第60話 心配と本音
翌朝。
「へクシュ!」
明嗣はくしゃみをすると同時に目を覚ました。
あれ……? 俺、このまま寝ちまったのか……。
衣服の状態は部屋着のスウェット、ソファの上で目を覚ましたのを見るに、どうやら考え込んでいる内に寝落ちしてしまったようだ。
今、何時だ……?
軽くニュースを確認するついでに、明嗣はテレビを点けた。画面の中では番組が選んだ20歳くらいの女が、今話題のスイーツを紹介している真っ最中だった。
このコーナーやってるっつー事は……あーやっぱか……。
番組の進行度合いから予想を立てて画面左上の時刻を確認すると、予想通り6:50と表示されている。
急いで準備すりゃ朝メシも間に合うな。
今日のアルバートが出す朝食に思いを馳せる明嗣は急いで登校の準備を始めた。
その頃、Hunter's rustplaatsでは……。
「おはよー! マスター、朝ごはんちょうだーい!」
例によって、鈴音の元気な声が店内に響き渡る。もうそろそろ来るだろうと思っていた時間がピタリと当たったアルバートは密かに心の中でガッツポーズを作る。だが、今回は予想外の人物が鈴音と一緒に店にやってきていた。
「お、おはようございます……」
なんと鈴音の後ろから澪がひょっこりと顔を出した。
「お? 澪ちゃんが一緒とは珍しいな」
「昨日、たまにだから一緒に朝ごはん食べよ、って鈴音ちゃんが誘ってくれたんです。だから、今日はあたしにも貰えませんか?」
「そういう事か。それじゃ、今から作るから待ってな」
挨拶代わりの世間話もそこそこに、アルバートが日替わりモーニングプレートを作りに厨房に向かう。作り始めて一分が経過した時点で、再びドアベルがチリンと鳴いた。
「うーっす。マスター、今日の朝メシは……」
入ってきた人物、寝坊で少し遅めの登場の明嗣は入るなり、気だるげな声と共に朝食を要求した。一方、入店してきた明嗣を見るなり、澪が席から立ち上がり明嗣の元へ歩いていく。そして、互いに触れ合う距離まで足を進めた澪は、ジッと明嗣を見つめた。
「なんだよ……」
いったい何事か、と明嗣は緊張した面持ちで澪を見つめ返す。見つめ合う事5秒。何を思ったか、澪は明嗣の腕をペタペタ触ったり、制服の袖を引っ張り始めた。
「いきなり何すんだよ!?」
慌てて飛び退いた明嗣が声を上げると、澪は安心したように息を吐いた。
「良かったぁ……。本物だぁ……」
「はぁ?」
「もしかしたら幽霊かもって思って……」
「勝手に殺すな」
呆れたように明嗣はツッコミを入れて隅のカウンター席へ歩き出した。だが、すれ違いざまに澪は引き止めるように明嗣の腕を掴む。
「なんだよ……って」
まだ何かあるのか、と面倒そうな表情で明嗣が振り返ると、澪がジッと明嗣の目を見つめていた。その視線は、まるで心配していたと訴えるような物だ。
「明嗣くん、あたしに言ったよね? よっぽど大変な事が起きない限りいなくなったりしないって」
「そ、そういや言ったな……?」
な、なんか圧を感じる……!?
ゴゴゴ……と地面が震える音が今にも聞こえてきそうな雰囲気が放たれていた。そんな圧力を放つ澪に腕を掴まれている明嗣は、本能的な恐怖を感じて思わず冷や汗をかく。一方、明嗣の腕を掴んで離さない澪は、ポツリとこぼした。
「心配したよ」
「え」
「ずっとお父さんが紛争地帯へ写真を撮りに行ってる時みたいな気持ちだった」
呆気にとられて何も言えないでいる明嗣に構うことなく、澪は続ける。
「だから、すごく心配したよ。戻ってこなかったらどうしようって不安だった」
「……そうか」
掛ける言葉が見つけられない明嗣は、ただ短く返す事しかできなかった。その後に口を開く者が現れないのでフロアに沈黙が訪れる。実際に流れた時間はわずかだったかもしれない。だが、こういう状況になると時間の流れがとてつもないほどに遅くなったように感じるのだ。何も言えないまま、数十秒が経過した所でアルバートが朝食を運んで来た所でやっと沈黙が崩れた。
「朝っぱらからなんて空気作ってんだお前ら。いつからここは青春ドラマの中になったんだよ」
「そうだな」
掴まれた手をスルリと引き抜いた明嗣はカウンター席の端へ腰を下ろした。
「こういう空気はらしくねぇよな。それにさっさと朝メシ食わなきゃ遅刻しちまう。食後のコーヒーも飲みてぇし」
時計の時間は午前7時30分。たしかにそろそろ急いだほうが良いかもしれない。
「マスター、今日のモーニングは?」
「ヴェンテルテイヒェス。コイツは先に来ていた鈴音ちゃんと澪ちゃんの分な」
明嗣の質問に答えつつ、アルバートは鈴音と隣の澪が座っていた席へフレンチトーストの皿を置く。ヴェンテルテイヒェスと呼ばれるこのフレンチトーストはパンに染み込ませた卵液に混ぜられていたり、薄切りにして焼いた林檎にかけられていたりと、シナモンシュガーがふんだんに使用されているのが特徴だ。
「あー、やっぱそうか。どうりでシナモンの匂いがすると思ったよ」
「お前ならそれで分かるだろうな。ほら、澪ちゃんもそんなとこ突っ立ってないで、これ食って今日も勉強頑張りな」
「あ、はい。いただきます」
「甘〜い! こんな罪な味を朝から食べていいの!?」
初めて食す料理に歓喜の声を上げる鈴音の隣で、澪も促されるまま席に戻って食事を始める。だが、気分を緩めて幸福をもたらしてくれる甘い物を口にしているはずの澪の表情が晴れる事はなかった。
朝食を終えて、明嗣はコーヒーを飲みながらスマートフォンでネットサーフィンをしていた。澪と鈴音は先に食べ始めた分、早く食べ終わったため、先に学校へ向かった。よって、現在のフロアは明嗣とアルバート二人きりである。
「なぁ、明嗣。新生活はどうよ」
「なんだよ、いきなり。いじめられている子供に話しかける時の父親みたいなセリフだ」
ふと、アルバートから投げかけられた問いに明嗣は困惑の表情を浮かべた。対して、アルバートは自分の分のコーヒーをすすった。
「今の学生はどんな日常を送ってんのかな、と思っただけさ。特に深い意味はないから気軽に言ってみろ」
「別にどうって事ねぇよ。勉強はくそつまんねぇ、たまに向けられてくる好奇の目がウゼェ、鈴音はやかましい、彩城はよく分かんねぇ。だいたいこんくらいだ」
「前半二つはともかく後半二つは良いだろ。二人共いい子だし」
「でもなぁ……。単独行動愛好家としては今の環境はなんか落ち着かねぇよ。鈴音は仕事で組むから仲良くしとけって魂胆がなんとなく見えるけど、彩城はなんでぐいぐい来るのかよくわかんねぇし」
「お前なぁ……。あの二人が打算で自分に近づいて来てると思ってんのか?」
「まぁ、そんな事ないかもしんねぇけど……」
呆れたような表情を浮かべるアルバート。思春期特有の斜に構えた中二病や高二病か、などと笑えれば良かったが、次に明嗣が口にした一言でその考えは一気に霧散した。
「でも、本当のアイツらを見て幻滅した時を考えると嫌になりそうだよ」
「はぁ? そりゃいったいどういう――」
「さて、そろそろ俺も行かねぇと遅刻しちまうな。ごっそさーん」
アルバートの言葉を遮るように明嗣は立ち上がると、スクールバッグを手に店を後にした。まるで逃げるかのような明嗣の背中を思い出しながら、アルバートは理解できないと言いたげに首を傾げた。
「アイツ、何があった……?」
少なくとも中学生だった頃はあんな事を言う奴になるような事件は起きてなかったはずだ。と、なれば、父である吸血鬼アーカードの遺品を取りにロンドンへ渡った時だろうか? それともこの間のジル・ド・レに連れ去られた時か?
でもなぁ……。アイツ、口を割るかなぁ……。
先程の明嗣の表情を思い返すアルバートは考え込むように腕を組む。幻滅するのが怖いとこぼした明嗣の瞳には、わずかだが何かに失望した時特有の諦観を彷彿とさせるような昏い光が宿っていた。その原因は本人から聞き出すことでしか分からなそうなので、アルバートはどうしたものかと無駄に頭を痛める事しかできなかった。




