第63話 単純な答え
ミカエラとのやり取りで頭がいっぱいになっていた明嗣は、いつの間にか戻ってきていた教室の前で声をかけた澪によって我に返った。
「彩城? 何やってんだ、ここで」
「あたしはちょっと部活に顔出した後でこれから帰る所だよ。明嗣くんはどうしたの? なんか、難しい表情してたよ?」
「そうか?」
「うん。もしかして、ミカエラ先生と何かあった?」
「なんでそう思うんだよ」
「鈴音ちゃんから聞いてるの。ミカエラ先生もヴァスコくんと同じだって」
アイツめ……。
ペラペラ漏らしてはならない情報を漏らす前に、あとで鈴音にはキツく言っておこう。心に固く誓った明嗣は、ひとまず澪との会話に戻った。
「別に大した用じゃねぇよ。英訳に困る単語があるから助けてくれってだけさ」
「それだけ?」
「それだけ」
素っ気なく返す明嗣の顔を澪はジィ……と見つめる。あまりに真剣に見つめる物だから、明嗣は緊張の面持ちと共に背筋を伸ばした。
「な、なんだよ……」
絞り出した声は酷く上ずった物だった。ずっと見つめられているのもあって、まるで取り調べを受けているような気分になってくる。やがて、澪はまっすぐに明嗣と目を合わせて口を開いた。
「……明嗣くん、何か悩んでる事ある?」
「べ、別にそんな事はねぇけど」
「なんで今ちょっと詰まったの? 何かやましい事でもあるの?」
「ねぇよ! ただ……」
少しこぼしかけた事で明嗣は一瞬、しまったという表情を浮かべた。当然、シャッターチャンスを捉えるために観察力を磨いている澪が見逃す訳もなく、そこから切り込んでいく。
「やっぱり何か悩んでるんだ」
「いや、その……これは俺の問題っつーか……」
「明嗣くん」
誤魔化そうと試みる明嗣の声を、澪が一声で抑え込む。まっすぐ自分の事を見据えるその瞳に、明嗣は思わず釘付けとなってしまう。一方、固まってしまった明嗣へ、澪は静かに語りかけた。
「あたし、鈴音ちゃんみたいに一緒に戦う事できないよ」
いきなり何言ってんだコイツ、と口にしかけたが、明嗣はそれを飲み込んだ。そんな明嗣へ澪は続ける。
「でも、一緒に悩む事はできるよ」
「はぁ?」
「一緒に悩む事はできるよ」
「なんで2回言った」
言葉の意図が掴めず、明嗣は思わずツッコミを入れてしまった。対して、澪は一つの言葉を投げかけた。
「昔ね、‘’相手に信じて欲しかったら、まずは自分が相手を信じなさい‘’、ってお父さんに言われた事があって」
「なんだ、いきなり」
「あたし、明嗣くんの事を疑ってるって打ち明けた時があったでしょ?」
「そういや、そんな事あったな」
つい最近の事なのに、色々あってその出来事も遠い昔の事のように思えた。どこか懐かしむような眼差しの明嗣に対して、澪は話を続けた。
「あの後、あたしはこの言葉を思い出したの。だから、あたしは明嗣くんをまずはもう一度信じる事にしたよ。あの夜、あたしの記憶を消して離れようとした、明嗣くんの優しさを信じる。だからさ……」
力になれる事は少ないかもしれない。背負っている物を軽くしてあげる事はできないかもしれない。それでも。
「明嗣くんもあたしを信じて頼って。せめて、何ができるかだけでも一緒に考えさせてよ。あたしだって、明嗣くんの力になりたいんだから」
マジか……。
どんな悩みかも知らないのに呆れるくらい真っ直ぐな気持ちを口にした澪に対し、明嗣はただ驚く事しかできなかった。呆気に取られて何も言えないでいる明嗣に対し、澪はさらに畳み掛ける。
「二回も明嗣くんが助けてくれたのに、あたしは何も返せていない。それじゃ、不公平だよ。せめて、こういう時に相談して。できる範囲で力になるから」
「あのなぁ……。それでとんでもないモンが飛び出してきたら――」
最後まで言い切る前に、明嗣は口を噤んだ。なぜなら、澪がいつの間にか目の前に迫っていて、仮面を貼り付けたような微笑みを浮かべていたのだから。
「ね?」
なんか圧力を感じる……!?
これ以上口答えしたらいったいどうなるのだろう。未知への探究心より、未知への本能的な恐怖の方へ天秤が傾いてしまった明嗣は素直にこくりと頷き、澪に打ち明けてみる事にした。
生贄を差し出す事で成り立つ人間と吸血鬼の理想郷とそこに流れ着いた人達の境遇、そして自分の身の振り方。
全てを聞き終えた澪はクスリと笑みを漏らした。
「自分で聞いといて何笑ってんだよ。割とこっちは真剣に悩んでんのに」
こっちは恥を偲ぶ心境で打ち明けてみたのに。澪の反応が不満の明嗣は少し拗ねたような表情を浮かべる。そんな明嗣に対し、澪は笑いをこらえながら謝った。
「ふふ、ごめんね。明嗣くんもそういう事で悩む時もあるんだと思うと、ちょっと面白くて」
「お前なぁ……」
「でも、安心した。あたし、明嗣くんって迷わない人だって思ってたから」
「あるさ。俺にだって迷う時くらい」
「そうだね。迷わない人なんていない訳ないよね」
「で、迷える俺に彩城はどんな風に導きを示すのかな?」
笑い飛ばしたからには納得する回答を提示できるんだろうな、と明嗣は半眼で澪を睨めつける。すると、澪は答えを待つ明嗣自身を指さした。
「答えは明嗣くん自身だと、あたしは思うよ」
「はぁ?」
どういう事だよ、それ……。
意味が理解できず、困惑の表情を浮かべる明嗣。そんな明嗣に対し、澪はその真意を語り始めた。
「明嗣くんはお父さんが吸血鬼でお母さんが人間の半吸血鬼でしょ? なら、その明嗣くんが違うと感じるんだったら、きっとそれは間違っていると思う」
「なんでそう思うんだよ」
「だって、きっと明嗣くんは二人が愛し合って生まれてきたはずだから。もし、手を取りあう事を選んだなら、生贄を差し出すなんて発想は出てこないはずだよ。もし、明嗣くんがその人達に何かしてあげるとするなら、それは生き方を示してあげる事なんじゃないかな? 生贄を差し出す必要なんてない、人と吸血鬼が寄り添いながら歩いていく生き方を」
そうか……。かもな……!
今までしっくり来ていなかった身体の感覚が一気にクリアになっていくようだった。明嗣は調子を確かめるように手のひらを開閉させた。そうだ。最初から難しく考える必要などなかったのだ。なぜなら、明嗣は人と吸血鬼の間に生まれた半吸血鬼なのだから。
「なんか、ウダウダ考えていたのがアホらしい話だったな。最初から答えは一番近くあったのか」
明嗣はククッっと片方の口の端を上げ、肩を揺するように笑っていた。本当に悩んでいるのがアホらしくなってくるような、そんな単純な話だったのだ。
「サンキュー、彩城。なんとなく、何すりゃ良いか分かった。あとでなんか礼する。じゃ、俺行くわ」
明嗣はひとまず帰宅して夜の準備をするべく、澪に礼を言って荷物を取りに行こうとした。だが、澪はその背中へ呼びかける。
「待って」
「どうした?」
「その……さ……。何か礼をしてくれるんだったら、これからは名前で呼んでよ」
「名前……?」
「うん。明嗣くん、鈴音ちゃんは名前で呼んでるけど、あたしは名字だから。なんか仲間はずれにされているみたいって思ってたの」
そんな物で良いのか。明嗣は意図がよく分からず、困惑の表情を浮かべる。だが、礼をすると言った手前、嫌と言うわけにもいかないので、明嗣は素直に澪の要求を飲むことにした。
「あー、その……じゃあ、澪も気をつけて帰れよ……?」
「うん! 明嗣くんもね!」
心なしか挨拶して去っていく澪の足取りが嬉しそうに見えた明嗣は、釈然としない表情で首を傾げた。
やっぱ澪ってよく分かんねぇ……。
さて、帰宅して着替えて銃を手にした明嗣は、さっそくHunter's rustplaatsへ向かった。ドアを開けて店内へ入るとアルバートが読んでいた単行本を閉じてカウンターに置く。
「よう。来たか」
「ああ。マスター、ちょっと聞きたい事あるんだけど、良いか?」
「どうした。いつになく真剣な顔して」
「そんな深刻な話ってわけじゃねぇよ。ただ、親父とお袋の夫婦生活はどんな感じだったのかな、ってのを聞きたいだけさ」
いつもように明嗣がカウンター席に腰を下ろすと、アルバートがアメリカーノを明嗣へ出した。
「アメリカーノか」
「ああ。たまには良いだろ? まさか、お前もエスプレッソ以外はコーヒーじゃねぇとか言わねぇよな?」
「おかしな事言うな? コーヒーはコーヒーだろ?」
「昨日、そんな事抜かすいけ好かないクソガキが来たんだよ。人形使いヴァスコっていうんだけどな」
「イタリアのコーヒーはエスプレッソが主流だからなぁ……」
苦笑いで明嗣はアメリカーノをすすった。一方、自分の分のアメリカーノを手にしたアルバートは気に入らないと言いたげに鼻を鳴らす。
「十代のガキのくせにコーヒーにこだわり持つとは生意気過ぎんだよ。と、今はそういう話じゃねぇな」
本題からズレている事に気付いたアルバートは、一呼吸置いて空気を仕切り直した。そして、先程尋ねたアーカードと晴華の夫婦生活について語り始めた。
「そうだな……。アーカードとハルちゃんはまぁ仲良い夫婦だったな。互いを尊重しあう、理想の夫婦だったよ。ただ一つの問題を除いてな」
「だろうな」
なんとなく察した明嗣は、相槌を打って頷いて見せた。すると、アルバートはその一つの問題の話へ移行した。
「アーカードは吸血鬼だからな。やっぱり、吸血衝動で苦しむ時があったよ。その度にハルちゃんとやり合う事がしょっちゅうあったみたいだ」
「やっぱ親父から血を吸わせろって迫ってたのか?」
やはり、吸血衝動からは逃れられなかったか。なら、どうやって乗り越えたのか。はやる気持ちが尋ねる声に乗る。緊張の面持ちで答えを待つ明嗣に対し、アルバートは予想外の答えを口にした。
「いや、むしろアイツは我慢してなんとかやり過ごそうと努力していたよ。でも、あまりに苦しそうだから、自分の方から血を吸えってハルちゃんのほうから迫ってな。それで吸う吸わねぇのケンカをいつもしていたのさ」
「えぇ……。そっちかよ……」
「ついでに吸血鬼が血を吸ったら……その、なんだ……。ほら、ここまで言ったらお前なら分かるだろ?」
口ごもるアルバートを前に、明嗣はあんぐりと口を開けて固まってしまった。吸血鬼の吸血行為には性的快楽が伴うのだ。夫婦間でそんな事をしたのなら、その後はもう決まっている。
「聞きたくなかったよ、俺が生まれた経緯……」
「まぁ、そういう事だ。俺が知っている惚気話はこんな所だ。で、こんな事聞いてどうするんだ?」
聞かせてはみたが、その意図が分からず、当然の疑問を口にしたアルバート。対して、明嗣は口の端を吊り上げて答えた。
「話を聞いて俺は腹を括ったよ、マスター。明日、カチコミかけよう。ジル・ド・レの理想郷をぶっ潰す。生贄差し出して成り立つ絶望郷なんてクソ喰らえだ」
同時刻。ジル・ド・レが根城としている、すでに廃業したショッピングモールでは……。
「皆さん。時は来ました!」
無数のコンテナを前に、真っ赤なローブに身にまとったジル・ド・レが叫ぶ。コンテナの中にはAK‐47やAR‐15などのアサルトライフルや、グロック 17やベレッタ 92Fなどのハンドガンが詰まっていた。大量の銃火器が詰まったコンテナを前にジル・ド・レは高らかに宣言する。
「今こそ立ち上がる時! 皆さんを爪弾きにした社会へ復讐を始めるのです!」
ジル・ド・レに応えるように、この場にいる人間と吸血鬼から歓声が上がった。




