番外編その2 ホワイトデー
人生の中にはどうしても憂鬱な日という物が存在してしまう。月曜日の朝、定期テストの日、健康診断、その他諸々……。人によって様々だがそういう日は誰にだって存在してしまう物だ。
当然、人と吸血鬼の間に生まれた半吸血鬼にして、高校生吸血鬼ハンターである朱渡 明嗣にも憂鬱な日が存在する。
「学校……行きたくねぇ……」
Hunter's rustplaatsのカウンター席に突っ伏した状態で明嗣がうめき声を上げた。その隣で鈴音が不思議そうな表情を浮かべた。
「え? なんかそんな事になるイベントあったっけ? たしか今日ってホワイトデーでしょ?」
「ははは。鈴音ちゃん、明嗣がそんなになっているのはな、そのホワイトデーが理由なのさ。ほい、今日の朝メシ」
機嫌よく笑いながら、アルバートが鈴音の前と机に突っ伏す明嗣の隣に本日のモーニングセット、アウトスメイテルとグリーンピースを使ったエルテンスープを置いた。理由を聞いた鈴音はピンと来ないと言いたげに首を傾げる。
「ホワイトデーってバレンタインデーのお返しする日じゃん。それでなんでこんなんなっちゃうの? あ、そうだ。明嗣、ホワイトデーのお返しちょうだい」
突っ伏したまま、明嗣は鈴音の前に要求の品を一つ置いた。店でラッピングされたであろう菓子の包みの中には個包装のホワイトチョコレートが五粒入っている。ちなみに、バレンタインデーの時に渡すお菓子に意味があるように、ホワイトデーのお返しの菓子にもきちんと意味があり、鈴音に渡したホワイトチョコレートは「今の関係のままでいよう」、または「嫌いではないけど友達のままで」という意味だ。
「お前、俺が今年のバレンタインデーでどんくらいチョコもらったか知ってっか……? 鈴音と澪も勘定に入れて計20人近く……。それ全部に返礼品を用意しなきゃなんねぇ上に意味まで考えて仕分けするんだぜ……? 悪夢以外のなにものでもねぇよ……」
そう。明嗣が憂鬱な理由はこのホワイトデーの風習にあった。何が悲しくてこんなにモテる体質を手にこの世に生まれ落ちてしまったのか。義理、本命問わずもらったら返さねばならないこの風習に明嗣は正直うんざりしていたのだ。「そのままの関係でいよう」という意味のお返しを渡された事で涙を流した女子は数知れず、別れ際に口汚く罵られた事すらある。好印象を抱くのはおろか、憂鬱な気分になるのが人情という物だろう。
理由を聞いた鈴音は呆れた表情で当然の意見を口にした。
「そんなにお返しが大変なら貰わなきゃ良いじゃん。律儀過ぎ」
「はっ。甘ぇぜ、鈴音。お前と澪以外はみ〜んな宛先が書かれたカードと一緒に置き配で押し付けられてんだ。それでどうやって受け取り拒否しろってんだよ」
「そ、そっか……。大変だね〜……あはは……」
理由を聞いた鈴音は呻く明嗣を憐れみつつ、食事に手をつけ始めた。
「ほれ、明嗣もさっさと朝メシ食っちまいな。そこで嘆いていても現実は変わんねぇぞ」
「うぃ〜……」
アルバートに促されるまま、明嗣もスプーンを手にしてエルテンスープを飲み始めた。ある程度飲んだ所でナイフとフォークに持ち替えて、次はアウトスメイテルに手を付ける。ナイフでトーストの上に乗った目玉焼きの黄身を破いて中身を満遍なくトーストに行き渡らせ、一口大に切りながら口へ運んだ。
黙々と手を動かし、朝食を平らげた明嗣はスクールバッグを手に立ち上がった。
「ごっそさん。じゃ、行ってくるかなぁ……」
「頑張ってねぇ〜」
「チッ……。他人事だと思って気楽なモンだよな……」
面白がるように手をふる鈴音に対し、明嗣はジトッとした恨めしげな視線を送ってため息を吐いた。やがて、重たい足取りで明嗣が店を出たのを確認した鈴音は即座にスマートフォンを取り出して指を滑らせ始めた。画面に視線を落とす表情があまりに真剣だったので、アルバートは不思議そうに声を掛ける。
「どうした、鈴音ちゃん」
「さっきお返しもらった時、明嗣のバッグの中にとんでもない物があるのが見えたから澪に教えておこうと思って」
「とんでもない物? いったい何を見たんだ?」
澪へメッセージを送信し終えた鈴音は、顔を上げると神妙な面持ちで自分が目にした物を口にした。
「いっぱいあるホワイトチョコの包みの中にね、たしかに一つだけあったんだよ……。マシュマロとグミの詰め合わせの包みが確かに一つだけね……」
その意味を知るアルバートは一気に表情を引き締めた。なぜなら、ホワイトデーにおけるマシュマロとグミのプレゼントは「あなたが嫌いです」という意味なのだから……。
さて、学校へ向かう途中で合流した澪と鈴音はさっそく先程送ったメッセージについて話し合う事にした。
「鈴音ちゃん、さっきのメッセージって本当なの? 明嗣くんのバッグの中にマシュマロとグミの詰め合わせがあったって」
「ほんとほんと。勉強する時に食べるグミのパッケージが確かに見えたもん」
「それは……まずいかもね……」
事情を聞いた澪も一気に重大な事態が起きているかを理解した。通常、どんなに相手が嫌いだったとしても多少は濁すものだろうに、まさか直接的な物をお返しで渡すとは。しかも、一種類で十分なのに同じ意味のお菓子を詰め合わせで渡すとは、よっぽど相手が嫌いなのだろう。
「明嗣くんがそんなに嫌うなんていったい誰なんだろう……」
「う〜ん……全然分かんない……。でも、マシュマロとグミってどんだけ嫌いなのって話だよね」
と、話している内に学校に到着してしまった。上履きを履き替えて教室へ向かう道中、自動販売機で飲み物を品定めしている明嗣と遭遇した。
「おはよう、明嗣くん」
「んー。あ、そうだ。ほらよ」
気の抜けた声と共に明嗣が鈴音と同じホワイトチョコレートの包みを差し出した。
「ありがとう! あ、そうそう! あたしからもね、鈴音ちゃんと明嗣くんにホワイトデーのお返しがあるの!」
と、澪は自分のスクールバッグの中を探り、個別包装のバームクーヘンを取り出すと明嗣と鈴音に一つずつ差し出した。
「バームクーヘンって幸せを重ねるって意味なんだって。だから、いつも頑張ってる二人にいっぱい幸せが重なりますようにって思って」
「ありがと、澪! さっそく今日のデザートに食べるね!」
本日のデザートが手に入ったと喜ぶ鈴音。一方、明嗣は首を傾げてバームクーヘンを受け取る。
「俺、澪にバレンタインデーのプレゼントをした覚えはねぇけど?」
「限定メニューを考える時のアベックワッフル。あれの分だよ」
「そうか。そういや、あれチョコ練り込んでるんだもんな。んじゃ、そういう事ならありがたく」
納得した明嗣はスクールバッグの中にバームクーヘンを放り込んだ。その後、再び飲み物の品定めに戻る。澪はそんな明嗣に対し、遠慮がちに声をかけた。
「あのさ、明嗣くん」
「どうした」
人差し指で狙いを定めつつ返事をした明嗣へ、澪はさりげなく例の件について尋ねた。
「明嗣くんはこの後ホワイトデーのお返しをして回るの?」
「まぁな……。放課後に待ち合わせもあるしな……って、嫌な事思い出させんなよ……」
「えっ、明嗣。誰かから呼び出されてんの!?」
げんなりと肩を落とす明嗣に対し、鈴音が驚愕の表情を浮かべた。すると、明嗣は面白くなさそうに鼻を鳴らした。
「二人っきりでホワイトデーのお返しを渡して欲しいんだと。ったく、気が重くなるよなぁ……」
「だ、誰から呼び出されたの……?」
恐るおそる、澪は呼び出した相手を尋ねた。対して、明嗣は肩を落としたまま、ため息を吐いた。
「秘密に決まってんだろ。まっ、察してくれっつーこった」
本当に嫌なのか、答える明嗣の声は暗い。やがて、もう飲み物への興味を失ってしまったのか、Hunter's rustplaatsを後にした時と同じように重い足取りで階段を登って行ってしまった。
残された澪と鈴音は揃って顔を見合わせる。
「鈴音ちゃん、どう思う? あれ」
「どうやら、相当嫌いな相手と見たね。面白そうだから、放課後に尾行してみよっか」
「えぇ!? 駄目だよそんなの! 明嗣くん、怒っちゃうよ!?」
「じゃあ、澪は気にならないの? ホワイトデーで呼び出しと言えば、もう考えられる事は一つしかないよ?」
「うっ……そ、それは……」
キラキラと楽しげに目を輝かせる鈴音に反して、澪は迷うように目を泳がせた。やがて、昼休みに突入してもう一度鈴音に誘われた澪は、彼女と一緒に明嗣を尾ける事を決めた。
放課後に突入した。澪と鈴音は尾行しているのがバレないように明嗣の後ろを付いて行く。やがて、人気のない校舎裏にやって来た明嗣はスマートフォンを取り出して、校舎の壁に背を預ける。澪と鈴音はその様子を物陰から見守る事にした。
「うぅ……結局付いて来ちゃった……」
やはり後ろめたさがあるのか、澪は罪悪感の滲むような声で呟いた。対して、鈴音は楽しげに返す。
「まぁまぁ、ここまで来たんだから、切りかえて楽しむっきゃないよ! あ、誰か来た!」
話していると澪達がいる位置と反対の方角から一人の女生徒が駆け足でやってきた。自分の方にやってくる者の存在に気付いた明嗣は、スマートフォンをしまうと例のマシュマロとグミの詰め合わせをスクールバッグから取り出した。
挨拶を交わす明嗣と女生徒の様子を見守る二人は、明嗣にバレないようにヒソヒソと小声で話し合い始めた。
「あの子が明嗣を呼び出したのかぁ……」
「たしか明嗣くんと同じクラスの高村さんだよね?」
「たしか、そんな名前だった。うーん……この位置じゃ二人が何話してるか聞こえない……」
高村なる女生徒がモジモジと身をよじる様子から、恐らく何やら返事を待っている事が伺える。
「もしかして、バレンタインの時にガチ告白した……?」
「あの様子だとそういう事だよね……」
緊張の面持ちで澪と鈴音は様子を見守る。そして、ついに明嗣は例の包みを差し出した。高村は呆然の表情で受け取り、数秒経った後に顔を伏せて駆け出した。
事が終わり、澪と鈴音はそれぞれ感想をこぼし始めた。
「うわぁ……キツイなぁ……」
「ちょっと可哀想だね……」
「まぁ、でも仕方ないよね……。明嗣に何やったか知らないけど嫌われちゃどうしようもできないよ……」
「そうだね……。じゃあそろそろ――」
「そろそろどこに行くんだ?」
瞬間、澪と鈴音は凍りついた。二人を凍りつかせた声の主は静かだが威圧感のある低い声で続ける。
「なんか誰かが付いてきてるなと思ったら、お前らかよ。暇人か」
勇気を出して声のした方へ振り向くと、そこには呆れた表情を浮かべる明嗣の姿があった。もう逃げ場がないので、澪と鈴音は二人揃って引きつった笑みを浮かべて答えた。
「あ、あはは……。放課後に呼び出されたって言ってたから、どんな子に呼び出されたのかな〜、と思って……」
「そ、そうそう。明嗣くん、嫌そうにしてたからどうしたのかなと思って……」
「……本音は?」
声に威圧感は孕んだままだった。
あー……これは本気で怒ってる……。
明嗣の冷たい視線が鈴音と澪に突き刺さる。これは本当にまずいと感じた言い出しっぺの鈴音は深々と頭を下げた。
「本当にごめん! 面白そうな予感がしてつい魔が差しちゃった! 澪はただ付いてきただけだから、澪だけは許してあげて!」
「そんな事ないよ! 興味津々だったのはあたしもそうだし、本当にごめんなさい! 許して、明嗣くん!」
鈴音に続いて澪も深々と頭を下げた。対して、明嗣はただひたすらに沈黙したまま、頭を下げる澪と鈴音を眺めている。やがて、明嗣は疲れたように息を吐いた。
「頭上げろ。もう良いから」
「ほ、本当に……?」
恐るおそる確認した鈴音に対して、明嗣はスクールバッグを肩に担いで答えた。
「ああ。そこで頭下げてても仕方ねぇだろ。もう終わった事だし」
「本当の本当に?」
鈴音に続いて明嗣の機嫌を伺うように澪が尋ねた。すると、明嗣はジトッとした視線で返す。
「なんだよ。なら、頭下げたままここで一晩過ごすか?」
「う、ううん! 分かった」
慌てて澪は首を横に振った。
一度大きく肩を上下させた明嗣は、二人を置いて歩き出した。澪と鈴音はそそくさとその後に続く。そして、鈴音がふと口を開いた。
「そういえばさ、さっきの子フッた理由って聞いても良い?」
「なんでだよ」
「いやぁ、あそこまで泣いてるの見ちゃったらさ、なんか気になるじゃん」
「あたしも実は気になってたり……」
ちゃっかりと鈴音に乗っかる形で澪も主張した。すると、明嗣が苦虫を噛み潰したような表情で語り始めた。
「仕事で夜の街走ってたら高村がパパ活やってるの見ちまったんだよ。しかも、誰も聞いてねぇと思ってたのか、友達に『同い年の男子なんて無いわ〜。ブランドバッグ買ってくれないし。しかも童貞っぽくてキモイ』とか言ってるのが聞こえてきたんだよ。これだけでもう役満だろ」
ぐうの音も出ないほど至極真っ当な理由だった。
話を聞いた澪と鈴音はそれぞれ一本ずつジュースを買って、ひと仕事終えた明嗣にプレゼントした。
それでは、ヴァンプスレイヤー・ダンピールは一旦閉幕とします。第2章の更新が始まったらまた覗きに来てください。
それでは、またいつか




