第56話 理想郷の真実
場所は再び、交魔市某所。
ジル・ド・レの指示を受けたメイドの少女、結華の案内で“人間と吸血鬼の理想郷”とされる場所を見て回る明嗣は、その様子にただただ驚くばかりだった。ここにいる人間も吸血鬼も、みな手を取り合って暮らしていたのだから。
見た所、ここは営業停止したショッピングモールのようだった。結華によると、動力源はここに流れ着いた人に電気技師がおり、その人の指揮の下で商業施設が動かせる規模の自家発電機を作成して設備を動かしているらしい。ネット対戦ができるアーケードゲームはもちろんオフライン、施設内で完結するように設定しているそうだ。
マジか……。
休憩スペースに設置されたベンチに腰を下ろした明嗣は、放心したように手元のオレンジジュースを見つめた。ここまで一緒に生きて行けるなら、今自分がやっている事はなんなんだ。生きていくのに必要だと思っていた自分の腰にある銃の重みが、本当にそれは必要な物なのか、と疑問に思う程にカルチャーショックを受ける。
項垂れて手元を見つめる明嗣を気にかけるように、結華は静かに声をかけた。
「あの……お加減が優れないのでしたら、お部屋も用意してあるので、そこへ移動して本日はもうお休みになる事もできますが……」
「あ、ああ……。問題ない。ただ、ちょっと驚いただけだ。本当に人間と吸血鬼が一緒に暮らしているとは思わなくてな……」
「ここに来たばかりの方は実際に触れてから、初めて自分とは違う生き物だと認識するのですが、明嗣様は触れずとも分かるのですか?」
「生まれつきでな。つーか、その“様”ってのは止めてくんねぇかな。なんか、背中のあたりがムズムズすんだよ……」
「いえ、明嗣様は客人なので。さらにジル・ド・レ様から、いずれあなたにここを守護してもらうと聞いておりますので、やはりこの呼び方が良いと存じます」
うーわっ、真面目……。
頑として譲らない結華の返事に、明嗣は思わずたじろいでしまった。堅苦しい雰囲気が苦手な身としてはたまったものではない。
彩城とは別ベクトルでやりづれぇ……。
どうしたものか、と明嗣が困った表情を浮かべると、結華は小首を傾げた。こうして眺めると人形のような可愛らしさを感じる。
「どうかなさいましたか?」
「いや、なんでもねぇ……」
明嗣は慌てて結華から視線を逸らした。だが、なんでもないとは言ったものの、実は引っかかる事が一つだけあった。
仲良く暮らしているにしちゃあ、怯えるような目をしている奴がチラホラいるような気がするな……。
吸血鬼とすれ違う際の結華や、他にも吸血鬼と仲良く話している人間を見ると、どこかご機嫌を伺うような目つきをしていると感じる時があった。理想郷を謳っている割には、何か引っかかる。
考え込むように明嗣は顎に手をやる。理想郷のはずなのに怯えなければならない理由。それはなんだ。考える事30秒。じっと見えない何かを見つめるように遠くを見るような目をする明嗣へ、結華はおずおずと声をかける。
「あの、明嗣様……。先程からどこかを見つめられてますがどうかいたしましたか?」
「……俺のバイクはどこに行ったのかな、と考えてた所さ。あれは親父の形見でさ。案内されてればいつか出くわすと思っていたけど、中々出てこねぇモンだからどこに隠してやがるのか、と思ってな」
本当の事を言う訳にもいかないので、明嗣は今欲しい物を口にして誤魔化した。すると、結華は納得した表情で頷いてみせる。
「あぁ……なるほど。それでしたら、駐車場に停めてあります。ですが……」
「ですが……なんだよ?」
今ひとつ歯切れが悪い結華を前に、少し嫌な予感した。やがて、数秒溜めてから結華は続きを口にした。
「本当にあれはバイクなのですか?」
「はぁ?」
明嗣は結華の質問に困惑の声をあげた。どこからどう見てもバイク以外の何物でもないだろう。少なくとも、見た目は。質問の意図が掴めず、何も言えずにいる明嗣。そんな明嗣へ、結華は付いてくるように促す。
「ご自分の目で確かめてみる方が話が早そうですね。こちらへどうぞ」
「あ、ああ……」
いったいどうなってんだ、ブラッククリムゾン……?
これから待ち受けている事態に不安を覚えつつ、明嗣は結華の後に続く。案内された駐車場で待ち受けていた光景は、言葉を失う程に壮絶な物だった。
何の気なしに一体の吸血鬼がブラッククリムゾンに近づく。するといきなりマフラーから吹き出した黒い炎に包まれた。
「ああああっ!! 熱い……!? 焼かれる……!! なんだこれはあああ!!」
立った状態のまま黒い業火に包まれた吸血鬼は、瞬く間に消し炭と化してしまった。その様子を見ていた明嗣へ、結華が声をかける。
「どうですか? あれを見てもまだあれはバイクだと仰っしゃりますか?」
「……悪い。ちょっと嘘吐いた。でも、あれは俺のバイクさ」
「え、ちょ……」
今の光景を見て近づいていくの!?
先程の黒い炎を見たのにも関わらず、迷いなく歩いていく明嗣に、結華は思わず静止の声を出そうとした。だが、その後の明嗣の様子を見て、結華は息を飲んだ。
えっ……!?
なんと、明嗣が近づいてもブラッククリムゾンのマフラーから黒い炎が吹き出さないのだ。それどころか、明嗣は飼い犬の頭でも撫でるかのように燃料タンクに手を当てる。
どうやら無事みてぇだな……。にしても、近づいてきた吸血鬼を焼くくらい不機嫌とは、俺がいなくて寂しかったのか? ……なんてな。
キーも刺さっているため、エンジンに火を入れる事もできる。つまり、脱出しようと思えばいつでもできる状態になった訳だ。だが、逃げる前に一つだけ、確かめておきたい事があった。
「なぁ、お前の名前はたしか結華って言ったよな?」
「ええ。そうですが」
「じゃあ、結華。いくつか質問に答えてくれ」
「答えられる範囲でなら」
「ここは人間と吸血鬼の理想郷、そのはずだな?」
「ええ。その通りです」
「なら、どうして時々怯えた目をするんだ?」
「な、何の事でしょうか……」
一瞬だけ、結華の声が震えるのを明嗣は聞き逃さなかった。どうやら、明嗣の疑念は的外れではなかったらしい。結華の反応で確信を得た明嗣はさらに畳み掛ける。
「結華だけじゃねぇ。他の人間も同じような目をする瞬間がちらほら見えた。自白っちまえよ。ここにはウラがある。そうだろ?」
「そ、そんな事は……」
「なら、吸血鬼の吸血衝動はどうしてんだ。まさか、我慢させている、なんて言わねぇよな?」
ジッと明嗣は結華を見据える。ヴァスコ達から話を聞いてからずっと気になっていたのだ。吸血鬼は命尽きるまで人の血をすすり、快楽を貪る生物。例えるなら麻薬中毒のそれに近い。そんな奴が目の前に人間をぶら下げられて我慢できるとでも?
「できる訳ねぇよな? アイツら、理性は発情期の猫以下だ。我慢なんてもっての外、すぐにでもその場で首に噛みついて血を飲み干してぇと考えているはず。仮にあの青髭のジル・ド・レが押さえつけてるとしても、完璧にはできねぇはずだ。いったいどうやって我慢させてんだ?」
いくら上位吸血鬼である真祖の圧力で脅しつけたとしても、おそらくその本能を押さえつけるのは無理のはずだ。絶対、どこかに破綻があるはずだ。
「そ、それは……」
結華の目に明らかな動揺が浮かんだ。さらに、言い淀む結華に追い打ちをかけるように叫び声が明嗣と結華の耳へ飛び込んでくる。
「いやだぁあああああ! 死にたくない! 返しきれない借金からやっと解放されてやっと幸せな人生が始まると思ったのにあんまりだぁああああああっ!!」
1人の青年が引きずられていくのが見える。見た所、人間のようだ。そして、青年を引きずっているのは吸血鬼である。
「往生際が悪い。それを承知でこのコミュニティに加入した癖に今更騒ぐな」
なおも響く悲鳴と共に青年の声が遠ざかっていく。明嗣は先程の光景をネタに結華へ追撃をかける。
「あれは?」
「あ、あれはこのコミュニティの礎に選ばれた方の……よう……ですね……」
「礎ってなんだ?」
「その……それは……!」
ついに何も答えられなくなり、しどろもどろとなる結華。やがて、明嗣はこの話のトドメとなる一言を口にした。
「言えねぇなら俺が言ってやるよ。差し出してんだろ? どんくらいの頻度かは知んねぇが、毎回、生贄を1人立てて吸血鬼に差し出すことで成り立ってる、そうだろ?」
もう誤魔化せる余地は失くなってしまった。よって、結華はオチた。
「仕方ないじゃないですか……! こうしなきゃ、私たちはジル・ド・レ様の庇護が受けられずに野垂れ死ぬしかないんですよ! あなたに分かりますか!? 突然、湧いてきたとんでもない額の借金のカタで売り飛ばされそうになる気持ちが! そこに差し伸べる手が現れたら誰だって飛びつくしかないでしょう!?」
「だからって生贄差し出していい理由にはなんねぇだろ。明日は我が身って言葉を知らねぇのか」
「そんな事を言えるのはあなたが強いからでしょう!? 半吸血鬼の銃撃手なんて名前で呼ばれてるんだから!」
「泣き言垂れてんじゃねぇよ。お前、一回でも戦おうとか考えた事あんのか」
「皆が皆、あなたみたいに強いなんて思わないでくださいよ……! もし、勝てたとしても後の事を考えたら今の方がマシです!」
話していく内に結華は泣き崩れてしまった。だが、明嗣は構う事無くブラッククリムゾンへ跨り、スターターボタンを押してエンジンを始動させる。
「まぁ、ここで暴れても俺には得がねぇし、捜し物も見つかった。あとはもうここから逃げるだけだ。せいぜいそこで泣き喚いていりゃ良いさ」
ヘルメットを被りながら、明嗣は見捨てるようにハンドルを握る。対して、結華は虚ろな笑みを浮かべた。
「簡単に逃げられるとお思いですか? 私が明嗣様に付いている理由がまさか案内だけだとでも?」
「あ?」
ギアペダルを踏み込み、クラッチを繋ごうとした明嗣は一旦動きを止めた。一方、泣き崩れて蹲っていた結華は隠し持っていたトランシーバーへ呼びかける。
「緊急事態発生。半吸血鬼が逃げます。至急、準備してください」
「まぁ、そういう展開になるよな!」
クラッチを繋いで明嗣は走り出した。クラッチを急に繋いだ影響でブラッククリムゾンの前輪が浮き上がる。
「クソッ!」
アクセルの開度を調整する事で車体を落ち着かせた明嗣は、前輪が地面を捉えた瞬間にアクセルを全開にして加速した。
その先で待ち受けるは、ローブで日光対策を施した吸血鬼と同じくローブに身を包んだ人間の集団だった。全員、刺股を手にして明嗣を捕獲するつもりだ。対して、明嗣は左手でホルスターからブラックゴスペルを抜き、ニヤリと口の端を吊り上げる。
「そぉら、どかねぇとコイツの餌食だぜェッ!」
威嚇射撃をするついでに何体か葬るつもりで、明嗣はブラックゴスペルの照準を吸血鬼へ向ける。だが……。
「ダメ!」
マジかッ!?
声からして女だろうか。1人の人間が照準を向けた吸血鬼を庇うように前に飛び出した。
「チッ!」
もし、このまま引き金を引いて人間に当たったら事なので、明嗣は仕方なく撃鉄を倒してホルスターへ戻した。
嘘だろおい!? 吸血鬼を庇うのかよ!? ……やべっ!
先程の出来事に驚く間もなく、今度は刺股が眼前に迫る。明嗣はすかさずブレーキレバーを握り、重心を前側に移動させて前輪に荷重をかけてハンドルを切った。すると、後輪が滑り出したブラッククリムゾンの車体が進行方向に対して横になった状態で滑り出す。いわゆる、直線ドリフトである。
刺股をやり過ごした後、アクセル操作で姿勢を直した明嗣は再び加速しながらホッと息を吐いた。
ぶっつけでも上手く行くモンだな……。に、しても……。
先程の人間が吸血鬼を庇った事を思い返した明嗣の脳裏に結華の言葉が響く。
私達はジル・ド・レ様の庇護がなければ野垂れ死ぬしかないんですよ!
そんな事を言えるのはあなたが強いからでしょう!?
皆が皆、あなたみたいに強いと思わないでください……! もし勝てたとしても、その後の事を考えたら今の方がマシです!
「でも、このままいつ来るのか分かんねぇ死刑宣告に怯えているのも違ぇだろ……!」
呟く言葉は風の中に消えていく。関係ないと切り捨てれば良いのにも関わらず、どこか引っかかる物を抱えた明嗣は、ひとまず出口を求めて走っていく。やがて、明嗣は溶ける視界の中、膝を抱えて泣いている少年の姿を捉えた。




