第53話 安心と納得
放課後に突入したA組の教室にはまだ数名ほど生徒が残っていた。その中で、明嗣は気だるげにスマートフォンに指を滑らせていた。
強引に澪を引っ張る形で連れてきた鈴音は教室の入口から明嗣へ呼びかける。
「明嗣、来たよ」
「ああ。今行く」
席を立ち、スクールバッグを担ぐ明嗣。あとは、そのまま2人の元へ向かい合流するだけなのだが……。
「なぁ、朱渡……」
教室を出る前に1人の男子生徒に呼び止められた。無視する訳にもいかないので、明嗣は2人へ先に行けと手で伝えて生徒の呼びかけに応じる。
「どうした?」
「あの二人って持月と彩城だよな? 仲、良いのか?」
「仲良いっつーか……。鈴音とはバ先が一緒で、彩城はバイトしてたらたまたま絡まれてる所を助けて、そこからよく話すようになったっつーか……」
武器を担いで夜の街を駆け回っている、という訳にもいかないので、明嗣はできるだけぼかした形で答えた。すると、男子生徒は羨望の眼差しを向ける。
「マジかよ……。羨ましい……! あの二人、B組のツートップだぞ」
「ツートップって何の?」
「一年男子の人気女子ランキングだよ! 知らねぇのか!?」
「初耳だ……」
い、いつの間にそんなモンが……。
突如湧いて出た情報に、明嗣は困惑を誤魔化すように苦笑いを浮かべた。基本的に独りを好む弊害がこんな所で出る事になろうとは……。どう反応したものか困っていると、男子生徒が明嗣の肩を掴んだ。
「ちなみに、男子生徒部門はこの間までお前がトップ独走だったけど、ヴァスコが来てからはアイツとトップ争いしてる状態だ」
「そうなのか。アイツ、人当たり良いからなぁ……。つーか、男子バージョンもあるし、俺がトップかよ……」
「それよりも、どっち狙ってんだ? ノリ良さそうな持月か? それとも清楚系の彩城か?」
ここまで来たらもう呆れるしかなかった。明嗣はげんなりとした表情を浮かべて首を横に振る。
「どっちも狙ってねぇよ……。そもそも恋人募集してねぇし」
「マジか!? 募集かけたらモテモテそうなのにもったいねぇ……」
「話、そんだけならもう良いか? そろそろ鈴音がはよ来いって言いに来そうな気がする」
「そうだな。それじゃ、どっちかと付き合う事に教えてくれよな!」
「だからその気はねぇって。じゃあな」
別れの挨拶をして教室を出る明嗣は、疲れた表情を浮かべていた。そして、これからの付き合いも考えた方が良いだろうか、と考えながら鈴音と澪を追いかけ始めた。
一方、先に昇降口へ向かった鈴音と澪は……。
「へくちっ!」
「くちゅん!」
同時にくしゃみをした後、ポケットティッシュで鼻をかむ。そして、背中に寒気が走ったのか、鈴音はブルリと身体を震わせた。
「うぅ〜……風邪ひいちゃったかな……」
「誰かが噂してるとくしゃみが出るって話もあるよね」
かんだティッシュをゴミ箱を放り込んだ澪は、ついでとばかりに自動販売機で温かい飲み物の品定めを始めた。普段なら温かいミルクティーを選んでいる所だが、今はちょっといつもと違う物を飲みたい気分だったので、コーンポタージュを選択した。
プルタブを上げて一口すすると、いつの間にか温かいレモンティーを購入していた鈴音がコーンポタージュの缶を眺めながら口を開く。
「コーンポタージュって最後まで飲むの難しいよね〜。アタシ、どうしても何粒か中に残して捨てちゃうの」
「あ、それね。こうやって中身を回しながら飲むと最後の一粒まで綺麗に飲む事できるよ」
中身を攪拌するように澪が軽く缶を振ってみせると、温かいペットボトルで暖を取っている鈴音が驚きの声を上げた。
「え、そうなの!? 今度試してみようかな?」
「回すとコーンがスープの中で舞い上がるから飲みやすくなるんだって」
「へぇ〜。いい事聞いちゃった」
などと、話していると後を追ってやってきた明嗣も合流した。
「悪ぃ。待たせた」
「あ、お疲れ様〜。話って何だったの?」
鈴音がペットボトルのキャップを捻りながら尋ねると、明嗣はげんなりとした表情を浮かべた。
「別に大した事ねぇよ。英文の訳し方教えろとかそういうのだ」
「高校上がってからさらに難しくなったもんね〜。え、待って。明嗣、英語できるの?」
「当たり前だろ。でなきゃ、一人で海外なんて行ける訳ねぇよ」
「じゃあさ! 分からない所いっぱいあるから教えて! このままだと定期テストで赤点取りそうなの!」
しまった……。
まさか、「お前らが人気ランキングトップツーだって話をしていた」などと言えるはずもなく、適当に捻り出した言い訳だったのだが、どうやら別の面倒事を引き込んでしまったらしい。
このままでは、鈴音のおかげでまた休日が潰れる事態になりかねないので、明嗣は強引に話題を変えようと試みる。
「それより、朝の話だ。ちょうど彩城もいるから結果から言う。案の定クロだったから、脅しかけといた。とりあえず、アイツがちょっかいかけてくる事はもうねぇはずだ。つまんねぇ事で迷惑かけたな」
「う、ううん! 大丈夫だよ! 気にしないで! むしろ、こっちこそいらない手間をかけさせちゃってごめんっていうか……」
澪はあたふたとした様子で答えた後、しゅんとした様子で逆に明嗣へ謝罪した。本当はお礼を言うべき所なのか、それとも脅した事をやり過ぎだと咎めるべきなのだろうか。どれが正解なのか分からず、澪は申し訳ないと言いたげな表情を浮かべる。そして、本当に申し訳ないのは、それでも餌にするための行動なのではないか、疑る自分がいる事だった。
そんな心境を知ってか知らずか、今度は鈴音が結果報告を始める。
「残念な事に、アタシの方は大ハズレで明嗣が何か酷い事を言ったから、とかそういう訳じゃなかったよ。でも、思う事があるんだよね。ねっ、澪?」
「えっ、ちょ、鈴音ちゃん!? そんないきなり……」
まだ心の準備ができてないのにも関わらず、いきなり本題へ突入した鈴音へ抗義する澪。対して、鈴音は「何か問題でも?」と言いたげにキョトンとした表情を浮かべた。
「だって、明嗣を呼んだのはこのためでしょ?」
「でも、あたしにだって心の準備があるよ! もっと時間を置いて整理をつけてからの方がいい……」
「それ、すぐ解決できる問題を先送りにしてるって言うんじゃない?」
「それは……そうなんだけどぉ……」
澪はちらりと明嗣の表情を確認する。明嗣の表情はなんとなく察していて、本人の口から出てくるのを改めて待っている、といった表情だった。そんな明嗣の表情を受け、鈴音はさらに澪へ畳み掛ける。
「それにさっき言ってたでしょ? 脅しをかけといたって。きっと、明嗣も澪が思っている事をなんとなく分かっているよ。だから、思い切ってぶつけてみなって! それとも、そのままずぅーっとモヤモヤしたままでいる?」
それはいやだ。ずっと友達を疑ったままなんてそんなの、絶対にそのままにして良いはずがない。でも、同時にこれが本当に当たっていたら、という不安もある。
澪は深呼吸して自分がどうしたいのかを胸に問いかける。そして、答えを出した澪は勇気を持って明嗣へ思っている事を口にした。
「明嗣くん、ヴァスコくんがあたしを餌に使おうと考えているんじゃないかって言ってたんだけど、そんな事ないよね? 明嗣くんはそんな事考える人じゃないよね?」
言ってしまった。賽を投げた。これでもう後戻りはできない。明嗣から何を言われても文句は言えない。
澪は明嗣が答えるのをジッと待った。表情を伺ってみると、明嗣は迷うような表情を浮かべていた。その表情で澪の不安感は一気に肥大化していく。やがて、明嗣も言う決心が着いたのか、軽く息を吸い込んで吐いてから口を開いた。
「悪い、その質問には答える事ができねぇ」
「ちょっと明嗣!? 何言ってんの!?」
そんな事ない、と答えるとばかりに思っていた鈴音が驚愕の声を上げた。対して、明嗣は構うことなく今度は逆に一つの質問を澪へ投げかけた。
「もし、ここで俺がそんな事ないと答えたとして、彩城は納得はするのか?」
真っ直ぐに明嗣は澪の目を見据えていた。驚いていた鈴音も冷水を浴びせられたような表情で明嗣を見る。一方、澪は何も言えずに、ただ明嗣を見つめ返すだけ。明嗣は何も言えないでいる澪へさらに続ける。
「たぶん、俺がどんな答えを言っても彩城は安心するだけで、納得はしねぇと思う。対症療法と同じさ。ここで安心したとしても、なんかの拍子にまた俺のことを疑うだろ。違うか?」
「そんな事……!」
途中まで言いかけて、澪は口をつぐんだ。以前にアルバートから言われた事があった。“もっとよく考えて物を言う事を覚えた方が良い”、と。
おそらく、今はその“よく考える”時なのだろう。
「明嗣くんの言う通りかもね……。安心したいだけなのかな……。じゃあ、ずっと明嗣くんを疑わないといけないの?」
「そりゃ、彩城次第だろ。だから、疑いたきゃ疑えば良いし、信じたきゃ信じりゃ良い。彩城の自由さ」
明嗣の言う通りだ。人の事を信じるのは当人の自由。また、疑うのも当人の自由。だが……。
信じたいのに疑ってしまう時はどうすれば良いの……?
澪の迷う瞳が明嗣へ向けられる。命を助けてくれた人を疑いたくない。それでも、疑うしかない時だってある。そんな時はどうすれば良い?
答えが分からず、助けを求めるように澪に見つめられた明嗣はまっすぐ澪を見据えたまま、「ただ」と続ける。
「約束は守る。それは保証する。縁切るつもりで記憶消したのに戻ってきちまったんだ。だから、責任持って助けて欲しい時は努力する約束は必ず守る。もちろん、信じろとは言わねぇし、納得しろとも言わねぇ。これも彩城の自由だ。だから、これ以上俺から言える事はねぇ。あとはお前が決めろ」
我ながら酷い事を言っているな、と明嗣は心の中で自嘲した。ここで欲しい言葉を口にして、澪を安心させる事を言うのは簡単だ。だが、それは互いを甘やかすような気がして、できなかった。なぜなら、それはホストだとか、自分が軽蔑するいわゆる“女を泣かせて笑う男”がするやり方だから。よって、明嗣はあえて澪が欲しいんだろうなと思う言葉は言わない事にした。それで澪が離れていくなら結局はそこまで。やる事は変わらない。澪と出会う前と同じように闇の中で吸血鬼共を狩るだけだ。明嗣にとって大した問題ではない。
言うべき事は言ったと思う。あとは澪次第だ。明嗣はじっと澪の返事を待つ。黙って話を聞いていた鈴音も、澪へ視線を向けた。
澪は明嗣が言った事を反芻した。やがて、答えを出した澪は少し複雑な心境を滲ませるような笑顔を浮かべる。
「明嗣くん、不器用なんだね。嘘でも良いから『信じろ』とか言えば良いのに」
「そんなの、ただの馴れ合いだ。そんなヌルい関係、俺はごめんだね」
馴れ合いは人を腐らせる毒だ。だから、明嗣は否定する。たとえ、それが対立を招くとしてもそれは変わらない。
話は終わったとばかりに明嗣は昇降口で靴を履き替えて歩き始めた。残された澪と鈴音は二人で顔を見合わせる。
「澪、あれで良いの? もっと、こう……何か言う事もできたんじゃない?」
「良いの。きっと明嗣くんはさっき言った答えしか言えないと思う。だから、あとはあたしが考えるよ」
答えた澪も昇降口で靴を履き替えて、明嗣の後を追いかけるように駆け出した。そして、最後まで残っていた鈴音は釈然としない表情をしていたが、やがて考えても仕方ないと結論付けて二人の後を追いかけた。
その夜……。
飛び込みで1件入ってきた吸血鬼狩りの依頼を片付けた明嗣は、帰宅するべくブラッククリムゾンを走らせていた。
えーっと……帰る頃にやってるアニメはなんだったかな……。
面白くなかったらネット端末を用いてサブスクリプションサービスで配信中の物でも観ればいい。せっかくだから、コンビニに寄ってポップコーンとコーラを買って何か映画でも観ようか。明嗣の心はもう、帰宅した後へ向かっている。だが、明嗣の計画を阻むように突然、目の前に人影が現れた。明嗣はすぐにブレーキレバーを握りしめて急停止する。
「危ねぇな! どこつっ立ってんだよ!」
いくら公道は歩行者優先とはいえ、道路の真ん中に立っているのはあんまりだろう。明嗣はヘルメットのバイザーを上げて、進行方向に立ち塞がる人影へ怒鳴った。真っ赤なローブに身を包んだその人影は、ローブのフードを頭から取り去ると、その素顔を明嗣の前に晒した。
ブラッククリムゾンのライトが照らすその顔は、病的なまでに肌がまっ白。さらに瞳は血のように瞳が赤く、あご周りが毛穴に剃った髭が埋まっている、いわゆる青髭と呼ばれる状態だ。そして、極めつけは身体中の血管をなぞるように張り巡らされた明嗣が視る事ができる吸血鬼特有の“黒い線”。間違いなく、目の前に立っている奴は吸血鬼と断定するのに十分な証拠が揃っていた。
明嗣はすかさず、ホルスターからホワイトディスペルを抜き、青髭の吸血鬼へ銃口を向けた。
「お前、吸血鬼か」
「あぁ……ジャンヌ……! あなたの導きに感謝します……!!」
「はぁ?」
突然、天を仰いで感謝を述べる謎の吸血鬼に対し、明嗣は困惑の表情を浮かべた。一方、謎の吸血鬼は明嗣に対して跪くと自己紹介を始めた。
「はじめまして半吸血鬼。私はジル・ド・レと申します。あなたをお迎えに上がりました」
銃を向けたまま、明嗣はなおも困惑の表情で固まってしまった。
そして、その一連の様子を物陰から伺っていたヴァスコはスマートフォンを取り出すと、画面に指を滑らせて耳に当てた。
「シスター・クルースニク。標的が接触してきました。至急、来てください」




