【145話】心の闇と変革
「私たちが何者か、それを簡単に伝えるとなると──人ではない高貴な存在です」
納得のいく答えとは程遠い。
人ではない高貴な存在、それはあまりに曖昧で意味不明な発言でしかなかった。
「貴女たちは人間じゃないと?」
「厳密には違いますが、その解釈で間違っていません。人としての生き方を捨てた──私たちはこの世で最も神に近しい存在」
──余計に分からなくなってきた。それに彼女の言い分が真実であったなら、
「それでしたら、貴女たちは神のように人々に恩恵を授けてくれるんですか。とても、そんな神々しい存在には思えませんが」
神とは、人間が作り出した偶像だ。
崇め奉る。
それは、神という存在とのより良い関係性を保つために行う儀式的なことだ。その神とやらが人の害悪となるなんてことがあっていいのだろうか。
「ふふっ、神がいいものだけだなんて限らないのよ」
意見の違い。
思想の違い。
それらが色濃く感じられる。
神は神でも、善良とはかけ離れた存在。
「私たちは、神ではありません。言ったはず。それに近しい存在であると」
──別物なのはもう分かってるよ。
この問いは、ただの皮肉だ。
俺たちはお前たちのことを神に近しい高貴な存在だなんて思っていないという遠回しな言い方。
「まっ、神がこんな毒々しい見た目してたら、困るわなぁ。俺だったら反吐が出るぜ?」
アウグストは「死ね」みたいな悪意たっぷりな視線を向け続ける。
「そんなこと言われてもねぇ……私たちにも、私たちの目的があるの。それを遂行するためには多少の無理は通さないといけない──分かるかしら?」
「分かるか。てめぇらの妄想を俺たちに押しつけてんじゃねぇ! お前の身勝手はお前の中だけで完結させとけよ。俺たちに共有しようとすんな!」
「うふふっ、手厳しいわね」
ゆるゆらと浮かび上がり、包帯女は色素を薄めていく。
手を振り楽しそうな顔のまま、
「じゃあ、またお会いしましょう。今度はちゃんと──殺してあげるわ。ふふっ」
「てめぇ、逃げてんじゃねぇぞ‼︎」
別れの言葉を言い残し、空に消えた。
アウグストの罵声が届く間もない。
残った危険人物は、周囲をぐるりと見渡して、ある一点を見据える。
その視線の先にいたのは、酒飲みと名高い我らがパーティリーダー。ヴィランに向ける視線は、青く燃え盛る二つの瞳が大きく揺れたことで、心情の荒ぶりをより分かりやすく表現していた。
「……そう、それがお前の選んだ答えなのか」
ヴィランは一歩前に出る。
既に黒いゲートも竜も破壊した後、残すは僅かに生き残ったゾンビと目の前に居座る悪き存在。
驚きであった。
ヴィランだけがその場で動けていた。
その場の時間は止まったかのように誰も動いていない。ゾンビですら硬直している状況で、ただひとり。
雑な足音を響かせながら、自分を見つめる黒い女の方へと歩む。
「何故お前がここにいるのかは、聞かない。でも──私と対立する意味は、分かってるはず」
「────」
ヴィランは答えない。
その瞳に何を写しているのだろうか。
真っ直ぐとその声の主だけに目を向けて、ヴィランは足を動かす。
「あの頃の関係を持ち出す気はない。だから、私の進む道に立ち塞がるのなら、容赦なく殺す」
冷たいだけの言葉ではなかった。
引き下がれと、忠告を含んだ葛藤も感じられる。
出来れば戦いたくないというような意志。
決して分かり合えない相手であるはずなのに、その言葉には人らしさが存分に盛り込まれている気がして。
しかし、その言葉を聞かされた当の本人は、瞳をゆっくりと閉じ、深く息巻いた。
前置きなどどうでもいい。
馬鹿にするなとばかりにヴィランは、唇を嬉しそうに歪ませる。
「残念なことにあの時の俺とは違うんだ。あれから、オッサンになるまで俺は人生を送った。だから自分の生き方も、生き甲斐も、ここにちゃんと刻んでる」
胸に手を当て、ヴィランは堂々と告げた。
「そうか。お前はもっと賢いと思っていた」
「賢くなんてないさ。俺はただ、大事な居場所を見つけて、それを守るために動く。理性なんてものは知らん。なんでもやれる今だから、本能のままに好きなことをやるんだ」
ヴィランは剣を差し向ける。
明確な対立を宣言しているようなものだった。
「俺は、過去を後悔ばかりしたくない。今は、明るい未来だけを見続けたい──」
「未来を見て、それで何が変わる?」
「可能性に夢を抱き続けるのは、楽しく生きてる人間の特権なんだよ。ガハハッ!」
豪快な笑いは旧教会都市中に響いた。
「はぁ……そう望むのなら好きにしたらいい。もう何も言うことはない」
真っ黒な身体から、より黒いモヤモヤを周囲に撒き散らし、女も例に従って消えようとしている。
きっと別の場所に転移する魔法か何かなのだろう。
ヴィランはその様子を止めるでも、送り出すでもなく、やや呆れたような目で見ていた。
「いつまでも固執した考え方ばかり、それが面白くないと教えてくれたのは、師匠だったろうに……」
「そんな昔のことを今更──弱さは悪。誰かと深い関係になれば、その者自体が弱点になる。それは、お前も嫌っていたはずだ」
「嫌っていたさ。でも、大事なことを知ったんだ。失って、初めて知ったんだ……」
「……」
ヴィランは何を伝えたかったのだろうか。
シュルシュルと黒い霧は、渦巻いて、そのまま消散した。
彼の告げた声に返しもなく。
その会話の内容さえも、風に流れて薄れていく。
「……俺は10年前とは違う。今度は間違えねぇんだ」
寒々しい風が吹き抜ける中、ヴィランはひとしきりその場の空気を吸い込んだ。