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五花陸の物語

北風がいざなう、ゆめ

作者: 安東 真夏

 やはり最初の北風の夜でした。北に面したまどガラスがカタカタとゆれています。

 おかあさんはゆうごはんのしたくをしていました。大きなさらにもったサラダを、食たくの上にのせたところで、おかあさんは話し声に気づきました。声は、げんかんの方から聞こえてきます。

 へやの中であそんでいたこどものすがたがありません。いつの間にかおきゃくさまが来て、さいきん口がたっしゃになってきた子どもが出ていったのでしょうか。

 おかあさんはあわてて、げんかんにつづくドアをあけました。小さな後ろすがたがふりかえり、おかあさん、と言って、笑いました。

 こどものむこうに、おかあさんはべつのすがたをさがしましたが、とびらのあちらにはまっくらな夜がたたずんでいるだけです。

 こどもがまた戸口にむきなおり、えがおを見せて、小さく手をふりました。

 おかあさんはげんかんの外にとび出しました。風のつめたさに、はだがふっとあわだちました。門につづく庭にも、さくの向こうのとおりにも、ひとかげはみあたりませんでした。かくれるような路地もありません。

 おかあさんは目をぱちぱちとさせました。はきだした息の音が、大きく聞こえるような、きみょうにしん、と静まったあたりに、今どはせすじがつめたくなり、おかあさんはいそいで家の中ににもどりました。

 おなかすいた、と言って、だきついてきたこどもをだき返しながら、おかあさんは少しかたい声で聞きました。

 子どもからは甘いにおいがしました。バニラビーンズのようなにおいは、今日のおやつの焼菓子でしょうか。

「だれとお話していたの?」

と。小さなこどもはふしぎそうな顔でおかあさんをみあげました。

 こどもはわからない、と答えました。

「おおきくて、きいろくて、口が大きくて、・・・かぼちゃなの、」

 こどもは首をかたむけながら、いっしょうけんめいにせつめいしますが、どう聞いても人間をせつめいしていることばではありません。

 もしかして、犬かねこだったのかしら、とおかあさんはちらと思いました。そう考えれば、すがたが見えなかったこともすんなりなっとくがいきます。おかあさんは気もちが軽くなってきました。

「おかあさんにだまってげんかんをあけちゃだめよ? かまれたらたいへんでしょう?」

「かまないよ?」

「そんなの分からないでしょう? 大きな口をしているのでしょう?」

「そうだけど、」

 こどもはことばをさがしているようでしたが、おかあさんはそのかたをおして、

「やくそく!」

と言いながら、とびらを閉めました。

 閉まりきるしゅんかんに、とおくからにぎやかなわらい声が聞こえたようにも思いましたが、夕食のしたくのうちにわすれてしまいました。


 それもまた北風の吹く夜でした。

 カーヤは昨年、下の学校に入りました。同時にお母さんはカーヤを産んでから休んでいた仕事に戻りました。カーヤの首には空色のリボンで結んだ家のかぎが下がっています。学校から帰ると自分でドアを開けておやつを食べてから、月落ちの谷から流れてくる小川の近くで、友達と遊びます。日がかたむく前に友達とはさようならをして、五の鐘のあとは家の柵から出ないという約束がありましたから、晴れている日はだいたいそのまま柵にもたれて、お母さんが帰ってくるのを待ちました。

 さて、五の鐘が、みかん色をにじませたこん色の空にちっていきます。木の葉が色づきはじめ、日は一日一日とみじかくなっていました。

 街燈を灯していく人がゆっくり遠ざかって、青白い光が道のおくまでつづいていくのと反対の方向から、お母さんの足音が聞こえてくるころです。

 このあたりはお店もなく、まちのおくまったところに位置しているので、家路をいそぐ近所の人が足早にすぎるくらいで、とても静かに夜に入っていくのですが、今日はなんだか空気が違う気がして、カーヤは知らず息をつめて、しゅういをうかがいました。

 北風がまたつよくふきました。木のこずえを大きくふるわせて、足をふんばらないとよろめいてしまうような、つよい風です。ぎゅっと足に力を入れて、思わず顔をふせました。

 風はふきぬけ、小さくいきをはいて顔をあげたカーヤは、道いっぱいに人があふれているのに目を見開きました。

 いつの間に、こんなに来たのでしょう。

 それも、ふわふわとしたうすい布地の、キャンディの包み紙のようにきれいな、色とりどりの服を着て、笑いさざめきながら、おどるような足取りで歩いていくのです。

 あまい、とてもいいにおいがしたと思うと、楽しげな音楽も聞こえ始めました。クラッカーがはじけるような音もまじり、どこだろうとさがすと、それはクラッカーではなく、赤に青、緑に黄色、金と銀といった色のついたシャボン玉が割れる時の音でした。それは割れる時に音を出すだけではなく、ふわふわと空中をとんでいる間はやわらかな光を放っていて、あたりがすっかり明るい様子になったのはこのシャボン玉のためでした。

 シャボン玉をとばしているのは、ねこのようなしっぽをつけて、やぎのようなひづめのあるブーツをはいた少年でした。カーヤのうでほどの長さのぎんのストローと、金のバケツを下げた彼が通りすぎ、よくよく見ると、大きなつばさが背中についていたり、鳥のくちばしで腕をすっぽり羽毛でおおっていたり、ねこのような、あるは犬のような、耳やしっぽをつけた、とにかく様々な衣しょうを身につけた人たちが、たくさん歩いていきました。

 カーヤと同じくらいのこどもから、つえをもったおとしより、少年少女、そして男の人女の人、ねんれいはばらばらでしたが、みんな楽しそうに歩いていきます。

 遊伶の民(サーカス)がおととしまちに来て、大通りを行進した時のことを思い出しました。

 しかしにぎやかな口上を述べる様子はなく----カーヤはそこで、また一つふしぎなことに気づきました。

 おどけた風に肩をすくめあったり、顔をよせあったり、彼らのあるいはくちばしはたしかに動いているのに、声を聞き取ることがどうしてもできないのでした。音楽や、シャボン玉のクラッカーや、すずの音ははっきり聞こえるのに。

 うっとりとはなやかなパレードに見入っていたカーヤの心のすみで、なにかうすくらいものが身じろぎしました。

 けれど、かげが形を作って、あの暗い階段を見下ろして、底が見えない時ふとぞっとするような気持になる、ほんのわずか前に、カーヤの前でひとり立ち止まったのです。

 彼は----お父さんを見上げる時よりもずっと上を見なければなりませんでしたから、かなりせが高く、声も大人の男の人の声でしたからそう思ったのです----かぼちゃでした。正しくは、大人でも一抱えにできないくらいのかぼちゃの形のかぶりもの(本物のかぼちゃをくり抜いたようにも見えました)をすっぽりとかぶって、顔の見えない()()でした。

 かぼちゃのへたのところに三角のとがったぼうしをつけて、体はすっぽりと黒いマントでおおっていました。かぼちゃの顔はくっきりとした黒で、目とはなと口がありました。四角い大きな歯が並んだ口、両はしがつりあがりぎみで上を向いた三日月のよう、はなは黒いぎゃく三角、目は正円の中に正三角形です。

 カーヤはじっとかぼちゃを見つめました。彼のうしろをパレートがすぎていきますが、カーヤの目はかぼちゃを見つめて動きませんでした。


 お母さんが帰ってきとき、カーヤはひとり柵に背をあずけて、空を見上げていました。

 お母さんは坂をのぼってくるとちゅうで、とつぜん居ても立っても居られないような気持におそわれたのです。早歩きが小走りに、そして駆け足になって、大急ぎに帰ってきたお母さんは、すっかりあがってしまった息の中で、ほおっときんちょうのとけた吐息をはきだしました。

 門を開けながら名を呼ぶと、カーヤは大きく肩をふるわせて見返りました。いつも角を曲がるとすぐに気づいて、ぴょんぴょんはねながら待っているのに、いつないことでした。

 学校でなにかしっぱいしたのか、友だちとけんかをしたのか、お母さんは聞きましたが、カーヤは何を聞くのかときょとんとした感じできょとんとし、それからそんなことはないよと笑いながら、おなかがすいたとうでをひいてきました。

 それはいつもどおりのようすで、お母さんはさっきのあてにならないむなさわぎといい、自分は少しつかれているのかもしれないと思い直して、ごはんを食べ終わるころまではそれでも少し気にしていたのですが、ねむりに落ちた夜半にはその夕方の心配を忘れてしまっていました。


 北風が吹いていました。

 カーヤは町を流れる川を見下ろして建つ中の学校に通っています。

 坂を下り、通りを数本横切り、市庁舎の前の広場を斜めに進んで大通りをまっすぐ。一番にぎやかな市場通りを抜けたら、今度は坂を半分のぼってから左に折れて、橋を渡って、くねくねした坂を上まであがります。家からはだいたい一時間ほどの道のり。

 遠いし、学校の時間もずっと長くなって、家に戻るころにはもうとっぷりと日は落ちて、下の学校の時のように遊びにでることはできません。たまにはやく帰ることもありますが、そういう時は試験が近かったり、最中だったりするので、勉強するために家にいなくてはなりません。

 毎日遊びまわった場所は、いまはもうカーヤたちの場所ではなく、別の小さな子どもたちのものでした。

 少しずつ、気づかぬうちに、ゆずりわたし、ゆずりわたされ、だれの毎日も進んでいきます。

 学校から一緒だった友だちとは、市庁舎の前を通り過ぎた角で別れました。頭の中で、明日のテストで必要な内容をくり返しながら、ゆっくりと家に続く坂をのぼっていきます。

 家の屋根の端っこが、木の梢のあちらに見え、人気のない公園をちらりと横目に見て、最後の角を曲がります。

 軽く左右をたしかめて門に向かって道を横断しはじめたカーヤは、道の真ん中で、ふいに制服の胸元をにぎって立ちつくしました。

 あたりはとても静かで、ひとかげは見えません。お母さんは今日もおそいようで、まだ明かりがともっていない家はひっそりと、夕闇に溶け込んでいます。昨日と何も変わらない様子なのに、ふいにざわざわと押し寄せた、この不安と期待が入り混じった、どきどきと波打つ心は何なのでしょう。

 ぎくしゃくと足を動かし、とにかく道路を渡り切りました。門柱に左手をかけて、そっと道路を振り返りました。

 北風が、吹きました。


 いっしゅん。

 目の前をふわりと金と銀の、シャボン玉を思わせる光が横切った()()()、甘いにおいをかいだ()()()、にぎやかな音楽を聴いた()()()、はなやかな色をまとった浮かれたつ人波を見た()()()----。

 はっと目をみはり、けれどまたたいた次の時にカーヤが見たのは、かさかさと道端に溜まっていた木の葉が乾いた音をたてて、闇の向こう側に吹き散らされていくさまでした。

 ちくり、と左の薬指のつけねがいたみました。街燈のわすかな光に、指をすがすようにして眺めましたが、そこには何もありません。

 カーヤはぱたん、と腕を下ろしました。

 何かが悲しくて、何かがつらくて、何かがとてもいたくて、胸が苦しかったのです。

 けれど。何かは何だったのでしょう。

 ぼんやりと、ひっそり静まり返った通りを見渡し、自分の家の前だというのに、まいごの小さな子どものように、立ちつくしています。


 どのくらいそうしていたのでしょう。

 名前をよばれて慌てて視線をめぐらすと、同じ通りに住む、まだ下の学校にも入らない小さな子どもがひとり、にこにこと立っていました。こんな時間に、こんな小さな子が一人でいるのは感心しません。おうちの人はどこだろう、とあたりを見渡しましたが、それらしき影は見つけられませんでした。

 心配をよそに、子どもはとても幸せそうに笑っています。

「きれいだったねぇ、ぴかぴかで、きらきらで。」

「・・・そう?」

 何を指しているかは分かりませんが、子どもは夢中でしゃべっています。

「ふわふわのはねのひとがね、これくれたの。すっごくおいしいの。」

 べ、と舌の上のあめ玉を見せます。

「カーヤちゃんは何かもらった?」

「さあ・・、」

 ちくり、とまた指の付け根がいたみました。けれど、どんなに目を凝らしても、そこには傷も何もありません。

「つぎに会えたら、もっといいものをくれるって。でも、つぎっていつ?あした?」

 あれ、と首を傾げる子どもの無邪気さに、カーヤはほほえみました。

「あしたのあしたの、ずっーとさきのあしたじゃないかな?」

「あしたのあした、」

 指をおってみますが、分かるはずもなく、むーとうなっているすがたはとても愛らしいです。

 こんな小さな時が自分にもあったのだな、と思います。

「でも、知らない人から、おかしもらってはだめよ?」

 そう、もうこんなおとなぶった注意だってできます。

「お家、帰ろっか。おくってあげるよ。」

 さしだした右手を、うん、と元気よく小さな掌がつかみました。

 カツン、と何か小さな硬いものが道路に落ちて、転がったような音が耳に届いて、カーヤはふとあたりを見ましたが、何もみあたりません。

「…ゆびわ、おちた、」

 子どもが何かを追って、視線を動かしました。そして、カーヤの左手を見ます。

「ゆびわ、なくなった?」

 はじめから、指輪なんてしていません。

「ぎんいろの、お花のかたちの・・・、」

 子どもがしゃがみこんで、何かをひろう仕草をします。何もないところから、つまんだそれを渡してくれます。

「はい。」

「ありがとう。」

 ごっこ遊びに、ありがたく受け取って、にぎりこむ仕草をしました。満足そうに子どもは笑いました。

「行こっか。」

 右手をつなぎ、子どもから見えないように、閉じた左手を開きます。もちろんそこには何もありませんが、もしあったとしたら、今またすべり落ちていきました。

 もちろん、何もないのですから音もしません。

 北風は、ころころころころ、それを転がして、それはもうすっかり見えなくなりました。


 ----見えなくなってしまいました。


 

 

 


















わりと昔に書きかけていた作品を、手直ししました。

文体も、童話風に寄せてみましたが、難しいです。

そして結末。手元の原稿から大幅改稿ですが、童話というくくりなら、こちらかな、と思って。

ほろにが、ですが、私の中でハッピーエンドな童話もどこか苦さを含んでいるような気がしています。


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― 新着の感想 ―
[一言] 北風の吹く夜でした、という言葉の繰り返しが不思議な雰囲気を醸し出していたように思います。 全ては夢の中だったのかななどと考えてしまいました。
2024/02/11 10:42 退会済み
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