第1話 リディア・ベルネット(1)
一頭の馬が背に剣士を乗せ、森を猛スピードで走り抜けていた。それに少し離れる感じで、徒士と騎馬の数人が剣士の後を追う。
剣士のスピードが徐々に落ちていき……やがて、完全に止まった。
「……どこ行った? あんな図体で……やべーぞ。完全に見失った」
剣士は焦っている。
彼は馬を降り、その『赤い瞳』で、注意深く木々や地面を観察する。
そこへ息も絶え絶えに、追いついてくる面々。
「マッツ、早すぎるわ!」
「ちょっと落ち着け!」
「無理。もう無理。隊長、もう走れないっす」
皆、ハアハア言いながら剣士に詰め寄るが、どこ吹く風の剣士は、独り言のように呟く。
「この方向、ロールシャッハ村だ。……まずいな」
背は低いが横に大きな、どこかの兵士と思われる1人がその剣士に判断を仰ぐように声を掛ける。
「どうします? とりあえず、『タカ』に戻りますか? それとも……」
「村に向かう」
即答し、剣士が再び馬に跨ったその瞬間!
『ラゥオゥラァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!!』
凄まじい咆哮。
彼らにとっては、聞き覚えのある雄叫び。
あまりにも大音量のため、森のどこから聞こえたのか正確に把握はできない。
「こいつだ! きっと誰かを襲っている! 急げ!!」
言い放ち、まるで居場所がわかったかのように森の奥へと消えていく。
「あー。またアレとやるのかぁ」
「あなた、何もしてなかったじゃない」
「隊長、元気だな……」
「さっきまで、死にかけてなかったか?」
ブツブツ言いながらも皆、彼らが『マッツ』と呼ぶ剣士の後を追い、森へと消えて行った。
―
その1時間ほど前のこと。
ランディア王国の片田舎。
ロールシャッハ村を少し過ぎた辺り。
この国に3つある砦の内、第2砦『シシ』と第3砦『タカ』の間にある、人口五百人ほどの小さな村だ。
この辺りを歩くと、森から流れる緩やかな小川と深い木々が目に入る。
そんな長閑な景色を見ながら村の外を通る道を『タカ』方面へ移動している20名程の隊列がいた。そしてその最後尾に、一際目立つ、真っ白なローブに身を包んだ少女がいる。
リディア・ベルネット、19歳。
肩口まで伸びた茶色がかった髪、それと同色の可愛らしい大きな瞳をしている。顔立ちは非常に整っているのだが、眉をひそめ、軽く唇を噛みながら、何故か沈鬱な表情を浮かべていた。
白いローブから少しだけ見える細く形の整った脚は、皮のブーツでふくらはぎまで隠れている。左手にロッド、右手で馬の手綱を引いており、少し俯きかげんになりながらも器用に馬を操っていた。
彼女は『シシ』の守備隊員である。
この隊は『シシ』から『タカ』への援軍で、今回のミッションで相手にするのは『モンスター』との事だった。
正午前、森から吹き抜ける穏やかな風は心地よく、視界に入る景色も相まってピクニック気分になりそうなものだが、実のところ、彼女の頭の中はそれどころではなかった。
(う~。とにかく『タカ』に着くまでは出てこないでよ……)
彼女は勤勉で、2年半前に魔法学校を卒業後、王国の守備隊に志願、『シシ』に配属された後も、万が一に備えて毎日欠かさず、魔法の訓練、研究をしており、ランディア王国の魔術協会から『高位魔術師』と認められている。
結局、今日に至るまで、その『万が一』はやってこず、今回が初の戦闘任務となるのだ。
高位魔術師ともなれば、ゴブリン程度の低級モンスターでは歯が立たないものなのだが、しかし、彼女は『モンスター』という存在がどのような生き物なのかをよく知らない。
学校では最低限の種類や特徴を教えてくれたが、実際に見た事がないため、どうしても不安の方が勝ってしまうのだ。
彼女は、この行軍の間、ずっと自分に言い聞かせていた。
(大丈夫。出てきても対処できるわ!)
(相手は人間よりちょっと大きい、かもしれないだけ)
(大丈夫、勝てる勝てる……)
(ちょっと実戦経験がないだけ……)
(……)
(う~。でてこないで~~)
彼女は行軍の間、ずっとループしていた。
「リディア殿!」
「ひぐっ!」
不意に彼女の背後から声をかけたのは、この援軍部隊の隊長、ヘルマンだ。
「な、なんですか、ヘルマン隊長……急に大きい声で……」
「む? はっはっは。申し訳ない。驚かせたかな」
ひとしきり笑うと、目を細める。
「いや、リディア殿の具合が悪そうに見えたので……。『シシ』から『タカ』まで4日ほどの行軍。そろそろ疲れているのではないかと思い、休憩でもどうかと」
ヘルマンは『シシ』に常駐している守備隊の小隊長である。
歳は40過ぎ位だろうか。日に焼けた肌は彼の経験が豊富であることを物語る。
リディアの父は王城の守護隊長をしており、ヘルマンとは昔からの友人であった。
元々、魔術師の地位は低くないとはいえ、そんな理由も手伝ってか、彼女はこの行軍中も大切に扱われていた。
今、進んでいる道は、この村を過ぎると少しずつ森に入っていくことになる。そして、完全に森に飲み込まれていくのだ。それもあり、休憩するならこの辺りで、ということなのだろう。
「ありがとうございます。でも私なら大丈夫です」
「そうですか。まあ、少しだけペースを下げて……」
「モンスター発見!!!」
2人の会話を遮るように、前方の見張りが大声で叫ぶ。
「状況報告しろ!」
「この先の森の中にゴブリンを主体とするモンスターの群れを発見!」
見張りの1人が素早く駆け寄ってくる。
「当初、こちらに向かって前進しておりましたが、現在は動きを止めております。何やらゴソゴソと話している様にも見えました」
「……正確な距離と数はわかるか?」
「視認できているだけで、20匹以上は。この先、千メートルほどかと思われます」
ヘルマンは、ふむ、と頷き、リディアに向き直る。
「リディア殿、お聞きの通りだ。戦闘になる前提で心の準備をしておいて下さい」
「大丈夫です! 実戦経験は無いですが!!」
一旦、リディアとの話を止めて伝令に何やら指示をする。
伝令が村の方に走っていくのを見届けつつ、
「念のため、村の人間には避難所に逃げてもらいましょう。万が一、森の方から光の矢が上がったら、『シシ』まで避難するように伝えよと、伝令には命じました。我々はこのまま隊形を保ち、ゆっくり行軍します」
森の中での戦闘は人間に不利だが、できる限り村を戦場にしたくないのだろう、再び隊はゆっくり動き出す。
森の中で戦闘が起こる事を念頭に、弓隊は剣に持ち替える。
森に入り、段々と視界が悪くなる。
ゴブリンまで、400メートル、300、200……
『遠視』を使える魔術師がいない為、全方向に見張りを置き、盾、剣、騎馬の布陣で慎重に進む。
リディアは最後尾の騎馬の1人であり、有事の際は騎上から魔法を撃つことになる。
150、100……
緊張が走る。
リディアは戦闘行為自体が初めての経験だが、他の兵士達にしても、モンスターとの戦闘経験がある者は稀だ。
それほどモンスターが、人間が住んでいる場所で見つかる、というのは珍しい事なのだ。
「前方、ゴブリンの奥にゴブリンメイジ、アーチャー、そしてゴブリンロードと思われる巨体を確認!」
「リディア殿、バフをお願いします」
見張りからの報告でリディアが恐怖に呑まれないよう、ヘルマンは静かに指示をする。
「わ、わかりました!」
あわてて精神を集中させる。
「シュロムシュタナク・ウィ・ダー・ナット……」
リディアの掌に魔力が集まる。
遠隔範囲魔法を防ぐため、真っ先に魔法の防御スペルを唱える。
「『偉大なる盾』!!!」
彼女の全身を水色のオーラが包む。更に、部隊全員にかかっていることを素早く確認しながら、同時に次の詠唱を始める。
「エゥロパ・ハ・マ・リィーデル・トラウス……『大いなる盾』!!」
金色のオーラが現れる。物理シールドだ。
最後に全員の物理攻撃向上を唱え、全員の武器が白銀のオーラに包まれると、厳しい表情のまま、リディアの方を見てヘルマンが頷く。
そして―――
モンスターの攻撃が始まった。