鳥籠からの眺めは
「ばっかみたいだ!」
彼女は叫ぶ。誰かに聞こえるように、誰にも届かないように。
踏み出す足に全体重をかけながら、だだっ広い部屋にわざとらしく大きな音を響かせて練り歩く。
気の利いたことに今この家には彼女以外の人間は存在していない。敷地だけは無駄に広いので周囲に気兼ねすることもない。よって彼女はこの感情を全力で放出することができた。
ありえないありえない。
彼女は思う。
何が?
なにもかもが。
私自身が。
この世界が。
矛盾のデパートみたいな世の中が。
どす黒い感情をのせたダンスステップに飽きると、たまたま目の前にあった箱からティッシュを引き抜いて、ボロボロになるまで引きちぎる。バラバラになったティッシュはあらかじめ敷いておいた別のティッシュの上に叩きつけた。
限界まで破ききったら、ティッシュのお皿ごと純白のディナーを思い切り丸めて廃棄。
美しく繊細な白い皿を割って、ぐしゃぐしゃの紙幣を注ぎ込んだステーキをさんざん踏みつけた後にゴミ箱に投げ捨てられたらとても気持ちが良さそうだけれど、と彼女は恍惚とした笑みを浮かべながら考えるが流石にそれはやめておく。
ヒトの血となり肉となるためだけに生かされ、時がくれば無慈悲に命を奪われる――そんな人生を強制的に送らされた哀れな魂を踏みつけるのは気が引けるし、第一『もったいない』と考えたからだ。私にだって理性はあるのだ、と彼女はひとりごちた。
どんな背徳的な行動を望んだ時も、彼女が狭苦しいルールの中で生きる人間である以上、常に責任が付きまとう。即ち、社会から与えられた理性であり、感情の抑止力。窮屈な足枷に感じるときが無いと言えば嘘になるが、その拘束感が心地良いとも彼女は思う。身動きを制限された中で足掻き、破壊の対象を探す。なんとも刺激的なシチュエーションである、と。特に、今の彼女にとっては。
これは、彼女にとって軽い発作のようなものだった。感情やら理性やら、普段抑え込んでいるものが突然爆発する。
彼女は昔から他人の前で、ありのままの自分でいることがすこぶる苦手だった。自分を極限まで抑え込む癖があり、所謂《ガス抜き》が出来ない性質なのだ。溜めて、溜めて、前触れなく爆発する。彼女の爆弾に導火線は必要ない。火薬に引火することで破裂するのではないからだ。その質量に耐え切れず、はじけ飛ぶ。ただ、それだけ。
ティッシュ破りを一通り楽しんだ後、未だ自分の感情を持て余す彼女は静かに引き出しからA4サイズのコピー用紙と硬めの鉛を埋め込んだ鉛筆を取り出し、無心で線を引いていく。何かを描こうという意図は無かったので、いっそ真っ白な紙が真っ黒になるように円を連ねたりジグザグに黒鉛を滑らせたりと、とにかく乱暴に腕を動かす。
ヒステリーが陽の爆発なのだとしたら、私のこれは陰の爆発だ、と彼女は思う。
わめき散らして発散する。この衝動を誰かにぶつけて消火する。抑えきれなくなった感情が吹き出した必死の顔でSOSを出す――。
彼女の中に蓄積された負の貯金は、そんな人間らしい行動を否定するのだ。爆発が起きたとき、彼女はずっと冷静で、真剣な顔でいる。いっそヒステリーのように放出できたなら、どんなに楽だろうか、とさえ思わせる、もっとずっと陰湿で、重苦しい、そんな感情。
どす黒いそれは、解き放つにはあまりに大きい。理性の容器で包囲して、爆発を受け止めながら消化をするしか道がない。
いや、方法ならある。彼女はそれを理解していた。理性なんて溶かして、爆発に巻き込めばいいのだ。
だが、彼女にはそれができない。
彼女は彼女を辞めたいのに。結局いつも辞められないのだから。
この世界が好きだから?
この感情が好きだから?
「――私自身が、弱いから。」