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ヴァンプスレイヤー・ダンピール  作者: 龍崎操真
EPISODE1-3 Nightraid “Jack the ripper”

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第27話 綺麗事のツケ

  夕日が差し込むHunter's rustplaatsの店内は、重苦しい空気に包まれていた。理由は明嗣の家で見つかった手紙だ。

 自分に眠る力を呼び起こすには、吸血鬼と同じように血を吸わなければならないなんて、いったいなんの冗談だ。これは自分一人では手に負えない、と判断した明嗣はひとまずアルバートに相談して現在に至る。

 アルバートは先程から腕を組み、手紙を見つめて黙り込んだままだ。無言の時間に耐えられなくなった明嗣は、手紙を拾い上げて口を開いた。


「どうするよ、マスター。俺がもっと強くなるには吸血鬼になるしかねぇってさ」

「どうするよってお(めぇ)、そんな事いきなり俺に言われてもなぁ……」


 白髪の混じった黒い髪を手ぐしで梳き、アルバートは再び考え込むように腕を組んだ。対して、手紙を上着のポケットにしまい込んだ明嗣は、ぬるくなったコーヒーカップを手に取り、一息で飲み干す。


「クソッ。“切り裂きジャック”だけでも手一杯だってのにもう一つ面倒事(トラブル)が出てきやがった……。今年の俺は厄年か?」

「冗談言ってる場合か。さて、どうしたもんかね……」


 アルバートは頭を抱える明嗣に冷静にツッコミを入れ、無精髭が生えてきた顎を撫でる。そろそろ剃った方が良いだろうか、と髭の感触を確かめた後、アルバートは神妙な面持ちで言葉を続けた。


「もしかすると、これは明嗣へ向けたアーカードからの試練なのかもしれないな……」

「どういう事だよ、それ」


 言葉の意図を汲み取れない明嗣は、不思議そうな表情でアルバートへ聞き返した。すると、アルバートは顎を撫でる手を止めて椅子の背もたれに身体を預けて答える。


「お前も知っての通り、仲間と袂を分かった吸血鬼は裏切り者として一生追い回される事ンなる」

「ああ。そのおかげで今、こうして吸血鬼ハンターなんて事やってんだからな。まったく面倒な置き土産を残していってくれたよ、親父は。それで?」

「つまり、だ。これくらい自分の力で乗り越える事ができないようじゃ、この先やっていけないぞってメッセージじゃねぇのかと言ってンだよ」

「……」


 明嗣はアルバートの言う事に何も返すことができなかった。実際、現在の明嗣は手詰まりの障害を抱えている事は事実なのだから。もしかすると、バイクに变化した父の愛馬を見つけた事や、もう一人の自分に出会った事は、神の導きならぬ父の導きなのかもしれない。

 席を立ったアルバートは黙り込んでしまった明嗣の背中をバシンと強く叩いた。

 

「ってぇ!?」

「まっ、お前なりに色々やってみろ。ちょうど良いことにあのバイクはお前しか相手にする気がないみてぇだしな」

「気楽に言ってくれるよな……。しくったら俺は乗っ取られて吸血鬼ルートだって言うのによ」


 ぼやきながら痛む背中をさする明嗣に、もう一杯コーヒーを注いだアルバートは厨房へ向かった。一方、明嗣の方は湯気のたつコーヒーカップの黒い水面を見つめて、再び考え込む。アルバートの言う通り、この手紙が父からの試練だとして、今の自分に乗り越える事ができるのか。どうしたら良いのか分からない明嗣は、こうして立ち止まって考える事しかできなかった。

 明嗣が立ち上る湯気を見つめていると、アルバートが声を掛けてきた。


「明嗣、ちょっと出てくるぞ」

「はぁ? 出るってどこに」

「今日は出前の注文が一件入ってんだ。って訳で、留守番頼むわ」

「えー……俺、メニューの料理は簡単なのしか作れねぇよ……」


 あからさまに嫌そうな表情を浮かべる明嗣に、アルバートは呆れた表情を浮かべた。


「誰がそこまでやれって言った。ただ、やってきた客に開いてねぇって言うだけで良いんだよ」

「だよな」


 にやりと口の端を吊り上げ明嗣は笑ってみせた。当然の事を聞くな、と言わんばかりにため息を吐いたアルバートは、注文の品を作り始めた。




 時を同じくして、明嗣と同じようにどうしたら良いか悩む少女が一人いた。ここ、交魔市の冠婚葬祭の写真撮影から履歴書に使用する証明写真まで、写真撮影の依頼を請け負う夏目写真館に下宿している澪である。

 現在、彼女は明嗣から言われた事について頭を悩ませていた。

 闇に紛れて人の生き血を(すす)る吸血鬼、それを退治する掃除屋の存在、明嗣がその掃除屋である事。本人曰く、自分はその世界から抜け出す事は一生できないだろう、という事。そして……。


 好奇心や正義感で首突っ込もうとしてるんならやめといた方が良いぜ。お前だってあんな事になるのは嫌だろ?


 澪の頭の中で響く、これ以上関わるな、という明嗣からの警告。

 確かに明嗣の言っている事は正しいのかもしれない。これ以上踏み込んだら、きっと危険な事がたくさん待ち受けているだろう。しかし、それで納得できるか、と言われると、何かモヤモヤした物が心に残ってしまう。それがなんだか気持ち悪い。どうしてそんな風に思うのか、自分で分からないのも気に入らない。鈴音のおかげで勘違いは正されたと思っていたら、新しい問題がまた目の前に出現した事に、澪は押し潰されるように(こうべ)を垂れる。

 

 無事で良かった。なんかあたし達、縁があるね? で終わりのはずだったのになぁ……。

 

 こういう単純なやり取りで良かったはずなのに、どうしてここまで拗れてしまったんだろうか。どうしたら良いか、と考えていると、澪はふとある事に気付いた。


 あれ? そもそもあたしはなんで明嗣くんの事で悩んでいるの……?


 なぜか放っておけなくて、何かできる事ができる事がないかと考えている自分がいる事に、澪は首を傾げる。

 交魔市(ここ)にやって来て、初めて会った人だから? それとも知りたいことの一番近くにいる人だから? それとも……。


 それはちがうでしょ!? まだ出会って二週間くらいだよ!?


 惚れている可能性を一瞬思い浮かべるが、澪は即座に首を振って否定した。さすがに一目惚れなんて、そんなまさか……。自分にツッコミを入れつつ、澪は明嗣が気になる理由を自問自答する。なぜ、自分はここまで明嗣の事を気に掛けるのか? 明嗣の何がそんなに気になるんだろうか?


 そういえば、吸血鬼に襲われた時も明嗣くんが助けてくれたんだったっけ。


 思えば、明嗣にまた話しかけたきっかけは吸血鬼の事に関してだった。あの時、明嗣が頑なにはぐらかそうとするから、ムキになって問い詰めてしまった。なら、その時に本当は何がしたかったんだろう、と澪はその時の記憶を呼び起こした。あの時、本当に話したかった事は……。モヤモヤした物の正体が喉元まで上がってくる。しかし、このタイミングでインターホンの音と共に、夏目写真館の主、夏目(なつめ) (ひかり)の声が飛び込んできた。

 

「澪ー! ごめーん! 今、火を使ってて手が離せないからちょっと出てー!」

「あ、はーい!」


 あともう少しだったのに、と言いたくなるのを飲み込みつつ、澪は来客の応対をするべく玄関へ向かう。パタパタと音がするスリッパから、外へ出歩くためのスニーカーへ履き替えて写真館の区画へやって来た澪。すると、そんな澪の姿に来客者は目を丸くした。


「お? 前にウチへ来た事あるお嬢ちゃんじゃねぇか。思わない所でまた会ったな?」


 来客の正体は、前に鈴音を尾行した際に入ったレストラン、Hunter's rastplaatsの店主、アルバート・ヘルシングだった。思わぬ来客に、澪もアルバートと同じように目を丸くしながら挨拶した。


「え!? あ、こ、こんにちは! この間はどうも……。飲み物ごちそうさまでした」

「あぁ、気にしなくて良いさ。明嗣(アイツ)に客が来るなんて珍しいから、サービスだよ。それより、注文の物を持ってきたんだが……」

「注文?」


 アルバートから差し出されたバスケットを受け取った澪は中を覗き込んだ。中には、パン粉とバターが乗せられたマッシュポテトを盛ったグラタン用の皿が三つと、パン粉をまとわせて後は揚げるだけにしてあるマッシュポテトの塊が15個乗った大皿、その隣には付属品だと思われるディップソース用の器にマスタードソースが入っていた。

 中を確認して不思議そうな表情を浮かべる澪に、アルバートは中身についての説明を始めた。

 注文の品として持ってきたのは、酢漬けキャベツを使っているのが特徴のオランダのワンプレート料理、ズールコールオーブンスホーテルとクロケットのセットだった。それぞれ、あとはオーブンで焼いたり、揚げたりするだけとなっている。

 

「ウチは出来たてが売りだから、こういうテイクアウトはあとは簡単に料理するだけにして届けるようにしてるんだよ」

「へぇー……そうなんですね……」


 話を聞きながら、澪は興味深そうにバスケットの中身を見つめていた。異国の料理に興味津々といった様子の彼女に、アルバートは気まずそうに声をかけた。


「で、俺は品物を注文通りに持ってきたはずなんだが……間違いないか確認してもらえるか?」

「え? あ! そうですよね! 今持っていって、叔母さんに確認してみますね!」


 澪はバスケットを持って、一旦中に引っ込もうとした。すると、ちょうど良い所に光がやって来た。アルバートの姿を見た光は、忘れていた事を思い出したような表情で口を開いた。


「アルさん。注文の物を持ってきてくれたの?」

「ああ。今そっちに持って行ってもらって、注文の物はこれで全部か確認してもらおうとしていた所だよ」

「そうだったの? どれどれ……」


 アルバートの言葉を受け、光は澪が持つバスケットを覗き込んで中身を改める。問題が無いことを確認した光は、頷いて問題ない事を告げた。


「うん。これで全部。じゃあ、財布を持ってくるからちょっと待っててね」


 光が私生活用の財布を取りに家の中に戻っていったので、写真館は再び澪とアルバートの二人だけとなった。なんとなく沈黙が気不味いので、アルバートの方から口を開いた。


「いやぁ、それにしても驚いたよ。まさかこんな所でまた会うなんてな。そういや、名前を聞いてなかったよな? 俺はアルバート・ヘルシングって言うんだ」

彩城(さいじょう) (みお)……です……。叔母さんと知り合いだったんですね」

「あー、たまに店に飾る写真をプリントアウトしてもらったりとかしてるんだ。その縁で、こうしてたまにテイクアウトで注文したり、ウチに食いに来たりするのさ」

「そうだったんだ……」

「澪ちゃん……で良いよな? そういう訳だから、澪ちゃんもたまにはウチにメシ食いに来なよ。ま、もちろん金はもらうがね」


 ニッ、と冗談を交えて快活に笑うアルバートだったが、表情が暗くなった澪を見てすぐに笑顔を引っ込めて不思議がるような表情になった。


「どうした? 何か悪い事言ったか?」

「あ、その……行ったら明嗣くん、いますよね……」

「ん? ああ、いるよ。アイツとは子供(ガキ)の頃からの付き合いで今でも常連だ。まぁ、今もガキなのは変わらないが。それがどうかしたか?」

「会ったらどんな顔して良いか分からなくて」


 迷うような表情で質問に答える澪。一方、アルバートは鼻で笑うように澪へ声をかける。


「アイツになんかキツイ事を言われたって気にする事ないさ。俺の店なんだから、必要とあらば叩き出すよ」

「えっ!? そこまでする事ないですよ!」

「遠慮する事はねぇよ。アイツには小さい頃から上下関係を叩き込んであるから、俺には頭が上がらねぇんだ」

「そういう事じゃなくて……」


 慌ててアルバートを諌めようとする澪だったが、途中である事に気づき言葉を止めた。幼い頃からの付き合いという事は、明嗣の事も全部知っているという事ではないか? その事実に気づいた澪はアルバートへ確認する。


「小さい頃からって事は、明嗣くんが夜に何をしているのかも知っているんですか?」

「……ああ。知っている。そもそも、俺が技を仕込んだんだからな。そうかい……。澪ちゃん、アイツの秘密を知っちまったんだな……」


 明嗣とは違い、アルバートはいともあっさりと認めて見せた。だが、澪の心の中は拍子抜けしたというより、どうしてという疑問の念の方が強かった。


「なんで……なんでそんな事……! 明嗣くん、あたしと同い年でしょ!?」

「ああ。そうだよ?」

「そうだよ、って! なんとも思わないんですか!? 十代の男の子が銃を持って駆け回っているんですよ!?」

「だから?」

「だから……!?」


 淡々と答えるアルバートに澪の心にだんだんと怒りが満ちてきた。どうやら目の前の男は、十代の少年に銃を持たせる事に問題を感じていないらしい。非難するように視線でアルバートを射抜く澪。しかし、アルバートは動じる事なく、澪へ呼びかけた。


「まだやる気なら、続きは注文の代金を受け取った後に別の場所でしようか。ここだと中まで聞こえちまう」


 そう言ったきり、アルバートは口を開く事をしなかった。やがて、財布を手に戻ってきた光から代金を受け取ったアルバートは、「また頼むよ」と言い残して写真館から出ていった。澪も続いて写真館から外へ出ると、アルバートが配達に使っていると思われる白いワゴン車に身体を預けて懐から煙草を1本取り出す所だった。

 しかし、待っていた澪の姿を認めた瞬間、アルバートはすぐさま煙草が入っている赤と白の紙箱をポケットの中へ戻した。


「思ったより早く来たな」

「煙草、吸うんですね」

「まぁ、若い時の名残りさ。今は喫煙者(スモーカー)に厳しい時代だから滅多に人前で吸う事はないがね。で、なんだっけか」

「明嗣くんに銃を持たせるの、なんとも思ってないんですか?」

「あー、そうだ。その話だったな」


 手持ち無沙汰なので、アルバートは銀のジッポライターの蓋を開けたり閉じたりして弄ぶ。キン、カシャ、と二種類の音が交互に規則正しく繰り返される中、アルバートは静かに口を開いた。


「アイツの場合は仕方ねぇと思っているよ。銃を持ってなきゃ、アイツは死んじまうからな」

「どうしてですか? 銃を持って吸血鬼と戦っている方が危ないじゃないですか」


 少し時間を置いたので、澪は興奮状態からクールダウンしていた。澪が幾分か落ち着いた口調で疑問を口にすると、アルバートは閉じたライターをしまい、澪の顔を見つめた。


「アイツはな、吸血鬼に一生狙われる運命にあるんだよ。アイツの親父は吸血鬼だからな。仲間に手を切ると宣言した時に、本人の意思とは関係なくその運命を背負わされちまったのさ」

「そんな……!?」


 淡々とアルバートから明かされた明嗣の生まれに澪は言葉を失った。ショックを受ける澪にお構いなく、アルバートの話は続く。

 

「その上、ただでさえ今は男に辛く当たるのを(よし)とする時代だ。4、5歳辺りのガキならともかく厄介事の種を抱えた10代の小僧を助けてくれる物好きなんてそうはいねぇ。俺だっていつまでもアイツに付いてやれる訳もねぇ。なら、戦い方を教える事で独り立ちさせてやるしかねぇだろ。違うか?」

「で、でも……だからって銃を持たせて殺し合いをさせるなんて……」

「なら、あれか? 命を狙ってやってきた相手をもてなして目的のブツを差し出してやれ、澪ちゃんはそう言いたいのか?」

「そこまで言ってないじゃないですか! どうしてそう極端なんですか!?」

「極端な理屈しか通用しない世界だからさ。俺も明嗣も、世間の汚い所を嫌という程見ている。その上でそういう理屈でしか生きていけない事を理解している。それで、だ。澪ちゃんはさっきから殺しは良くないとか銃を持つのはどうかしているとか好き放題言っているが……」


 いったん言葉を切ったアルバートは、じっと澪の瞳を見据えた。そして、この話を核心を突く一言を口にする。


「その綺麗事のツケは、誰が払う事になるんだろうな?」

「それは……」

「綺麗事でその場が収まれば、そりゃ澪ちゃんは満足だろうけどな。今、この場でその綺麗事を言う事ができているのは誰のおかげか、考えた事あるのか?」


 澪はアルバートに何も答える事ができなかった。なぜなら、その答えは澪が一番分かっている事。不幸にも吸血鬼に出くわして、そのまま血を吸い尽くされて死ぬはずだった澪を助けてくれたのは、他ならぬ銃を握って吸血鬼と戦っている明嗣なのだから。

 何も言えないでいる澪に、アルバートは諭すように語りかける。


「まぁ、澪ちゃんは今までツイていたんだと思うよ。吸血鬼の事に限らず、そういう事を知らずに生きてこれたってのは、それだけ人に恵まれているって事だからな」


 そろそろ店に戻るか、とアルバートは運転席の方へと向かう。そして、車に乗る前に話を締めくくる。


「ただな、これからはよく考えて物を言うことを覚えといた方が良いと思うぞ。でないと、社会に出たら絶対に困る羽目になる。綺麗事を押し付ける奴は相手にされなくなるからな」

 

 バタン、と音を立てて車のドアが閉まった。そして、ディーゼルエンジンの音と共にアルバートが乗った車は走り去って行く。

 一方、残された澪はアルバートに言われた事が頭の中でグルグルと回っていた。




 翌日の事。ルーチンワークのようにHunter's rustplaatsへ顔を出し、朝食を食べてから登校した明嗣は、昇降口にて靴をスニーカーから学校指定の上履きに履き替えていた。その後、迷う事なく自販機へ向かい、飲み物の品定めを始めた。ボタンの前で迷うように人差し指を泳がせる明嗣は、まだ頭が半分眠っているために目の焦点が定まっておらず、ぼうっとした表情をしていた。


 カフェインキツめのコーラか......。俺、こういう飲み物効いた試しねぇんだよな......。


 目覚めの朝にはコレ一本!というキャッチコピーが印刷された缶のサンプルを眺めて、明嗣はため息をつく。幼い頃から薬剤への耐性が高いのか、栄養ドリンクの類が効かないので、明嗣はこれらの飲み物について少し懐疑的な目を向けていた。という訳で、明嗣は無難にオレンジフレーバーの炭酸飲料を選択した。

 教室に着いてから飲むようにジュースをバッグにしまい、明嗣はスマートフォンへ持ち替えてメールチェックを始めた。歩きスマホは良くないと言われてはいるけれど、周囲への注意が疎かになる事により人にぶつかったり、車に轢かれる危険があるのが理由なのであって、周りに誰もいないのなら構う事はないはずだ。

 画面を指で弾いてスクロールさせていると、背後からタッタッタッ、と誰かが走ってくる音が聞こえてくる。明嗣がすぐに画面を消して懐へスマートフォンをしまうと、一人の女生徒が明嗣を追い越した。

 背中まで伸びた紫がかった黒い髪をなびかせる彼女は、横目で明嗣の姿を視認すると、5歩程進んだ所で足を止めて振り返った。軽快な足音と共に明嗣の前に現れたのは、二回も警告したからもう縁は切れただろうと思っていた澪だった。


「お、おはよ」

「ああ、おはよう」


 ぎこちなく挨拶する澪に、明嗣は素っ気なく挨拶を返す。緊張した様子なのが引っかかるが、特に話す事はないので、明嗣はそのまま歩き出した。しかし、澪は慌てて明嗣の背中を呼び止める。


「あ、待って!」

「なんだよ」

「あの……その……」

「なんだよ。用があんならさっさと言え」


 モジモジとした様子で言葉を絞り出そうとしている澪に、明嗣は少し苛立った調子で続きを催促した。対して、澪はまだモジモジとした様子で視線を泳がせている。そんなに躊躇うなんて、よほど口にするのがはばかられる用なのか、と明嗣は警戒しながら澪の返事を待った。やがて、覚悟を決めた澪は、つま先で床を叩いてタンタンと鳴らしている明嗣に用件を告げる。


「こ、今度の土曜日さ……あ、空いてるかな……?」

「はぁ?」


 明嗣は耳を疑った。一方、澪は怪訝な表情を浮かべて固まってしまった明嗣へ、今度は大きな声ではっきりと同じ事を繰り返した。


「だから……今度の土曜日、あたしに付き合ってって言ってるの!」


 お前は何を言っているんだ。いきなりのお誘いにバグを起こした明嗣の脳裏をよぎったのは、ネットでよく見かける、頭おかしいじゃないのかコイツ、と言いたげな表情を浮かべる外国人の画像だった。

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