第99話 裏社会のマナー
エレベーターへ乗り込み、鈴音と別れた明嗣は銀貨を弾いてコイントスをしていた。目的のフロアに到着するまで手持ち無沙汰なのでただの暇つぶし。特に意味がある訳ではない。やがて、エレベーターが目的のフロア、秘密酒場がある場所で止まった。エレベーターを降りた明嗣は、通行料である銀貨を投入口へ投入して秘密酒場へ足を踏み入れる。だが、中に踏み入れるなり、明嗣は空気が異様に重苦しい事に気付いた。
なんだ……。何かあったのか?
いつも酒飲み共のバカ騒ぎや、それを狙って客を取ろうとする娼婦達の呼び声で賑やかのはずが、今日はいやに静かだ。いったいどうしたのだろうか。
「おい、情報屋。このお通夜みたいな空気はどうした。何があった」
とりあえずバーカウンターの方へ向かい、明嗣はグラスを磨いている情報屋へ声をかける。すると、情報屋は静かに事情を語り始めた。
「君が話した燐藤 茉莉花にやられて死んだ奴が出たのだよ」
「誰がやられた」
「杭打ち屋スパイキーだ。磔にされて自分の得物である鉄杭で心臓を一突きだったらしい」
「おいおい……。面白くねぇ話になってきたな……」
事情を聞いて眉を潜める明嗣に情報屋が頷いて見せた。話題に挙がった杭打ち屋スパイキーは、その名の通り心臓に杭を打ち込む事で吸血鬼を葬る吸血鬼ハンターだ。いつもギグケースをそばに置き、スコッチを煽っている姿が印象的だった。まさか、打ち込む側が逆に打ち込まれる事になるとは。
「その通り。おかげで割に合わないと今回の件から手を引く者も出始めたよ」
「だろうな。イカれちゃいたが、不思議とそれがあの武器にハマっていたんだ。だから五本の指に入るほどの稼ぎ頭になれたのに、ソイツが死んだとあっちゃ誰だって及び腰にもなるさ」
明嗣は記憶の中にあるスパイキーを思い返す。彼は自分の得物を“パイルバンカー”と呼んでいた。特殊なカートリッジを装填し、火薬の爆ぜる力で鉄杭を射出させる事により心臓を狙う、一撃必殺を信条とする武器だ。そして、その特性がとにかく前に出て暴れたがる彼の気性にピッタリと合っていた。彼の周りには火薬の焦げた匂いが常に漂っていたのを思い出す。それだけ吸血鬼を葬ってきた証であるので、誰も咎める者はいなかった。
“よう、明嗣! お前もこっち来て飲め! って、まだ酒は早かったな! お子様だから!”
“いつもいつもガキ扱いすんな! 俺だってなぁ、やろうと思えばアンタが潰れるくらいの量は簡単に飲めるんだよ!”
“へー! そりゃ、大したモンだな! 機会があったら見せてみろよ! そしたら便器にぶちまけてる所を大笑いで撮影してやるよ!”
顔を合わせる度にからかわれていたのを思い出し、明嗣は目を伏せる。実は以前、いつものようにからかわれて頭に血が上った明嗣は本当に酒を飲もうとした事があったのだ。その時、杭打ち屋スパイキーは明嗣が手にした酒を取り上げると、鬼のような形相で明嗣を怒鳴りつけた。
“馬鹿野郎! 本気で飲もうとする奴があるか!!”
“なんだよ! いつも飲めねぇ飲めねぇってからかってくるクセに!”
“当たり前だろ! これはガキが飲んで良いモンじゃねぇんだよ!! 良いか! 俺らみたいなのはな、社会の中に間借りして暮らしてるようなモンなんだよ! だから、せめてカタギに迷惑かけねぇように法律を守んなきゃなんねぇんだ! 分かったか、クソガキ!”
結局、この時は杭打ち屋スパイキーが明嗣をからかい過ぎたのが悪いという事で決着がついた。しかし、以降は明嗣の中で思うことがあったのか、酒を口にしようとはせず言い返す程度で済ませていた。
まぁ、大人になればいくらでも機会はある。その時に酒で仕返しをしたら良い。そう思っていたのだが……。
「勝手に死んでんじゃねぇよ……」
「さて、君はどうするかね、猟犬? 皆と同じように手を引くのか?」
試すように情報屋が明嗣を睨めつける。まるで、答えによってお前との付き合い方が変わる、と言っているようだ。一方、明嗣は考えるまでもないとばかりに小さく笑みを浮かべた。
「冗談だろ。むしろ競争相手が減ってありがたいぐらいさ。必ず俺が仕留めてやるよ」
瞬間、情報屋は背中がひりつくような感覚に襲われた。猛獣が目の前に座っているような威圧感。そうとしか形容できないような空気が明嗣から放たれている。
「俺だって我慢の限界なんだ……。そろそろ終わりにしてやるさ……」
笑みを浮かべる明嗣。だが、明嗣の人間の証である黒の右目と吸血鬼の証である紅の左目、魔との混血である象徴する二色の眼には鋭く研ぎ澄まされた殺意が宿っていた。
同時刻。明嗣と別れた鈴音はその足でHunter's rustplaatsに向かっていた。言いたい事も全部言った後なので、心なしか身体が軽い。あとは全部片付けた明嗣が戻ってくれば解決だ。厳密には、澪との仲直りが残っているが、いざとなれば自分も間に入るからどうとでもなるだろう。それが終わったら、またいつものように悪態を吐いたりして、コーヒーでも飲んでいるはずだ。
もう、鈴音の心は終わった後に向いていた。
「……よし」
もう、落ち込んだ顔をするのは止めよう。しっかり明嗣と話し合えた事を報告するべく、鈴音は扉の前で一人頷く。この扉を開けたらいつもの自分だ。気合を入れた鈴音は準備中の札が掛けられているドアノブに手をかけた。そして、以前のように元気な声で挨拶しながら店内に足を踏み入れる。
「やほー! マスター、仕事ちょうだーい!」
中ではアルバートが店内をモップがけしていた。しばらく暗い表情の鈴音しか見ていなかったので、アルバートはモップがけを中断して不思議そうな表情で鈴音に返事をする。
「久しぶりな感じの鈴音ちゃんだな。何か良い事でもあったのか?」
「うん! 実はね――」
明嗣が戻って来る。鈴音が先程の出来事を伝えようとした瞬間だった。突如、まったく知らない第三者の声が割り込んできた。
「ここが明嗣くんが行ってたお店なんだ。綺麗なお店」
店内の空気が凍りつくのを感じた。アルバートと鈴音の二人が声のしたテーブル席へ目を向ける。すると、その先には見慣れない少女がテーブルに肘をついて座っている。
「ねぇ、ここってどんな料理を出すの?」
夜を思わせる深青の髪、ドレスのようにふわりとスカートの部分が膨らむワンピースを身に着けた少女、今回起きた不和の原因と言える燐藤 茉莉花がそこにいた。そして、彼女の周りには一匹の蝶が花の蜜を探すように飛び回っていた。




