第113話 別れの挨拶
秘密酒場を後にした明嗣は、Hunter's rustplaatsを訪れていた。
「……」
緊張が手の震えとなって現れているのが分かる。明嗣がここに訪れるのは、鈴音に「最低」となじられて以来なので、じつに十数日ぶりだ。開けるのには一定の勇気が必要だ。
やがて、覚悟を決めた明嗣がドアノブへ手を伸ばすと、握る前にドアが開いた。
「ちょっと外見て……あ……」
ドアを開けて出てきたのは、動きやすいように白いTシャツと青のデニムといった服装の上にエプロンを付けた澪だった。目が合った瞬間、明嗣はぎこちなく挨拶をする。
「よ、よぉ……」
「待ってたよ。さ、入ろ?」
「え、あ、ちょっと待っ……!?」
お互いに挨拶を返した後、手を取った澪に引っ張り込まれる形で、明嗣は店の中へ足を踏み入れた。
「あ、やっと来た! 遅いよ!」
カウンターに座る鈴音が、澪に引っ張られる明嗣を見た途端、嬉しそうに声を掛ける。続いて、厨房の方から出てきたアルバートが顔を出す。
「おう、来たか」
「あー、あらためて久しぶり……」
「おう、今コーヒー淹れてやる。ちょっと待ってな」
久しぶりの来店にも関わらず、いつもと変わらない調子で返すアルバートがコーヒーを出そうとした。だが、明嗣は首を横に振る。
「あ、今日はなんも出さなくて良い。これから行くとこあるから、ついでにコイツを渡しに来ただけなんだ」
と、言いつつ、明嗣はカウンターテーブルの上に秘密酒場から受け取った札束の詰まった紙袋を置く。
「マスターにも今回迷惑かけたからな。だから、その詫び」
「中身なんなの、これ? なんか、思ったより重いけど……」
鈴音が持ち上げた感想を口にする。すると、明嗣は中身である札束を並べてみせた。
「燐藤を仕留めた報奨金1000万だ。こいつを迷惑料として全額渡すよ、マスター」
「わぁ〜……これだけの札束初めて見た……」
並べられた10個の札束を前にした澪は、興味津々といった表情を浮かべる。普通に生活していればお目にかかる事はない量なので無理もない。それだけの額を渡すと言われたら迷いはするが、まず受け取ってしまう物だろう。だが、アルバートは興味を失くしたようにそっぽを向いてしまった。
「いらねぇよ。お前の口座に放り込んどけ」
「は?」
「えっ、なんで!? 1000万だよ!?」
予想もしていなかった返事に、呆けた声を出す明嗣と信じられないと言いたげな表情を浮かべる鈴音。一方、明嗣が差し出した札束には目もくれずにアルバートは呆れた表情でテーブルを拭き始めた。
「その金は明嗣、お前が自分で仕事を持ってきて、自分で片をつけて得た報酬だ。つまり、そいつは俺との契約外の金だろ。そんな金をガキから受け取るほど俺は切羽詰まってる訳じゃねぇの」
「そ、そういうモンなのか?」
本当にそれで良いのか? それだとケジメがつけられないのではないのか、と明嗣が納得できない表情を浮かべると、アルバートは面倒そうに返す。
「おう。だからさっさとそんなモンしまっちまえ。出しといても邪魔なだけだからな」
「……そうか。サンキュ、マスター」
どうやら意地でも受け取るつもりはないらしい。アルバートの意思を汲み、言う通りに札束を紙袋の中へ収める明嗣。すると、先程からやり取りを見守っていた澪が不思議な物を見るような表情を浮かべていた。
「澪、どうかした?」
澪の表情に気づいた鈴音が声をかける。すると、澪はよく観察するように明嗣を眺めながら返す。
「うん……。なんか明嗣くん、表情が優しくなった気がしない?」
「え、そうかな? いつもと変わらない気がするけど……」
釣られるように鈴音も明嗣の表情を観察する。すると、偶然彼女らの方へ視線を向けた明嗣と目が合った。
「どうした」
「う、ううん! なんでもないよ!」
誤魔化すように首を横に振る澪。対して、明嗣は少し探るような視線を二人へ向けた。
「そうか? なんかそっちから視線を感じた気がするけどな」
「気のせい気のせい! それしても……」
話題を変えようと、鈴音が物欲しそうな目を明嗣の持つ1000万の札束が詰まった紙袋へ向ける。
「もったいないよねぇ〜。アタシだったら素直に受け取っちゃうけどな〜」
「こういうのはちゃんとしとかねぇとな。それに、俺はケジメをつけさせねぇとは言ってないぞ」
意地の悪い笑みと共に、意味ありげなセリフを口にするアルバート。当然の事ながら、明嗣は耳を疑うような表情をアルバートへ向けた。
「はい?」
「お前がいない間に断った依頼がいくつもあるからなぁ……。その損失の穴埋めはやっぱりしてもらわねぇとな?」
「ちょ、ちょっと待て! なんかあったら呼べって言った……」
だが、明嗣の抗議はアルバートに届かない。明嗣の声を黙殺したアルバートは、鈴音と澪へ呼びかける。
「澪ちゃん、鈴音ちゃん。今日は一日中このバカ引きずり回してやれ」
思っても見なかった言葉に明嗣が驚きの声を上げる。
「はぁ!?」
まさか今からなのか? これから起こるかもしれないあれやこれやのイメージが頭に浮かび、明嗣の顔が青くなる。一方、明嗣の表情を気にも留めない鈴音は一気に表情を輝かせた。
「え、良いの!?」
「お店はどうするんですか!?」
澪が当然の疑問を口にした。すると、アルバートは何も問題はない、とばかりに明るく返す。
「個人経営ってのはこういう時に便利だよなぁ……。適当な理由考えて今日は閉めちまうよ」
「あの〜……。俺に拒否権は……?」
どうせ答えは決まっていたが、もしかすると違うかもしれない。そんな淡い期待を込めて、明嗣が手を上げる。しかし、現実は非情だった。
「ある訳ねぇだろ。黙ってお前は2人の荷物持ちをやってろ」
「デスヨネー……」
アルバートから無慈悲に答えを突きつけられ、明嗣はガックリと肩を落とす。だが、ただでは転ばないと言いたげに、明嗣は一つの提案を口にした。
「じゃあ、せめて別の日にしてくれ。今日はどうしてもダメなんだよ」
「なんだよ。どうせ暇なんだろ? 今日が駄目な理由っていったい何かあったか?」
「墓参りに行くんだよ。燈矢の」
答えた明嗣は申し訳なさそうな表情を浮かべると、続きを語り始めた。
「実は一度も行けてなくてさ……。もし、俺のことを恨んでたら、って考えると、怖くて足が動かなくなっちまってたんだ」
ずっと胸の中で引っかかっていた。もし、燈矢が茉莉花に殺されたのが自分のせいだとしたら。もし、そうだとしたら、燈矢はその原因である自分を恨んでいるのではないか。その思いが棘となって明嗣の心にずっと引っかかって取れなかった。だが……。
「もう、前に進むって決めたからな。だから、そのために墓参りしてさ。アイツに挨拶しとこうかと思って」
「明嗣くん……」
誤魔化すように笑う明嗣を前に、澪が励まそうと言葉を探す。だが、出てきてくれなくて、澪は困った表情を浮かべる事しかできなかった。鈴音も同様の表情を浮かべて明嗣を見ている。一方、話を聞いたアルバートは仕方ないな、と言いたげな表情で息を吐く。
「そういう事なら別の日にしてやるか。逃げるんじゃねぇぞ」
「うーっす……。あ、そうだ。それでマスターに頼みがあったんだ」
「頼み? いったいなんだよ?」
いったい何をさせるつもりなのか、と不思議がる表情を浮かべるアルバート。すると、明嗣は手を差し出して頼みの内容を告げる。
「ライター、貸してくれよ。線香に火を点けるのに必要だからさ。わざわざコンビニでちゃちいの買うのもアレだろ?」
「なるほどな……。まぁ、そういう事なら……ほれ」
理由を聞いて、納得したアルバートが懐から銀のオイルライターを取り出して明嗣へ放った。飛んできたライターを難なくキャッチした明嗣は、火がつくか確かめるために蓋を開いてフリントホイールを回す。すると、ジッ、と音を立てて散った火花が炎となり、燃やす物を待つように揺らめき始めた。
「サンキュ。じゃあ、ちょっと借りてくわ」
問題無く火がつく事が確認できたので、明嗣は蓋を閉めて火を消す。その後、懐へしまって店を出ようとした。だが、ドアを開けようとする明嗣の背中を鈴音が呼び止める。
「明嗣、ちょっと待って。明嗣に渡す物があったんだった」
「渡す物? いったいなんだよ」
今日は明嗣の誕生日という訳ではない。プレゼントをもらう心当たりのない明嗣は、傍らに置いてある箱を開封する鈴音に不思議がるような表情を浮かべた。一方、中身を引っ張り出した鈴音は、自慢するように明嗣へ差し出した。
「じゃーん!」
「こ、コイツは……」
差し出された物を前に、明嗣は驚きのあまり目を丸くした。なぜなら、鈴音が差し出したそれはなんと……。
「予備のヘルメット! アタシと澪の2人で選んだんだ〜♪」
やっとお披露目する事ができた、と鈴音が誇らしげに笑う。どうやら渡したい物はカーマインレッドをベースに、銀のラインがアクセントに入れられたフルフェイスヘルメットだったようだ。
「明嗣くん、ヘルメット1つしか持ってないでしょ? それだけだと、もし壊れたりしたら大変だし、誰かを乗せる時に困るだろうなと思って」
「別にわざわざ買わなくても良かっただろ……」
澪から理由を聞いた明嗣が苦笑いを浮かべる。すると、鈴音が不満げな表情でヘルメットを撫で回し始めた。
「だって、乗せてってお願いしてもヘルメット一つしかないからダメって言うし〜。いつまで経ってももう一つ買う気配もないでしょ〜」
「そりゃ、誰も乗せる予定ねぇなら一個ありゃ十分だろ」
何を当たり前の事を、と言いたげに明嗣は半眼で腕を組む。対して、それが不満なのだ、と言いたげに鈴音が明嗣を指差す。
「だから用意してあげたの! 一緒の場所で仕事の時、アタシだけ置いてけぼりじゃん!」
「マスターから乗っけてもらえば良いだろ」
「そのマスターがダメな時とかはどうするの! それに帰る時もいちいち迎えに来るの待ってなきゃいけないの!? 目の前に一緒に乗って帰れる手段があるのに!? そんなのあんまりじゃん! 良いからさっさと受け取る!」
駄々を捏ねる子供のように鈴音がヘルメットを明嗣へ突き出す。どうやら、言う通りにしなければまだまだ続きそうだ。明嗣は仕方ない、とため息を吐いてヘルメットを手にする。そして、軽く放り投げて弄び始めた。
「まっ、結構良いデザインじゃねぇの?」
次に明嗣はバスケットボールを弄ぶ要領でクルクルと回し始めた。すると、澪が慌てて止めようとする。
「あ! 乱暴に扱っちゃダメだよ! あたし達だって使うんだから!」
「はぁ?」
思っても見なかった一言に、思わず呆けた声を出す明嗣。対して、鈴音が爪の状態を確かめながら澪に続く。
「それ、あくまで貸してあげるだけだから。持ち逃げしないでよ」
「何だよ、それ……。じゃあ、今すぐ返す」
「やだ。アタシ達が持ってても仕方ないから明嗣が持ってて」
聞く耳持たないとばかりに、鈴音がそっぽを向く。すると、明嗣はムキになってヘルメットを押し付けようとした。
「はぁ!? なんでだよ! 俺だって借りっぱなしなんて……」
「まぁまぁまぁ……。明嗣、ちょっと耳貸せ」
アルバートが明嗣を引き寄せる。その後、肩に手を回して明嗣へ耳打ちした。
「悪い子じゃねぇのは分かってんだろ? ちょっとくらいのワガママくらいは聞いてやりな」
「でもよぉ、マスター……」
納得のいかない表情で明嗣が抗議を続けようとした。だが、次にアルバートが口にした言葉で、明嗣は言い返すのを止める。
「あの二人な、お前が寄り付かなくなった間、寂しそうにしてたぞ。だから、こうやって明嗣と自分を繋いでおきたいのさ。分かってやれ、な?」
「……ああ、もう分かったよ。言う通りにするさ」
アルバートに諭され、明嗣はまだ少し不満の表情を浮かべつつも矛を収めた。しかし、まるでこのヘルメットがリードの代わりのように思えてならない明嗣は、ポツリとこぼす。
「まったく……俺は飼い犬じゃねぇっつのに……」
「明嗣くん、何か言った?」
「なんでもねぇよ」
どうしたものか、という表情とともに、明嗣はヘルメットを抱えたまま肩を落とした。
カシャ、と金属の蓋が閉まる音が響く。目の前では火の点いた線香の束が煙を上げて燃えていた。明嗣が手で煽いで風を送ると、火は消えて線香は煙だけを昇らせる存在となった。それを目の前の墓石の前に供えた明嗣は、静かに手を合わせて目を閉じる。
やがて、合掌をやめて目を開けた明嗣は、静かに口を開いた。
「悪かったな。ずっと来れなくて」
明嗣の言葉に返事をする者はいない。ただ、明嗣の声だけが響くのみだ。
「情ねぇよな……。自分の事を親友って言ってくれた奴の事を勝手に怖がって墓に来るのも遅れちまってよ」
自嘲気味に笑い、明嗣は恥ずかしがるように続ける。
「だから、これが最初で最後だ。合わせる顔なくて、俺はもうお前の親友でいられねぇよ」
明嗣の一方的に語りかけるだけの声だけが空虚に響く。明嗣はこれで燈矢へ別れの挨拶をするつもりで墓参りにやってきたのだ。そして、ついに終わりの時が来た。
「それじゃあ、もう行くわ。じゃあな」
墓に背を向け歩き出す明嗣。すると突然、一言だけ呼びかけるような声が明嗣の耳に飛び込んできた。
――また来いよ!
「は?」
まさか、そんなはずは……。嘘だと思いつつ、明嗣は振り返り、声の主を確認しようとした。しかし、振り返ると同時に突風が吹き、明嗣に思わず両腕で顔を覆う。その後、腕の隙間から確認すると、やはり声の主は見当たらず先程まで語りかけていた墓があるのみだ。
「燈矢……?」
きっと、自分が欲しかった言葉の幻聴だったのかもしれない。だが、それでも先程の風が背負っていた荷物を持ち去ってしまったのか、明嗣は自分の肩が少し軽くなっている事に気づく。
もしかすると、燈矢の魂が持っていってしまったのかも。もしくは、寂しい事言うなと訴える無言のメッセージか。自分で思い浮かべた事があまりにもおかしくなった明嗣はつい笑い出してしまった。
「ハハッ……。ンな訳ねぇか……」
だが、久しぶりに心から笑う事ができた気がする。ひとしきり笑い終わった所で、明嗣はポツリと呟いた。
「ああ。またな」
また会うための挨拶を言い残した明嗣は、燈矢の墓に背を向けて歩き出す。残された墓の前では、線香からたなびく煙が、まるで手を振って見送るように揺れていた。
EPISODE3 fin.




