蝶々は羽ばたいた
「……災難、だったね。忘れちゃいなよ、って言ったところで簡単に忘れられる程度の傷ならレナを苦しめてはいないんだろうけどさ。せめて、これからはあたしがいるんだってこと、忘れないでほしい。あたしは、ずっとレナの味方だから」
そう静かな口調で慰めてくれる友人。彼女の力強い掌が、駄目になってしまいそうなレナの心をギリギリ留めておいてくれた。
今までどおり、ひとりぼっちで彼等に向き合う必要は無いのだと。それだけで、充分救われているとレナは思う。
だから、ゆっくり首を振ることが出来た。
「確かに、忘れることは難しいかもしれないけれど。サラがいるなら、大丈夫だよ。あなたが、こうやって手を握ってくれているなら」
どんな理不尽にも立ち向かえる。どれだけ痛めつけられてもさいごには笑っていられる。
強く宣言するレジーナに、「それじゃ足りないんだよぉ」とサラは嘆いた。ルミネパピヨンは、あくまで“第一弾”に過ぎないのだから。
「そういえば、リケヴィル様もセヴィロ侯爵もひどく驚いていたけれど……。サラがくれたあの魔道具ってそんなにすごい物だったの? 私、てっきり単なる通信手段なのかとばかり」
「あー……うん、用途は概ね通信手段であってるんだけど。いつでも聖妃候補と連絡を取れるってことは、イコールそれだけ心を通わせることを許されてる証って解釈もあるみたい。蝶は魂の象徴とも言われてる生き物だから尚更、ね」
故に、タイーブ王国では聖妃候補の伴侶相手あるいは大切な者を“蝶”と呼び、聖妃候補も自身の次に尊重すべき相手だと周りに誇示するものらしい。
他者がその権利のみを求めて“蝶”だと名乗り出ないよう、本人の手からルミネパピヨンを渡された者でないと公に認められないのだとも。
『レジーナ=オレンツィーは聖妃候補の“蝶”です』
――つまり、先程のサラの言葉の意味は。
「……じゃあ、全部見越した上で最初から私のこと、」
「まぁ、最低限それくらいはしておかないとなかなかレナのポジションを守れないと思ってさ。元々本編に存在しない友情エンドを掴み取るには、やれるだけの対策はしておきたいの。あたしはそのためにここにいる」
彼女の言葉も、輝く瞳の強さも揺るがない。
シナリオを把握しきっているサラが、実装されていない結末を求めてそこまで覚悟を決めていたとは。数日前ルミネパピヨン越しに話したときは気づかなかった。
同時に、肝心のレナ本人に覚悟も努力も足りていなかったのを改めて教えられる。そうだ、主人公に選んでもらうだけじゃなくて彼女と二人で掴み取ってこその未来じゃないか。
いつだって甘えっぱなしでは釣り合いが取れないし、こちらの精神上としても良くはない。
「……ごめん、なさい」
「レナ?」
「私も、これからはもっと隣に相応しくなれるよう努力するね。任せて、“レジーナ”は才能と家柄だけは確かなんだから。貴族のうしろだてが無い聖妃候補を支援するのに、これ以上ない人選のはず」
サラ=トレヴィラはレジーナの『ご令嬢らしさ』に憧れ、レジーナ=オレンツィーはサラの『自然のままの愛らしさ』を愛でていたいと願った。立場や身分が違いすぎる二人が仲良く学園生活を謳歌するには、それくらい大袈裟かつどこかありがちな感情を盛っておく必要がある。
レナの補足に、嬉しそうにサラが目を細めて。未だ繋がれた状態の手を、益々離さないとばかりに力を込めて肯定した。
「そう、だよね。あたし達、“一緒に”頑張るって決めたんだもんね!」
隠さない素の自分達ではしゃぎあう二人。故に、レナは聞き逃してしまった。
物語を識る主人公がぼやいた、とある決定的な“違い”を示唆する一言を。
「……でも、確かリケヴィルって」
主人公のこと、名前呼びじゃなかったっけ――
その真の意味が分かるのは三年後。主人公が攻略対象の胸に泣きすがり、とある公爵令嬢を断罪すべく開いた卒業記念パーティーにて。
聖妃候補へ対して数々の嫌がらせをしていた令嬢……レジーナ=オレンツィーが命を落とす、王国史上最大の伝説となる日の出来事である。
来るべき日へ、向かって。