第49話 慈愛の女神 ツィ(2)
不死の王『リッチ』。
凄まじい瘴気、腐敗の匂いを撒き散らす。そして、その瘴気によって、また幽霊、死霊など下級の不死者が大量に涌いてくる。
「これが……リッチ……!」
見るだけで恐怖が湧く。
髑髏の顔、体は薄ぼんやりとしてはっきりと見えず、紫のローブも下半分は透き通っている。手には大きな鎌を持つ。
全身を包む瘴気と、魔力の渦が、生前、尋常では無い力を持った魔法使いであった事を示している。
「アデリナ! 幽霊と死霊を頼む!」
「オッケー!!」
同時に複数本の矢をつがえ、アデリナが戦闘態勢に入る。そして厳しい表情のままのエルナが俺に顔を向ける。
「マッツ、あのリッチは恐らく最上位に位置するリッチ。魔力が半端ではありません。気をつけて!」
「了解ッ!」
わかってるさ。
対峙するだけで、これほどのプレッシャーは、そうは無い。
(レイ・ティクル・マーマー・ソゥラ・エイス・エージェルス……)
リッチが口を動かさずに、詠唱を始める。む……どこかで聞いたことのあるスペル……あれか!
「アデリナ! エルナ! 氷が飛んでくる! 逃げろ!!」
(『氷の槍』)
キュイキュイキュイキュイキュイキュイキュイキュイキュイキュイキュイィィィィィィン……
ズドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドド!!!
効果範囲内の木々が裂け、砕かれ、凍りつく。
かつてエッカルトが放ち、テオを貫いた氷の魔法。だが威力と数が桁違いだ。
「術者によってこれだけ違うものになるのか……」
思わず独り言を呟く。
(セン・ヤ・シリ・ライ・ヤ……)
これ以上、唱えられてたまるか!
「浄化されて天に帰れ! 聖竜剣技!『突』!!」
剣技『突』の聖属性版だ。
ズッシュゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ!!
リッチの体に穴が空く。
だが……それだけだ。手応えも殆ど感じられない。
(レイ・ティクル・マーマー……)
何事も無かったかのように詠唱を続けるリッチ。
くそっ!!
だが、そこにエルナの攻撃が加わる!
「燃やし尽くせ!『火妖精』!!」
シュンシュンシュンシュンシュン……
周囲に小さな火妖精が発現し、一斉にリッチに飛びかかる。
身体に取り憑き、炎上効果をもたらす。
(グキェキェキェ……)
む、効いたか?
そうか、不死者には、聖属性と並んで火の効果が高い。思ったほど聖竜剣技が効かないのは、対聖属性のバリアを纏っているのかもしれない。
(ツェイツェイ・ミィリーター・ニャ……)
待て、まだ唱えるのか……。
ゾクリ、と恐怖が走る。
(『水竜の息』)
森の上に水竜が発現する。エッカルトが唱えたやつと同じ。思念体のような感じのやつだ。
津波イメージが来る!
「火竜剣技!『爆』!!」
津波にポイントして相殺させる。爆破で相殺できるのはエッカルトの時に実証済み、だったはずだが……相殺、出来ない!
あっさり『爆』が弾け、津波を食らってしまう。
ドォォォゥゥゥゥゥゥゥゥゥシャァァァァァァ!!!
十数メートル、後方へ吹き飛ばされる。
お……おお……こりゃあ強烈だ……。
(『水神の極撃』)
なんだ、なんだ……。
俺の目の前の空間に、まるで鏡のように、縦の水たまり、が発生する……。本能的にヤバい、と感じる。
「地竜剣技!『岩砕』!」
「ダメです、マッツ! 避けなさい!!」
エルナの悲鳴が耳に入り、躊躇せず横の茂みに跳ぶ。
(『雷神の極撃』)
グググ……
跳んだ先、頭上で小さな音がし、恐る恐る、見上げる。
数メートル上方、いつの間にか、闇の中に、所々、稲光る小さな雷雲が出来ている。
げ…………やめろ……。
野郎! 何手も先を読んでやがった!
パンッッッ!
バッシュゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ!!!!
何かが弾けて迸るこの音は雷雲からではない。
さっき空間に現れた、縦の水溜りだ。
あれが弾け、空間から直径5、60センチほどの水流が横方向、さっきまで俺が居た場所へ、槍のように噴き出す。
凄まじい水圧は『岩砕』をいともあっさり叩き潰し、百メートル以上の『水の槍』を形成する。
どんな水圧で放水したら、あんな事になるんだ? 食らってたら、ひとたまりもなかった筈だ。
ゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロ……
間髪入れず、頭上の雷雲から落雷が来るッッッ!
「『瞬時魔法無効』!!!」
ピッシャアァァァッッッ!!!
ドンドンドンドンドン!!
落雷の嵐!
だが、エルナのお陰で数秒は無敵だ。なら! 今はむしろチャンスか!
「火竜剣技!!」
狙いはヤツの首……。
エルナによる聖属性追加ダメージプラス、火属性プラス、物理斬撃を最大の魔力と膂力で放つ!!!
「くらえぇぇぇああ!! 『一』!!!」
ズッシャァァァァァァ!!!
ドン! ズドドドドドドドドドドドドド!!!
リッチの首を切断、切り離された頭部は追加の火と聖属性ダメージにより、破壊、煙と化す。
なのに、何だ?
まだ存在し、そして、動く。
何なんだこいつは。
「『聖火豪弓』!!」
バッシュゥゥゥゥ!
ズドドドドドドドドド!!
槍ほどもある大きさの魔法の弓矢が集合し、大砲となり、リッチの残骸を粉々に砕く!!
『豪弓』の上位スペルであり、破壊力が段違いだ。
「マッツ! 油断禁物! まだ死んでいません!!」
何だって……?
いや……確かに、瘴気も気配も消えていない。
……ゴゴゴゴ……ゴゴゴゴゴゴ……
地の奥底から振動音が聞こえる。
……ゴゴ……
……
そして不意に大音量で頭に鳴り響く声!!
(『冥府鳴動』)
リッチの声が、頭に直接響いてくる。
その瞬間、古竜の大森林だったその場所がなくなり、七色のオーロラだけが揺れ動く、奇妙な世界に変化する。
グゴゴゴゴ……
地面が見えないのに地鳴りのような音がどの方向からというでもなく、小さく低く聞こえる。
「何……だ! どこだ……ここは……!?」
立っている感覚が無い。水中にいるようだ。
だが、体に何も触れていない。水も、空気ですらも。呼吸が出来ない訳ではないが、色だけが支配する世界……。
「マッツ! どこ!?」
アデリナの声だ。
俺の下から聞こえる。声がする方を見ると不安そうに辺りを見回すアデリナが見えた。
アデリナもここにいるんだ。まずは無事でよかった。
「アデリナ!」
「!! マッツ! どこなの?」
俺の方を向いているのだが、どうやら彼女から俺の事が見えないようだ。
「アデリナ! 俺が見えないのか……くそっ! 何だここは!」
「マッツ! 私もアデリナもこの妙な景色以外、何も見えません。どうやらここは私達が知っている世界とは違うようです。貴方も視えないですよね?」
今度はエルナの声だ。
エルナは俺の頭の遥か上にいる。……が、そもそもここには上とか下とか、そんな次元が存在しているかすら疑わしい。
エルナも俺が見えないのか。何故だ?
俺からは皆が見えるのに……。
貴方も……視えないですよね?
強調した。確かに。
そして、物凄く違和感のある言葉。
ピシュン!!
「グアッッ!!」
肩口を貫かれた!
ピンク色の閃光が走ったかと思った瞬間だった。
「マッツ!」
「どうしたの!? 大丈夫?」
射抜かれた肩口を押さえ、周りを見渡すがどこにも怪しいものはない。いや、怪しいと言えばこの世界自体がそうなのだが。
くそ! 一体、どこからの攻撃だ?
ピシュン! ピシュンッ!!
「うああっっ!!」
「マッツ!」
「マッツ……!」
太ももと脇腹をやられた。ダメだ、見えない。
攻撃方向が全てバラバラだ。
「クソったれめ……! リッチィィィ!!」
「『偉大なる盾』!!」
魔法のシールド……?
エルナか!
『対象が見えなくてもかける事』が出来るのか。
虹色のオーロラがずっとユラユラとしており、体は無重力にフラフラとしており、気分悪い事この上ない。俺の体の、穴の空いた箇所からは煙のようなものが噴き出している。
なんだ? ひょっとして、これは生身じゃないって事か?
そもそも何故、俺からだけ二人が見えるのか。
皆に見えないものが視える……
そうか! 『神視』か!!
そして……そこに気付くと、わかる。
俺の背後だ。
ヤツがいる。いるぞ。
殺人級の敵意も感知。
『対象が見えなくてもかける事が出来る』か……。
ここでは相手が見えなくてもいると認識できれば干渉することがができるって事だ。
そして……俺だけに備わる『神視』。
なるほどな。
剣の柄を頭上に、剣先を足先に向け、唇が微かに動く程の小さな声で詠唱を始める。
不死者め……。俺を穴だらけにしやがって……きっちり、成仏させてやる……!
そして―――
背筋が凍りつくほどの敵意感知、気配が視えた!
(『闇の七獄』)
瞬間、気配の方へ振り返る。
いた! リッチ!!
フードに覆われ、表情ははっきりとは見えないが、こいつの意表を突いたのが感覚でわかる。さっきと同じ紫のローブを纏い、同じ瘴気を放つ魔術師。心なしか、さっきのような骸骨ではなく、どちらかというと人間の姿ように見える。
ヤツの体から闇属性の7つのエネルギー波が放たれようとする瞬間!!
魔剣シュタークスを一閃!!
「魔竜剣技!!」
瞬時に現れる8つの光弾。
「この赤い眼からは逃げられねえぜ!」
(ウオ……ウォォォォ……!!)
「あの世まで吹き飛べ!! 『魔皇』!!!!」
ドォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォン!!!!!!
7本の暗黒エネルギーを、8つの光弾がビーム砲となり、破壊。
驚愕の表情が光で露わになる。
残る1つの光弾は、かつて超高位の魔術師であったであろう、その亡霊を直撃し、そして、粉砕した。
―
ふと気がつくと元いた森に帰っていた。
俺の体に空いていた穴も無い。
夢?
いやいや。そんな訳はない。
あの世界に連れて行かれる前、ここで倒した髑髏の姿は仮の姿ってとこか。道理で手応えがなかった筈だ。
あの霊のような体はあの世界と現実の世界とを結ぶ媒体、通信手段か。
その通信手段が途絶えそうになった為、ヤツは俺達の魂的な何かをあの世界に引きずり込んだ。
リッチの実体は……あの世界にいた。
あの世界はヤツの世界。
『神視』と『敵意感知』を持つ俺だけがヤツを確実に捉える事が出来る。それをリッチに悟らせない為にエルナは言葉を選んだんだ。
「ふぅ……よかった。流石です。マッツ」
エルナは本当に凄い。
いつか、ビルマーク王が絶対に戦力になる、と言っていたのが実感としてわかる。俺一人で戦っていたら、そもそも戦闘序盤の、あの強烈な水の槍でとっくにやられていた筈だ。
「いや、礼を言うのは俺の方だ。君無しでは到底敵う相手ではなかったよ。ヒムニヤの言う通りだったな。アデリナもありがとう。ヤツの気配は消え去った。もう大丈夫だ」
エルナが少し首を傾げてニコリと微笑む。
「良かった! 皆、無事で……」
……みんな……?
!!
「他の皆は!? 急いで合流しよう!」
「了解!」
「ええ。急ぎましょう!」
そして―――
この後、俺達は、俺達が知る戦いとは全く次元の違うそれ、を目撃する事になる。




