第52話 警告
翌朝。学校へ登校した明嗣はいつものように自販機の前に立ち、飲み物のラインナップとにらめっこをしていた。
今日は何を飲もうかね……。
相も変わらず半分眠った状態の頭で飲み物の品定めをする明嗣。すると、仲良く話す女子2人の声も近付いてきた。チラリと横目で確認するといつもと変わらず、仲良く話している澪と鈴音の姿を捉えた。そして、澪と鈴音も明嗣の姿を見つけたので、鈴音が手を振って挨拶する。
「おはよっ! 相変わらず眠たそうな目してるね〜」
「ほっとけ。元からだ。そっちこそ相変わらず朝からハイテンションでやかましいな」
「だってアタシはバッチリ睡眠時間確保してるし。て言うか、やかましいってずいぶんな言いようじゃない? ねっ、澪!」
いつもと変わらない調子で鈴音が澪へ話を振る。それを受け明嗣は、「そうだよ。朝から元気なのはいい事じゃない」とか言われるのだろうと思って、口を返す準備をした。だが、当の澪は……。
「え? あ、うん……。そうだね……」
と、上の空で相槌を打つだけだった。心なしか、明嗣と目を合わせるのを避けようとしているようにも見える。その反応に引っかかりを覚えた鈴音は首を傾げた。
「あれ? 澪、どうかした?」
「え? あ、ううん! な、なんでもないよ?」
「そうか? なんか、心ここにあらずって感じに見えるぜ」
さすがに様子がおかしいと感じた明嗣も声をかけてみるが、澪は首を横に振って答える。
「大丈夫だよ……。あたし、今日は日直だから先に行くね」
まるで早くこの場から去りたいかのような足取りで澪はそそくさと去ってしまった。それを受け、鈴音が疑るような視線を明嗣へ向ける。
「明嗣、澪に何したの」
「はぁ!? なんで俺がなんかやった前提なんだよ!?」
「澪を困らせる原因の候補が明嗣しかいないからでしょ! 笑えない悪趣味なブラックジョークで傷つく事を言っちゃったとか!」
日頃の行いという奴なのか、鈴音は明嗣がやったという前提で話を進めようとする。だが、明嗣も本当に何もした覚えがないので、もちろん否定した。
「ザッケンナコラー! そもそも彩城がマジに困るレベルの事やって俺に何の得が……いや、待てよ?」
とは言いつつ、もしかして気付かない内に何か言ってしまったかも、と昨日の記憶を辿りながら抗議する明嗣は一つ心当たりを見つけた。たしか、昨日は新聞部の活動で澪がA組の教室へヴァスコを訪ねてきたはずだ。もし、何かあったとするなら、そこを探るべきかもしれない。
だが、鈴音はその出来事は知らないので構わずに明嗣をつつく。
「ほらー! やっぱりなんか言ったんじゃん!」
「だから、俺じゃねぇよ! ったく……。とりあえず、鈴音は昼休みぐらいに彩城から話聞いてみろ。俺も心当たりのある奴に聞いてみる」
「本当に? これで明嗣が何かやったってなったら――」
「いい加減にしねぇとはっ倒すぞ、テメー」
低く威嚇するような声音で明嗣が凄むと鈴音は引きつった笑みを浮かべ、ようやく口撃する事をやめた。これでやっと収まったか、と疲れた表情で肩を落とした明嗣は、鈴音を置いて自分の教室へ向かった。
昼休みになったので、明嗣はさっそく行動を開始した。まずは購買部に移動し、本日の昼食としてホットドッグを1つとボールペンを1本購入する。その後、自動販売機で飲み物として缶コーヒーを食事中の飲み物用と食後のコーヒーブレイク用に2本購入した。そして、次にボールペンの包装を開封しながら、人気のない所へ向かうためにしばらく歩く。そして、昼休みの談笑をしながら食事中の生徒達が完全にいなくなったタイミングで、明嗣は空き教室に足を踏み入れて物陰に身を潜めた。数秒ほど待っていると、慌てて追いかけてきたのか慌ただしい足取りでもう一人、教室の中に入ってくる。明嗣は即座にその人物の背後を取ると、首に手を回した。そして、空いた手で喉元にボールペンの先を突きつけた。
「よぉ、腐れ神父。探しているのは俺か?」
明嗣の質問に対して、慌てて追いかけてきた人物、ヴァスコは両手を上げた状態で返事をする。
「なんだ、アーカード。これはあまりよろしくない真似ではないのか?」
「こうでもしねぇと何されるか分かったモンじゃねぇからな。恨むんなら俺の好感度を稼いでおかなかった自分を恨め」
「参考にしておこう。だが、こんな物で私を殺せると本気で思っているのか?」
「鉛筆で3人ぶっ殺す事ができる殺し屋が映画にいるんだ。映画みてぇに、とはいかなくてもボールペンで1人くれぇは確実にいけると思うぜ。なんなら、今ここで試してみっか?」
ボールペンの先がヴァスコの喉仏に触れる。これだけで明嗣は本気だと伺えた。本気の殺意が向けられた時特有の寒気を背筋に感じたヴァスコは、素直に敗北を認めた。
「分かった。話をしようじゃないか。いったい用件はなんだ」
「昨日、B組の彩城澪と一緒にいたよな? いったい何を吹き込んだ」
「あぁ……その事か。別に大した事は言っていない。ただ、彼女はお前の正体を知っていたようだから気をつけろと言っただけだ」
「んな回答で納得すると思ってんのか? それだけで今朝あんなによそよそしい態度をする訳ねぇだろうが。おかげで俺が疑われて散々だったんだからな」
「それは困るだろうな。いざという時に吸血鬼を釣る餌に使えなくなるのは」
「アァ?」
「彼女と親しくしているのは餌として利用するためなのだろう? だから私は、そうならないように警告しただけだ」
なるほど、そういう事か。
だいたい話が読めた。おそらく、ヴァスコの警告とやらのおかげで澪が餌にされるんじゃないか、と不安がっていたという所だろうか。おぼろげながら事情が見えてきた明嗣は、ヴァスコの首を締める腕の力をさらに強めた。
「ハッ。それはテメェらの十八番だろ。神の名の下なら何でも許されると思い込んだイカれ集団め。俺はそんな事は一ミリも考えた事ねぇんだよ。これ以上アイツにくだらねぇ事吹き込んだらマジに殺すぞ」
冷たく低い声音で警告した明嗣は、苛立たしげに手に持ったボールペンを壁に向かって投げつける。風切り音と共に空気を裂いたボールペンは、的に当たったダーツの矢のように真っ直ぐに壁へ突き刺さった。その後、ヴァスコを解放した明嗣は空き教室から出て、昼食を食べる場所を求めて再び歩き出す。一方、解放されたヴァスコは襟と一緒に乱れた息を整えると足早に明嗣を監視するべく追いかけた。
余談だが、この日の放課後に秘密の逢瀬を楽しみに来たカップルが綺麗に突き刺さったボールペンを見つけた事で生徒達の間で噂が広まり、交魔第一高等学校に「妖怪ボールペン刺し」という怪異が誕生する事となった。
その頃、不本意だが明嗣に指示された通りに鈴音も澪から話を聞くべく声をかけていた。
「澪、お昼食べよ!」
「うん。ちょっと待ってて」
返事をしながら澪はスクールバッグの中から弁当箱を取り出した。そして、互いに弁当箱を広げて食べ始める。ある程度食べ進めた所で、澪が感心したような眼差しで口を開いた。
「いつも思うけど鈴音ちゃんのお弁当って綺麗に盛り付けされてて美味しそうだよね。自分で作ってるの?」
「まぁね〜。前に他の料理を明嗣に食べさせた時があったんだけど、その時にめっちゃ酷評されて悔しかったからすっごい練習したの!」
「そ、そうなんだ……。へぇ〜……」
朝の時と同じように澪の表情に陰が差した。切り出すならここか、と判断した鈴音はさっそく本題に入る。
「澪、明嗣と何かあった?」
「え!? な、なんで!?」
「いや、その……今朝、なんか明嗣に対してよそよそしいなぁ〜と思ってね? だから、何かあったのかな、と思ったんだけど……違った?」
「な、何もない何もない!」
「あ、2回言った」
2回同じ返事を繰り返すのは否定の意味。つまり、明嗣は心当たりがないようだが、少なくとも澪には思う事があるのだろう。
「正直に話しちゃいなよ。ほら、ハンバーグあげるから」
鈴音の箸がミニハンバーグをつかんで澪の弁当箱へ運んでいく。だが、澪はそれを拒否した。
「大丈夫だよ! これはあたしの問題だし……」
「あのね、澪。気づいてないかもしれないけど、そうやって暗い顔されるとアタシすっごい気になるの」
「その……ごめん……」
申し訳ない、といった表情で澪は肩をすくめた。それを受け、鈴音は慌ててフォローした。
「あ、その……責めてるわけじゃなくて……。とにかく、困っているんなら相談してほしいな〜って話。暗い顔してるとさ、アタシは凄い気になるんだよね。だからさ、遠慮なく言ってよ。できるだけ力になるから」
「じ、じゃあ……」
澪は昨日ヴァスコから言われた事を鈴音に話した。そして、それを受けて自分の中に芽生えた疑念も。全てを聞いた鈴音は神妙な面持ちで感想を述べた。
「なるほどねぇ……。明嗣が澪を餌にしようとしてるんじゃないかって言われた、と……」
「ねぇ、鈴音ちゃん。明嗣くんはあたしの事、どう思ってるのかな? 友達なのかな? それとも吸血鬼を釣る餌なのかな?」
「それはないよ。どんなに明嗣の性格が悪くても、澪を餌にするなんて絶対にない」
「そうなのかなぁ……」
「あのね、澪。もし、明嗣がそのつもりなら、一回記憶を消して離れるなんて事はしないよ? 記憶を残しておいた方が絶対にうまく行くはずだもん」
「そう言われたらそうなんだけど……」
筋は通っているが感情では割り切れないのか、澪の表情は依然として暗い。痺れを切らした鈴音はスマートフォンを取り出した。
「なら、本人に直接聞いちゃおう! それなら面倒もなくスムーズに解決だし! あ、もしもし明嗣? 放課後さぁ……」
「ちょ、鈴音ちゃん!?」
慌てて止める澪に構わず、鈴音は放課後に教室で待っているように明嗣に連絡した。受話器の向こうで不満を垂れていた明嗣だったが、朝の結果報告を済ませておこうと考えたのか、渋々ながら承諾した。通話を切った後、鈴音はにっこりと笑顔を浮かべる。
「はい、あとは二人でゆっくり話し合えばおしまい!」
「もう……。展開が早くて心の準備ができてないよ……」
「大丈夫! アタシも一緒にいてあげるから!」
「大丈夫かなぁ……」
あまり気乗りしないのか、憂鬱そうに澪はため息を吐いた。できるならこのままにしておきたい、といった心境が表情からありありと伺える。
だが、澪の心境などお構いなしに授業は何も問題が起こらず、スムーズに進行して放課後を迎える。
そして、鈴音に引っ張られる形でA組の教室を訪れた澪は約束通りに待っていた明嗣と対面した。




