【155話】また会えて、その後を誓う
背後に気配を感じた。
アウグストじゃない。
騒がしい雰囲気とかじゃなくて、もっとこう落ち着いたもの。
時間の流れがゆっくりになった気がして。
振り返るまでもなく、俺の口元は緩んでいた。
冷たい肌の感触が手に伝わってくる。
繊細な指先の動きをしっかりと感じながら、俺は呟く。
「無事でしたか」
指の動きがそのまま止まり、だいぶ間を開けてから、俺が声を掛けてその人は透き通るような声でこう答える。
「うん」
あの日出会った不思議な女性。
あの時と同じ黒い服で全身を覆い隠したギフリエさんは、俺の背後で静かに佇んでいた。
それほど長い期間は空いていないのに、何故だがその再会がとても久しぶりかのように感じた。
危機的状況を挟んだからなのだろうか。
どちらにせよ、こうしてまた出会えたことは、とても嬉しいことだ。
「ギフリエさん」
その名を口にして、振り返る。
あの時と同じ。
静かな感じがとても落ち着く。
そして、何故だか分からないが酷く懐かしい気持ちになってくる。この人とは出会ってまだ間もないにも関わらず──。
「レオ……元気そう……よかった」
「はい、おかげさまで」
ゾンビと戦い、疲れて眠ってしまった瞬間に、ギフリエさんが付きっきりで見ていてくれなければどうなっていたか分からない。だから、感謝の気持ちを込めてそう返答をする。
「あの後……どうだった?」
純粋にことの顛末を聞きたいのだろう。
ギフリエさんと別れるまで、俺はきっと切羽詰まった顔をしていたと思う。
「丸く収まった……とは、いきませんでしたかね。きっとまた色々あると思います」
「そうなんだ……」
考えて出した答えは、さも当然のこと。まだ何も終わっていないし、むしろこれから解決していかなきゃいけなそうな案件が山積みになっている気がしてくる。
俺の言葉にギフリエさんは、暫し暗い表情を浮かべる。
そんな顔をされ、フォローしたいと俺はワタワタと両手を動かした。
「いや、でも。なんていうか……山場は乗り切ったみたいな感じですかね。取り敢えずは、一安心みたいな」
──自分で言ってた何言ってんのかよく分からないな、これ。
しかし、ギフリエさんはちゃんと耳を傾けてくれた。
「一安心?」
「はい。大事な人たちを誰も失わずに済みましたから」
「大事な人……それはとてもいいこと」
「そうです。いいことなんですよ」
彼女との会話は少しだけテンポが悪い。
けれども、それが逆に新鮮で心地よく感じている。
彼女から伝わる優しさがあるからなのかもしれない。俺に向けてくる彼女の視線。
目視はできない。
瞳の部分は布で覆われているから。
それでも、優しい眼差しを向けられていると思うタイミングが多かった。
だから、俺は頭を深々と下げた。
「──?」
彼女は俺の行動の意味が分かっていないような表情になる。
「お礼。あの時、ギフリエさんに会えたことで緊張の糸が少しだけ解れました。だから、ありがとうございます」
感謝の言葉を──そして、その先の関係性に関しても伝えたいと考えた。
ただの恩人で終わっていいとは思わなかった。
「よかったら、今後もまたこうして会いに来てもいいですか?」
「レオ……それは」
ギフリエさんは悩んだように地面に目を向ける。
そんな反応されるとは思わなかった。
困らせるとは思っていなくて。
だから、ギフリエさんが無言でそのまま次の言葉を言えずにいるのがもどかしい。
「えっと」
何か気の利いたことでも言えたらよかった。
しかし、何を話せばいいのかも頭に浮かんでこない。
俺はまだ、ギフリエさんのことをあまり知らないから──続けようとした言葉の内容は空っぽのまま。
「……」
「……」
沈黙は長い。
シンプルな答えが欲しいだけだったのに。
こうして黙り合う時間がとても心苦しい。
「私とこれから先も……関わり合いたい?」
「え?」
儚げな顔でギフリエさんは、それを口にした。
「あ」とか「その」とか、そういう小さな声しかあげられない。
正直に答えれば、答えは「はい」一択。
でも、そう簡単に答えてしまうには、なんだか重い意味を孕んでいる気がして。
「ちゃんと答えて」
でも、その次に発せられた掠れた声が頭に届いた時、俺は──。
「関わり合いたい、です。少なくとも、俺はそう考えてます」
咄嗟にそう答えていた。
その発言の責任も考えず。
何も分からぬまま。
急かされるままに答えていた。
今の俺は、どんな顔をしているのだろうか。
不意に考えてしまう。
ギフリエさんはとても悲しそうで嬉しそうな顔。では、俺はどうなんだろう?
言葉に込めた意味に合った表情を保てているのだろうか。
「レオ……分かった」
俺はわからなかった。
何も。
けれども、ギフリエさんは悟ったように神妙な面持ちをやめた。
優しげな雰囲気で溢れるその姿を瞳に映すと、まるで童心に返ったような気分になる。
──なんだこれ? ふわふわする?
気温はそこまで高くないのに、心がとても穏やかで暖かくなるのを感じた。
「でもね……私は、私と深く関わり合うのをオススメしない」
含みを持った言い回しには、俺の知り得ない情報が組み込まれていて、その理由さえ分からない。
当然だろう。
その訳はきっと彼女自身だから把握しているのだ。
「何故、そんなことを?」
「後悔するから……貴方はきっと後悔する」
主語もなく、ネガティブな単語が並べられる。
「知らないままなら、大丈夫。でも──レオはきっと、知ってしまうから」
「────っ!」
言葉の端々に飾られているのは、真実を覆い隠すような綺麗な装飾。
遠くから見ている分には良いと伝えてくる彼女は、いざこちら側に近付いた時に後悔すると警鐘を鳴らしているのだ。
「それは……」
『どういうことなんですか?』とは、聞けなかった。
そこだけは、聞いてはいけない気がした。ちゃんと自分でその真実に辿り着かなければならないような。
俺が何を知って後悔するのか。それは今知ってしまえば、きっと彼女の言う通りになる気がして。
「いえ、なんでもないです」
「そう……」
肝心なことは聞けない。
そして、きっと聞いたところで彼女は教えてくれないだろう。
優しいからこそ、残酷な真実は隠したまま。
俺が知って後悔するようなこと。
ギフリエさんと関わり続けて後悔すること。
ギフリエさんの抱えてる秘密がきっととんでもないことなのだろう。
それが何かは微塵も分からないが。
まあでも、それは今はそこまで問題ではない。
いずれそれを知って後悔するというのなら、その時はその時。
今はそんなことを言われたとしても、この意志は変わらない。
「俺は、ギフリエさんのことをもっと知りたいです。後悔するとしても、それも含めてちゃんと……」
「レオの考え……伝わった」
「そういうことなので、またこうして会いに来ます」
「ううん」
「え?」
会いに行くという俺の言葉にギフリエさんは首を振る。
一歩こちらに歩み寄り、ギフリエさんは微笑む。
「今度は私から会いに行く……かも」
最後に少しだけ保険を掛けたが、ギフリエさんは確かにそう告げた。
これまでの後ろ向きな接し方からしたら、大きな変化だ。
「じゃあ、楽しみにしてます。あっ。俺、冒険者なんですけど、どこに住んでるとか教えた方が──」
「必要ない」
「そ、そうですか」
提案は簡単に蹴られた。
親切心から、教えようかと思ったが、それは必要ないらしい。ということは、俺のパーティハウスの場所を知っているということだろうか。
ついぞその顔色を窺うが、それらしい表情の変化は見られない。
「御守り……」
俺の腰の辺りをギフリエさんは指差す。
「ああ、あの時貰ったやつ」
「そう……レオがそれを持ってれば、また会える」
──目印ってことなのか?
貰った小袋を取り出して、それをギフリエさんに見せる。
それを見て、彼女は念を押すように呟いた。
「もう一度言うけど……中を見てはダメ」
中に何があるのだろうか。
そんなに言い含められると、中身が気になってくる。
「これの中身ってなんなんですか?」
「……」
──言えないものが入ってるってこと?
不安だ。
御守りというくらいだから、持ってて害のあるものじゃないとは思うけど、教えてくれないところがこの中身の物々しさを語っているようで。
「えっと、これは絶対に開けちゃダメなやつなんですか?」
再度確認すると、少し困ったようにギフリエさんは俯く。
その後、はぁと冷たそうな息を吐き、ゆっくりと唇を動かす。
「死にそうになったら……開けていい」
「死にそうになったら、ですか?」
「そう……それが例外」
──本気で中に何があるのか気になってしまう。切り札的なものなのだろうか。
視線を配るが、それ以上ギフリエさんが語る素振りはなかった。
追記:書籍化に伴い、『追放されたのか?』のタイトル変更をする予定です。
よろしくお願い致します。