【156話】決別を選んだ者たち(アウグスト視点)
薄暗い。
空気は重く、身体に悪そうな香りが微かに流れるこの場所。
喧騒とかけ離れた世界。
一歩踏み出せば、足下には、無造作に瓦礫や朽ちた造形品の欠片が散乱している。そんなことなど気に留めず、俺は先に進む。
向かうのは旧教会都市の中心部……ではなく、その地下。ここは、この地域を荒らしていた魔女にとって重要な場所だった。
上から、染み出した水が滴り、何滴かが肩に当たる。
やや服が濡れたが、それはもう仕方がない。
少しだけ地上から光が差し込む場所に出る。
本来であれば、誰ひとりとしてそこに人はいない。
つまり、今目の前に人がいるのは、異常なことだった──。
せっせと動き、何かをしている。まあ、俺にはそれがどういう意図を含んで行われているのか一目瞭然だ。
ただ、俺は足音を立ててそれに近付く、相手も気付いているはずだ。されども、わざわざこちらに振り向いたりなどはしない。警戒もしていない。害を為そうとしていないことを理解している。
──反応が無さすぎると、逆に気味が悪いわ。
「お〜い。ここは立ち入り禁止ですよ〜」
おちゃらけた感じに声をかけて、相手は初めてこちらに顔を向けた。
こちらの動きも。
考えていることも。
全てお見通しだよと言わんばかりに、その男は穏やかな表情のままに動かしていた手を止める。
「おっ! 誰かと思えば、あの時のガキじゃねぇか。こんなへんぴなところに一体何の用だ?」
──分かっているくせに、そうやって惚けんのか。
「分かってんだろって」
「まあ、だいたいな」
「俺がここに来ることも──なーんか、知ってたっぽいしさぁ」
ここに来るまでの道筋でそれは、なんとなく感じていた。
以前ここに来るまでに辿った道とは明らかに歩きやすくなっていた。
以前俺が落ちた穴からここに侵入してきたが、地下にゾンビの死骸がなかった。
地上に出て、あの包帯女もとい【死の魔女】と接敵するまでに俺は、この地下を蔓延るゾンビを雑に倒しながら進んだ。それが跡形もなく、消えているのであれば、俺以外の誰かが再度この場所に来たと思うのは、当然のこと。
加えて、ここまでの道のりが辿りやすいように、通路の分岐点には、必ず決まった目印が刻まれていた。誘導もここまで露骨にされると馬鹿でもそれを理解できる。
「しかも、こんなところに何度も来るとか、趣味悪くねって。魔女の遺物に触るとか、チャレンジ精神豊富過ぎんだろ」
「それはお互い様ってやつなんじゃないか。ここに来たがる物好きは、俺だけじゃなかったってわけだ」
ど正論で打ち返されるが、聞き流す。
今重要なのはそこではない。
男の背後にあるのは、ゾンビが無限に湧き出てきたあの時の黒いゲートと同じもの。ただし、その効力が残っているようには見えない。
ゲートは剣でボロボロに刻まれ、そして、その男の手には刃こぼれ激しい刃物が握られていた。
「あーあ、しかも勝手にここの物壊しちゃうし。怒られちゃうんだぁ。知らないぞ〜」
冗談半分で告げれば、男は豪快に笑う。
「別に怒られたって構わねぇさ!」
本当に行動原理が読みにくい。
【エクスポーション】のリーダーを務める男。
特別な瞳で仲間を見定め、パーティを高みに導いたヴィランという謎の男。
相対して。
話し合って。
俺は、この男の根幹を理解する。
──腹の底が知れねぇやつ。
性格だけで考えれば、あの直上的な【死の魔女】よりも厄介。
化け物じみた運動神経もあの時、戦闘越しにチラリと見ていた。戦闘センスも抜群に高く、正直、戦いたくない相手だなと感じた。それにあの時のオッサンは、真に本気ではなかった。
「それで? そっちは何しにこんな場所に来たんだ?」
「ああ、オッサンのパーティに加入させて貰おうと思ってね」
「……っ! ははっ、そりゃ面白い!」
俺が即答すると、オッサンは剣を鞘に収めて、笑いながらこっちに歩いてくる。
「まっ、レオっちとの世間話のついで寄ったみたいな感じだけど」
「そうか。まあでも、興味深い話だなぁ!」
吐き捨てるようにそういうと、オッサンはすぐ目の前までやってきて、バシバシと背中に平手を喰らわせてくる。
「いたっ、痛いって〜」
「面白いじゃねぇか! わざわざ大手のパーティ抜けてうちに来たいなんて」
「息苦しいのは嫌いなんすよね。堅物な統括役が上で牛耳ってるから、融通効かねぇし。罰則とかクソだるいし」
これは本音。
現在のパーティに対する不満をぶちまけただけである。まあ、このオッサンにだったら、何言ったって大丈夫だろうが。
本当に嫌いなんだよなぁ、アリアってなんでも凝り固まった考え方しかしないし、なんならその思想押し付けてくるし。流石に本人の前でこれを言うつもりはないけども。
暴露大会を脳内で勝手に開催していると、オッサンは俺の本気で嫌そうな表情をした俺に驚いたような顔をした後にまた爆笑した。
「なんすか……」
「いや、うん! やっぱ面白いやつたって思っただけだ!」
「今のどこに面白い要素あったんすか。俺、愚痴ってだけだけども」
「ハハッ! いや、変わったやつだなぁって思ってな」
──それもお互い様だろうに。
自分のことを棚に上げておいて、俺だけにそれを言うのであれば文句のひとつやふたつ垂れ流していたところだろう。が、このオッサンは自分が他と違うことをちゃんと自覚しているから、それを敢えて言ってやる必要もない。
静かな空間に流れる微音。
黒いゲートがビシビシとひび割れを起こし、崩壊していく瞬間が目の前にはあった。
耳を傾けて。
オッサンは、そちらに視線をやる。
「あれがあると、いつまで経ってもここは平和にならねぇからなぁ。この旧教会都市にあるゲートはあれで最後だ」
壊して回っていたのだろう。
その意味は、己の住む場所の平和を守るため。
そして、それはこのオッサンにとっての大きなリスクとなることでもあった。
「いいんすか。本当に」
「あ?」
「魔女と友好な関係を築いていたのに、それを裏切って……オッサン、命知らずなんすか?」
オッサンはポリポリと頭を掻きながら、眉を八の字に曲げて苦笑いを浮かべる。
「やっぱ、バレてたか。あの人とは、10年以上も前だが、親しくさせてもらってんだ。けど、それももう昔の話さ」
──尻尾を巻いて逃げるべき場面だったのになぁ。俺だったら、自分の命が惜しいから、一目散に逃げ出した。
そうしなかったのは、このオッサンなりの覚悟を持ってやったこと。魔女と敵対しても守りたいものがあったという明確な意思表示だった。
過去ではなく、今を選んだその選択が正しいのかどうか。
それは、誰にも分からないことだ。強いて言うのであれば、
「格好いいな。……オッサンなのに」
芯のある人というものは、誰しもが輝いて見えるということだろうか。
「ガハハッ、そんな大袈裟なことじゃない。未練タラタラで後悔ばかりだ!」
オッサンは、言葉に見合わず明るく笑う。
その瞳の奥に陰りが一瞬だけ見えたのは、俺の勘違いなのかもしれない。