第73話 人間か家畜か
ミカエラの指示により、澪が連絡した事で明嗣はアルバート達と合流する事に成功した。ひとまず、無事に集まれた事に安心したのもつかの間、明嗣達はさっそくこの後の事についての作戦会議を始めた。
「さて、マスター達と無事合流できた訳だが、これからどう動く?」
明嗣が周囲に見回し、状況を整理し始めた。
まず、第一にこの施設では現在、ジル・ド・レの手によって造り出された人造人間がうろついている状態だ。一発で吸血鬼の頭を吹き飛ばす威力を誇る10mm水銀式炸裂弾を40発撃ち込まないとならない程の再生力を持った文字通りの怪物だ。
第二に、非戦闘員としてここに集められた女子供の存在。数えてみたところ、その数はなんと15人に及ぶ。保護したは良いが、この人数を抱えたまま行動するのは、どうぞ狙ってくれと言っているに等しい。そして、最後。第三に……。
「ジル・ド・レが隠れていったい何を企んでいるのか。まずはそれを考えるべきだろう。でないと、行動の指標を立てようがない」
「自分だけ逃げ出した……とか?」
鈴音が頭に浮かんだ答えを口にすると、ヴァスコは腕を組んで鈴音を睨んだ。
「もっと真面目に考えろ。その気になればすぐに私達を葬る魔術だって使う事ができるはずなのに、こうして五体満足で動けているんだ。何か理由があるに決まっている。そんなおめでたい頭でよく今までやってこれたな」
「ねぇ! 心当たりないんだけどアタシ何かしたかな!?」
「ドウドウドウ……」
ヴァスコの物言いにご立腹の鈴音をアルバートがなんとか宥めようとする。噴火寸前の鈴音をアルバートに任せたミカエラは、考え込むように顎に手を持っていき話を進めた。
「そうねぇ……。もしかすると、アレを使う準備をしているのかしら……。だとしたら、急いで仕留めないと不味いわね」
「アレ? アレってなんだよ」
吸血鬼を狩る事で生きてきたが、今まで相手してきた奴らが三下も良い所だった事が判明した明嗣には、ミカエラが口にした“アレ”についての心当たりが全くない。もちろん、鈴音もだ。真祖の情報はある程度持ってはいるアルバートでさえ、心当たりはないようだ。日本で活動している組へ意図が伝わってない事を理解したミカエラは、憂鬱そうにため息を吐いた。
「だから、もう真祖の事は秘匿しておくんじゃなくて公開しろって口を酸っぱくして進言しているのに、石頭の頑固ジジィ達……! 良いわ。最初から説明しましょう。まず、吸血鬼が血を吸う理由は知ってる?」
「それが吸血鬼にとって一番効率の良いエネルギー補給手段だからでしょ?」
鈴音がキョトンとした答えると、ミカエラは頷いて話を続ける。
「そう。それもあるわ。でもね、実はもう一つあるのよ。成熟した真祖のみに限定された、こちらとしては最悪な状況を引き起こす理由が、一つね……」
「前置きが長ぇ。もったいつけてねぇで要点を言え、要点を」
「もうそろそろ言うだろうから黙って聞いてろ」
痺れを切らし先を促す明嗣へアルバートの注意が飛んだ。不満げに舌打ちして明嗣が黙り込むのを確認したミカエラはついに、吸血鬼が血を集めるもう一つの理由を口にした。
「自分の領地を広げるためでもあるのよ。自分を領主とし、自ら血を取り込んで眷属になった者を国境にしてね。で、その広げた自分の領地にいる眷属へ自分の能力を付与する事ができるのよ、真祖って吸血鬼は。そうやって支配された状態を私達は『血界の孤城』と呼んでいるわ」
「吸血鬼、城に籠もるの好きだからな……って、チョイ待ち。なぁ、その理屈で行くと……」
ふと、明嗣は今の状況について、ある仮説を頭に思い浮かべてしまった。それは……。
「ここってその血界の孤城のど真ん中にいる状況にならねぇか?」
明嗣の言葉に対してミカエラが気まずそうにそっぽを向いた。ヴァスコも同様に無言で目をそらした。言葉のない肯定である。
「え、って事はアタシ達、今めっちゃヤバいじゃん!?」
「どうして?」
状況を理解して鈴音が顔が青くなると同時に、澪が手を上げて尋ねた。すると、今度はアルバートが澪に説明する。
「そうだな……。澪ちゃんに分かりやすく説明するなら、明嗣がこの前倒した“切り裂きジャック”が何人にも増えるって言ったら分かるか?」
「それならあたしでも――ってえぇ!? あんなのが何人も!?」
「それだけじゃねぇ。吸血鬼にとって城っつーのはな、最後の砦なんだよ。生き残るための罠がゴロゴロ仕掛けてあるはずだ」
「そう。だから、『血界の孤城』を展開される前に仕留めなきゃいけないの。」
忌々しげに明嗣が奥歯を噛んだ。先ほど言った通り、吸血鬼にとって城とは最後の砦。向こうだって必死に返り討ちにするための用意をしているはずなのだ。だから、今回も相応の装備で事に臨むべく準備もした。にも関わらず、まさかここに来て準備が不十分の可能性が浮上してくるとは。
「で、でも何か手はあるんですよね! だって、ミカエラ先生とヴァスコくんはこの事知ってたんだから、何か準備してるんですよね、ねぇ!」
言われてみればそうだ。なぜなら、ヴァスコとミカエラは元々真祖と戦うためにわざわざ日本へやってきたのだから。半ば縋るような澪の表情にヴァスコは仕方ない、と言いたげに大きくため息を吐いた。
「私の操り人形には城落としのための物もある。もし、展開されればその人形でジル・ド・レを討つつもりだ。だが……」
「だが? なーんかひっかかる言い方だな。何か問題があるなら言ってみろよ」
腕を組み、さっさと吐け、と言いたげに腕を組む明嗣。すると、ヴァスコは悔しげな表情で続きを口にした。
「起動にまで時間がかかる。もし、使用する事になるなら私を守る者が必要となるんだ。それに、文字通り城一つ消し飛ばす威力を持つ。だから、まずはもしものために、この施設にいる人間達を避難させなければならない」
「なるほど。そうとなれば……」
話を聞き終え、アルバートが子供の相手をする保母担当の20代後半の女に呼びかけた。
「おい、そこの嬢ちゃん! ここにいる人間はこれで全部か?」
「あの、男の人達はジル・ド・レ様に連れて行かれてここにはいません。それに居場所を聞かれても私には……」
「人数は?」
「たしか……20人くらい……だったと思います」
「あのフロアで片付けた人間の数がたしかそのくらいだったな……。よーし、なら俺と明嗣と神父の三人で気絶させた奴らを急いで運び出すぞ。鈴音ちゃんと澪ちゃんとシスターはここにいる奴らを外へ連れだせ。こうなったら城落としの人形は使う前提で動いた方が危険は少ねぇはずだ。急げ」
「あ、あの待ってください! ここ、失くなっちゃうんですか……?」
アルバートが号令をかけた瞬間、話を聞いていた一人がおそるおそる口を開く。怯えるような表情の彼女たちに対し、明嗣は表情を引き締めて頷いた。
「ああ、そうだ。ここはキレイさっぱり消し去る。俺達はここにいるジル・ド・レを殺すために来た」
「そんな! なら、私達はいったいどうすれば……」
社会から見捨てられて死ぬ寸前の者達がジル・ド・レに拾われて集まってできたのがこのコミュニティだ。それを奪われたら、いったいどうすれば良いという声が上がるのは必然と言える。
「またあの中に戻れと言うんですか……! 私達を見捨てた社会の中に……!」
きっと、彼女も何かの理不尽に見舞われてジル・ド・レに拾われた者の一人なのだろう。一度はじき出された物の中に戻れと言われるのは死刑だと言われるに等しい。だが、それでも明嗣は揺るぎない事実を口にした。
「ああ。社会の中に戻らなきゃなんねぇ。だって、アンタら“人間”だろ」
「……っ!」
明嗣の言葉に周囲は水を打ったように静まり返る。
「結局、人間は人間同士で集まって助け合う事でしか生きて行けねぇんだよ。このままジル・ド・レの所にいたって、吸血鬼からすると餌でしかねぇんだ。いくら口じゃ、同士だなんだと言っても、お前達は人の形してるだけの家畜でしかねぇんだよ。アンタら、それで良いのか?」
呼びかけるが、明嗣の言葉に返す者はいない。だが、明嗣は構わず続ける。
「選べ。このまま家畜として死ぬか。それとも立ち上がって人としてこれからの時間を歩いて行くのか。アンタらは今、その選択をする分水嶺に立っているんだ」
明嗣の問いかけに対して答える者はおらず、重い沈黙が訪れた。幼い子供たちですら、黙りこんで事の行く末を見守っている。それだけ、明嗣の声には本能に訴える重みがあったのだ。
「さぁ、選べ。“家畜”か“人間”か。アンタらはどっちだ?」
再び、明嗣の問いが響く。やがて、一人の少年の声が沈黙を破った。
「ぼくは“にんげん”が良い」
その声に周囲の視線が一気に集まる。集まった目の先には一組の親子が立っていた。少年が母親の手を握って引っ張る母と息子の図だ。その少年を見た瞬間、明嗣は驚きの表情を浮かべた。なんと、その少年はこの施設に突入した際、膝を抱えて泣いていた少年だったのだから。
「お兄ちゃんがなにを聞いているのか分からないけど、にんげんとにんげんじゃないもの、どっちでいたいかって聞かれたら、ぼくはにんげんが良い」
「そうか」
少年の言葉に明嗣は口の端を吊り上げて満足げな笑みを浮かべると、次に大人の女達へ呼びかけた。
「って事らしいけど、アンタらは?」
「無理……! あの中で生きていくなんてできる訳ない……!」
「そうよ! どうせ戻ったってろくな生活送れやしないわよ!」
現実を知っているがゆえの悲痛な声が大人達から聞こえてくる。それに対しては、ミカエラが手を上げた。
「別に元の場所に戻れとは言いません。あなた達の身柄は我々、ヴァチカンの教会が引き取る手筈となっていますよ」
「あの、あなたは?」
「私、ヴァチカンの教会で修道女をしているミカエラと言います。今回、道に迷っている方々が多数いるので、神の導きを示してやって欲しいという連絡を受けてやって来ました。日本の生活に戻る自信がないのなら、私と一緒に来て神に仕える道があります。こんな取り計らいは滅多にありませんよ?」
コイツ……!
明嗣は心の中でミカエラに対して舌打ちをした。なぜなら、その“滅多にない”取り計らいはヴァスコを通して明嗣がミカエラに頭を下げる事で実現したことなのだから。
今回の事で再び路頭に迷う人が出るのは予想できた。なので、その受け皿を用意させる。それが、この戦い前夜にヴァスコとミカエラへ提示した条件だったのだ。
おかげで、普通ならヴァチカンへ一つ貸しとなるはずが、貸し借りなしのタダ働きとなってしまった。
その上、このタイミングでミカエラが身分を明かした事により、ヴァチカンへは大量の信徒が増える事だろう。子供たちの声により、道を示せばそっちへ向かう流れに傾いてしまったのだ。
「あなた達は人に死を押しつける罪を犯してしまいました。ですが、神はあなた達を受け入れてくれます。なぜなら、赦す事が償うための第一歩ですから。私達と一緒に来るなら償いの道を一緒に探す事ができますよ」
ミカエラの言葉で大人達にも生きる力が湧いてきたのか、表情に光が宿った。言葉はないがジル・ド・レの手から離れる決心がついたようにも見える。意思が固まったのを確認したミカエラは、舌打ちをして歯を食いしばる明嗣へ礼を言った。
「今回の事で信徒がたくさん増えたわ。あなたのおかげよ」
「そういう流れに持ってったんだろうが。あのタイミングで明かされたら、誰だって飛びつくに決まってる」
「やーね。選んだのはあくまで彼女たちよ? 私が強制した訳ではないわ」
ケラケラと笑うミカエラに対して、明嗣は不信感を示すような視線を返した。こういう手合いは油断していると自分だけ利益を全て巻き上げていくような、そんな危うさがある。ミカエラの笑みに狐のイメージが浮かんだのもそのためだ。いつか化かす事でとんでもない災厄を持ち込んで来るのではないか、明嗣はミカエラに対してそんな懸念を抱いていたのだ。
やっぱミカエラ、信用ならねえから嫌いだ……。
明嗣はミカエラへの警戒を強めるように腕を組んで睨む。そして、澪はそんな明嗣の様子に不安げな表情を浮かべていた。




