にゃんでみっくっ!
『続いては新型ウイルスについてです。政府の発表によりますと、昨日の新規感染者は二千人を超え、過去最多となりました』
『日本国外での感染例は無く、世界保健機構は世界的なパンデミックの可能性は低いとの見解を示したと同時に、名称を”NYAVID-19”とすることを発表しました』
『現在までに有効な治療法は見つかっておらず、感染経路も不明であり……』
テレビをつければ、どのチャンネルも新型ウイルスの話題で持ち切りだった。
ことの発端は去年の年末、東京の秋葉原で奇病が発生したとのニュースだった。
それとほとんど同時に大阪の日本橋での感染も確認された。
マスクの着用、消毒、外出自粛など、様々な感染対策を実施したが、瞬く間にウイルスは日本全土に広まっていった。
『本日は感染症に詳しい専門家をお呼びしております。先生、今回の感染症はどのようなものなのでしょうか?』
『微熱、倦怠感といった軽い風邪のようなものが初期症状として報告されています。ですが、今回のウイルスの最も大きな特徴は…………』
ウイルスなんて他人事、対岸の火事だと、そう思っていた。
今日までは。
「あいつ、起きてこないな……」
もう昼過ぎなのに、妹が起きてこない。
今日は休みなので別に良いのだが、一応起こしに行ってみることにした。
「おーい、起きてるか?」
部屋の外から声を掛けると、中から物音がした。
一応、起きてはいるみたいだ。
「おにい……ちゃん?」
「どうした? 具合悪いのか?」
「その……ちょっと、待っててね」
足音が近づいてきて、ゆっくりと扉が開く。
「これ、どう思う?」
「っ!?」
扉の隙間から顔を出した妹の頭には、ピコピコと動く猫耳が生えていた。
* * *
『NYAVID-19、通称猫耳ウイルスは、発症すると猫耳と尻尾が生えるという奇妙な症状があるのですが、なぜ耳や尻尾が生えるのか、どういう仕組みで生えてくるのかということは全くの謎とされています。現在の所重症化した症例も死亡例も無く、過度にウイルスを恐れないことが重要だというのが専門家の見解で……』
つけっぱなしのテレビからは、まだ例のウイルスについての情報を流していた。
妹をリビングのソファに座らせ、熱を測ってみる。
「……微熱だな」
「んー、なんか身体もだるい気がする」
「まぁ別に命に差し障るような病気じゃないらしいし、しばらく大人しくしてれば治るだろ。もし熱が上がるようだったら病院行って熱さまし貰えばいいだろうし」
「うん」
「何か食べられそうなものあるか?」
「んー、だったらうどん食べたい。あとりんご。うさぎさんで」
うどんは良いとして、うさぎさんりんごは面倒くさい。
普段ならそう言うところだけど、上気した顔で頼まれれば断りにくい。
「分かったよ。買いに行ってくるから、部屋で寝てろよ」
財布を取ろうとソファから腰を上げると、シャツの裾を掴まれた。
「……一人じゃ、やだ」
「じゃぁどうするんだよ。どっちみち買物に行かないと食べるもの無いぞ」
「う~」
元々今日買物にいくつもりだったので、もうほとんど食料品が無い。
それでも妹は離してくれないようだった。
「…………はぁ。仕方ない。あいつに頼るか」
あんまり迷惑はかけたくないけど、こういう時は頼れる人を頼るしかない。
妹をなだめながら電話をかける。
「あー、もしもし? ちょっと頼まれてほしいことがあるんだけど……」
* * *
電話をしてから一時間もしないうちにチャイムが鳴った。
「おまたせ。妹ちゃんの具合どう?」
「軽い風邪って感じ。悪いな、休みの日に」
買い出しを頼んだのは、近所に住む幼馴染だ。
小さい頃から妹と三人でよく遊ぶ仲だった。
「おー、本当に猫耳が生えてる……」
「猫耳ウイルスとか呼ばれてるぐらいだからな」
「妹ちゃーん、りんご、買ってきたよ」
「あ、ありがとう……」
「起き上がらなくていいよ。えっと、他に何かやることあるかな?」
「いいって。うつしても悪いし、一人で大丈夫だから」
「水臭いこと言わないの。私だって妹ちゃんのために……くちゅんっ」
「おいおい大丈……えぇ」
「え、何その反応? 私の顔に何か付いてる? あ、もしかして鼻水出ちゃってるとか?」
何か付いてる、というより、生えてる。
いや、生えた。今。
くしゃみと同時にぴょこんと猫耳と尻尾が。
目の前で幼馴染に猫耳と尻尾が生えるというなんともシュールな光景に、何と言っていいのか分からず、とりあえず無言のまま頭の上を指さしてみた。
「頭? ……わっ!? なにこれ、私に生えてるの!?」
「はぁ……」
今日は今までの人生で一番混沌とした一日になることが確定した。
「熱は……無いみたいだな」
「うん。特に風邪みたいな症状も無いみたい」
妹を一旦部屋に寝かせて、幼馴染の体温を測ってみたのだが、猫耳と尻尾の他に症状は無いらしい。
「とりあえず、妹ちゃんにごはん作ってあげよっか」
「……そうだな」
猫耳と尻尾を生やした幼馴染と台所に立つ。
うどんはやってくれるそうなので、妹の要望通りうさぎさんりんごを作ることにした。
「へぇ、意外と器用なんだね」
「料理は一応一通りできる。あんまりやらないけど」
「ふーん。今度何か作ってよ」
「今度な」
そんな雑談をしながら完成したものを妹の部屋に運んだ。
その際、幼馴染が食べさせようとしてたけど、妹に一人で食べられるからと断られていた。
* * *
妹が寝てしまったので再び二人でリビングへ戻る。
「ねぇねぇ、写真撮ってよ!」
「なんで嬉しそうなんだよ。一応病気なんだぞ」
耳と尻尾が生えてから、妙にこいつのテンションが高い。
「だって本物の猫耳と尻尾が生えるなんてそうそう無いんだよ? この機を逃したら一生生えてこないかもしれないでしょ」
「一生の内で一回でもあるほうが異常だと思うけど」
「いいからいいから、ほら。自分じゃ上手く耳が入らないしさ」
「はいはい……」
「あ、そうだ、これ根本ってどうなってるんだろ? 見てみて」
中腰になって頭を向けてくるので、髪を少しかき分けて観察してみる。
それは元からあったみたいに自然に生えていた。毛も髪の毛と同じもののようだ。
「んっ、なんか、くすぐったいかも……」
「感覚があるんだな」
「うん、けっこう、っ、敏感みたい」
「音は聞こえるのか?」
「それは聞こえない……やっ、ちょっと、そんな奥まで、っ!」
「あ、ごめん。痛かった?」
「……ちょっと気持ちよかった」
「えぇ……」
「ちょっと、そんな目で見ないでよ。やったのはそっちでしょ」
「お前が見ろって言ったんだろうが」
「……ま、いいや。次は尻尾ね」
「まだやるのか」
「だって自分じゃ見えないんだもん。ほら、どんな感じ?」
……これ、傍から見ると女の子のお尻を覗き込む変態みたいに見えるんだろうな。
「どう? どんな感じ? 写真撮って見せてよ」
耳と同じように毛に覆われた尻尾は、背骨のラインに沿って、尾てい骨のあたりからすらりと伸びていた。
写真を撮ろうとするけど、尻尾が左右に動いてぼけてしまう。
「これ止められないのか?」
「え? あ、そっか。写真撮れないよね。んー、無意識に動いちゃう……押さえて撮って」
ふりふり揺れる尻尾を恐る恐る掴んでみる。
「ひゃんっ!?」
「どうした!?」
「そ、そっちは耳よりも敏感で……」
「じゃぁやめるか?」
「う、ううん。撮って。がまん、するから……」
今度はできるだけ優しく、力を入れないようにして触る。
「あっ、ん……ひゃ!? これ、すごい……なんか、変な、感じ……んんっ!」
「変な声出すなよ! ほら、撮れたぞ」
「あ、ありがとう……」
「お前、顔赤いぞ? 大丈夫か?」
「だ、大丈夫だって……顔は熱いけど……」
「熱が上がってきたんじゃないか? 一応測ってみろよ」
「う、うん」
「……ほんとに熱上がってきちゃったみたい……」
「遊んでるからだ。俺のベッド使っていいから大人しく寝てろ」
「いいの?」
「なんかあったとき近くにいたほうがいいだろ」
「……ありがと」
「はぁ…………」
まさかこんなに身近に、しかも二人も感染するとは。
二人ともぐっすり眠っているようなのに、自分も寝てしまうことにした。
夕食は……まぁ、いいだろう。
部屋には幼馴染が寝ているので、リビングのソファで横になる。
ドタバタして疲れていたのもあってか、すぐに眠りに落ちたのだった。
* * *
「あ、起きた? おはようお兄ちゃん。もう朝だよ」
目を覚ますと、妹と幼馴染が朝食を用意していた。
もうすっかり良くなったらしい。
「おはよう。昨日は泊めてくれてありがとね」
「別にいいよ」
既に二人に猫耳と尻尾はない。
症状は軽く済んだようだった。
「でももったいないよね。どうせなら本物の猫耳を生やしたまま遊びに行ってみたかったのに」
「妹と幼馴染に猫耳が生えて看病するなんてのはこれっきりにしてほしいけどな」
「私も写真撮っておけばよかったなー」
「あ、妹ちゃんの写真あるよ。寝てるときに撮ったやつ」
「ほんとに? あとで送って!」
こっちは疲れたというのに、二人はなんだか楽しそうだった。
「ま、猫耳が生えるなんてことはもう…………っくしゅん!」
「「……あ」」
「……え?」
この不思議な事件は、もう一日だけ続くのだった。
猫耳と尻尾が生えたら何をしますか?