聖母のような笑顔
んだねえ」
と言われる。そりゃあ坂戸よりはずっと都会ですよー!
「花で言えば、まだつぼみだな」
だって。あはははは。つぼみですよー、つぼみ。もうすぐ咲きますよー。
途中、お手洗いに行ったら、ちょうどママと会った。
「どう?うちの店、みんな良いお客さんばっかりでしょ?」
だって。笑顔で頷いた。本当にそうだと思ったからね。埼玉とは客層が全然違う!断然こっちの方が良い!
あっという間に閉店時間。
「舞ちゃん上がっていいよ」
ママに言われ、控え室へ。さっと髪をほどき、着替えをして帰る。
深夜の新橋駅は朝のラッシュ並みの混雑だ。クラブ帰りのホステスや残業で遅くなった会社員、様々な人生を乗せて電車は走る。まっすぐ目黒へ。
アパートへ帰り着き、初めてほっと息を付く。ああこれが毎日続くんだ。早く寝よう。さっと風呂へ入り、簡単に顔や髪の手入れをしてから寝る。
翌朝、鳴り続ける目覚まし時計を止め、起き上がる。さあレストランへ出勤だ。みんなに私、銀座デビューしちゃったんですよ、なんて言えないから黙って働くけど、銀座のホステスってもうひとつの夢が叶ってウキウキしていた。
段々分かって来たよ。クラブに来るお客さんって要するに癒しを求めているの。家庭や会社で味わえない癒しを!しかも銀座で酒を飲むってーのが、ステータスなんだろう。
出しゃばり過ぎず、引き過ぎず、ちょうどいい匙加減を測りながら「恋人っぽい雰囲気」で接するようにした所、これが当たった。
咲さんはいつ見ても指名客に囲まれ、華やいでいた。京子ちゃんも頑張っている。咲さんや京子ちゃんほどではないけど、私を指名してくれるお客さんも増えてきた。
「舞ちゃんを応援したいから」
って、毎回指名をしてくれるお客さんが増えるごとに日当も上がった。最初は一万五千円だったけど、一年後には二万三千円になったよ。
その頃、派遣会社に登録し、銀座にある画廊で働くようになった。派遣の方が時給も良かったし、神様が銀座にこだわる私に微笑みかけてくれたような気がする。勿論目黒のレストランは辞めた。絵は詳しくないけど見ているのは好きだったし、覚える事も多かったけど頑張った。絵を見ていると、何となく中学時代の美術の先生を思い出した。あの先生が今の私を見たらびっくりするだろう、もう憐れむような目なんてさせないぞ。
そうそう、画廊に来るお客さんは「通」って感じの人が多くて勉強になったな。画家によって特徴って違うけど、それを熟知していて、私にも教えてくれたり、展示会の時に家族連れて来てくれたり、段々知識が増えるにつれ、会社の人の信用も得られるようになり、そこも嬉しかった。社長も社員のみんなも、私を程よく構い、程よくほっといてくれる。昔友達やそのお母さんに変に干渉されて傷つけられた経験があるだけに、ほどほどの距離感は心地が良かった。
そして給料日が月に二回あるのも有り難かった。月の半ばに画廊の給料日、月末はクラブの給料日。給料をもらうたびに新しい布団(いのいちばんに買った!)や洗濯機、掃除機等、ひとつずつ家具が増えていくのも嬉しかったし、電話も引いたし、しっかり貯金もしていた。私は私だけの力で生活しているんだ、自立しているんだ、もう誰にも馬鹿にされない。
真面目に働いたのが評価され、一年後には画廊でも契約社員として派遣会社を通さずに直接雇用してもらえた。給料も時給換算ではなく、日当一万円で契約してもらえるようになったし、貯金も二百万円を超えたし、どんどん追い風が吹いているのを感じていたよ。
坂戸の田舎にいた女の子が目黒で暮らしながら銀座デビュー、なんて、シンデレラストーリー歩いているような気がして得意になる。昼も、夜も、銀座に居られる事に幸せを感じていたし、ホステスとしても欲が出てきていた。もっと稼ぎたい。もっと売れたい。もっとママに気に入られたい!ってね。あれれ、母親とおんなじか。まあいいや。
ただ母親がこの仕事にはまった気持ちも分かる。ちやほやされ、世の中にこんな面白い仕事があるのかって本気で思うよ。私は天職を見つけたんだ!
噂では京子ちゃんは日当二万八千円。咲さんは三万五千円。
私も!若さでは負けない。まだ十九歳だ!
ああみんな、今の私を見て!さあ見て!みんな見て!
私はこんなに出世したんだよ!
夢中で働くうちに二十歳の誕生日を迎えた。江里子組をあげてお祝いしてくれ、当日はたくさんのお客さんが私の為に来てくれ、バラの花束やネックレス、指輪(本物のダイヤがあしらわれていた!)、一万円札で作ったレイ(総額五十万円くらいかかっていた)をプレゼントしてくれた。
「舞ちゃん、みんな舞ちゃんのファンよ」
と、江里子ママも言ってくれ、私も主役である幸せに酔いしれた。小さい頃から母親にさえ誕生日を祝ってもらえなかった。ほんの二年前も、誰にも祝ってもらえず、スーパーで買った安いケーキをひとりでちびちび食べた。今とエライ違い!
ああこの店に縁があって本当に良かった。
江里子ママにも会えたし、みんなにも会えた。
坂戸を捨てて大正解だった!
東京に来て、銀座で働くようになって本当に良かった。
私はついに夢を叶え、青い鳥も見つけたんだ!
この青い鳥を放すもんか!
盛大な誕生日パーティーが済み、通常の毎日に戻った。ただ、毎日がパーティー気分ではあったけどね。で、その頃からお客さんに年を聞かれて二十歳と答えると、必ず相手は
「今年、成人式?」
と聞いてくるようになり、それまで成人式なんて頭の片隅にもなかったけど、そういえば日本にはそういう儀式があったんだよな、と思うようになった。
二年ぶりに坂戸に帰った。成人式の案内が来ているだろうから。友達に会うのは気が引けるし振袖は無理としても、スーツで参加すればいいし、式典自体は参加したかった。
アパートに着くと、知らない男がいて私の顔を見てびっくりしている。こっちもびっくりした。
「あ、お帰り」
と、その男の後ろから母親が顔を出して言った。あ、お帰り、じゃないだろう。二年ぶりに母親が娘にかける言葉ではない。
母親は変わっていなかった。きつめの化粧をし、髪を結ってこれからクラブに出勤しようとしているのはひと目で分かる。相変わらず水商売で生計を立てている訳だ。
「娘」
と、その男に事も無げに言う。
「娘?こんなデカい娘いたの?」
と、戸惑っている男。今はこの男と付き合っているのだと嫌でも分かった。それこそ事も無げに頷き、久しぶりに帰って来た私がいるってーのに、出掛ける支度をやめない母親。成人した娘を持つにしては若々しい事は認めるが、相変わらず母親らしからぬ母親だ。
「あんまり似ていないけど…。あなた、本当に、実の、子ども?」
と、変な日本語で聞いてくるおたおたした彼氏さん。頷き、母親に聞いてみた。
「私の成人式の案内、来ている?」
「ああ、そう言えば来ていたけど、どうせ行かないんだろうと思って捨てた」
と、また素っ気ない返事が返って来た。
ガクッ!一気に落胆する。それでは会場がどこかも分からない。本当にこれでも親か?返す言葉が見つからない。
「行きたかったの?」
と聞くので頷く。
「もういい」
そう言うしかない。この頃、今ほどインターネットが発達していなくて、調べる方法がなかったし、しょうがないと即座に諦めた。相変わらず部屋は散らかっており、このままここにいたら、また咳が出そうな気がして早く外に出なくてはと思った。靴を履き、玄関を出る。二年ぶりの帰還はそれで終わり。滞在時間は五分に満たなかったよ。
唯一、引っ越しをしないでいてくれた事だけは親らしいと言えた。
グサグサに傷ついた心を持て余しながらクラブへ出勤。その日は店もあまり忙しくなく、待機テーブルで咲さんと一緒になった。もしかして咲さんなら分かってくれるかも。思い切って咲さんに恥を打ち明けた。
小さい頃から放置されて育った事、
母親が水商売で周りからずっと軽蔑の眼差しで見られたりからかわれたりした事、
しょっちゅう男を変えたり、派手な格好をしたり、入れ墨をしたり、恥ずかしかった事、
学校行事にも一切来てくれなかった事、
運動会では先生がお弁当を作ってくれ、それは有り難かったけど憐れむ目で見られて惨めだった事、
いつも出来合いのお弁当や菓子パンが食卓にある家庭だった事、
おいしい御菓子は半分こどころか自分がひとりで食べてしまう母親だった事、
会話らしい会話がないまま育った事、
高校でクラスの友達全員に水商売をしている事がばれてしまい、軽蔑の眼差しで見られ、男子生徒にお尻も軽いのかと聞かれ、耐えられず逃げた事、
いじめを免れる為に退学せざるを得なかった事、
母親がそれでも心配も何もしてくれなかった事、
女友達のアパートを渡り歩き邪険にされた事、
初恋の人と暮らし始めてやっと幸せになれたと思ったのに、彼が友達に私の悪口を言っているのを聞いてしまい、ましてやもう別れたがっていると知って出て行かざるを得なかった事、
行く当てがなくまた坂戸に帰った事、
その後も母親がまったく変わらず、いい年をして男ばかり作っていた事、
愛想が尽きまた家を出た事、
目黒にアパートを借りて行方をくらましても探してもくれなかった事、
今日久しぶりに坂戸に帰ってみたのに成人式の案内さえ捨てられていた事、
新しい男がいた事、
滞在時間は五分に満たない程居たたまれなかった事、
母親が優しい言葉ひとつかけてくれず、追いかけてもくれなかった事。
涙を堪えて精一杯話した。咲さんは頷きながら聞いてくれ、こう言ってくれた。
「舞ちゃん、よく話してくれたね。よく我慢してきたね、よく頑張ったね。つらかったね」
この言葉を聞いて本当に泣きそうになったが、ぐっと堪える。私は誰かにそう言って欲しかったんだ。初めて自分の脆さに気付く。
咲さんがぎゅっと肩を抱きしめてくれた。励まそうとしてくれている。私の心が壊れないように守ろうとしてくれている。有り難かった。ずっとこのまま咲さんに肩を抱いていて欲しかった。
しばらくして咲さんがこう言った。
「私もそうよ。生まれた時からお父さんいないの。お母さんは小料理屋しながら男を次々に変える人で、恥ずかしかったわ」
…びっくりした。咲さんもそうなんだ。だから十六歳から水商売やらざるを得なかったんだ。思案顔の咲さんが言った。
「舞ちゃん、今度の土曜日、うちに来ない?」
「良いの?」
咲さんが優しく頷いてくれた。
「私の着物を着させてあげる。振袖ではないんだけど。それでうちの近くの神社に行こう。それが舞ちゃんの成人式って事で、どう?」
ぱあっと顔が輝くのが自分でも分かる。もう何も喋れなかった。笑顔で頷く私に咲さんが聖母のような笑顔を見せてくれた。