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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

最強皇女

白猫王女は惚れた彼と結ばれたくて婚約の破談を期待する(その婚約の相手が白猫なんだけど、彼女はまだ知らない)

作者: 永頼水ロキ

現在別で投稿している連載と一部絡みがあります。

連載の話を絡める部分でお互いにネタバレを可能な限りさせないようした結果、少し分かりにくい気がしていて現在少しずつ修正中です。表現も改めます。

 その御茶会は、大国ディスタード帝国の第一皇女アデレードが六歳となったことから開かれた。


 空は快晴で風は少し肌寒く、帝国の花々が赤や黄色の彩りで広大な庭園を飾っていた。テーブルがいくつも庭園内に並べられ、屋外ではあるが赤い絨毯が敷かれていた。それはまるで花でできた宮殿の中にいるようだった。


 海を挟んで向かい側、小国ミニエーラ王国の王女もまた六歳であり、招待を受けたエリザベスはその御茶会に参加することとなった。帝国や周辺国の王侯貴族を広く集めたそこは、魔力使いの博覧会のようで、彼女のように弱い魔力持ちはここでは珍しいくらいだろう。


 会が始まる。ちょうどエリザベスの隣にはアデレードが立っていて、漆黒の美しい髪と瞳が印象的な人と感じた。特に、エリザベスはアルビノで自分の髪が白髪のようだったこともあって、黒髪に憧れもあった。


 客が多いため立食形式で行われていて、多くの令息令嬢がアデレードへの挨拶を狙ってエリザベスたちがいるテーブルに視線を送っているのを感じていた。


「はじめまして、わたくしはアデレード・オブ・ディスタード。本日はよろしくおねがいいたしますね」


 明るい笑顔はそのテーブルの令嬢たちに向けられて輝いていた。彼女の素直に楽しんでいて堂々とした姿に、エリザベスは幼いながら興味を持った。そんなことを感じていた時、隣に立っていた少し年上の令嬢が話しかけてきた。


「あなた、ミニエーラの方?」

「は、はい。はじめまして、私はエリザベス――」

「それよりそこをかわっていただけません?こちらのマチルダ様は皇帝陛下にもっとも近しいお家の方ですの。ミニエーラ王国の方でしたら後ろに下がられた方がよろしいのではなくて?」


 一瞬何を言われたのか分からずポカンとしていると、後ろからそのマチルダが呆れたような顔になった。


「いいのですよ。ごめんなさいね、エリザベス様。わたくしは気にしません。ただ、席順は少し気を付けた方が今後は宜しいかもしれませんね」


 エリザベスは意味がわからなかったが、自分の国がバカにされたことは何となく感じた。かあっと顔が熱くなり、むかむかする胸の内からトゲが出てくる。


「この場所は指示されたんです。あなたの方こそ失礼じゃない!」


 止せば良いのにエリザベスはまだ幼かった。


「まあ!何て失礼な人なの?!」

「なにごとですか?」


 エリザベスの後ろからアデレードが声をかけてきた。振り返ろうと腰をひねる――。


 ガチャン!


 思いの外アデレードは近かった。ひねった拍子にエリザベスの肘が彼女の持つ紅茶のカップに当たり、テーブルへ落とさせてしまった。


 その音にその場にいる皆が凍りついたように停止する。紅茶が溢れ、アデレードのきれいな群青のドレスに大きな染みを作っていくのが見えた。


「あ……」

「アデレード殿下!大丈夫ですか?!ミニエーラ王女がアデレード殿下に紅茶をかけたわ!」

「ち、ちが――」

「まあ!まさか帝国に貿易を邪魔されたと思っていたという噂は本当だったの?!」

「アデレード殿下に嫌がらせを?!」

「え?そんなこと!違います!」


 エリザベスが呆然とするうちに、周りの令嬢たちが次々と根も葉もないことを捲し立てるように口にする。


 慌ててエリザベスは思い立ち、ハンカチを出そうとした――。


 その瞬間だった。何かが頭を押さえつけ、ねじ伏せるような力がエリザベスを襲ってきた。それはエリザベスだけではなく、周りにいたすべての人に。招待客の王侯貴族も護衛の騎士も誰も彼も、広大な会場全ての人が物凄い力の前にひれ伏していた。


 ようやく頭を押さえる力が弱まって顔を上げると、すぐそばに立っていたアデレードが見えた。ただ一人、彼女だけが立っていた。両手を握りしめ少し肩を震わせ、顔は紅潮していたが涙はギリギリ耐えていたようたった。


 当然、お茶会はここで中止とされた。


 アデレードの魔力『平伏』の初めての発現は、とんでもない量であることを実演して示したのだ。会場にいたあらゆる魔力持ち百人あまりを一瞬で無力化したその力は、神話に出てくる一柱の神のようだった。あまりに強く、あまりに横暴だったとして滅ぼされた神。


 エリザベスはこの時のことを忘れることはなかった。


 * * *


 今、私は白い猫の姿になっていた。


 椅子に座る彼が私の背中を撫でてくれている。優しくて大きな手で。私は目を細めて、彼の足の上で丸くなっている。


 彼は知らない。私が人間だということを。


 ……神話によれば、この世界に魔力を持つ人間が現れたのは神様が一柱亡くなってその力を受け継いだからだという。もしそうなら、私のこの力もその神様の力の一つだったということ。


 魔力を持つ人もいれば持たない人もいる。ほとんどの人は魔力を持たない。


 魔力を持っていた我が家は長い歴史の中で王家となった。我が家の魔力は、あらゆる生き物に『変身』できるというもの。魔力が大きかった曾祖父はドラゴンに変じて町を救ったこともあるそうだ。それは、あくまでも曾祖父の話で、私が『変身』できるのはロバぐらいの大きさまで……。


 不公平だ。


 そこに選択肢なんて用意されていない。生まれる家、才能、魔力、質や量。何も選べない。私の名前はエリザベス・オブ・ミニエーラ。二つの大国に挟まれた小国、ミニエーラ王国の王女。


「プリシラ。君がここに迷い込んでもう二年たったんだね」


 彼は私をプリシラと呼ぶ。二年前、この邸に忍び込んで彼の家のことについて調べさせられていたとき、彼に見つかった。その時もこの姿で、彼はどこかの飼い猫が迷い込んできたのだと喜んだ。


 始めは逃げようとしたが、あまりに彼が悲しそうな顔をしたので、そのまま猫として何度かここに通うようになっていた。


「実は聞いてほしいことがあるんだ」


 彼の瞳を覗き込んだ。そこにはゆっくりとした時間が流れていて、暖かな眼差しが私に向けられていた。


「君は言葉がわかるみたいな感じだね」


 気付かれないように毛繕いのまねをする。


「……婚約者がね、僕にはいるんだけど」


 は?え?そんなの聞いてないけど。


 つい、毛繕いを止めてしまった。すぐに慌ててやり直す。


「その子がいつまでたっても会ってくれないんだ。聞いた話では、彼女は僕との婚約が嫌で家に帰ってこないそうなんだ」


 なにそれ、ひどい。いや、待って……婚約者がいたの?


「でも、この婚約はこちらからは辞められないから、彼女に申し訳なくて」


 怒りで体が震えるのを感じた。こんなに素敵な彼との婚約を嫌がり、会いもせずほっといて適当にしておくなんて、なんて女なんだろう。


 彼の手が止まった。上を見上げると、彼は遠くを見ていた。


「僕にもっと力があれば、彼女を自由にしてあげられるのにね」


 首をあげて彼に寄り添おうと体を寄せようとした時に、チョーカーの赤い石が揺れたのを感じた。石は震えているわけではなかったが、私にやるべき仕事を思い出させた。こんなところで油を売っている場合ではなかった。


 ひょいっと彼の足の上から地面に飛び降り、彼の方に振り返った。彼は一瞬驚き、すぐに微笑んだ。


「行くんだね。また来てね」


 にぁあと返事を返して私は走り出した。彼の邸の塀にあいた小さな穴から外に出て、しばらく走って人気(ひとけ)のないところで『変身』を使う。猫から鳩の姿に変わると、師匠の命令通りに檸檬農園の町に向かう。


 彼の家の領地内にあるその町には、今、あの帝国の姫が来ている。詳しくは教えてもらっていないが、とりあえずの私への命令は、彼女が帝国に帰らないよう帝国の人間に見つからないようにすることだ。


 師匠は協会の司教をしていて、私を匿ってくれている。11年前のあのお茶会で私はやらかした。その結果、帝国に我が国は不信ありとされて急速に関係が悪化した。戦争につながり、あっという間に我が家は負け、皆殺しとかにはされなかったが属国に下った。


 空を自由に飛んでいると、自分の本来の立場を忘れてしまう。


 属国に下った時、私は戦争の原因をつくり皇女を侮辱したとされて幽閉された。ただ、長くは続かなかった。私が逃げ出して協会に保護されたから。その事には感謝していないとは言わない。それでも最近、協会は私を酷使しすぎだと思った。


 私はあくまで幽閉されたか弱き()王女のはずなのだ。


 * * *


 ノックして父上の執務室に入った。正面には対面するように二つのソファーが、ローテーブルを挟んで置かれ、さらに奥に大きくて重厚なオーク材の執務机が見えた。その机の奥に父上のリオ・エーデルワイス侯爵が座っている。


 時間はもうすぐ日付が変わるところだったが、この時間でないと会えないほど、父上は領地内を飛び回っていた。


「ノアか、そこに座りなさい」

「はい」


 父上は立ち上がり、こちらに歩み出てきた。僕はソファーに座り父上と対面する。


「最近、鉱山からの採掘量が減ってきている。わが領内にはまだ鉱山が残されている可能性もあるが、既存の街の活性化も急務だ」

「御祭りでの観光振興は?」

「あれは所詮一時しのぎにしかならん。大した収入にはならないからな。それに休戦下では観光業は難しい。現状は兵器部品輸出だのみの領地経営だ」


 兵器部品は鉱石を加工したもので、表向き檸檬(レモン)農園としている町にある隠し鉱山からとれる。帝国に秘密にしながら彼らの敵国に流していた。


「お前には魔力を使って新しい鉱山を探してもらおうとは思っているが、その前にこの問題を――」


 バンと大きな音をたてて入口の扉が開いた。驚き、二人ともその扉に目を向けると、執事長が息を切らせながら立っていた。


「何事だ!」

「檸檬農園で大規模な土砂崩れです!町の『伝令』で連絡がありました!」


 ――父上とともに登城すると事態の詳細が明らかになった。それはどうみても帝国による破壊工作だった。帝国に裏切りがばれ、父上は窮地に立たされたということだった。


 僕はそれを聞いてプリシラの姿が浮かんだ。もうあの子を撫でることは出来ないだろうと思った。裏切り者の侯爵家。一家取り潰しのうえ、おそらくは斬首刑だろう。


 会議室には重たい空気がのしかかり、父上はテーブルに拳を叩きつけた。


 今日の天気は快晴で、ミニエーラらしい暖かな空気が深夜でも変わらずにふいていた。どんなに人が大変でも天気はかわることなんてない。


「――失礼します!国王陛下!」


 騎士の一人が会議室に飛び込んできた。ミニエーラ王国の国王、エルンスト王は小柄で太鼓腹の普段は優しいお方だ。その王の顔は、今は鋭く研ぎ澄まされた細い目を騎士に向けて頷いていた。沈黙したまま椅子から立ち上がると、それを見た騎士が近寄り王に耳打ちする。


「…皆、しばし待っていてくれ」


 そう言い残し、父上と宰相も連れていくようで二人には声をかけ、騎士を連れて王は会議室から出ていった。


「どうされたのだろうか?」


 会議室に残された家臣たちと、僕はただ不安な面持ちで彼らを待つしかない。窓に近寄り外を見た。しばらく見ていた僕の視線の先に、白い何かが飛んでいくのが見えた。


 なんでこんな時間に鳥が?


 この絶望的な状況は、しかし、帰って来た国王により呆気なく解決策が示された。


「皆、我が娘が妙案を示してくれた。我が娘は――」


 言っている意味が分からなかった。たぶんその場にいた全員がそうだろう。示された解決策は理解に苦しむ内容だったが、もし本当にそれを可能にする人脈を動かせるならこれ以上ない幕引きにできる。


 僕の婚約者はとんでもない政治力のある人だということをこの時知ったのだった。僕は再び会えるだろうプリシラのことを想い安堵しつつ、婚約者に対して背筋が冷えるような感じがしたのだった。


 * * *(第二節)* * *


 エリザベスはお城の晩餐会に出されるはずだった、くすねたお菓子を一つ口に運んだ。甘い香りが口に広がる。ミニエーラのレモンクッキー。


 師匠の指示通りに私は動いただけだったが、ものすごく上手いこといった。父上も皆も私に感謝していた。ただ、父上に見つかる前に城からおさらばしなければいけない。また訳の分からない婚約話を出されても困るからね。


 城の裏手に回り込みながら適当なメイドを探した。変身すると着ている服はその場に置き去りになるので、それを回収する役が必要だった。空には三日月が綺麗で風はそれなり。今日もいい天気だった。


 と、メイドが二人連れだって城の脇の小道を歩いているのが見えた。そこに駆け寄る。


「王女様が帰っていらっしゃるのでしょ?」

「そうみたい。あ、王女様の婚約者様のお話聞いた?」


 ん?


 エリザベスは気付かれないように、彼女たちの後ろの柱の影に隠れた。ちょうど良く二人のメイドはそこで歩みを止めて、井戸端会議を始めた。


「何、何?」

「それがね。王女様のことを嫌っているみたいなのよ」


 …え?いや、なんで?


「ええ?!どうして?」

「さっき聞いた話では…。王女様のこの度のご活躍に驚いて、そんな人とは一緒にはなれないって、自分のお父上に直談判したそうよ」


 なにそれ?!ひどい!


 エリザベスは引き返して走り出した。途中、何人かの使用人や兵士に止められたが無視して走った。そして、父上の部屋に飛び込んだ。


 父上は、これから開かれる予定の晩餐会に向けて準備をしていた。太った腹に腹巻きをメイドに巻かれているところだった。そんなあられもない姿だったので、驚き少し間をあけて溜め息をつく。


「エリザベス、突然どうした。先程呼び出したときは来なかったではないか…」


 呆れたように一言。そのあと鏡に向き直り、メイドも作業を再開した。


「私の婚約についてご再考下さい!」

「何だ、またその話か。よいか、エリザベス。この婚約は――」

「その婚約者様は私の努力に嫉妬し、嫌っております。そのような人より私はもっと素敵な人と一緒になりたいのです!」


 はあ?と、父上は呆れたように声を上げた。


「どこでそんな話を聞いたんだ…」

「ノア様のように素敵な方がよいのです!」


 怒りと勢いで言ってしまった。顔に血が上ってきて熱を帯びるのを感じ、父上が何か言う前にそれを塞ぐように叫んだ。


「この婚約は破棄してください!」

「はあ?!何を言っているんだ?!」


 さっと体を回れ右して走り出した。廊下を走り、角を曲がり、その先の窓枠に足をかけた。そして、勢いよく空に飛び出して『変身』する。


 バサバサと今まで着ていたドレスやら下着やらが地面に落ちて散乱し、私は白い蝙蝠にかわって空を駆け抜けた。遠くから悲鳴が聞こえたが、そんなものは関係ない。


 三日月が近くなる。


 * * *


 領地の経済を良くすること、それは先の一件を受けて喫緊の課題となった。そのため、父上の指示で新しい鉱山を探すこととなり、領地内を僕の魔力で探査していた。


 魔力『鉱山探査』はエーデルワイス家の魔力だ。地味な魔力で、鉱脈を探すことに特化した特異な魔力。一説には、かつての神はこの力で地脈を調べ、別の神力で地脈を動かして大陸を作り出したという。


 さて、まだ開拓していない山林はまだまだ貴重な石が眠っているかもしれない。僕の魔力の量は、家系でも特筆して大きく、今まで二つほど未発見の小さい鉱脈を探し出した。


 いずれ学園に通う弟が卒業すれば、二人で鉱脈を探せるようになる。そうすれば確実に見つけられるはずだ。


 がさっという音がして森の奥を見ると、そこには珍しいホワイトフォックスがいた。二匹の(つがい)のようで、驚いた様子でこちらに警戒の視線を向けると、すぐに森の奥に消えていった。それをみて、ふと婚約者のことを思い出した。


 僕の婚約者はこの国の王女様であり、とても政治に長けているらしい。僕は父上のような統治のセンスもなくて誇れるのは魔力の量ぐらい。だからこそ、人一倍頑張って経済学や地学などを勉強している。でも、彼女に釣り合う人間になれるイメージがわかなかった。だからあの日、父上にこんな自分では王女様の夫として支えるに足りないと申し上げた。


 そんな事を考えながら次の町に向かった。残念ながらこの山にはめぼしい鉱脈はなかった――。


 ――使用人数人と護衛数人、そして僕は探査していた山の麓にある町に来ていた。そこは協会の支部もあるそれなりの大きさの町で、農村が大きくなった町だった。


「ノア様に泊まって頂けるなんて光栄ですよ」


 にこにこと笑顔の宿屋の主人は、そう言って部屋に案内してくれる。


「鉱山を探していらっしゃるということは、山に入られたのですか?」

「はい。残念ながら鉱脈はありませんでしたが」

「はあ、でも、良かったです」


 ん?と首をかしげると、主人が説明する。


「あ、鉱山が見つからなかったのは残念ですよ。そうではなく、最近あの山では大きな熊の被害が出ているのです。その熊に出会わなくて良かったと思いまして。狩人でも逃げ出す大きな熊で、町では国に兵士様の派遣をお願いしているのですが…」


 まだ派遣の目処はたっていないらしい。


 宿に荷物を置き、外に出てみると太陽が空を赤く染めているところだった。もう少ししたら暗くなる。夕食の準備か、家々の煙突からは少しずつ煙が立ち始めていた。


 レンガ造りの家が立ち並び、人の往来はそれなりにあった。出店がいくつか大通りに出ていて、賑わいもあり良い町だと感じた。ただ、当然城壁のような守りはなく、山林と目と鼻の先に位置していて、もしも熊が山を降りてくるようなことがあれば守るものはないように見えた。


 僕が違う魔力だったら、もっと皆の役に立てたのかな…。


 空を見上げると鳥たちが自由に飛び回っていた。もしも違う家に生まれていたら、僕はどんな人生を歩んでいたのだろうか。あんな風に自由に飛び回れる人生だったのだろうか。


 自然と首を振っていた。たぶん、自分は違う家に生まれたとしても、こうして生真面目に取り組むことしか出来ないだろう。そう感じた。


 ふと気付いた。鳥たちはただ飛んでいるわけではなかった。一羽の白い鳥を追いかけて攻撃しているようだった。そして、その白い鳥は逃げるように路地裏に飛び込んだのが見えた。慌ててそこに向かう。


 白い鳥は怪我をしていて飛べないようだった。よろよろと道の隅に寄ってへたりこんでいる。その首には赤い石がついた首輪をつけていて、誰かに飼われているようだった。見覚えのある首輪だった。プリシラも同じものをつけていたような気がした。


 そっとその子を抱き上げると協会の方に走り出した。


 * * *(第三節)* * *


 エリザベスは少しの暇を見つけて、彼のところに遊びに行こうとしていた。ちょうどレオール王国でのお使いを終えたので、ひとっ飛びして彼の邸まで。けれど彼はいなかった。領内の山に入って新しい鉱脈を探しているのだという。エリザベスは、使用人の噂話でそれを聞いて、ならばもうひとっ飛びすれば良いと思った。


 しかし、そう簡単ではなかった。町に着くと面倒なことにその町の空を縄張りとしている鳥達を怒らせてしまったのだ。


 ごめんって!痛い!痛いよ!やめて!


 夕焼けの空の中で必死に逃げたが、執拗に攻撃された。ボロボロになってなんとか路地裏に逃げ込んだときには、体は疲れはてて上手く動けなかった。


 その時だった。


「大丈夫かい?大人しくしてね、助けてあげるから」


 彼がいた。ノアはゆっくりとした動作で私を掬い上げた。そして、優しく包むように抱き締めて走っていく。こんな人と結婚できたら、きっと私はどんな嫌なことでもやってのけられる。そう思った。


 しばらく走って協会につくと、修道女が出て来て私を受け取り、怪我をしたところを綺麗にして包帯を巻いてくれた。


「良かった。とりあえずは大丈夫そうだね」


 さすがに皿に出されたミルクは飲めなかったが、少し動いて無事をアピールした。


 ノアは私を膝にのせると、いつものように撫でてくれる。気持ちよくてつい目を細めていると、彼が少し吹き出すように笑った。


「君は僕の知っている猫とそっくりな顔をするね。それに首輪もおんなじ。もしかして同じ飼い主なのかな?」


 こんなに姿が変わってもそっくりだと思うんだ…。


 ノアはゆっくり撫でながらいつもの調子で語りだす。優しい彼の声は協会の小さく簡素な白い部屋の中に広がった。


「僕に会ってくれない婚約者がいるんだけど、最近、彼女は凄い活躍をしたんだ。とても聡明でその政治手腕には父上も感心していたよ」


 あのリオ・エーデルワイス伯爵が?!…ノアの婚約者って凄い人だったのね。


「そんな凄い人に、僕が何をしてあげられるのか分からなくて。それで父上に相談したんだ。僕は彼女に相応しくないんじゃないかって」


 そっか…。ううん。ノアにはノアの良さがあるよ。もっと自信をもって良いと思う。でも、婚約破棄は賛成。


「彼女ね。この国の王女様なんだよ」


 ………は?え?ちょっと待って。


「エリザベス様は凄い方でね。僕なんかじゃ釣り合わないんだ。ん?どうしたの?痛むのかい」


 いや、ちょっと待って。待って。私の婚約者はノアだったの?え?待って。御父様に婚約破棄してって言っちゃった上に、彼も婚約破棄をレオ侯爵に相談したって――!


『きゃー!!』


 悲鳴が外から聞こえた。私を抱き締めてノアは部屋を飛び出した。


「何があったんですか?!」

「あ、はい!熊が、山から降りてきて町に入ってきたようなのです!」


 修道女が答えたのを聞いて、彼は一瞬考え、そして私を彼女に渡した。


「あの!」

「その子をお願いします。僕は護衛を連れてきているので、彼らとともに熊を可能な限り引き付けます!皆さんは建物に避難するように周りの人たちに呼び掛けて下さい!」


 ノアは協会を飛び出していこうとした。その背中をみて、嫌な予感を感じた。もう会えなくなるような、そんな強い恐怖を伴う予感。


 死にかけているわけでなくても、人は走馬灯のような景色を見ることがあるのだと知った。目の前に彼が撫でながら語る言葉がいくつも思い出された。


 彼は格好いいタイプではなかった。弱く、自信がない様子で、でも、語る言葉は常に領民の事、皆のために何ができるのかを考え続けていた。出来なくても出来ることで必死に皆のために。


 だから私は彼を好きになっちゃったんだ。


 * * *


 協会の大きなステンドグラスは、他とも同じようにその壁の両側にそびえ立っていた。くるりと後ろを振り返って、入口に向かって走り出すと、いくつも並ぶ長椅子に何人かの町の人が不安そうな顔をしているのが見えた。その後ろのステンドグラスはいつもの荘厳さを称えていた。


 神がもしいるのなら、今こそ助けてほしい。皆を助けてほしい。そのためなら僕は――!


「待って!」


 後ろから女の子の声が僕を呼び止めた。振り返る。そこには白い鳥を抱いた修道女が立っているだけだった。でも、彼女の声ではなかった。その修道女は驚愕した様子で白い鳥を見つめている。


「ノア!私の話を聞いて!」


 その綺麗な声は白い鳥から聞こえた。白い鳥がしゃべっていた――。


 修道女の部屋から、彼女から借りたのだろう修道着をきた女の子が出てきた。まるで手品のようだった。部屋に入っていったのは修道女一人と白い鳥、出てくるときには修道女と女の子の二人。


「私は…エリザベス。エリザベス・オブ・ミニエーラです」


 そこにいた女の子は……真っ白で絹のような綺麗な長い髪をなびかせて、透き通った赤い瞳の、この国の王女様だった。僕の婚約者だった人。


 彼女はそっと首元のチョーカーについた赤い石を触れていた。そして、静かに僕の目を見つめてくる。


「ノアのこと、知らなかったの。婚約者だってこと」

「え?」

「ずっと思ってた。ノアが婚約者だったら、一緒になれたらきっと毎日が楽しい。いつも私に語りかけてくれたでしょう、あなたの夢を」


 語りかけた?今日初めてあったのに?


「…分からない?」


 彼女の目をみた。そして思い出した。ミニエーラ王家の魔力は『変身』だったはず。僕がいつも夢を語りかけていたのは――。


「…プリシラ」


 にこっとエリザベスは笑った。そして、少し頬を赤らめる。


「そう、私がプリシラ。ごめんね、騙すつもりはなかったんだよ」

「君が…」

「私は……あなたとの婚約を素直に嬉しいと思ってます。ノアは私との婚約を…破棄したいと、思いますか?」


 何でそんなことを今聞くんだ。


「今はそれどころじゃ――」

「あなたはあなたの夢のために領民を救いたいのでしょう!だから、これは大切なことなの!今聞かなきゃいけない!」


 …僕は、エリザベスと?


 エリザベス王女の話はいろいろ聞いていた。元気がよく、幽閉をものともせず、いろんなところを飛び回っていて。かと思えば、国の窮地に現れて綺麗に幕引きさせて。そんな彼女の話を婚約者としてではなくただの国民の一人として聞いていた。ワクワクしながら。


 彼女のように自分もなれたらと思わないわけがなかった。憧れていた。そして、その彼女の婚約者として僕は恥ずかしかった。


「…領民を助けたい?」


 彼女が問いかけてきた。


「もちろん」


 その気持ちに間違いはない。


「…魔力は、その家に帰属します。あなたがこの場で私との婚約を成立し、婚姻の契約を成して我がミニエーラの家名となれば、その瞬間にあなたの魔力は『変身』になる」


 エリザベスは眉を少し八の字にして、でも、必死に笑顔を向けようとしていた。


「あなたの魔力の量は国内でも随一だと思う。『鉱山探査』でこの窮地は乗り越えられなくても、『変身』をあなたが使えれば、きっとあんな熊なんかに負けない獣に変じることもできるはず」


 彼女の表情は一つの事を教えてくれていた。僕は僕として、今、全てに向き合わなければならない時が来たんだと悟った。


 * * *(第四節)* * *


 ウリエルは紅茶にお湯を注いだ。ガラスの容器の中で、紅茶の茶葉が踊るようにくるくる回っている。外はすっかり夜も更けていた。


 弟子にしたつもりはなかったが、エリザベスはウリエルを師匠と呼ぶ。今日は自由にさせていたのに珍しく彼女から連絡があった。


 彼女に渡したチョーカーには、錬金術師に作ってもらった通信の機能がある。赤い石に触れて魔力を通すと、魔力の質に関わらず擬似的に『伝令』の魔力を使えるという大変便利で革命的なアイテムだった。いくつか通常の『伝令』とは異なる制限はあるが。


 まあ革命的すぎて、まだ誰にも教えられないのですが。


 そう考えながら回る茶葉を見ていた。その姿にエリザベスの姿を重ねていた。要するに、初めから好きな人と婚約していたのにそれに気付かず、ついには婚約破棄しかけていたわけだ。


 ぷっと笑いかけてウリエルは首をふる。


 連絡の内容は、エリザベスとノアの婚姻契約書を協会の司教であるウリエルに作ってもらうことだった。そうすることで婚約が神に届き、ノアはエリザベスの夫として家名を「ミニエーラ」に変わる。家名が変われば魔力も変わる。


「さて、彼は上手くヒーローになれましたかね」


 お茶をカップに注いだ。ちょっと跳ねてテーブルにこぼれた様を見て、本当にエリザベスのようだとウリエルは思った。


 * * *


 協会の聖堂の奥、両側の壁には神話を語る巨大な縦長のステンドグラスがいくつも嵌め込まれ、夕焼けから夜に変わろうというところで、僅かな光を通している。


 正面には丸いステンドグラスがあり、中央に十字架が嵌め込まれている。


 神父は祈りの言葉を手短に語り、僕はエリザベスの首元の赤い石に触れていた。この石の向こう側には協会の司教様がいらっしゃって、この声を聞いているはずだ。


 借りた修道着を着たままのエリザベスは、その僕の手を両手で上から包みこんでいた。白装束でなくても、彼女の美しい白い髪が清廉さを示してくれていた。


「あなたはこの女性を生涯愛し、永遠に共にあることを誓いますか?」

「誓います」


 神父は目を瞑るエリザベスに問いかける。


「あなたはこの男性を夫として迎え、生涯愛し共にあることを誓いますか?」

「はい、誓います」


 綺麗な赤い瞳が開くと、潤んでいて今にも泣きそうな目をしていた。


 赤い石から声が聞こえる。


『ここに神々への契約を成し、二人が一つの道を歩むことを定めます。これをもってノア・エーデルワイスはノア・オブ・ミニエーラとなることをここに宣言します』


 一瞬、全身の血が熱くなった気がした。血が沸き立った。目を開くとエリザベスと目が合い、彼女は静かに頷く。


 時間はない。彼女から手を離すと走り出した。首元のシャツのボタンを一つ二つほど外し、全身に魔力を行き渡らせる。『変身』は初めて使うのに、頭の中には使い方がしっかり入っていた。


「『変われ』!」


 魔力が満たされ、着ていた服は弾けとんだ。


 * * *


 護衛としてノアについてきていた侯爵家の兵士は、巨大な熊に追いかけられ、他の町人を逃がしつつ、ある民家に籠城していた。


 何か熊の気になる臭いでもあったのか。巨大な熊は執拗に彼らを追いかけ、木でできた扉を蹴破らんと、大きな前足の爪を突き立ててぶつけてきていた。家具を扉の前に積み上げ、それを押さえて必死に抵抗していた。


「も、もうだめだ…」


 その時だった。遠くから別の獣の声が聞こえた。


 まだ他にもいたのか?!


 しかし、扉にかかっていた熊の圧力がなくなっていた。そして、少し遠いところから何かがぶつかり合う音が聞こえた。


 恐る恐る小さな窓から外を覗きこんだ。すると、通りの真ん中に例の巨大な熊の背中が見えた。そして、その先には――。


 え?


 それはお伽噺の存在だった。


「…ドラゴン!」


 かつて、この国に存亡の危機があった時、この国の王はドラゴンに変じて国民を助けたのだという。兵士たちは、町人たちはその伝説を今まさに目の前にしていた。


 ドラゴンを前にして熊など、人に例えれば小さな子犬との体格差があった。熊はすでに一撃をドラゴンから食らっていたようで、足元がふらついていた。ドラゴンは容赦なくその大きな尻尾を振り回し、熊の横っ腹に打ち込んだ。吹き飛ぶ熊の命はそこまでだった。


 * * *


「ちょっと待て。今なんと申した?」


 エルンスト王は瞬きを何度も繰り返していた。横に座っている王妃は満面の笑みを浮かべているのが、視界の隅に見えていた。


「エリザベス王女様は、ノア・エーデルワイス侯爵令息との婚姻を成し、協会の契約により神に認められたとのことであります。すでにノア・オブ・ミニエーラとして家名登録されたとのことで」

「はああ?!」


 椅子に勢いよく座り込んだ。全身の力が抜けて、魂が口から外に出て上っていく感じがした。


「まあ!手が早いのね」


 手が早いのね、じゃないわ!


「うぬぬ…。それでそのエリザベスはどこにいる?!」

「…さあ」

「…さ、さあ?!…あんのバカ娘がぁ!!」


 エルンスト王の叫び声は、むなしくも城内にこだました。


 * * *


 エーデルワイス家の庭には、円形の池とその周りを白と赤のバラでできた生垣が囲い、ちょうど花が最盛期になっていた。太陽は真上にいて暑い日だったが、庭園の中にあるガゼボの中は日陰になっていて涼しかった。そのガゼボからは池とバラが良く見えた。


 ガゼボの中、エリザベスは白猫の姿になっていた。いつもの定位置である椅子に座るノアの太ももの上で、いつものように丸くなっていた。彼が背中を撫でてくれるので気持ちいい。


「エリザベスは僕なんかで良かったの?」

「む!まだそんなこと言ってるの?!ノアがいいの!ノアじゃないとダメなんだって」


 優しく撫でる彼の手が止まったので、催促するように上を見上げた。すると、ノアが少し顔を赤くしていたのが見えて、自分の顔にも飛び火したように感じた。


「う、うん」


 遠くで鳥の鳴き声が聞こえ、池からは流れる水の音が少し大きくなった気がした。


「エリザベス――」

「エリー。エリーってよんでほしい」

「…エリー。君には感謝しているんだ」


 ノアは遠くをみた。つられてエリザベスもその方向をみた。空が青く、バラは綺麗だ。


「エリーのように自由にものをみて、発想して、困難を乗り越えるのは僕には真似できそうにない」


 また弱気になったのかとエリザベスは見上げた。口を開きかけて止めた。ノアの遠くを見る眼差しはとても芯が強く感じた。


「でも、僕にはしっかり地に足をつけて物事に取り組む事ができて、それは誰にも負けない自信があるんだ」


 ふっとエリザベスは笑った。


「その言い方だと、私が適当な…ふらつき人間みたいだけど?」


 目を丸くしてノアがこちらに目を向ける。と、同時に彼の唇にエリザベスの唇をくっ付けた。ビックリしてノアがのけ反った拍子に、ひょいっと太ももから飛び降り、そして振り返る。


「えへへ、キスしちゃった」


 猫の姿なら何でもできた。驚愕の顔をみるみる赤くするノアを見て、今日もまた頑張れるとエリザベスは思うのだった。


(了)

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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