漆
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話を聞き終えた久作は、思わず部屋を見回した。
きれいな畳の部屋は物が少なく、殺風景に感じる。しかし、ここで女が一人殺され、男が三人怪物になったのだ。
だが、いくら見渡しても、痕跡は見当たらない。血痕の一つもないし、男たちの脚がもげたというが、それらはどこにも見当たらない。
小夜を包丁で刺したという。調理するために腹を捌いたと言う。ならばその死体が今もこの家に転がっているのではないか。
否、この家には特段、そういった死臭は無い。何かがおかしい。
「あの、喜助さん。男達の脚や、小夜さんの遺体は何処に?」
久作が恐る恐る訊ねると、喜助は、首を横に振る。それの意味するところがわからず、久作は仄かな恐怖を抱いた。
「……失礼」
久作は断りを入れて、隣の部屋を覗いた。そこは台所である。明かりの灯っていない水場は、独特の湿り気と肌寒さがあるものだ。
息を吸い込む。湿った空気の中には、仄かな土臭さがあるばかりで、血の臭いはしない。
見ると、何処かで貰ってきたのか、まだ土のついた大根が壁際に立てかけられている。他にも干した魚だとか、洗ったあとのきれいなまな板がきちんと乾かされているとか、至って普通の台所、といった様子が見受けられた。
小夜の遺体は何処にもなかったし、血の跡も無かった。当然、男達の脚だってここにはない。
久作が村に来る前に、それらを何処かに片付けてしまったのだろうか。しかし、血痕一つ残さずに、遺体を処理できるものだろうか。否、不可能ではないか。
だとするなら、喜助の話の中に虚偽があったに違いない。しかし、態々人を招いて、嘘の話をする理由はなんだ。
小夜という女は本当にいたのだろうか。村で人魚のような怪物になって殺された男たちには何があったのか。
喜助の話は、何処までが嘘で、何処までが本当なのだろう。
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喜助の家をあとにした久作は、男達の遺体があった場所へ戻った。既に人だかりは捌けており、男達の遺体ももう無かった。どうやら、それぞれの家族が引き取っていったらしい。
人魚の肉を食うと、不老不死になるという言い伝えがある。しかし、人魚は想像上の怪物だ。本当に人魚を見た人はいないし、ましてやその肉を口にした者など存在しない。
だが、とある地域では、人魚の肉を食った尼の伝承があり、彼女は甘比丘尼と呼ばれている。
久作は小夜の正体について考えていた。
もしも、本当に甘比丘尼という存在がいたとしたら、彼女は不老不死の体で何年も生きて、生きて、生き飽いたのだろう。そうして、冥婚を知った甘比丘尼は、数人の男を誑かして、自分の肉を食わせようとしたのではないか。
甘比丘尼の肉を食った者は、不老不死になどならなかった。不老不死になれるのは本物の人魚の肉だけだから。結果、人魚のような怪物になった。不老不死にもなれず、人魚と呼ぶには不完全な怪物に。
甘比丘尼もまた、死ねない身体。愛する男に殺されて、食べられて、しかし死ねなかった。
絶望した甘比丘尼は、黙って姿を消した。そうして死ねない身体で今も彷徨っている。
「と、言うようなお話なら、面白いかもしれないですね」
久作は走らせていた筆を置くと、また次の土地へと旅立つのだった。