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翔と束奈

しとしとと細い雨が降っていた。

小さな雨粒は路面を濡らし、登校中の学生にも飛びかかる。雨量自体はたいしたものではなかったが、その軽さ故、風になびいて傘をすり抜ける厄介な雨であった。


 まとわりつく湿気を追い払うように、(かける)は風を切って歩く。校舎には空調が設置されていたが、タイミング悪く現在故障中であるため、多分に漂う水分は振り払うか我慢するかしか選択肢がない。

 聖ローズならばどうなのだろう――翔はふと、自分でも不毛だと感じずにはいられないことを思う。


 厳格な規律で縛られた日本屈指のお嬢様校、聖ローズ学院。


翔の在籍する、ここ――(めい)学院(がくいん)高等学校とは生徒たちの出身こそ似ていたが、根本的に全く違う、特殊な場所だ。

 銘学院も、世間的には富裕層の子供たちが通う学校として名が通っている。だがここは聖ローズと違い共学であるし、なにより、多少の制約はあるものの自由な校風がウリなのだ。


 そのため自然と銘学院には聖ローズとは肌が合わなかった令嬢や、そもそも聖ローズには入れない翔のような有名企業の子息が集まっている。

 翔は各々の教室へと向かう級友たちの間を縫いながら、自分のクラスを目指す。

 教室に足を踏み入れると、目的の人物はすでに割り当てられた自席に着席しクラスメイトとの談笑を楽しんでいるようだった。


束奈(たばな)


 翔が名を呼ぶと、少女は僅かに顔をしかめる。

 本人は聞こえない振りを決め込もうとしたようだったが、談笑をしていた相手の少女が二人に軽く挨拶をして離れていくと、仕方なくといった様子で鬱陶しそうに翔の方を見た。


 翔は自然な動きで周囲を確認すると、束奈にだけ声が届くように距離を縮める。外面を繕って優等生として生活している翔にとっては、欠かせない作業であった。幸い束奈の席は窓際の角なので、誰か他の生徒に会話が聞こえる心配はない。


「束奈、お前に折り入って相談があるんだ」

 その言葉は可能な限り丁寧に発せられたのだが、それを受け取った少女は一切の容赦を与えなかった。相手を気遣って優しく投げられたボールは、遠慮も慈悲もなくコンクリートの地面へと叩きつけられる。


「いや。お断り。他を当たって」


「ひっでぇな……まだ何も言ってないだろう?」

 翔はげんなりと肩を落とす。

「言わなくてもあんたの考えてることくらい分かってんのよ。どうせまた例のイトコのことでしょ」

 束奈から受けるぞんざいな扱いに、翔は思わずため息が出た。

 だが、束奈の反応を咎めることは翔にはできないのだ。むしろ彼女の有する地雷原を丸腰のまま踏み荒らしているのは翔の方で、それに対して怒らないでいる束奈の寛容さに感謝していた。


「……協力、してくれないか?」

「嫌」


 どれだけ頼んでも変わらない束奈の意思に翔は無言で懇願を込めた視線を送るが、見向きもされない。

ただ自分が情けなくなるだけだった。頼み事の内容が内容であったため、翔は己に失望していくことを止められない。

 彼が少女に頼み込んでいるのは恋愛相談なのだ。束奈と同じで、全く相手にしてくれない――といっても、束奈とはまた違う深い事情があるのだが――イトコとのことで、翔はかねてから束奈の助言を求めていた。

竹を割ったような性格の束奈は級友たちからそういった恋愛ごとの相談を受けることも多かった。遠慮をしない彼女の言動は自分を客観的に理解する手助けをしてくれるのだ。だからこそ、彼女の助言は的確なのだった。


それに、翔にはどうしても彼女を味方につけたい理由もあった。


「お前、もしかしてまだ椎奈ちゃんとうまくいってないのか?」

 半ばヤケを起こした翔がそう口にした瞬間。束奈との間に流れる空気が凍った。

しまった、と翔が気付いた時にはもう後の祭りだ。束奈からはあまり直視したくない負のオーラが漂い出している。

 ――最も踏んではいけない地雷へ、よりにもよって翔は、わざわざ両足で飛び込んでしまったのだ。


「そうだけど? それが何? 翔に不都合でもあるわけ? そもそも、椎奈とうまくいく予定なんて一生無いから」

 それまでのぶっきらぼうな態度を捨て、一気にまくし立ててくる束奈に、翔はただ恐縮するほかない。

 束奈は、椎奈という名に人一倍敏感で、かつそれを異常なまでに嫌悪していた。翔もそこに至る詳しい経緯までは聞かされていなかったが、二人は近い親戚で、幼い頃に確執をうんでしまったのだということは知っていた。そしてそれが、おそらく第三者からすれば他愛もない価値観の違いで、両者がいがみ合っているというよりは束奈が一方的に椎奈を嫌っているのだということも。


「お前ってそういうところ頑固だよなあ……」

 束奈のことを聞いたときの椎奈の寂しそうな顔を見たことのある翔としては、何とも言い 難い複雑な心境だった。

 そもそも、翔のいとこは聖ローズに在籍している椎奈の同窓なのだ。二人の仲が良い方が、翔としても助かるのである。……たとえそうであったとしても束奈が協力していたかはいささか疑問ではあったが。

「悪い?」

「いーや、別に」


 鋭く向けられた束奈の視線とぶつかる前に、翔は目を逸らすことに成功した。

「……ていうか、何その《椎奈ちゃん》って。アンタ会ったこと無いでしょ」

 多少落ち着きを取り戻した束奈が、むくれたように言った。


「いや、あるけど? 束奈も知ってるだろ、舞華――俺のイトコとお前のイトコは親友同士だって。舞華に会いに行くと鉢合わせになることもあるんだよ」

「知らなかったし、全く興味も無いわね。良かったじゃない。よくできたお嬢様の協力者がいて。翔こそ知ってると思うけど、あの子が関わってるなら私は一切関与しないから」

 翔が首を傾げて答えると、言い出したはずの束奈が、つい、と突き放す。掴めそうで掴めない、波のようだと翔は思う。

「そう言うなって……。椎奈ちゃんは別に協力してくれてるわけじゃないんだよ。なんつーかこう……中立なんだよなあ。良くも悪くも」

 それに対する束奈の反応は無かった。本当に興味を無くしたらしい。

 やむなく翔は、傷を負うことを承知で、束奈の心に毒の沼へと足を突っ込んだ。


「……良い機会だと思わないか? チャンスだろ。椎奈ちゃんとのこと、今のままが最善だなんてお前だって思ってないんだろ?」


「放っといて!」

 瞬間的に束奈が叫ぶ。教室内の視線を浴び、翔は慌てて束奈をなだめた。


「……」

 大声を出したことを反省したのか、むしろそれですっきりしたのか、束奈は言葉を選ぶように間をおいてから、静かに口を開いた。


「私とあの子は合わなかった。ただそれだけのことでしょ」

「俺には話し合えば解決するように見えるけどな」

「……放っておいてって言ってるのが分からない? 私はあの子が嫌い。理解できないし、したくもない。これでどう仲良くなれって? もうこれ以上この話したら怒るから」

 それっきり、束奈が言葉を紡ぐことは無かった。そこに翔などいないかのように机から取り出したノートを見直し始める。ちょうど予鈴が鳴ったこともあって、翔はおとなしく束奈のもとを離れ自分の席へと着いた。

 どちらにせよ、束奈があれほどまで意地になっているようでは何を言っても無駄であろうことは翔にも分かっていた。

もちろん、それを一番理解しているのが、束奈自身であることも。


 翔の口から、本日何度目かのため息が静かに漏れた。


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