第10話 ツヴァリアの陰謀(6)
洗面所に水が通っていることを確認し、まずは顔を洗う。
「で、アイツ、一体何者なの? 前に色々あったみたいだというのはわかったけど」
あいつが騒動を起こしたのはまだリディアが学生だった頃だから知らないのは当然だ。座り直してリディアの方を向く。
「そうだな。どこから話せば……あいつはエッカルトといって、俺が王国直轄の守備隊だった頃、宮廷魔術師として迎えられた奴だ」
「きゅ……宮廷魔術師……!」
ゴクリと生唾を飲み込むリディア。
「攻撃特化のミラー系魔法を高度なレベルで習得している魔術師で、最初は大人しくランディアに仕えていた。でもその裏で密かに魔術の儀式を進め、次々と王国の兵士達を洗脳していたんだ」
「ミラー系統……私とは相性が悪いわね」
「そうだな。何より普通の人間には、奴の精神操作系が厄介だ。奴は支配下に置いた兵士達を使って、ディミトリアス王の殺害を目論んでいたんだ」
「普通の人間って……どういうこと?」
小首を傾げてそう聞いてくるのに、少し胸を張り、
「さっき、あのジジイも言っていたが、俺には効かなかった、ということさ。理由はよくわかんないんだけどな。それでハンスや他の若い連中と共に奴に洗脳されたフリをしてエッカルトを嵌め、ブチのめしてやったんだ」
「ハンス達にも効かなかったの?」
「いや、俺以外には効いてしまう。だから奴らは太ももや腕などに剣を突き刺し、術が効かないようにしたのさ」
「えぇぇ……みんな、すっごぉぉ……」
リディアが口に手を当てて眉をひそめる。
「結果、王は守られ、エッカルトは捕らえられて島流しになったんだが……さっきの話を聞くと、そこで何かを見つけたらしいな。また何か、企んでいるようだ」
「何よ、とんでもない奴ね!!」
エッカルトについての認識を共有した所で、ここから脱出する段取りを考える。
「正直、ここから逃げ出すだけなら、難しくはなさそうだな」
「それはそうね。同感だわ」
「場所にしても……アデリナが言っていた、ツヴァリアにいる『得体の知れない奴』ってのは、エッカルトの事だろう」
「つまり、私達はあの遺跡からそれほど動かされてはいない筈ってことよね」
「そういう事だ」
エッカルトは俺達を舐め切っている、もしくはいつ逃げても良い、と考えているのか知らないが、そもそも拘束がない。木の格子を破壊する位、リディアの魔法で可能だろう。
しかし、俺の剣、シュタークスだけは取り返したい。
あの剣は、超の付く逸品、魔剣なのだ。
グゥゥゥ……
……
「……腹、減ったな……」
「……うん……」
今、眠気はほとんど無い。
まあ、あれだけ色々あったのだから、頭が冴えてても不思議ではないが……とはいえ、捕まった時は真夜中だった事を考えると、そこからすぐに起きたのなら、まだまだ眠気が来るはずだ。
想像だが、6、7時間は気絶していた、つまり寝ていたのではないだろうか……。
「腹時計でなんとなく時間もわかったな。今は朝、もしくは昼位だろう」
「うう……ごはん……出してくれるのかしら……」
少し経つと、その予想を裏付けるように、フードをすっぽり被った小さな何者かが食事を運んできた。
よく見ると格子の一部、下の方に食事を出し入れするのであろう、小さくて開閉できるようになっている部分がある。そいつはそこに食事を置き、すぐに去ろうとする。
「おい」
ビクッ
む? 今、こいつ、明らかにビクッとした。
「おい、お前、何者だ? 俺の言葉がわかるか?」
フードの裾から目を向けてくるが、明らかに怯えているのがわかる。そいつは小さく頷くが、逃げるように来た方向へ戻ろうとする。
「ちょっと待ってくれ!」
もう一度こちらを見て、首を横に振る。会話できない、という事だろうか。ほとんど顔が見えないが、どうやら人間の子供のように見える。
もう一度、小さく首を振って行ってしまった。
あれがアデリナの言っていた、攫われた村の子じゃないのか?
「やれやれ……とりあえず食おうか」
「次は私が話してみようか?」
「そうだね。頼むよ」
少しばかりのパンとスープをすぐに食べ終わり、これからどうしたもんかと考え込んでいると、
「ねぇ、マッツ。エッカルトが言ってた言葉で、ずっと引っかかってる言葉があるんだけど……」
「ん? なに?」
気が逸れていたため、安直に聞き返してしまった。
「『エロ隊長』って何よ」
……
ブ――――――――――――ッッ
思いっきり噴き出して、咽せる。
「うわっ! ちょ、アンタ! きったないわねぇ!」
「ぶっ……ゴホッゴホッ……ごめんよ」
今、最も触れて欲しくない話題だった。
そして咳き込みながら考えた。
これはどう返答すれば、正解なのだろう。
……
ポクポク、チーン!
これだ。
「……さ、さぁ……?」
すっとぼけだ。
正直に答えてしまうと、今現在の俺達の最優先事項が『脱出』から、俺をいたぶる『ナニか』に変わってしまう。
いや、本心ではそんなことよりも、リディアに軽蔑されるのが嫌なだけなんだが。
「『さあ?』ってことはないでしょ。エッカルトに言われた時の狼狽え方ったらなかったわよ。たった今もね」
う……ダメだったぜ。
笑いもせず、真顔で問い詰めてくる。
これはヤバい。変な汗が溢れ出てくる。
「い、いや、狼狽えたってか、あまりにも不意打ちな単語だったからびっくりしただけだよ」
ジィィィ―――
……
う…… 全然信用していない顔だ。疑いの眼差しで見つめられている。
まあ、そりゃそうか。だが、今、ここで言い争っている場合ではない。
「そそそ、そんなことよりも、ここを脱出する方法を考えよう!」
「……」
くそっ。エッカルトめ!
ここから出たらギッタギタにしてやる。
元は俺が悪いんだがな。
今も『遠視』で見てほくそ笑んでんじゃねーだろーな……
「……わかったわ」
ほっ。
「ここを出てから、またゆっくり教えてね?」
初めてリディアがにっこり笑う。
天使のように可愛い。
また、対策を考えておかねば……
「とりあえず、マッツの話で私が敵う相手じゃないのはわかったけど……どうするの?」
「うーん。元々、アジトを突き止める目的だったから、ここを脱出したら、一旦『タカ』に戻り、立て直すのも手だけど……」
「ダメよ! そんなことして逃げられたら、今回の苦労が水の泡だわ!」
「まあ、そうだな。奴がアジトを変えないという保証もない。ここで決着をつけるべきだろうな」
うーん。
とは言え、丸腰ではとても敵わない。
両手を頭の後ろで組み、もう一度、ゴロンと仰向けに寝っ転がる。
「さっきのって、人間の子供よね? きっとアデリナが言ってた村の子供よね? 味方にできないかな」
「そうだな……味方にして……」
目を閉じて考える。
「道案内……いや、剣だな。シュタークスは取り返したい」
味方にできなかった場合、洗脳されていた場合はどうなるか? 俺達が脱出しようとしていることは、エッカルトにバレてしまうな。
……別にいいか。
どっちにしろ、今の状況も、好きにしろ、と言わんばかりの状況に見える。
奴はここに居着き、モンスターを操って『タカ』を襲っていたが、どうやら俺個人を狙っていた訳では無いようだ。
そこでふと、違和感に辿り着く。
何故か、リディアも同時にそれを考えたらしい。
「ねぇ。そもそも、何でまたあいつはランディアに戻ってきたのかしら?」
「そこなんだ」
あいつを知らない他の国に行った方が、何かとやりやすいだろうに。
復讐か?
いや、それならいくら使えるからといって、俺を生かしておくとは思えない。
あいつにとって最も憎いのは俺のはずだからな。
つまり、復讐ではない。
「あいつにとって、この国である必要がある……何か、明確な目的がある、ってことだな」
やはり、ここでヤツを見過ごすことはできない。
取り返しのつかないことになるかもしれない。
それから少しして、俺達は疲れからか眠気が来たため、少し昼寝することにした。