソッ! なんだこの力!?
引っ張れはしても、すぐに元に戻ってしまう。完全に身動きを封じられてしまった。
それでも諦めずに抵抗していると、ジル・ド・レの背後で赤い噴泉が上がる。
「さぁ、恐れおののきなさい。これが古より海を支配する大海の王、クラーケンです」
高らかに紹介する声の後、噴泉の向こうから影が姿を現す。正体は二十本の触手を持つ巨大な烏賊だった。どうやら触手の形状から推測するに、自分を捕まえているのがあの触手だというのも、明嗣は理解した、やがて、噴泉により作り出された水煙が収まると、吸血鬼の従僕となった悪魔が咆哮を上げる。絹を裂くように高い、悲鳴にも似たその声はまるで、自分を使い魔に落とした奴への怒りを叫んでいるようだ。
耳が壊れそうだ……ッ!!
大気を震わせるほどの声量に、明嗣は思わず顔をしかめる。まるでヒステリーを叫んでいる声を聞かされているようだ。一方、主人であるジル・ド・レは構う事なく、一方的に己の下僕へ命令を下す。
「さぁ、クラーケン。あなたの力を存分に振るいなさい。大海原を手玉に取る力を見せつけてやるのです」
逃げ場のない明嗣に対して、命令に従ったクラーケンの触手が襲いかかった。
その頃、『血界の孤城』起動を確認した外では……。
「シスター、フォルマ・ケムエルの準備ができました」
ミカエラの指示により“城落とし”の操り人形を用意したヴァスコが、指先のワイヤーを接続しながら報告した。
フォルマ・ケムエルはヴァスコが使う操り人形、エクシアの対『血界の孤城』用の形態の名である。ヴァスコの操り人形の名であり、天使の階級でもある「能天使」の長であるケムエルは、カマエルなど様々な名を持つ天使だ。いずれの名も共通して「破壊の天使」という通り名を持つのが特徴であり、その名を冠すフォルマ・ケムエルはその通り名に沿って作られた“城落とし”の形態なのだ。
「それじゃあ、被害が出ない内に一気にやっちゃいましょう」
「ええ。言われずとも」
指先を動かし、ヴァスコが答えるとフォルマ・ケムエルの兵装が展開される。大きな特徴は首を切るために射出される腹のチャクラムの代わりに火炎放射器が換装されている所だろう。さらに、両手に装備された10門の12.7mm機関砲には特注で作られた焼夷弾が装填され、手のひらからガソリンが詰まった小袋が射出されるようになっている。一目で分かる通り、外も中も徹底的に焼き尽くして破壊する事をコンセプトに作られた操り人形なのである。
さて、あとはこれらを用いて『血界の孤城』を破壊するのみだが、ここで待ったをかける者が一人。
「ちょっと待って! 明嗣くんはどうするの!? まだあの中にいるんだよ!?」
引き金を引く直前で、澪が当然の疑問を口にする。このままでは明嗣が巻き添えになる事は素人でも想像できる。何か、中にいる明嗣を助け出しつつ、事を納める方法でもあるのだろうか。薄々答えが分かっているが、もし違うのなら違うと言ってくれ。今の澪は、予想が外れてほしいと必死に願うような心境だった。だが、現実は非情だった。
「あの坊やには巻き添えになってもらうわ」
ミカエラが本当に申し訳ない、と言いたげに短く端的な返答を口にした。
「このまま何もせずにいたら、あの霧が周囲に広がってたちまちジル・ド・レが支配する領地となってしまうわ。そうなればすぐに人間狩りが始まって生きるか死ぬかの追いかけっこになるでしょうね」
いや、ジル・ド・レの事だ。人間を生贄を差し出させるコミュニティを拡大させて、人間の家畜化を進めるのかもしれない。
「あの坊や一人の犠牲でそんな事態を避ける事ができるならそうするべきなのよ。でなければ、たくさんの人が死ぬ事になるから」
たしかにミカエラの言う通りなのかもしれない。短期的であれ長期的であれ、あの霧でジル・ド・レが支配する縄張りの拡大してしまえば、たくさんの人間たちが死ぬ事になる。血が手に入りやすくなるなら、迷う事なくその選択肢を選ぶ。吸血鬼とはそういう生き物なのだから。
言ってる理屈は理解できる。たった一人の犠牲で現在と未来、大勢の命を救う事ができるならそうした方が良いのはたしかだ。ミカエラの選択は“大人”としては正しいのだろう。だが、それで納得できるほど、澪は“大人”ではない。
「あんまりじゃないですか! 明嗣くん、一人も取り残さないようにまた中に入っていったのに、そんな簡単に切り捨てるなんてひどいですよ!」
「そうだな。たしかに澪ちゃんの言う事も一理ある。それに元々お前らが持ってきた話だ。あの中に入っていくのも本当ならそっちがやるべき役目のはずだろ。なんで明嗣一人に押し付けるような真似をした?」
澪の憤慨に対してアルバートも加勢する。こちらの理屈だと言われればそれまでだが、アルバートの言い分も当然だと言える。明嗣が結華を探しに中へ戻ると言い出した時、たとえ拒否されるとしても、ミカエラかヴァスコのどちらかが同行するのが筋という物だ。だが、ヴァスコもミカエラも、異を唱えることなく沈黙していた。
アルバートの質問に対して、ヴァスコとミカエラは二人とも沈黙している。まるで、聞かれては困る事を聞かれた時の反応だ。その反応を受け、鈴音が核心を突く答えを口にした。
「もしかして、最初から明嗣を巻き添えにするつもりだった?」
「……だと言ったらどうする。あいつは半吸血鬼だ。いつ吸血鬼の本能に目覚めて暴れ出すか分からない危険な存在だぞ」
ヴァスコが開き直ったように鈴音の言う事を認めて見せた。すると、当然の事ながらヴァスコの方へ澪が詰め寄っていく。
「ひどいよ! 半分吸血鬼でも明嗣くんはあたし達と何も変わらずに暮らしているのに!」
「今はまだ、な……。これからそうなる可能性だってある。もし本能が抑えきれなくなって暴れ出した場合、責任を取れるのか?」
「それは……!」
ああ……またこれか……。澪は今も立ちはだかる現実という問題に対して、内心うんざりしそうになった。どうして現実は、自分の言う事は綺麗事だと突きつけてくるんだろう。どうして、ちょっと違うと分かっただけで人は排除したがるんだろう。そして、どうして自分は綺麗事を現実にできる力を持っていないんだろう。
どうしても否定しきれない問題を前に、澪は何も言えなくなってしまった。アルバートも鈴音も同様だ。だが、だからと言ってこのまま明嗣もろとも『血界の孤城』を破壊する“城落とし”に納得している訳ではない。だから、アルバートは一つの提案を口にした。
「それでも、何も言わずにやるのはナシだろ。せめて、明嗣が脱出する時間を与えるべきだ」
半分、賭けである事は承知の提案だった。今、引き金に指を掛けているのはヴァスコだ。主導権はヴァスコとミカエラ、半吸血鬼の明嗣を殺したがっているヴァチカン側にある。ここで引き金を引く事を強行されたらそれでジ・エンドだ。
判断を仰ぐようにヴァスコがミカエラへアイコンタクトを送った。どうやら、ヴァスコは判断をミカエラへ委ねる事にしたようだ。対して、主導権を渡されたミカエラは考え込むように顎に手をやった。今すぐ動くか、それとも待つべきか。早く決めないと手遅れになりかねない。考える事五秒。霧の広がり具合などから判断した結論をミカエラが答えを口にした。
「五分だけ待つわ。それ以上は待てない」
「分かった。そうなりゃ、なんとかして明嗣と連絡を付けなきゃなんねぇな……。電話は通じるか?」
「それよりも確実な方法があるよ」
五分だけ与えられた猶予の中で、どうやって明嗣と連絡を取るか。この問題に対しては鈴音が手を上げた。
「アタシのウチさ、朱雀に伝書鳩みたいな技を仕込んでいてね。短い文章だったら火文字で伝える事ができるよ。こんな風に」
説明しながら鈴音がパチンと指を鳴らして合図した瞬間、鈴音の肩で羽繕いをしていた炎の式神である朱雀が羽ばたく。そして、翼で空を切り、炎で地面に「任せて」と文章を描いて差し出された鈴音の腕に留まる。
「前に明嗣の事を尾行させた事もあるから、探し方も知っているよ。あとは、どういう文面にするかだけど……」
「あんまり難しいのは駄目で、端的に伝えられるのが良いとなると……」
アルバートと鈴音が考え込んで文面を考えていると、澪がポツリとつぶやいた。
「“五分で開始”……でどうかな?」
「それだな。あいつなら伝わるはずだ」
澪が提示した文面にアルバートが頷いてみせた。鈴音も異論はないので、そのように朱雀へ指示した。
「オッケー。じゃあ、朱雀。それで明嗣に伝えてきて!」
送り出すように鈴音が腕を振ると、その勢いに乗って朱雀が力強く飛び立つ。そして、火の粉を散らしながら霧の中へ消えた。
「さて、どうなるかしらね」
とりあえず話が付いたので、ミカエラは疲れたように息を吐いた。対して、ヴァスコは不服そうな表情を浮かべた。
「判断を委ねた手前で言いづらいのですが、よろしかったのですか、シスター。今なら、まだアーカード諸共ジル・ド・レを討つ事ができます」
「良いのよ。ここで命を落とすようならそういう運命だったのよ。それに……」
一旦言葉を切ったミカエラは、先程朱雀が飛んでいった霧の方へ目を向ける。
「あの坊やにちょっと恩を売っておこうかなと思ったのよ。これで生き残ったら将来、大物になりそうな予感がするから」
ミカエラの言葉に対して、ヴァスコはピンとこない表情を浮かべて首を傾げる。この時のミカエラの腹の中はミカエラ本人と神のみぞ知る所だった。
何はともあれ、タイムリミットは決まった。明嗣の運命が決めるカウントダウンがたった今動き始めたのだ。




