第49話 新たなビッグトラブル
時計の針は午前0時を回った。港で行われたヴァスコとの戦闘は突如現れたミカエラ・クルースニクにより、中断という形で終わった。そして、明嗣と鈴音はヴァチカンの祓魔師2名がわざわざ日本へやってきた理由を聞くために、Hunter's rustplaatsへ案内する事となった。
到着するまでの間、一同は終始無言だった。やがて、店に到着して出入り口を開いた時に明嗣が沈黙を破った。
「マスター、戻ったぞ」
「おう、お疲れさん。どうだっ……」
アルバートは仕事終わりの一杯として淹れたアイリッシュコーヒーのカップをコースター置き、一仕事終えた明嗣と鈴音を出迎えるつもりで席から立つ。だが、やってきたのが明嗣と鈴音の二人だけではないと分かった瞬間、アルバートは何かただ事ではない雰囲気を感じ取った。
「何かあったみたいだな」
「あったどころの話じゃねぇよ。おい、入れ」
明嗣が険しい目つきで背後へ呼びかけると、ヴァスコとミカエラの二人が店の中へ足を踏み入れ、最後尾に鈴音が入る形で全員入店した。だが、店に入ってきた者達の間に流れる空気には棘が混じっている。一目で分かるほど険悪なムードの様子を受け、アルバートはひとまず事情を確かめる事にした。
「その二人はいったい誰なんだ?」
「ヴァチカンの神父と修道女」
「……なんだって?」
「だから、ヴァチカンの祓魔師御一行様だよ。なんでも俺達に話があるんだと」
壁に背を預けてつまらなそうに答える明嗣は、おもむろにホワイトディスペルを手にすると、指先でクルクルと回して弄び始めた。一方、最後尾の鈴音はジッと警戒するようにヴァスコとミカエラを睨んでいる。そして、ヴァスコとミカエラは初めて来たという事もあり、興味深げに店内を見回している。ひとしきり店内の観察を終えるとミカエラが口を開いた。
「Buonasera。それじゃ、改めて自己紹介から始めるわ。私はミカエラ・クルースニク。さっき、半吸血鬼の坊やが言った通り、ヴァチカンで祓魔師として吸血鬼を狩っているの。で、この金髪の仏頂面くんがヴァチカンの吸血鬼殲滅部隊、執行者期待の星のヴァスコ・フィーロくん。よろしくね」
朗らかに自分とヴァスコの紹介するミカエラだったが、彼女とヴァスコへ注がれる明嗣と鈴音の視線は氷のように冷ややかである。いつも口喧嘩してばかりの印象を持つ反りが合わない2人がここまで同じような反応を取るとなると、よっぽどの事があったと伺えた。
「あー……その……お前ら、何があった?」
恐る恐るといった口調でアルバートが呼びかけると、今まで黙り込んでいた鈴音がやっと口を開く。
「逆さ吊りにされてスカートの中を見られる所だった」
「機関銃で挽き肉にされかけた」
なるほど。よっぽど酷い目に遭ったようだ。鈴音の後に明嗣が続いて2人の反応が冷ややかだった理由は理解した。しかし、片方だけの言い分を鵜呑みにするのは、いくら関わり合いになりたくない者達とはいえ不公平なので、アルバートは次に客人2名から事情を伺う事にした。
「と、ウチの奴らは言ってるが間違いないか?」
「その……そう言われるとそうなんだけど……。さて、どこから話しましょうか……」
ミカエラが頭痛を押さえるようにこめかみに指を当てると、ヴァスコがホワイトディスペルをクルクルと回している明嗣を睨みながら耳打ちする。
「シスター・クルースニク。説明したとしても理解できるとは思えません。やはり、この場であの半吸血鬼を……」
「ヴァスコは口を挟まないで。話がこじれる。元々はあなたの暴走でこんな事になったんだから」
ヴァスコの進言をミカエラがピシャリと一蹴し、腕を組んで考え込む。やがて、考えがまとまったのか事の仔細を語り始めた。
「まずは……そうね。やっぱり、まずは私達が交魔市に来た理由から説明した方が良いわね。本来ならこんなに遠い所まで足を伸ばすなんて事がないんだけど、カソリック始まって以来の一大事だから来ざるを得なかったのよ」
キリスト教最大宗派であるカソリックの一大事。信徒ではない明嗣や鈴音も自然と身構えてしまうような言葉が飛び出してきた事で場の空気は緊張感で引き締まった物に変わった。Hunter's rustplaatsの吸血鬼ハンター全員の視線がミカエラに注がれる。
「あなた達、ジル・ド・レって名前を聞いた事ある?」
「ジル・ド・レ……たしかフランス革命で戦ったオルレアン騎士団の中にいた騎士の名前だな」
その名を聞いたアルバートは少し嫌なものを目にしたかのような表情を浮かべた。すると、鈴音が要領を得ないような表情で手を上げた。
「ジル・ド・レってどんな人……?」
「ジル・ド・レってのは『救国の英雄』とまでに呼ばれる程力を持った騎士だ。まっ、俺に言わせりゃ、ジャンヌ・ダルクに取り憑かれたオルレアンの亡霊だな」
ガンプレイに飽きたのか、明嗣がホワイトディスペルをホルスターにしまいながら鈴音の質問に答えた。すると、鈴音はやっと分かる名前が来たとばかりに嬉しそうに答えた。
「あ、ジャンヌ・ダルクは聞いたことある! なんかリーダーシップがある女の人を表現する時、よく出てくる名前だよね! で、ジャンヌ・ダルクとそのジルって人はどんな関係……?」
話が進まない、と今度は明嗣が頭痛を押さえるようにこめかみへ指を当てる。だが、この調子だと事あるごとに質問しそうだったので、明嗣は端的にジル・ド・レについて説明を始めた。
「フランス革命の事は世界史の授業でやるだろうから省くとして……フランス革命の後、ジャンヌ・ダルクは処刑された事で気が触れて発狂したジル・ド・レは、ジャンヌ・ダルクの蘇生を目的に錬金術や黒魔術の研究にのめり込んでいったらしい。よっぽど心奪われていたんだろうな。で、おそらくその儀式の一環としてその地域の美少年と評価されたショタを攫っては強姦したり、儀式の贄にしたんだと。まぁ、“便所のネズミもゲロするような”って奴さ。惨い光景だったろうな……」
「え? 騎士って事はそのジル・ド・レって人、男でしょ? 男の子を強姦って……まさか……」
その内容にショックを受けた鈴音は思わず口元を手で覆った。明嗣はそんな鈴音に構うことなく話を続けていく。
「ちなみにジル・ド・レの黒魔術の研究には悪魔の召喚に関しての物もあったつー話だ。そして、いつしかジル・ド・レの被害者には噛み傷と血を吸った痕と見られる痕跡があったらしい」
おそらく、ジル・ド・レが研究していた物の中に本物があったのだろう。悪魔召喚に成功したジル・ド・レは晴れて異能を持った吸血鬼、真祖に成ったと思われる。
「で、今までの所業がバレたジル・ド・レはもちろん罪人として処刑される事となり、縛り首にされましたとさ。めでたしめでたし……ってのが表向きの話。そうだよな? カソリックの祓魔師さんよ」
ジトッと非難するような眼差しと共に明嗣はミカエラとヴァスコへ話を振った。すると、ミカエラが首肯してその続きを引き取った。
「当時は斬首や火炙りが主流だったはずなんだけど、なぜか処刑の日になる度にギロチンは刃こぼれしていて火炙りで使う薪はみ〜んな湿気って火が点かなかったらしいの。それで仕方なく縛り首って事になったみたい。でも、夜更けにはなぜか墓が掘り起こされていてジル・ド・レの死体は行方知れずになっていたそうよ」
「で、そのジル・ド・レが現代になって交魔市に現れた、と」
アルバートがミカエラの言わんとする事を確認すると、ミカエラが正解だと言いたげにアルバートを指さした。
「Indovinato! それで、まず最初にヴァスコにジル・ド・レ討伐の指令を与えたんだけど……」
ミカエラは本当に面倒くさいと言いたげにヴァスコの方へ視線を向けた。
「その半吸血鬼の坊やとウチのヴァスコが前に一悶着あったのを司祭が心配してね……。急遽、私にお目付け役をやれって話がやってきたって訳。それで急いで荷物まとめて交魔市入りしたのがつい一時間前。到着した時にはもうパーティーは始まっていたの。ほーんと、危なかった」
「私はただ仕事をしようとしただけです。責められる謂れはないと思いますが?」
ヴァスコが不服そうに答えるとミカエラがヴァスコの後頭部を叩いた。
「指令を曲解して事態をややこしくした奴が偉そうにしない。まったくもう……」
「なるほど? 来た理由の方は納得した。でも、それがどうやったら明嗣を殺せという風に曲解されるのかが分からねぇな?」
腕を組み、アルバートはジッとミカエラを見つめる。まるで「まだ言っていない事があるだろ」と目線で指摘するように、アルバートはミカエラを視線で射抜いている。すると、ミカエラは仕方ないとばかりに肩を落として答えた。
「ジル・ド・レが『吸血鬼と人間の理想郷を作る』とか宣ってね。それでその象徴として、そこの半吸血鬼の坊やを仲間に引き入れようって計画しているらしいのよ。そこで司祭がジル・ド・レの仲間になるようなら抹殺しろ、とヴァスコに命じて盛大にドンパチやらかしてた所を私が収めて、今こうなったの」
「は?」
とんでもない方向から飛んできたキラーパスに、明嗣は思わず呆けた声を上げた。すると、ヴァスコが明嗣を指差して告げる。
「神と敵対する悪魔の手先である吸血鬼と人間との間に生まれたお前が、ジル・ド・レの掲げる『人と吸血鬼の理想郷』の象徴にピッタリだと言っているんだ。仮にジル・ド・レの仲間となった場合、カソリックの教徒全員の信仰心が揺らぐかもしれない。だから、そうなる前に始末しろと司祭がおっしゃられた。つまり、今のお前は生きているだけでカソリック、ひいてはキリスト教の教えそのものを揺るがす存在なんだ。だからこそ、今ここで……」
「だから! まだ、そうなるって確証を得た訳じゃないから殺しちゃだめだっていってるでしょーが!」
あくまで明嗣を殺したくて仕方ないらしいヴァスコの頭をミカエラはもう一度叩いた。一方、とんでもなくスケールが大きい話の渦中にいると教えられた明嗣はと言うと……。
「結局はそれか。くだらねぇ……」
吐き捨てるように零した後、明嗣はポケットからブラッククリムゾンのキーを取り出して、店の入口へ向かった。その背中をアルバートが呼んで引き止める。
「おい、どこ行くんだよ?」
「帰って寝る。結局はキリスト教のメンツの話だろ? 俺はどっち側にも付かねぇ。勝手にやってろ。俺を動かしたきゃ亡霊の首に懸賞金掛けてから出直してこい」
「あ、おい! 待て! 話はまだ______」
バタン、音を立てて出入り口の扉が閉まると同時に、ドアベルが控えめに存在を主張するような小さな鳴き声を上げた。そして、30秒後に大排気量エンジンのエキゾーストが店内に小さく響く。
「ったく、アイツは……。まぁ、本人はああ言ってるし、今回はこれで手打ちって事にしてやっても良いがどうする? 手助けをしろというんなら迷惑料込みでそれなりに貰うが……」
仕方ない、言いたげなアルバートはため息を吐き、すぐさま商談モードへ意識を切り替えた。今回は向こうから仕掛けてきたケンカという事もあり、多少は強気に出てもバチは当たらないはずだ。だが、ミカエラは首を横に振って答える。
「いえ、あなた達の手は借りないわ。でも、あの子の監視はさせてもらおうかしらね。もしかしたら相手からあの子へアプローチがあるかもしれないし。それじゃ、話は終わったし、失礼させてもらおうかしら。ヴァスコ、行くわよ」
「はい、シスター」
ミカエラの呼びかけに従い、ヴァスコも店を出ようと歩き出した。そうして、店内にはアルバートと鈴音だけが残された。
「また面倒な話がやってきたモンだなぁ……」
「アタシ、ヴァスコ嫌い……」
翌日の朝。
「って、事があってさぁ……」
「うわぁ……鈴音ちゃん大変だったねぇ……」
通学中の雑談として昨夜の出来事を鈴音から聞かせてもらった澪は苦笑いで相槌を打った。すると、鈴音がよくぞ言ってくれたとばかりに返す。
「もうホントそれ! しばらくミニスカなんて嫌だって思ったもん! それに、また強そうな吸血鬼がうろついていてなんか企んでいるっていうし、もうめちゃくちゃ!」
「でも、明嗣くん大丈夫かな……。“切り裂きジャック”が現れた時みたいな事にならなきゃ良いけど……」
心配で澪の表情に影が差してしまい、空気が少し暗くなってしまった。すると、二人の行く先にに自販機で飲み物を選んでいる明嗣が現れる。
「あ、明嗣。おはよ」
「おはよう、明嗣くん」
二人から声を掛けられた明嗣は缶コーヒーのボタンを押すと、眠たげな表情と共に手を上げて挨拶を返した。
「んー。今日は二人でおそろいか」
「うん。偶然一緒になったからせっかくだし、お話しながら行こうかってなったの。明嗣くんも一緒にどう?」
「いや、遠慮しとく。はるか昔から“仲良しな女子2人の間に入る野郎には裁きの雷が落とされる”っつー言い伝えがあってな……」
「なにイミフな事言ってんの! ほら、明嗣もさっさと行くよ!」
半ば鈴音に引っ張り込まれる形で明嗣も同行する事になった。歩き出して早々に明嗣があくびをすると、気付いた澪が早速声をかけた。
「明嗣くん、寝不足?」
「まぁな。仕事があった夜はどうしても寝付きが悪くて……」
あくびを噛み殺しながら明嗣は缶コーヒーのプルタブを起こした。そして、中身を一息に煽るがカフェインが明嗣の眠気を追い払うまでには至らなかった。
「眠い……」
「あ、そうそう。今日って転校生が来るらしいんだよね。二人共、知ってた?」
いきなり澪が口にした情報に鈴音が驚きの声を上げた。
「え、何それ。初耳」
「なんか海外の学校から交換留学で来るんだって。転入するのはあたし達のB組じゃなくて明嗣くんのA組らしいんだけどね」
「へぇ……。どうでも良いけど女子っていっつもどっから聞いたんだよって言いたくなるくれぇ情報早いよな。いったいどうやって情報収集してんだ?」
「女子には女子のネットワークがあるんです〜」
「そうそう。女子は助け合いだもんね」
「さいですか……」
ね〜、と笑い合う鈴音と澪に対して明嗣はげんなりとしたように肩を落とした。どうやら、女の敵は女、という言葉は二人の間に存在しないらしい。
やがて、ホームルームの時間がやって来ると、担任教諭が開口一番、「今日は良い知らせがある」と告げた。
「今日からこのクラスに海外から新しい仲間が加わる事になる。皆、仲良くしろよ〜」
どうやら澪が言っていた事は本当だったようだ。しかし、興味が湧かない上に眠気で頭が働かない明嗣はつまらそうに頬杖をついて頭に残らない担任教諭の話を右から左へ聞き流して行く。
眠い……。
あくびを我慢しながら、退屈なホームルームの時間を耐える明嗣。だが、次の瞬間。退屈であるのは変わらないが眠気を吹き飛ばすには十分過ぎる程の出来事が起こった。
「それでは入って来い」
担任教諭が教室の出入口へ向けて教室の外で待機している転校生へ呼びかけた。すると、入ってきた人物を目にした明嗣は、驚愕のあまり口を大きく開いて絶句した。一方、入ってきた転校生は明嗣の事なんぞお構い無しに黒板に名前を書いて、机に座るクラスメイト達に対して向き直った。
「ヴァスコ・フィーロです。ヴァチカン市国という所からやって来ました。週末は教会でお手伝いをしていますので皆さんよろしければ遊びに来てください。よろしくお願いします」
いったいこれはなんの冗談だよおい……!?
転校生ヴァスコ・フィーロという目の前で起こってしまったどうしようもない現実を前に、明嗣は頭を抱える事となってしまった。




