第65話 自己満足
翌朝。
なんとなく早い時間に目が覚めてしまった明嗣は、早朝ランニングに出ていた。走っている車も少なく、人の動きが穏やかなこの時間は心なしか、いつもより吸う空気が澄んでいるように感じられる。
たまには朝のランニングも良いな……。
タッタッタッ、と規則正しく地を蹴る音が早朝の街に響く。適当な所でUターンし、来た道を引き返して帰宅して壁掛け時計を確認すると、時計の針は6:00を指していた。
洗濯はできるな。じゃ、その間に……。
汗まみれの衣服を洗濯機へ放り込むと、明嗣はシャワーで汗を流す。シャワーを済ませて、タオルで水気を拭き取りながら風呂場から出ると洗濯機はまだ稼働していた。待っている間にできる事を考えたが、せいぜい制服に着替えるくらいしか思いつかない。
仕方ねぇ、着替えるか……。
まだ早い気もするけれど、もうこれぐらいしか思いつかないのでしょうがない。と、制服を袖を通した所で、明嗣はふと立ち止まる。おかしい。今夜、ジル・ド・レの根城に乗り込むというのに、やけに落ち着いているではないか。
これからタダ働きなんてらしくない事するのにな……。
ヴァチカンに借りを作れるという報酬があるかもしれないが、それは、明嗣がヴァスコとミカエラの二人にある要求をしたので、すぐにチャラにされるだろう。だからこれは、実質タダ働きと言って差し支えないはずだ。もっと不満に溢れた心境になるだろうと思っていたのに、実際はこの通りだ。嫌になるほど落ち着いていて、穏やかな気分でいる。
まっ、変に気負うよりは良いか。
洗濯が終わった事を知らせるブザーが聞こえてきたので、明嗣は再起動して洗濯物を干しに向かった。
放課後。
学校を後にした明嗣は頼んだ物を受け取りに黒鉄銃砲店へ向かった。表向きの顔である雑貨屋へ入ると、操人が読書をしながら、店番に勤しんでいた。
「よっ。頼んだモンできているか?」
明嗣が声をかけると、操人が顔を上げて返事をした。
「できているよ。爺ちゃんが下で待っているからもらってくると良いよ」
「ああ。そうする」
「こういう事はもうないようにしてよ。ああいうの作るのって大変なんだからさ」
「悪い。どうしても今夜必要になっちまってさ」
罰が悪そうに肩を竦めて明嗣は謝りながら地下の黒鉄銃砲店工房へ移動する。すると、仏頂面の鋼汰が待っていた。
「来たな、小僧」
「急な頼みなのに引き受けてくれて助かったよ」
「まったくもってその通りだな? 違う弾の弾倉をすぐに用意しろ、とは、ワシらを魔術師か何かと思っておらんか?」
「うっ……す、スンマセン……」
自分へ向けられる鋭い睨みを前に、明嗣は背が小さくなる思いで謝罪の言葉を述べる。自分でも無茶な要求をしたのは自覚しているので、ひたすらに謝る事しかできないのだ。なぜなら、明嗣が製作を依頼した弾倉とは、現在使用している10mm 水銀式炸裂弾の複製式弾倉とは違う、10mm薬莢のゴム弾を精製する複製式弾倉だったのだから。
鋼汰は小さくなった明嗣を前に、鼻を鳴らして話を続ける。
「まぁ、良い。ワシもプロじゃ。一点物を作ってやった客が必要だと言うのなら、作る事もやぶさかでない。物もしっかり仕上げてある」
「ああ。マジで感謝している。じゃあ、さっそく――」
「しかし」
さっさと受け取って、急いで退散しようと考える明嗣を鋼汰の言葉が縛る。彫像のように固まってしまった明嗣に対し、鋼汰は問いを投げかけた。
「小僧。キサマ、この弾がどんな物か分かっているのか? ゴム弾は命を狙ってやってきた奴を生かして帰してやる弾じゃぞ。弾の重さも違うから普段と勝手が違う」
「ああ……。分かっているさ」
「なら、なぜこの弾が必要になる? 銃は人を殺す道具、ましてやお前は確実に命を奪っておかないと後で危険な目に遭う事もあるだろう」
「ああ。そうだな。じっちゃんの言う通りさ。けどな――」
鋼汰の言う事に対し、明嗣は自分の愚かさを自嘲するように微笑む。だが、それでも。今回はそれを使わなければならない理由が、明嗣にはある。
「俺は、親父と人に寄り添うって約束しちまったからな。手遅れの吸血鬼と違って人間を殺しちまったら、親父との約束が果たせなくなっちまう。だから、今回は親父との約束を守るためにそれが必要なんだ」
「吸血鬼とはいえ、死者は死者。守った所でどうとなる訳でもない。なのに、そこまでして守る理由がどこにある? そんな物を守った所でいったい何が得られる?」
見定めるように、鋼汰は明嗣の目をじっと見つめる。初めて銃把を握った時の事を思い出すようだ。あの時も、鋼汰は今と同じように明嗣の目を見つめていた。
変わんねぇな……。
懐かしむような感情が湧き上がってくる。だが、今は感傷に浸っている時間はない。これから戦いに赴くのだから。
明嗣はまっすぐ射抜くような視線で問う鋼汰を同じように見据えて答えた。
「ぶっちゃけ、ただの自己満足だよ。俺はじっちゃんがくれた銃でたくさん殺してきたし、これからもたくさん殺していく。洗っても落ちねぇくれぇ手も汚れてる。でも……」
明嗣は自分の右手に視線を落とした。
「そんな俺の手を取って、友達になろうって言ってくれた奴がいたんだ。俺の事を殺そうとしたり、依頼で標的になった吸血鬼は必ず殺す。でもせめて、そいつには、まだやり直せる奴の血で汚れた手を握らせないようにしておきてぇ。たぶん、人に寄り添うってそういう事じゃねぇかな、って。そう、思ったんだ」
語り終えた明嗣は、右手の中にある見えない何かをジッと見つめる。ただの自己満足なのは分かってる。血で汚れきった手なのも、嫌というほど承知している。それでも、その汚れた手を取ってくれた澪のまっすぐな目が焼き付いて離れない。だから、せめて自分もまっすぐにその目を向き合えるように、人だけは殺さないでおきたい。もし、殺してしまったらもう二度とまっすぐ向き合えない気がするから。だからこそ非殺傷のゴム弾なのだ。
話を聞き終えた鋼汰はジッと明嗣を見つめる。やがて、鋼汰はため息を吐くと、作業台の引き出しから弾倉を一本取り出した。
「自己満足だと分かっているなら、及第点くらいはくれてやる。時間がなかったから一本しか作れなかったがな。持っていけ」
鋼汰が差し出した弾倉には魔法陣が刻まれており、中には赤茶色の弾頭が入っていた。鉄粉がまぶされて重量が増えたゴム製弾頭、つまりゴム弾が入っている複製式弾倉だ。
「良いか、小僧。いくら小綺麗なお題目を並べ立てようと、所詮は生かすも殺すも当人のさじ加減次第。これだけは忘れるなよ」
「ああ。恩に着るよ、じっちゃん」
受け取った明嗣はさっそく、受け取った弾倉をホルスターのベルトに差し込んだ。
「じゃあ、俺行くな」
「おう。さっさと行け」
追い払うように手を振る鋼汰に対し、明嗣は「サンキュ」と口にして作業場を後にした。
「フン、愚か者め……。キサマの自己満足はいずれ災厄を呼ぶぞ」
すでに明嗣はいないので、呟く言葉に返す声はない。だが、鋼汰は呟かずにはいられなかった。なぜなら、戦いにおいて命取りとなる瞬間とは、自分が定めたルールがもたらす逡巡から始まる葛藤。今まで銃を与えてやった奴は、そういう物に縛られたかが故に命を落としてしまったのだから。
ゴム弾の複製式弾倉を受け取った明嗣はすぐにブラッククリムゾンを駆り、Hunter's rustplaatsへ向かった。店の前ではワゴン車に背を預けたアルバートが待っていた。
「よう。頼んだ物は受け取れたか?」
「ああ。この通り」
呼びかけるアルバートに対し、明嗣は受け取ったばかりの弾倉を手にしてアルバートに見せる。
「それとじっちゃんから説教食らった」
「まぁ、だろうな。あの爺さんは年食ってるだけあって世の中の真理って物をある程度分かっている」
「言えてる。話していると伊達に長生きしてねぇって思う時あるよ。で、鈴音は?」
姿が見えない鈴音の所在を尋ねるとアルバートは店の方を指さした。
「まだ来てねぇな。準備に時間かかっているんだろ」
「そりゃ、良かった。今日はちょっと人が増えるからな……」
「増える? いったいどういう事だよ」
「今回はあの二人にも一枚噛ませた。まぁ、元々あいつらが持ってきた話だしな。当然と言えば当然だけど」
「まさかヴァチカンから来たあいつらか?」
「ああ。そいつら」
ホワイトディスペルにゴム弾の弾倉を差し込みつつ、明嗣はつまらなそうに答えた。
「どうしても、って頭を下げてきたんだよ。自尊心だけはいっちょ前の奴にそんな事されたとあっちゃ、ハブる訳にもいかねぇだろ? 借りだって作る事もできるしな。だから、優しい俺が一肌脱い――」
「調子に乗るなよ貴様。私は任務のために仕方なく頭を下げたんだ」
やれやれ、と言いたげな表情で明嗣が理由を口にした瞬間だった。いきなり、ピシャリと戒めるような声が飛んできた。明嗣とアルバートが声のした方へ目を向けると、そこには仏頂面のヴァスコと相も変わらず笑みを浮かべているミカエラが立っていた。両名共に修道服姿であり、戦闘態勢といった服装だ。
「Buonasera~♪ 今日はよろしくね〜」
「って訳で、今回はヴァチカンの祓魔師2名も同行する事になった。乗るスペースはまだ残ってんだろ?」
「お前なぁ……。そういう事は決まった直後にだなぁ……」
呆れ顔をするアルバートに明嗣は苦笑いを浮かべた。だが、追加メンバーはこれだけでは収まらなかった。
「ごめーん! お待たせー!」
息を切らして走る鈴音の声が聞こえてきた。全員が鈴音の声を聞こえた方へ視線を向けると、彼女の後ろを追いかけてくる者が一名。
「鈴音ちゃん待ってよ〜……。ペース早くてちょっとついて行けない……」
「あ、ごめん! いつものペースでつい……」
のろのろとした足取りで走る少女の姿を前に、先着の吸血鬼ハンター達が目を丸くした。なぜなら、その少女の正体は……。
「はぁ〜……間に合った〜……」
「な、なんでお前が鈴音と一緒に出てくんだよ、澪」
ぜぇぜぇ、と出発前からグロッキー状態の澪に対して、明嗣が困惑の声を上げた。学校から直接やってきたのか、澪は制服のままだった。なぜ彼女がここにいる。当然の疑問が浮かんでいる表情の明嗣達に対し、鈴音がその理由を答えた。
「いやぁ〜、それが今日の事話したら澪が付いて来たいって言い出してね〜。だから、マスターに許可もらったら良いかって連れてきてみたんだよね」
「あのなぁ……。遊びに行く訳じゃねぇんだぞ。面倒見てる暇がねぇぞ」
頭痛を抑えるように明嗣がこめかみに指を当てて難色の声を上げる。アルバートも同じように頷いて同意した。だが、ここで澪が口を開いた。
「話を聞いたら、ちょっと気になっちゃって。それに、相談してくれたからあたしも最後まで責任持って見届けないとならないから。明嗣くんや鈴音ちゃんみたいに戦う事はできないから、せめてお手伝いしたいなって思ったの」
「だからって今回は全員武装してるからマジに危ねぇぞ」
「お願いします。ちゃんと言う事を聞きます。だからあたしも連れて行ってもらえませんか?」
「おい、無視すんなや」
上下関係を理解しているのか、澪はアルバートに頭を下げた。明嗣以外は車に乗っての移動なので、運転手のアルバートへ頭を下げるのも間違いではない。
「……言うこと聞くんだな?」
腕を組んでアルバートは澪に確認する。すると、澪は頭を上げて表情を引き締めた。
「はい! 絶対に聞きます!」
「危ねえって言ったらちゃんと逃げるか?」
「はい! 自分の安全を一番にします!」
澪はまっすぐにアルバートを見据えて答えていく。だが、アルバートはまだ思案するように澪を眺めている。数秒ほどアルバートが考え込むように黙り込んでいると、思わぬ所から澪に加勢が加わった。
「良いじゃない。今どきこんなに度胸ある子なんて珍しいし、連れて行ってあげましょうよ」
ミカエラが澪を自分の方へ引き寄せて肩に手を置いた。
「面白そうだから、私がこの子の面倒を見てあげるわ。協力してくれた坊やへのお礼にね」
「シスター……。さすがにそれはどうかと私も思いますが……」
ヴァスコが反対の声を上げるが、ミカエラは黙殺した。こうなっては自分の出る幕はないとばかりにヴァスコも沈黙してしまった。やがて、アルバートは仕方ないと言いたげに肩を落とした。
「分かった。言ったからにはちゃんと澪ちゃんの面倒見てもらうからな」
「ええ。もちろん」
「おい! マジで言ってんのか!?」
話はまとまったとばかりにワゴン車へ乗り込もうとするアルバート、ミカエラ、澪、ヴァスコの四人。当然、少数派となってしまった反対の明嗣の声が届くはずもなく、アルバートは車のエンジンを始動させた。そして、最後に残された鈴音が慰めるように明嗣へ声をかける。
「まっ、そういう事だから明嗣も諦めてもう仕事始めちゃお?」
「るっせー。そもそもお前が安請け合いしたからこうなったんだろうが」
「えぇ〜? だって、せっかく手伝いしてくれるって言ってるのに断るも申し訳なくない? そんな事より今、澪の事を名前で呼んでたよね!? いつの間にそこまで距離縮めたの!?」
「ほっとけ」
興奮気味の鈴音に対して、なかば拗ねた調子で返した明嗣はヘルメットをかぶり、ブラッククリムゾンのエンジンに火を入れた。そして、バイクの明嗣を先頭にして、一行はジル・ド・レが潜伏している廃ショッピングモールへ走り出した。




