第102話 芽生える自覚
本日から期末テストなので、この日は普段より早く放課後となった。明嗣は一刻も早く茉莉花を狩るために、荷物を纏めて帰宅の準備を整える。
テストの不満や、普段より早く帰れる嬉しさの声を聞き流しながら、席から立った瞬間だった。後ろの席に座る男子生徒が声を掛けてきた。
「朱渡、ちょっと良いか?」
「芦屋? どうした?」
「明日の試験に英語あるだろ? ちょっと教えて欲しい所あってさ」
声をかけてきた男子生徒、芦屋はノートの一部分を指さして明嗣を見上げる。
「この文なんだけど、どう訳せば良いのか分からないんだ」
「良いぜ。見せてみろよ」
どうせ帰宅した後は夜に備えて眠り、愛銃達にガンオイルを塗るだけだ。勉強を教えるだけなら大した手間ではない。快諾した明嗣はノートを見せるよう手を差し出した。読んだ瞬間、明嗣は眉を潜めた。その表情の変化に、芦屋は戸惑いの表情を浮かべた。
「ど、どうした? 何かまずい意味なのか?」
「いや、ちょっと前の俺に説教しているみたいだなと思っただけだ。そんなに悪い意味じゃない」
「なんだ、そうなのか……。なんて書いてあるんだ?」
「それは……」
明嗣は今一度、問題の文へ視線を落とすと静かにその意味を読み上げる。
「“友を疑うな。誠実であれ”、だってさ」
すぐ疑りの目で見てしまう自分への忠告とも取れる文言に、明嗣は肩を落とした。その後、さらにいくつかの英文を訳してその意味を教えて、明嗣は帰宅した。
日が落ち、空が暗くなった。明嗣は交魔市の商業施設が集まる商業エリア、そこにある表向きは雑貨屋として営業している黒鉄銃砲店へ来ていた。店内では黒鉄銃砲店の銃職人が一人、黒鉄 操人がレジ番をしながら読書に勤しんでいる。来店を知らせるドアベルの音がなったので、顔を上げた操人は明嗣の顔を見るなり、目を丸くした。
「いらっしゃいませ……って、あれ? 明嗣じゃないか。珍しいね。どうしたんだい?」
「じっちゃんに用があってさ。入って良いか?」
「それは良いけど、いったいどういう風の吹き回しかな? まさか、爺ちゃんの力作をついに壊しちゃった?」
「シャレになんねぇ事言うなよ。殺されちまう」
軽口混じりの挨拶もそこそこに、明嗣は黒鉄銃砲店の地下工房へ下りた。ここに来たのは非殺傷用にゴム弾の複製式弾倉の製作を依頼した時以来だろうか。工房では黒鉄銃砲店もう一人の銃職人、黒鉄 鋼汰が作業台に立っていた。
「よう、じっちゃん」
「んぅ? 小僧か。いったい何をしに来た」
「いや、その……銃を見せに来た」
「何ィ? 銃を見せに来た?」
明嗣の返事を聞いた瞬間、鋼汰の空気が一変する。
「貴様ついにワシの力作を……」
「そのくだりもうやった。単純にただの分解して問題ねぇか見てもらうオーバーホールだよ。その作業終わったらで良いからさ」
げんなりと肩を落とし、明嗣は作業台の空いているスペースへホワイトディスペルとブラックゴスペルを置く。一方、作業していた鋼汰は手を止めると、明嗣の銃を分解し始めた。まさか自分の方を優先してくれるとは思っていなかった明嗣は、手際良く分解している鋼汰へ呼びかける。
「良いのか。まだ、終わってねぇんだろ」
「構わん。どうせ今日はもう終いにするつもりだった。このくらい大した事はないわい。そんな事より、なぜ貴様がここに来たのか、その理由の方が聞きたい」
ドライバーでネジを緩めてグリップのカバーを外しつつ、鋼汰は明嗣の来訪理由について尋ねた。すると、明嗣はどう話した物か、と困るように頭を掻きながら語り始めた。
「なんつーか、その……もっとしっかりしねぇと、ってなってさ。そう思ったら、銃との付き合い方も見直そうかって考えたんだ」
まだ加工する前の石を蚤と槌で彫刻するように、明嗣はぼんやりと芽生えた物を言葉にしていく。
「目の前でお袋が死んでから、とりあえずマスターの言う通りにこの世界を生きてみる事にしたけど、なんで生きてるのかは分かってなくてさ。ぶっちゃけ、俺の存在なんか軽くていつ死んでも良いって思ってた」
鋼汰は淡々と語る明嗣に何も答えず、黙々と手を動かしていく。
「でも、俺って思ったより大切にされてるんだなって感じる事が最近あってさ。だから、もっと自分を大切にした方が良いのかな、って考えたら命を預けるじっちゃんの銃も大切にしねぇとって思ったんだ。そんな感じ」
シャッ、っと遊底が戻る音が鳴る。どうやら整備が終わったようだ。鋼汰は一仕事終えたとばかりに息を吐くと、呆れたように零す。
「まったく毎日手入れだけは欠かさずやってるようだな。何も問題はない」
「ああ……。まぁな……」
「ならなぜ修理に持ってくる物はあんな物ばかりになる?」
「そ、そんなひでぇモンばかりだったか……?」
「ひび割れた遊底……」
突如、鋼汰が口にした言葉に明嗣は凍りついた。だが、鋼汰は容赦なくさらに続ける。
「一部粉々のシアや撃鉄などのトリガー周り……。あぁ、ぺしゃんこにされた銃身なんていうのもあったな。どうじゃ、思い出してきたか?」
「そ、その節は大変お世話になりまして……」
もう勘弁してくれ、と言いたげに明嗣は小さくなった。どれもこれも、吸血鬼との戦いで雑な使い方をした結果による物だ。もしかすると、一番お世話になっているのはこの人なのかもしれない。明嗣は自分の今までの行いを振り返ると、素直に頭を下げる。
「いや、本当にすんませんでした。これから心入れ替えてもっと大切にするから許してくれ」
「当たり前じゃバカモンが……。物を大切にしろというのは子供の時に習う物だろう」
「ッス……」
「フン……まぁ良い。今のところ特に何も問題はない。もってけ」
「ああ。本当にいつもありがとうな、じっちゃん。じゃあ、俺行くよ」
プロのお墨付きをもらった銃達をホルスターに納めた明嗣は、別れの挨拶をして去ろうとする。すると、鋼汰が思い出したように口を開いた。
「そう言えば、家出も良いが程々にしておけ」
「え?」
いったい何のことだ、と明嗣が足を止めて振り返ると、鋼汰はドリップコーヒーを入れながらつまらなそうに続ける。
「5日前だったか……。ヘルシングの若造からあの小娘と大喧嘩して顔出さなくなったが、こっちに来てないかと心配の連絡があった。だから、満足したならもう戻ってやれ」
「……そうするよ」
仕方ないな、とばかりに明嗣は小さく笑って鋼汰の元を後にした。
翌日の朝。
学校へ登校した明嗣は学校内の空気がおかしい事に気付いた。妙に物々しいというか、空気が重く感じる。それに見慣れないスーツの人達とすれ違う事が体感的に多い。
普段とは違う空気に、明嗣は嫌な胸騒ぎを覚えた。この空気は、燈矢が死んだ事を知った時の空気と似ている。桜の紋章がプリントされたベストを着けた者がいる所までそっくりだ。
やがて、迎えた朝のホームルームの時間。明嗣の胸騒ぎは的中した。
「皆、静かに聞いてくれ。今日、警察の方が来て知らされたが……B組の田中が今朝亡くなった状態で発見された」




