第37話 いつもと変わらぬ夜、海の向こうで
寂しくなってきたんで、こっちでも第二章を公開してみる事にしました。よろしくお願いします。
それではスタートです。
交魔市を騒がせていた“切り裂きジャック”の凶行から時が経ち、日めくりカレンダーのページはゴールデンウィークまで進んだ。所々に戦いの爪痕が残ってはいるものの、街は日常を取り戻しつつあった。だが、街に潜む闇は変わることなく、獲物を求めて蠢いている。そして、件の“切り裂きジャック”騒動を解決するのに尽力した半吸血鬼の高校生吸血鬼ハンター、朱渡 明嗣もその街に巣食う闇を掃除するべく、今夜も夜の街を駆け回っていた。
はぁ……はぁ……はぁ……!!
タッタッタッ、と息を切らしながら走る音が夜の路地に響く。足音の主は、スパンコールがあしらわれた紫のドレスを着用しており、その上に白いジャケットを羽織っていた。ボディラインがくっきりと出る服装と、染めたと思われる金髪、そして数々のブランド物の化粧品が贅沢に使用されたであろう濃い化粧から、夜の仕事をしている女である事が伺える。そして、その背後からもう一人の人影が迫っていた。歩く度に膝のあたりで裾と襟から垂れ下がった真っ赤フードが揺れるロングコートを着た明嗣である。暗闇の中でも目立つ真っ白な髪や黒と紅の瞳を宿した双眸と言った特徴を持ってはいる物の、現在の明嗣はそんな事がどうでも良くなる物を右手に握っていた。それは、銃規制が厳しい法治国家である日本で暮らしているのなら、まずお目にかかることがない物。さらに十代の少年が握るには不釣り合いと言っていい、白銀の大型自動拳銃だった。
「なぁ、そろそろ鬼ごっこも飽きてきたんだけどな。しかも一般人を盾に使いやがって。いつまで続けるつもりだよ」
呼びかけた明嗣はつまらなそうにトリガーガードを人差し指に引っ掛けて白銀の銃、ホワイトディスペルをクルクルと回す。対して、ドレスの女は死にものぐるいで走りながら返した。
「アンタ、何なの!? どうして銃なんて持って私を追いかけて来るのよ!?」
「ハァ……そういう茶番はもう飽きたんだよな。俺にはいくら隠そうたって分かんだよ。さっさとかかって来いよ、吸血鬼」
その言葉を口にした途端、ドレスの女は脚を止めた。ぴたりと彫像のように固まった女の背中に明嗣は、畳み掛けるように淡々と言葉を続けて行く。
「キャバ嬢に紛れて獲物を品定めするってのは考えたモンだよな。酒が入ると警戒心が薄れるし、人が消えても溜まりに溜まったツケを取り立てようとした怖い人達に連れて行かれたと思われて、それで話は終いだ。いやはや、本当によくできたモンだ」
言葉に反して明嗣の口調はつまらなさそうな物だった。やがて、明嗣はクルクルと回る銃のグリップを掴むと撃鉄を起こす。
「けど、肝心な所でヘマやっちまったモンだから、よくできたシナリオが台無しになっちまうのさ。次からは噛み跡を着けた死体は自分で処理する事たな。ホテルに残しておくんじゃなくて」
しっかりと標的に狙いを定めた明嗣は引き金に指をかける。ダブルアクションの引き金が少し動いた瞬間、ドレスの女が崩れ落ちるように跪き、命乞いを始めた。
「お願い! 見逃して! アンタを聞いた事あるわ! 半吸血鬼の銃撃手でしょ!?」
自分の二つ名を口にした事で明嗣は感心したように口笛を吹いた。
「へぇ……俺の事知ってるのか」
「最近“切り裂きジャック”を仕留めたって噂になってたから! ねぇ、アンタはアーカードって吸血鬼の息子なんでしょ!? 同じ吸血鬼のよしみで見逃してよ!」
「半分だけな。つーか、吸血鬼って俺の事ぶっ殺してやるって息巻いてなかったか?」
「それは昔から生きている奴とその手下だけよ! 私はアンタに何かしようって気は全然ないわ!」
「そりゃ初耳だ。今まで会った吸血鬼はどいつもこいつも、アーカードの息子は殺す! って奴ばっかだったからなぁ……」
過去を振り返るように遠い目をした明嗣はふと悲しげな表情を浮かべた。すると、ドレスの女は優しげな声音で明嗣へ呼びかけた。
「私はそんな事を言わないわ。だって、戦うなんて怖いじゃない。お互いの命を狙い合うなんて馬鹿のする事よ。アンタもそう思わない?」
「まぁ、そうかもな。死んだらそれで終わりだし。わざわざ自分が死ぬかもしれない命の取り合いをするなんて……馬鹿げてる」
瞬間、かかった、と女は心のなかで微笑んだ。これがキャバクラに潜伏していた理由の一つだった。何も簡単に獲物を漁る事ができるから水商売をやっていた訳では無い。どんな風に話せば警戒心を解かせて懐に入ることができるか、どういう仕草をしたら男の気を惹く事ができるかなど、吸血鬼の魔眼で魅了するだけでは手に入れられないスキルを盗む事ができるから、女はこの仕事をしていたのだ。全ては戦わないため、それだけだ。こうして油断させてから背後から不意打ちをすれば、戦う事なく吸血鬼ハンターを返り討ちにする事ができる。事実、こうして明嗣は女の言うことに同意して、警戒心を解きつつあるのだから。
あとは、完全に警戒心が解けた所で背後から刺すだけ、と女は自分の勝ちを確信して俯いた顔に邪悪な笑みを浮かべる。しかし、明嗣は狙いをつけた銃口を外す事なく「けど」と続けた。
「戦わねぇと手に入れられないモンもある。それに……」
ズドン、と火薬が爆ぜる音が響く。明嗣は油断しきった女の脳天に対吸血鬼用に作られた10mm水銀式炸裂弾を撃ち込んだのだ。よって、頭部を跡形もなく吹き飛ばされた女の身体が、その場で崩れて灰の山を築く。
「戦いはしねぇけど殺しはするんだろ。引っ掛かるかよ、バーカ」
つまらなそうに吐き捨てた明嗣は、銃口からたなびく煙を振り払うようにホワイトディスペルを回してホルスターに納めた。その後、銃の代わりにスマートフォンを取り出し、画面に指を滑らせて電話を掛けた。
『Hunter's rastplaats』
「マスター、終わった。今日はもう疲れたからそっちに顔出さずに帰るわ」
『あいよ』
短いやり取りを終えた明嗣は通話を切ると灰の山に背を向けて歩き出す。しばらく歩いた後、最近手に入れたバイクであると同時に、父から受け継いだ戦車馬であるブラッククリムゾンの元へたどり着いた明嗣は、ハンドルに引っ掛けたヘルメットを手にした。やがてヘルメットを被り、あくびを噛み殺しながらスターターを押した明嗣は、帰宅するべく夜の街を走り出した。
時を同じくしてヴァチカン市国、ローマ法王庁。
キリスト教の宗派の一つ、カソリックの総本山であり、吸血鬼を狩るエキスパートの祓魔師の中でも精鋭が集まる吸血鬼殲滅部隊、通称執行者の統括運営を行う、吸血鬼に言わせればこの世でもっとも綺麗な場所である。
現在、このローマ法王庁にて、一人の祓魔師が部屋の扉をノックした。
「入れ」
中から入室の許可をもらった祓魔師は、ドアノブを回して部屋の中へ足を入れた。体格からまだ十代の少年である事が伺えるが、その表情は身にまとったローブのフードが隠している。やがて、書斎のデスクまで歩みを進めた少年は、デスクで資料のA4用紙の束へ目を通している黒い祭服に身を包んだ金髪の初老の男へ呼びかけた。
「ヴァスコ・フィーロ、召喚に応じ参上しました。いったいどういったご用でしょうか」
名乗った少年、ヴァスコの前で資料を読んでいるこの男は祓魔師を統括する司祭という立場であり、全世界に配置されたカソリックの教会に吸血鬼討滅指令を出す者の一人である。そして、この祓魔師の少年は執行者に籍を置く祓魔師であった。
「まず一つ目だ。日本にいる忌み子が目覚めた」
ヴァスコは司祭から差し出されたA4用紙の束を受け取り一番上のページを読んだ。書面には真っ白な髪と黒と紅の双眸を持った少年、明嗣が写っていた。
「最近だと英国で我々の邪魔をしたのが記憶に新しい不届き者だが、ついにその忌まわしい血の力を目覚めさせた。それに関連してだが……」
忌々しげな表情を浮かべた司祭は新たにA4 用紙の束を一つ取り出し、次の話題に移った。
「真祖ジル・ド・レより作られた『理想郷』の所在が分かった。場所は日本のA県交魔市だ」
司祭が地名を告げた瞬間、ヴァスコが纏う空気に緊張の色が加わった。なぜなら、その場所はついさっき話題の中心にいた明嗣が活動拠点にしている場所なのだから。目深に被ったフードの下で表情を引き締めているであろうヴァスコへ、司祭は今回ヴァスコを呼び出した用件、吸血鬼討滅指令の内容を伝える。
「ジル・ド・レの『理想郷』は我がカソリックにとって脅威になる物だ。滅ぼさねばならない。直ちに交魔市へ発ち、なんとしてもその計画を叩き潰せ。そして――」
司祭は一旦言葉を切った。そして、大きく息を吸い込むと交魔市に嵐を呼ぶ一言を口にした。
「忌み子がジル・ド・レの手に落ち、理想郷の象徴とするような事になる前に抹殺しろ」




