第68話 特異体質
明嗣がジル・ド・レ捜索のため、単独行動に移った同時刻。
「ふぅ……ひとまず、これで終わりかしら?」
カラン、と空の弾倉が落ちる音を響かせながら、ミカエラは辺りを見回す。現在、澪を引き連れて別行動に入った彼女がいる場所は、服などを扱う区画だった事を伺わせるような場所で、更衣室のつもりなのか試着用スペースにボロボロのカーテンが至る所にぶら下がっている。また、ミカエラの周囲には灰の山が積もっており、動く物は見当たらない。危険が去った事を確認すると、ミカエラはどこかに隠れている澪へ呼びかけた。
「もう大丈夫よー。出てきなさーい」
呼びかけから少し間を置いて、試着スペースのカーテンの向こうから澪がおそるおそる顔を出す。そして、ミカエラ以外の人影がない事を確認した澪は安心した表情で出てきた。
「はぁ……ありがとうございます」
「いいのよ。面倒見るって言ったから、これくらいは当然。それにしても……」
再びミカエラが周囲を見回すと、澪が彼女の言わんとする事を代わりに口にした。
「全然人と会いませんね。出てくるのは吸血鬼ばかりで……」
「そうね。どうしてかしらね……」
ミカエラが澪へ返事をしつつ、考え込むように顎に手をやる。澪と共に別行動を開始して5分ほどだろうか……。吸血鬼が襲って来る事はあっても、人間が襲って来るなんて事がまったくと言って良いほど起こらないのだ。
いったいどういう事なの? まさか、引き入れた人間があれだけって訳ではないだろうし……。
なら、人間が出てこない理由は何だ? ミカエラはひたすらに考え込む。だが、澪がミカエラの服を引っ張った事で思考が中断されてしまった。
「どうしたの? 急に服を引っ張ったりし――」
澪が無言で指差す方へ目を向けた途端、ミカエラは息を飲んで黙り込んでしまった。なぜなら、澪が指差した先には、動く度にグチュリやヌチャ、などの生理的嫌悪を催すような音を出しながら這いずる謎の生物がいたのだから。
何……コイツ……!?
体長は恐らくゴールデンレトリバーなど、大型犬の成犬ほどだろうか。ゆっくりとナメクジとような速度で動くそれは、決して犬のように好まれる見た目をしておらず、どちらかと言えばイカのような見た目だった。本物のイカとの違いを述べるとすれば、捌いても美味しく頂く事ができないのは確実だという事くらいか。
っていうか、いつの間にいたのかしら……。
警戒するようにミカエラはデュランダルを手にした。見た所、軟体動物のような印象を受けるので、打撃などの衝撃を与える攻撃の効果は薄いと思われる。おそらく、銃弾も同様だろう。と、なると刃物で切断するのが有効な攻撃と言えるだろう。
でも、粘液がまとわりついているのがうざったいわね。刃が滑る……。
息を潜めながら、ミカエラはイカのような生物に近づいてゆく。最悪、動けなくなるくらいの傷を負わせてから、追撃でトドメを刺せば良い。奇襲に失敗した場合も想定しながら、ミカエラは動くタイミングを探る。やがて、イカのような生物の背後に回ったタイミングでミカエラが動いた。ミカエラが逆手に持ったデュランダルへ全体重を乗せて、イカのような生物に振り下ろした。すると、絹を裂くような甲高い悲鳴が周囲に響き渡る。
澪は思わず耳を塞ぎたくなるような断末魔の悲鳴に顔をしかめる。そして、悲鳴が収まった所で澪は、ミカエラへ駆け寄った。
「先生! 大丈夫ですか?」
「ええ。でも、これは……」
ついさっき、自分の手で命を奪った亡骸を見下ろすミカエラの表情に影が差す。なぜなら、彼女の視線の先には、おおよそ原型を失った状態ではあるが、たしかに人間だと分かる苦悶の表情を浮かべる顔があったのだから。
「い、いや……やめて……あああああ!?」
一人の女の身体を黒い瘴気が包み込む。すると、その中で蛹の中で変態する幼虫のように身体がドロドロに溶けて液状化してしまった。そして、液状化した肉体が再び形を取り戻すと、もはや人間とは言えない物へと変わっていた。元人間だったそれは、この世の生きとし生けるもの、そのどれにも当てはまらない新種の生物と呼ぶにふさわしい見た目だった。粘液で覆われて不気味な光を放つ灰色の肌、どこにも焦点が定まっていない虚ろな眼、だらしなく半開きの口元から少し生臭い息が漏れている。
そして、このおぞましい所業を行った張本人であるジル・ド・レは、表紙が人の皮で作られた本を手に、たった今作り出した生き物へ指示を飛ばした。
「さぁ、人造人間。生まれて早速ですが侵入者を排除なさい」
指示に従い、人造人間は引きずるような足取りで動き出した。やがて、姿が見えなくなるまでその背中を見送るジル・ド・レへ、近くで控えていたメイドの少女である結華が不安げな表情で呼びかける。
「ジル・ド・レ様、今のは……」
「ああ、少し戦線を強化しようかと思いまして。あの方には申し訳ありませんが、人間を辞めてもらいました」
仕方ない。結華の言葉にジル・ド・レは悲しむような表情を浮かべて答えた。その後、結華の肩に手を置くと優しく慈しむような微笑みを呼びかけた。
「結華、あなたの血を私に分けてください。わずかな量でも多大な力を与えてくれる特別な血を、私に絶大なる力を」
「はい……」
頷いた結華はブラウスのボタンを1つ外し、首筋を露出させた。おそらく、何回も同じように血を吸わせてきたのだろう。外気に晒されたその肌には、多数の噛み跡が刻み込まれていた。
「どうぞ……」
潤んだ瞳で呼びかける結華。その呼びかけを聞いたジル・ド・レの笑みに愉悦が混じる。誤って己の膂力で潰殺してしまわないよう、結華の身体を優しく抱き寄せたジル・ド・レは、彼女の首筋へ己の牙を突き立てた。
「んっ……!」
牙が肉を破った瞬間、結華は身体の奥に火が点いたことを感じた。溢れる血液を吸い出される度に芯が疼くような感触が結華の表情を恍惚に染めていく。
「は……ぁ……」
ごくりと喉が鳴る度に漏れ出る熱い吐息で快楽の深さが伺える。現在、今この瞬間だけが生きている目的だと言わんばかりの多幸感が結華の頭の中を支配していた。やがて、十分な量を飲み終えたジル・ド・レが首筋から離れると、結華が物欲しそうな表情でジル・ド・レを見上げる。
「毎回そのように残念そうな表情をしますね」
「この瞬間だけが生きてるって感じる事ができますから」
結華はブラウスを直しながらできたばかりの噛み跡を指先で撫でた。じくじくとした軽い痛みが生の実感を与えてくれるこの瞬間が現在の結華の全てなのだ。
「身寄りもない私を引き取ってくれたのがあなたです。必要とあらばこの身をいつでも捧げる覚悟はできています」
「その心だけでも十分です。特異体質とはいえ、無理をするのは良くありませんから」
口元の血を拭き、ジル・ド・レが満足げな微笑みを浮かべた。それを受け、結華は顔を赤らめてうつむく。
結華は人間の両親の間生まれてきたのにも関わらず、明嗣と同じように特異体質を持って生まれてきた。能力は、血に飲んだ吸血鬼の力を高める効果を持った状態にする物。その能力を知ったきっかけは、幼い頃に出会った吸血鬼が首筋に噛みついた事からだった。だが同時に、その現場を両親に目撃された事から歯車が狂い始めてしまう。首筋から血を流しつつ、無邪気な屈託のない笑みを浮かべる結華の姿を不気味に思った両親が彼女と距離を取るようになったのだ。気持ち悪い。お前は汚れている。暗にそう罵るような視線を浴びて育った。やがて、中学生最後の年まで成長した結華を待っていたのは、もぬけの殻となった自宅と一通の手紙だった。内容は借用書ともうお前と暮らす事ができない。要約するとそう書いてあった。この時、結華の中にあったのはやっぱりな、という諦観だった。だから、手紙を読み上げた時も、怒りだとか悲しみなどの感情が湧き出て心が動くなんて事はなかった。怖いおじさんがやってきてどこかに連れて行かれた時も、服を剥ぎ取られて本当に汚された時も、慰み物として値が付きかけた時も、結華の心が動くことはなく空っぽだった。目の前の吸血鬼に出会うまでは。
買い取りの手続きを待つ間、ふらりと現れたその吸血鬼は何を思ったか、その場にいる者全員を鏖殺してしまった。目の前で起こったのはなんらかの魔術による物としか思えない超常現象。その時、結華は初めて空っぽだった心の中に恐怖が芽生えるのを感じた。流されるまま、朽ちていくのを待つだけだと思っていたのに、死にたくないという確かな思いが芽生えたのだ。だが、一瞬で血なまぐさい地獄を作り出した原因を前に、ただの非力な少女である自分に何ができるのだろうか。何もできない。出来ることなんてあるはずがない。絶望感が結華を支配した。やがて、呆然と立ち尽くす結華の姿を見つけたその吸血鬼がゆっくりと近づいて来た時、結華は覚悟を決めて目をつぶった。だが、痛みや苦しみがなかなか来ない。おかしいと思い、おそるおそる目を開けてみると、そこにあったのは笑顔だった。見知らぬ吸血鬼から向けられた慈しむようなその笑みに結華は思わず涙した。
「やっと見つけました。“彼”が言っていたように可愛らしい少女だ」
そして、優しく語りかけるその声で結華は気づいてしまった。ずっと心の奥へ押し込めていただけで、自分はずっとこの笑顔が欲しかったんだ、と。そして、自分の体質は彼のためだったのだと理解した。
これが、ジル・ド・レと結華の出会った経緯。ヴァチカンが必死に潰そうと画策するコミュニティの始まりだった。
一方、アルバート達と別れて単独行動の明嗣は……。
「なんだコイツは……」
ジル・ド・レが作り出した2体が人造人間が道を塞いでいた。
どうやら、前へ進むにはこの2体を倒さないとならないらしい。
「はっ。良いぜ……」
明嗣はホワイトディスペルに装填されている弾倉を交換しながら、不敵な笑みを浮かべる。
「C'mon!」
白の解呪と黒の聖歌、吸血鬼を屠るために生み出された双銃が死の旋律を奏で始めた。




