第65話 ヒムニヤ vs 闇の波動
本話はクリントートに残ったマリ(ヒムニヤ)を追いかける視点となります。
マッツがドラフントを旅立ち、10日程過ぎた頃。
今日も、いつもと変わらぬアクシェイとの会話を終え、マリは部屋に戻って来ていた。
だが、何故だか、今日はひどく落ち着かない。アクシェイは普段通りだったが、何やら嫌な予感がする。超人である彼女独特の自衛センサーが鳴りまくる。
(ええい、なんだと言うのだ、この知らせは……)
珍しく苛立つ。
……が、ふと。
何かに思い当たる。
(もしや……!!)
しばらくして、マリはその可愛い口元を、ニヤッと歪める。
それからほどなく、メイドのサンジャナがマリを呼びに来た。
彼女が姿を見せるのは、マッツ達がまだクリントートにいた頃以来、実に1ヵ月振りだ。
「マリ様、アクシェイ様が折り入って頼みがあるとの事で、ご足労頂きたい、と伝言を仰せつかっております」
常人が見てもわからないだろうが、マリには、サンジャナが、鋭い殺気をメイド服の奥に隠した凶器に見える。
その事自体は、1ヵ月前にクリントートの廊下で初めてすれ違った段階で既に見抜いていた。
が、敵かどうかは判別出来ない。元王家として、それ位のボディガードは居てもおかしくないからだ。
また、神の種に無関係な、単なるこの国の問題かも知れない。そういった話にマッツ達は踏み入るつもりが無い。
そもそも、マラティと、このサンジャナには、超人たる自分をして、『読心』が効かず、警戒しない方がおかしい。恐らくはこの2人も自分を警戒して近寄っては来なかったのだろう。
(ふふ……どうやら、ようやく動き出しそうだぞ)
しかし、そのような思いの内は露ほども見せず、素直にサンジャナに従い、執務室に向かう。
もう少しで執務室、という所で、横のトイレからたまたま出てきたレイティスと鉢合わせる。
マリとサンジャナという珍しい組み合わせに、怪訝な表情を浮かべる。
「これはこれはマリさん。本日2度目ですね。……サンジャナ、マリさんをどちらへ?」
「どうも」
軽く頭を下げて挨拶をするマリ。
「アクシェイ様がお呼びとの事で、お連れしております」
そしてマリにしかわからない、サンジャナの表には出さない苛立ち。それを敏感に感じ取る。
(ここでレイティスに出会ったのは計算外か?)
「ほう、何でしょうな? それなら、私も付き添い……」
言いかけるが、にべもなくマリがそれを拒否する。
「いや、結構。私にのみ呼び出しがあったという事は私にしか出来ない頼みなのでしょう」
少し、何か言いたげな顔をするが、
「ふむ。判りました。私が必要な時はお呼び下さい」
手を上げながらそう言い、階段を降りていく。
(ふふ、なかなか鼻が効くな……有難う、レイティス)
そして、目の前には、初めてこの城に来た時に、アクシェイが散らかしていた為、入れなかった場所だ。
コンコン……
「サンジャナです。マリ様をお連れ致しました」
「お通ししなさい」
中から野太いアクシェイの声が聞こえる。
ガチャ……
ドアを開けると、テーブルと3つの椅子がある。部屋の奥側に2つ、手前に1つ。
奥にはアクシェイと、もう1人の中年の男性が座っており、手前の椅子の左後ろには、もう1人のメイド、マラティがいる。
マラティも、この1ヵ月、マリの目の前には現れなかった。
(ふ……ふ。思った通り)
しかし、アクシェイの隣に座っているのは誰だったか。白髪で小太り……。
(ゴビン? バルジャミンの領主か! 何故、ここに……)
「マリ、都合もあろうに、呼び立てて済まない。さ、かけてくれ」
「はい」
「こちらは、知っているな?」
「はい。お久しぶりです。ゴビン様」
軽く会釈をしながらサンジャナによって丁重に引かれた椅子に座る。
そして、自分の右後ろにサンジャナが立つ。
(む……私を取り囲んだ? ……フフフ)
胸の中でニヤリとしながら、真面目な顔でアクシェイに当然の事を聞く。
「さて、頼みがあるとか……一体、何でしょう?」
刹那!!
目の前の2人の瞳の色が変わる。濃いグレーがかかり、揃って、少し俯き加減になる。
そして、アクシェイではなくゴビンが口を開く。
「ヒムニヤ……」
マリではない。ヒムニヤと言った。
「今、なんと?」
しかし表情を変えずに問い返す。
今度はアクシェイが口を開く。
「しばらく……寝ておれ」
ガタガタッッッ!!
マリは、反射的に左に飛び跳ねた!
が、現実には動けなかった。
物凄い力で後ろから肩を押さえつけられているのだ。
振り向くと、サンジャナとマラティが、それぞれ両手で彼女の両肩を押さえつけている。2人のメイドの瞳の色もアクシェイ達と同じ色が混じっていた。
「くっ!」
だが、この時点ではマリにはまだ余裕があった。振り解こうと思えばいつでも出来る。吹き飛ばす事も簡単だ。
(早く正体を表せ!)
不意に、目の前の男達の中間の空間から声がする。
(ヒム……ニヤ……)
ついに出た。
違和感の正体。
「やはり……お前だったか」
ニヤリとするマリ。
(ヒムニヤ……)
(ヒムニヤ…………)
(ヒムニヤ………………!!)
空間の声は、次第に大きくなり、ふと止んだかと思うと。
目の前の空間に、男の顔だけがニュッ……と、現れた!
まぶたのない男。
左目に宇宙を閉じ込める男。
「相変わらず、趣味の悪い登場の仕方だな」
しかし、マリは、一向に動じない。
「ヘルドゥーソ!」
マリがその名前を呼ぶと、目の前の顔は嬉しそうに顔を歪める。
(フフ……数ヵ月ぶりだ、ヒムニヤ)
(随分と……可愛らしい小娘になったものだな)
椅子に腰掛けているマリは、両肩をサンジャナ、マラティに押さえつけられたまま、腕を組み、空間に不気味に浮かぶ顔を睨み付ける。
「お前と馴れ合うつもりはない。さっさと人間の世界に介入する目的を話せ。違和感の正体が貴様と知れた以上、私は全力で叩き潰すぞ」
(フッフフ。怖い怖い……)
(しかし、そのザマで出来るのかね)
(人間の小娘如きに押さえつけられて)
フン、と1つ鼻を鳴らすマリ。
「私をこの程度でどうこう出来ると本気で思っているのか?」
(クク……そう思うなら……振り解いてみろ)
ドンッッッ!!
ヒムニヤは、両肩に膨大な魔力を込め、2人のメイドを死なない程度に吹き飛ばした!
……つもりだった。
が、実際には何も状況は変わっていない。
いや、それどころか、押さえつけて来る力がどんどん増して来る。最早、人間の腕力ではない。
バキィィィ!!
圧力であっさり椅子が潰れ、地べたにドンッと落ち、そのまま天井を見上げる形で、2人に押し倒されてしまう。
「グッ……!」
抵抗しようとするが、身体がうまく動かない。右半身にサンジャナ、左半身にマラティ、2人のメイドが彼女の身体に覆い被さる。
体重が、およそ人間のそれとは程遠く、竜でも乗せているかのように感じる。
マリの顔色が変わる。
メイドの2人が重いからではない。ようやく、今の状況を理解したからだ。
(これは……しまった!)
それは本来、有り得ない状況であり、何とか身体を動かそうとするが、どうにもならない。
(理解……したか?)
(お前はもう……)
(私の世界の……中にいる)
目の前にある2人のメイドの顔の隙間からヘルドゥーソを睨みつけ、
「お前……この私に……『干渉』出来るだと? いつの間にこれほどの膨大な魔力を……」
そう吐き捨てるが、何とも体が動かない。
不意に、左にのしかかるマラティの顔がマリに近付き、甘い香りを振り撒く。
マラティの真っ赤な唇がマリのそれに重なる程の距離で呟く。
『ヒムニヤ様。ヴォルドヴァルドが持つ神の種は、今度こそ、ヘルドゥーソ様が頂きます。貴女はこのまま何もせず、お眠りになっていて下さいませ』
「何だと!?」
ふと気付くと、サンジャナの形の良い唇が、マリの右耳たぶを優しく挟んでいる。
そして小さな声で囁く。
『貴女様はもう目覚める事は出来ません。優しい貴女はマッツ様御一行が気掛かりなのでしょう?』
「クッ……」
最早、マリが自由に動かせるのは『目』だけになっていた。
その目でサンジャナの横顔を追う。
『御安心を。彼らはこの私が責任を持って、「始末」致します』
「……!」
目を見開くマリ!
いや。
偽りの外見を捨て、古竜の大森林で静かに暮らす高位森妖精、超人ヒムニヤの姿に戻る。
ブチッッッ!!
「あの子達に……手を出すんじゃない!!」
ドォォォォォォォォォッッッ!!!
ヒムニヤの凄まじい魔力が蘇り、体の上の2人を吹き飛ばす!!
ドンッ!!
ギャッ!
ドサドサッッッ!!
魔力の暴風に吹き飛ばされたサンジャナとマラティは、天井にぶつかり、そして床に叩きつけられる。
ようやく体の自由を取り戻し、立ち上がった。
……が、先程までヘルドゥーソが居た空間には、もう何も無い。
「む!?」
そして、ゴビン、アクシェイがいた場所も、いつの間にか彼らが座っていた筈の椅子だけが2脚、存在するのみ。
のみならず、今し方、吹き飛ばし、床に転がっていた2人のメイドも、気付けばいなくなっているではないか。
「…………」
この部屋にはヒムニヤしかいない。
(いかん!)
慌てて入ってきた入口のドアを飛び出す。
そこには、この1ヵ月で歩き慣れた王城の廊下がある……のではなく、真っ暗な空間のみが存在していた。
嫌な予感から、すぐさま振り返る。
そこにあった建造物、先程まで居た部屋ですら無くなっており、あるのはただ、宇宙よりも暗く、息するものは自分だけの漆黒の世界 ―――
「ち……」
真っ暗で何も無い空間。
立っているのか、寝ているのかもわからない世界で、ヒムニヤの口から舌打ちが漏れる。
「ぬかった……奴の力がこれほどまでとは……」
最後まで自分を心配していたマッツやクラウスの顔が思い浮かぶ。
(マッツ……すまない……)
漆黒が彼女の身体を侵食する。
そして、徐々に五感が麻痺。
遂にヒムニヤは、『闇』に飲み込まれた―――




