番外編その1 バレンタインデー
それでは昨日予告した通り、今日はバレンタインデーに書いた単発回、明日はホワイトデーに書いた単発回を公開していきます。
今日はバレンタインデー回です。
それは2月初旬の事だった。
「な、なんだこりゃ……」
いつものようにHunter's rustplaatsへ顔を出した明嗣は店に入るなり、その光景を前に言葉を失って固まった。
鼻腔をくすぐるはカカオの香り、あたり一面に広がるはチョコレートを使った料理の山。そして、その前に座っているのは……。
「ねぇ、澪。どれが良いと思う?」
「う〜ん……チョコアイスをベースに考えるのも良いような気がする……。でも、ガトーショコラも捨てがたいなぁ……」
何やら鈴音と澪が目の前にあるチョコを使ったスイーツについて相談事をしていた。
アイツら、いったい何話してんだ……?
事態が飲み込めない明嗣は呆然と立ち尽くす。すると、厨房の方からアルバートがやって来た。
「おっ、グッドタイミング」
「マスター、こりゃいったいどういう事だよ。チョコ菓子専門店にでも転職するつもりか?」
「ンな訳ないだろ。そろそろバレンタインがやってくるからな。だから限定メニューでも作ってみようと試食してもらってたんだよ」
「あー……バレンタイン……バレンタインね……」
バレンタインの単語を耳にした途端、明嗣は遠くを見るような目で明後日の方向を向いた。
「どうした」
「いやぁ……今年はどんだけチョコ押し付けられるのかなと思って……」
「お前、今この瞬間をもって全国の野郎どもを敵に回したぞ」
呆れたような表情のアルバートに対して明嗣は力なく笑ってみせた。半分だけ吸血鬼の血が流れているせいなのか、明嗣は小さな頃から年上のお姉さんから年下のお嬢さんに至るまで引っ張りだこだった。だが、成長して物事を理解できるようになっていくと共に、いろんな物事の裏を目にした事でなるべく異性とは距離を取るようになり、そのような出来事は減った。だが、それでも。こういう日になると、半分だけの吸血鬼の血が猛威を振るい、定番の靴箱から机まで最後までチョコぎっしりのトッポデーと化してしまうのだ。
たしか、バレンタインにチョコ渡すのって今は日本だけだったっけ……。
他国だと花束を渡したりするのが主流なんだとか。現実逃避をする明嗣に対し、今度は限定メニューを選定する女子2名から声をかけられる。
「あ、明嗣。やほー」
「明嗣くんもこっち来て一緒にメニュー考えようよ。どれが良いかな?」
澪に意見を求められた明嗣はテーブルに並ぶスイーツ達の品定めに入った。どうやら、鈴音と澪のお眼鏡に叶ったメニューはガトーショコラ、チョコアイス、ティラミス、ショコラクッキー、生地にチョコを混ぜたショコラパンケーキの5つのようだ。だが、明嗣はその全部に難色を示す。
「お前らセンスねぇなぁ……。全部ありきたり過ぎるぜ」
「じゃあ明嗣なら何を選ぶって言うの」
いかにも小馬鹿にしたような口調の明嗣に対し、鈴音がジトッとした視線を向ける。すると、明嗣はなぜか鈴音の質問に答えず、アルバートに声をかけた。
「マスター、材料はまだ残ってるか?」
「ああ。残ってるぞ」
「そうか。んじゃ……」
アルバートの答えを聞いた明嗣はロングコートを脱ぎ、愛銃が収まったホルスターを腰から外すと、何を思ったか唐突にシャツの袖を捲り始めた。いきなり、何やら準備を始めた明嗣に対し、澪が困惑した表情で呼びかける。
「明嗣くん、いったいこれからどうするの?」
「まさか、これから作るとか言わないよね?」
暗に自分を満足させる物を作れるのか、と言いたげな表情の鈴音に対し、明嗣はニヤリと自信ありげな笑みを浮かべた。
「ああ。ちょっと待ってな。すぐにお前らの舌を納得させるモン出してやるよ。マスター、ちょい厨房借りるわ」
「おう、楽しみにしてるぞ」
ほぐすように身体を伸ばしながら厨房へ歩いていく明嗣は手をヒラヒラと振ってアルバートの呼びかけに応えてみせる。そして、手を洗った後に消毒用アルコールが入ったディスペンサーのヘッドを軽く叩いて手を消毒すると、冷蔵庫の中を調べ始めた。
「ねぇ、マスター。明嗣って料理できるの? イメージ無いんだけど……」
明嗣が厨房に入っていくのを見送った鈴音の表情は不安げだ。だが、不安な鈴音に反して、アルバートは余裕の表情で答える。
「実はここのデザートのいくつかは明嗣の発案でな。だから、期待して待っている価値はあるさ」
「へぇ〜、楽しみですね!」
話を聞いた澪が期待の表情で厨房を見る。一方、まだ半信半疑の鈴音は、いったいどんな料理が出てくるのか、怖がるような視線を厨房へ向けていた。
30分後……。
「ほい、出来上がり。俺が提案するバレンタイン限定メニューはこれだ」
戻ってきた明嗣は持ってきた料理を3人の前に並べた。やって来た料理を前に、鈴音と澪は不思議そうな表情を浮かべた。一方、この料理を知っているアルバートは満足そうな表情を浮かべる。
「なるほど。ストロープワッフルか」
明嗣が出した料理は以前食べた薄いワッフルでシロップを挟むオランダのおやつ、ストロープワッフルだった。だが、アルバートが出した物とは違い、生地がチョコの色だったり、生クリームが上に乗っていたりなど明嗣が作った物にはいくつかのアレンジが加えられている。
「正解。生地に板チョコ溶かして練り込んだ。これならひと手間加えるだけで簡単だろ? さらに中身も工夫したけど……これは食ってからのお楽しみっつー事で」
「ま、まぁ? 見た目が良くても味が良くないと意味ないもんね……」
思ったより本格的な物をお出しされ、わずかにたじろいだ鈴音はワッフルを手に取り、両手で握って一口かじる。澪も鈴音に倣って手に取り、口へ運んだ。すると、飲み込んだ澪が驚きの声を上げた。
「美味しい! これ挟んでるのはストロベリーソース?」
「ああ。ちょうど苺とか残ってたからソースにしてみた。それだけじゃないぜ。反対側からだと別の味になってる」
「ほんとだ! こっちから食べるとブルーベリーの味!」
言う通りに反対側からワッフルをかじった澪は素直に喜びの声を上げる。
実はこのワッフルを作る際、明嗣はある菓子パンを参考にして作った。それはアベックトーストと呼ばれるイチゴジャムとマーガリンを2枚の食パンで挟むシンプルな物だが、ポイントはそのまま齧ったり、パンを回す事でイチゴジャムとマーガリンを混ぜたりと楽しみ方が自由な所だ。ちなみに、このストロープワッフルで同じことをすると、ミックスベリーソースになる仕掛けとなっている。
名付けて、アベックワッフルかな……。
適当に名前を付けた所で、明嗣は先程から静かな様子の鈴音に声をかけた。
「で、どうよ? 納得させられる物はお出しできたかな?」
ニヤニヤとからかうように明嗣は笑う。対して、一口齧ってその味を確かめた鈴音は悔しげな表情で答えた。
「普通に美味しいのがなんかムカつく」
「アァン!?」
「だって、こういうのは失敗作みたいなのが出てくるのがお約束でしょ!? なんで普通に美味しいのが出てくるの!?」
「じゃあ、もう食うな! ったく、せっかく美味い物出したのになんだって文句言われなきゃなんねぇんだよ……」
あまりの理不尽さに明嗣は半分拗ねた調子で鈴音から皿を取り上げようとした。だが、明嗣の指が皿に触れる前に、鈴音は皿を抱え込んで明嗣が触れられないようにした。
「別に食べないとは言ってないでしょ! 美味しいからこれはアタシの物!」
「お前、いったいどうしたいんだよ……」
やっぱり女子は面倒くさい、と言いたげに明嗣は肩を落とした。すると、その肩をアルバートが叩く。
「まぁまぁ、おかげで俺が助かったから、それで良しって事にしてくれ」
「そうかい……。じゃあ、俺に何か労いの飲み物でも出してくんねぇかな……。喉が乾いちまった……」
「はいよ。ちょっと待ってな」
仕方ないな、と笑ってアルバートは明嗣に出す飲み物を作りに厨房へ向かった。そして、コーヒーを持ってフロアに戻ると、スイーツに舌鼓を打つ鈴音と澪から少し離れた席に座る明嗣の姿を見つけた。
「はいよ」
「お、サンキュー」
「それで何見てたんだ」
「別に。ただ平和だなって見てただけさ」
たまにはこういう日も良いかもな、などと思いながら、明嗣はコーヒーをすする。その後、スマートフォンを取り出すと何か面白い物はないかとネットの海へ潜り始めると、アルバートがコーヒーの横に余ったガトーショコラを置く。
「コーヒーのお供にでも食いな」
「いつも世話になってる人に渡すのも、バレンタインの風習だっけか」
「そう言う事。いつもお疲れさん。一足早いがハッピーバレンタインだ」
「……ハッピーバレンタイン」
少し恥ずかしそうに返した明嗣はせっかくなので、ガトーショコラを一口食べた。コーヒーを飲んだ後のせいか、チョコの甘みが優しく感じられた。
この日は珍しく吸血鬼を狩る依頼の電話が鳴る事はなく、解散となった。すっかり慣れてしまった澪を送る夜の帰り道。澪がふと口を開いた。
「あ、あのさ。明嗣くんって甘いの好き?」
「なんだいきなり」
「その……なんとなく」
「……可もなく不可もなくって所だ」
「そ、そうなんだ。へぇ〜……」
会話はそこで終わり、再び二人の間に無言の時間が流れ始めた。そして、澪が暮らす写真館まで彼女を送り届け、帰路に着いた明嗣はふと夜空を見上げた。
ホワイトデーはどうすっかなぁ……。
たしか相場がもらった物の3倍の物を渡すんだったか。ホワイトデー当日に戦々恐々としつつ、明嗣もこの日は大人しく床に就いた。
この後、バレンタインデー当日に事件が起こるのだが、それはまた別の話。今回はこれで閉幕である。
お☆ま☆け
「嘘っ……!? 増えてる……!?」
体重計の上で鈴音は絶望の表情を浮かべた。
えっ……なんで!? だって、いつものルーティンで運動だってしっかりやってるし……あっ。
あった。こんな事になりそうな要因が一つだけ。誰かのせいにしたい所だが、完全にこれは自分の意思で選んだ自分の責任なので、鈴音は頭を抱える事しかできなかった。